何か障害がある人間を許す環境っていうのはアガペーなんだと思うんだわ
愛なんてものじゃなくアガペー、
つまりもっと自己犠牲的なもの
そこまで積み重ねられた個人間の関係であったり、単に人格であったりするだろうけどな

明確に問題のある烙印が押された人間にそんなものを向けてくれて居る人はある意味神様なんだよ
過剰に申し訳ないと思う必要はないけど、感謝くらいはできるだろう
たとえ殆ど動けない日でも、彼らが帰宅した時にほんの数秒目を見て笑う事くらいはできる
貰ったアガペーに応えるには足らないかもしれないが、出来ることはあるし、
彼らを数秒笑顔に出来るのなら現状それ以上の生きる意味があるか?
それを実行して行く事が病んだ自分もそれを支えてくれる家族をも幸せにしていく事だろ

鬱を理解してください!!なんてのはもうありふれていて馬鹿でも知ってる事だ
そんなものを今更声高に叫ばなければいけない様なのはそこにしがみつかないと生きていけない様な人間だけなんだよ
そういう連中とは精神的な線引きを常にしていないと残念ならがどうしても引き込まれる
彼らは自分達だけで被害者ヅラする事には既に疲れてるからな