■■■死恐怖症(タナトフォビア)32棺目■■■
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タナトフォビアとは死そのものや死に関連するものに対する恐怖症のことです。
このスレにはこんな人たちがいます。
1. 意識の喪失による無が怖い人
2. 死に伴う孤独や痛みが怖い人
3. 悲惨な目や災害にあって死ぬのが怖い人
4. 生や死そのものの不可解さが怖い人
5. 死んで人から忘れられるのが怖い人
6. 永遠が怖い人
7. 身近な人の死が怖い人
8. 生きる事やこの世の全てが無意味に感じるのが怖い人
これらのことを考え出すと思考が止まらなくなり、恐怖・発狂恐怖に陥る人。
タナトフォビアの類義語としてネクロフォビアがあります。
しかしタナトスはもともと死を擬人化した神の名を、ネクロは死体を指すので、
ネクロフォビアというと死体、つまり他者の死を意味するときに使う習慣もあるようです。
(ただし海外では同義語として扱われています。)
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■■■死恐怖症(タナトフォビア)30棺目■■■
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1501433260/
↑実質31棺目 無とは何かと問いかけて、言語によってもう無なる有と化してしまう
まるでその先に暗黒の宇宙がごとく一定の空間が存在するかのようだ
この問いはもうナンセンスじゃないのか。意味を求めること、
答えを出すということそれ自体が無からすり抜けてしまう。
おお!これが「無」か!って漫才やってんじゃねえんだから。。
大体言語のせいだバカヤロー >>100
無理ですよ
お釈迦様でさえ死ぬのは怖かったんだから
王子だったお釈迦様かま城を抜け出し
得た悟りが考えないこと
それより今を生きること
今この瞬間を一生懸命生きる、 人格や記憶を全て失うのは怖くない、それだけであれば。永遠の無になるのが怖い >>103
人間って寝て夢を見てる間ですら、記憶が捏造されているのよね
何の道具も用いずに空を飛ぶ夢や、魔法を使う夢や、死んだ親や親戚と話す夢
どれもその夢を見ている時は、それを異常だと思わないし有り得ないとも思わない
それどころか夢を見ている時の自分は、その夢の世界が現実だと思いこんでいる
目が覚めて初めて今のは夢だったんだなと自覚するのだ
そう考えると、今この瞬間に自分の記憶や人格が変わったとしても、
1秒後に全く別の国の別の人間に意識が統合されてしまったとしても、
その事自体は全く怖くはない
ただ今までの自分や生活が無くなってしまうのは嫌だなあと思うだけで、
変わってしまった後の自分はそれすらも思わないだろうしね 逆に何が怖いのか私にはわからない
死は苦しみからの解放だと思う 哲学家も宗教家も医者も心理学も勇者も最後に口を揃えて言うのは「死があるから今を生きられるんだ!!」なんだよな
今を生きて、それがどうなるっていうんだ? 思考の停止と違うのか?
とりあえず今を生きて、死ぬ直前に我に返って「うわ!もう寿命ないやん!」てのがいい人生なのか 結局誰も「死」について解明できない
アメリカでさえも >>107
全くの無だった自分という存在が一瞬存在して再び無になることに底知れぬ恐ろしさを感じる
「無」も「恐ろしさ」も全て言語が作り出した幻なんだろうが 眠ることや気絶することを怖いと感じる人はいないが、眠っている間の意識が無いことを考えれば死とほとんど変わらない
この辺に克服できそうなヒントがある気がする >>108
じゃあ無我夢中で生きて、死ぬ1年前くらいにボケるのがベストな生き方かな。 朝目覚めるというのは本当にとんでもない奇跡だ
自分の存在が誕生する瞬間だ >>113
多分、善く生きるってのはそういうことなんだろうな
ただ、タナトの人達はもともと自我に執着強そうやからボケること自体にヤバいくらい恐怖しそう >>108
本当に今この瞬間のみを生きて、過去や未来という
既存の時間概念を破壊しろということか
永遠の現在を生きる動物になれということだ
動物は過去を参照する力がないのだから
永遠の現在を生きるというのは厳密には誤りだろうが >>116
それってやっぱり野生や現象に近付く生き方だよな
理性に則って過去、未来の延長を意識していきようとすると苦痛が生じるから辞めろ!ていう ある日いつものように眠くなって眠りにつくとそのまま死んでいるというのが一番幸せなのかもしれない
しかし幸せなことにどんな意味があるというのか? 変な話、あれだ、死による絶対的消滅が恐怖ならば、
