ボダが治るか治らないか(寛解するかしないか)って論点だけ切り取るなら、そりゃ治る(寛解する)でしょ
様々な状況に置かれたボダの中から、治療を促すのに適切な対象に合理的な方向性を与えれば良いだけなのだからさ
精神科医やカウンセラーは「待ちガイル」ができるしな
きちんと防御を固めて、相手が干渉可能範囲に飛び込んでくるのを構えて待っていれば良いだけ

病院やカウンセリングルームを訪れるボダなんて、大抵本人が苦しんでいる自覚を有しているから、
(それだけ重症とも言えるが)条件的に言うと比較的動機付けがしやすい方だろうし、治療意志のないボダは通院しなくなるだけだ

要するに、本人が苦しんでいるのならば「なら一緒に苦しみの原因を探しましょ」って言うだけだし、
依存で解決すると本人が思っているなら、「ならそれで解決しなかったらまた来てくださいね」と言うわけだ
あるいはボダが絶望して自殺を試みたところで、致命に至らなければ問答無用で応急処置をして同じことを繰り返すわけだ
ループを恐れなければ圧倒的優位な立場に立てる

そうやって考えれば多少は可能な気がしてくるんじゃないかな?
つか、統計学的な治療実績なんて所詮そんなもんだよ

なので、ボダが寛解不可能だとも、ボダの寛解が奇跡的なことだとも思わない
素人でも理解すれば可能だが、大抵の人は防御を固めなければならないと気づく前にボコされるから、
ボコされた後でそれに気づいたところで、二度と関わりたいとは思わなくなるってだけ

そもそも素人が待ちガイルしたところで、大抵は単に相手が去っていくだけだが、それでいいんだよ
関わる人間がことごとく待ちガイルしているなら、ボダも待ちガイルを解決しないと自分が行き詰まるってその内理解するからな
何人目で理解するかは知らんが、依存の呪いにかかっている以上結果的にそうなるのだろう

もっとも、相手が待ちガイルしようがボコされようが、結果的にボダの希望が叶わないことには違いないので、どちらでも大差ないとも言えるし、
ボダの理想化が現実離れしているのならば、死ぬ前に希望が叶わないことに気づくか、気づく前に死ぬかの違いでしかないが