初めから奪われる様な事が無ければいいのである。。
つまりそう、記憶による同一性の維持、身体や健康の
不可逆的な衰退はそのままに、どうすれば自分と世界という
概念を前もって破壊できるのか
過去・現在・未来と直線的に流れる時間性格にどうメスを入れるか
「私」という自己意識をどこまで消去できるか
思えば人間の記憶構造は結構いい加減だし、
自我や意識の問題も改めて考えてみるとかなり曖昧だ
「世界」や「私」は、実はそこまで堅牢な構築物ではなくて、
もっと輪郭のぼやけた水彩画のような性質なのではないか。。 考えてても堂々巡りで始まらないよ。宗教や心霊信じるかタナトどうでも良くなる程の何かを見つけるか。俺は前者で克服した。変な新興宗教とかには入ってないけどな。幽霊?はいる。 死や無の恐怖を突き詰めると科学の話になり、さらに突き詰めると哲学になってしまうのよな ただ科学は結局科学的客観性というものが壁になるよね
脳科学や生物学では死による身体的な状態しか補足できない
自己意識もなんかも発生のプロセス、心理状態は
把握可能だが、そのものの働き、見た色とか痛みの感じ
主観的な印象までは踏み込めない
個物の固有性というのかな、そういうのは科学の領域じゃないよね
死は実際その固有性にあって、他者とは共有できないものだかんねえ
誰かの最期を看取ってもその人の最期の体験は悲しいほどに
わからないし、そうやって他人の死を何度見ても
自分の死はわからない >>120
よからぬオカルトにはまって生活が破綻しない限りは
自分で納得できればそれでいいとおもう
うん本当に心からそうおもう
学問的な興味なわけじゃないから普遍性とかエビデンスとか
そういうものは全くどうでもいい。
自分が克服さえできるなら、ね。
死後の世界でも何でもいい。。いいのだが、そういう世界が
認知できるとはどういう事態なのか。そしてそれは永遠に続くのか、一秒先の未来を保証してくれるか。通常通り世界が「ある」
と認識できるなら、絶対の無へ転落する可能性はないのだろうか。。 とはいえ、死はいつか全ての人に平等に訪れるのだから、
死と真摯に向き合い、そこから自分の生の在り方を考えることは
充実した人生を送る上でとても大切なことだとおもう
ほどほどに、自己啓発の人生論の範囲なら、ね。。
ポイントはいちいちバカみたいに夜中に発狂しないことである
永遠の無がどうたらとかそこまで考えろとは言ってない ニーチェは最終的に発狂したが少し羨ましいとさえ感じてしまう
最後は古今東西の人物が自分自身であると言い出して気が狂ったと思われたそうだが、仏教で坐禅を長く続けていくと「柱が痒い」という風に自我が溶解してしまうことと似たものを感じる 精神疾患は無いんだけど夜に「うわあああ!死にたくない!」って叫んじゃう。部屋で飼ってるネズミにもうしわけない 死に関してだけど、死別を扱ったものは作品は
話題作から何までそれこそ腐るほどあるんだけど、
この宇宙からの永久的消滅、永続的な無の問題まで話を広げる
作品は映画でも小説でも少ないな
大江健三郎とかクレジオなんかは割りとしつこく書いてるが
皆少なからず死への恐怖を抱いているけど、
やはり多くの人にとって死とは、両親や恋人、友人と
愛する者との永遠の別れ、情感に満ちた人間社会の問題ね 暇な時には大抵死の恐怖に襲われる。
誰かと話している時でさえ
深夜なんてもうダメよ、ただでさえ不安な気持ちがになる
時間帯だというのに 眠り=無=目覚めのある死、は当然として、我々が何かに熱中したり集中したり夕食のことを考えたりしている時間=「動物的な」時間も人間としては「死んでいる」のと同じではないか?
そう考えると身体的に「起きている」時間も、そのほとんどの時間は「死んでいる」=無である、と言える
つまり生まれてきたからには、起きている限り常に死と無について考える=哲学的思索に耽る、ことを死ぬまで続けるのが「人間らしく精一杯生きる」ことなのではないか?勿論答えは決して出ないが 誰もが一度は「死んだらどうなるんだろう」と考えて恐怖に襲われると思うけど、特に無宗教の日本人たちが「まあ考えてもしょうがない」 >>129
答え出した人なんか居ないよ
誰も答えなんか分からないんだから
だから大抵の人は考ないようにしてるだけなんだよね
考えても無駄とか言って
そういう意味じゃタナトの人は凄いし強いと思うよ
ちゃんと死と向き合って生きてるんだから 死や哲学なぞ忘れて生きるのが幸せなのは先刻ご承知ではあるが忘れて生きることを良しとできないから苦しいのであるな じゃあ死ぬまで死にビクビク怯えながら生きていくの?
人間の生って本来そういうものじゃないと
思うけどね
今の科学的な世の中がおかしいって
いうのもあるけど そりゃ昔は思ってたさ、社会人になって日常の雑事に追われれば
こんな観念的な話なんて簡単に忘れるだろうって
若気の至りというか青臭さからちょっと小難しい問題に
悩んでみたかっただけだってね
まさかそれから十数年と悩むことになるとは思わなかったわ
そうやって人間っていつの間にかおかしくなってくるんだな 子供の方がより本質的な部分に敏感なんだろう
大人になって考えなくなるというのは
人間社会に合わせた相場の知識や考え方を身に着けただけで
正解に近づいてる訳ではまったく無いし うちのお母さんもタナトだったけど
ある時ふっとアホらしって考えるのをやめたらしい
何でこんなんで悩んでるんだろう
そんな考えても一緒だし無駄だって思ったらしいw
それより現実問題で色々直面しなきゃ
いけない問題がたくさんあることに
気付いたらしい
金銭面の問題や子供や孫の問題
父の会社やめるやめないの問題
食べていけなくなったらそれこそ
生活出来ないし飢え死にしてしまう そういやタナトでも何でもないワイの友達が、
ハヤカワNFの「何故世界は「ある」のか」を読んで
世界の全てが根本から崩れていくようで、
気持ち悪くなってきたと言ってたな
いざ問われてみると、やはりこの手の問題提起に
不安を抱く人間は結構いるようだ もちろん病気にかかったら、癌にでもなってしまったら
誰でも執拗なタナト君の苛めに泣かされることは間違いありません
生きている限り、いつでも奴は皆の近くにいるのだから 映画とかで「充分生きた」とか言って死んでいく老人が羨ましい
年取っても多分そんな心境にはなれない 死んだらどこへの様な存在の問いはまぁ大抵は小学生で卒業するよね
中高生になるともう、本格的な自我の芽生えから
俺が!私が!の厨二の真っ盛りの自己主張が始まって、
自分はどう生きるべきか、本当の自分を探す旅という
人生の問題になっちゃう
哲学じゃなくて文学の領域になる 悲しいかな、今の哲学者は思想家という感じで
倫理や自我の問題もAIとか資本主義とかフェミニズムとか移民とか
社会問題、政治的状況に接続されてまう
社会的な善を成すのが重要なんで、そもそもの問いは出てこない
マルクス主義の哲学者なんかはタナトとは悲劇的にすれ違う ちょっと嫌な事や不幸な事があると
途端に気分が落ち込み自分には何の望みも無いんじゃないかと絶望してしまう
そしてついでにタナトも再発してしまい何も手つかずになってしまう
どうしたらいいですかもう私は終わりです 前から思ってたが人間は全ての事象を結びつけすぎ
今あるこの世界も空間も別に意味のある物じゃないのに 昔の動画とか見られない
白黒とかモノクロとかここに映ってる人死んでるのが無理で震える 不動産関係の仕事してるんだけど
35年ローンとか見ると気が滅入ってしまうようになった
こないだは2代に渡ってローンを支払う契約あったし
こんな狂った契約を精緻に作り上げる仕事をしている自分が怖い
いや現実が異常なんじゃないのか 自分が何より大事だから他人庇って死ぬことないだろうな >>147
むしろ意味が無いから絶望するんだよ
霊も神もいなくてさ、人間は脳に縛られているただのタンパク質の塊でさ、
機械と生命体の違いなんて身体を構成しているのが無機物か有機物かの違いしかなくてさ、
意識とか記憶とか自我とか魂とか自分自身だと思っていたのは脳の中の微弱な電流でしかなくてさ、
人類も地球も宇宙も何十億年かけてたまたま偶然このようになっただけで意味なんてなくてさ、
宇宙という世界自体に意味や意義や目的もなければ神の見えざる手も存在しなくてさ、
人間だけでなくこの世の全てが「意味もなくたまたま生まれて」、『無意味に無に還る』んだぜ?
俺は霊も神もあの世も魔法も超能力もありとあらゆるオカルトが「有ってほしかった」し
この世が出来た事に意味を持たす「神」や「高位の存在」が「居てほしかった」し
自分だけでなく全ての事象や事柄に『意味があってほしかった』よ… もし神が実在したら神のなかにもそうやって「なんで神なんかが生まれたんだよ!」て悩むやつ出てきそう >>152
理由がほしいよね。生きる事にもこの世が出来た事にも。
理由がないというのは恐ろしいよ。
訳もわからず生まれて訳もわからず死ぬなんて。 >>153
神の宇宙論的証明だな
存在するものには必ず原因があるはずだと
意味を生成する意味を疑う無限後退の問題に陥る
またもや存在の有無の壁にぶつかる
その先はきっと何かが「ある」はずだ…と 資本主義経済というよくできたタナトフォビアの暗喩に泣ける 広がり続ける宇宙全体が「私」が言葉で作り出してしまった神秘である以上、その中で言葉を使って考えたり会話したりしている我々が「無」を表す言葉は「無い」 友人が亡くなってタナト再発した
人が死ぬのも自分が死ぬのも怖い 存在する我々は存在しないという不条理を信じるわけにはいかない
この宇宙において何も無いわけにはいかないのである
これが「無」なのだと、何かが「あって」欲しいのだ
しかしその先に何かが「ある」なら、その何かを形作る
何かが「ある」ことになる
一体何が「ある」というんだ?何も「ない」のではないか。。 大切な人の死は誰にとっても辛い悲劇なんだけど、
ここが重要で、そこから死そのもの、自分の死に恐怖する人は少ない
タナトはある意味当然の事なのだから、かなりの割合で
分かり合えそうだけど、これがまた笑えるほどにすれ違う
自分よりも遥かに人の死と向き合ってきたような人でさえ いつどんな過程でタナトになっていくのかというのは
社会学的統計として面白いかもしれないけど 長期のローンを組むというのもそうだけど、
ファイナンシャルプランナーが老後までライフプランを
設計すんのは割りとギャグ
科学者や宇宙飛行士が宇宙の神秘とか本気で言ってるのはもはや狂気 「死を拒絶することは生を拒絶することも同じ」
ゲド戦記より ゲド戦記は評判悪いけど
初めて映画館で見た時からタナトの自分には印象深い作品だったよ…
まさにタナト向けの作品だと思ってた こないだやってた君の名は。は、この私という
存在の不安を駆り立てるめちゃくちゃヤバイ作品 タナトフォビアになってしまったことで食生活が改善されたのは皮肉だ
それまで暴飲暴食の日々で自制が三日坊主だったのが少しでも長生きしたいという恐怖心から誘惑に負けなくなった
ただし日常的にストレスを感じ続けるようになってしまったので寿命は伸びるどころか減ってると思う
病は気からだ ものすごく死にたくて
というか死ぬ以外に選択肢が残ってないのだけど
だからこそ死に対する恐怖が氾濫して何も手に付かない たかだか言語の中の存在である(世界内存在)人間がメタな視点を持とうとするから簡単に気が狂ったり絶望したりとてつもない恐怖に襲われたりする
まあ、それらも全て言語レベルの出来事なのだが
私たちは言語というカゴの中にいるハムスターみたいなものなんだろう 死だけはそれぞれ自分固有の経験であり、共有不可能な現象だかんね
だからこんな事を延々と考えていると、
どこにいたって自分の世界に閉じこもる事になる
社会の中で生きながら引きこもりをやっている みんなが苦しむことを前借りでやってるような
気になるけど
ただ損なだけなんだよな
わかったところでどうしようもないけど それなんだよ
わかったところでどうしようもないのが本当に袋小路みたいで 20歳くらいに戻りたい
ずっと20歳くらいでいたい
年をとるのが嫌だ可能性が減っていく 生涯真正面から向き合い続ければ、いつかは燃え尽きる様に
悟りの境地の様な所に到達できるのではないかと淡い期待を抱いてる
まだ俺は哲学も宗教も勉強してないし、脳科学や心理学だって全然だ
全ては自己欺瞞だとしたもまだ幾らか抵抗の手段はあると思っている ゲド戦記、酷評される事多いけど、タナトは共感できる部分多いよね。
最後、クモが「コワイコワイ」って言っておかしくなってるとことか。 ここ3〜4ヶ月ぐらいタナトが続いてて日常生活も困難だわ よく考えたら一秒後に心臓が止まる可能性だってあるわけだから
人間ってやつはガチでやべえよなー
ぶっちゃけ常に時限爆弾を抱えて生きているわけだよ
どんなに確率が低かろうがたまたま今日爆発しなかっただけ 努力でどうにかならないというのが不安を掻き立てる
何かを成し遂げたい→努力できる
怪我や病気したくない→注意を払う、健康に気をつかう
死にたくない、死後どうなるか知りたい→どうしようもありません考えないようにしましょう 薄井ゆうじの蠍座カレンダーだっけか
「人はみんな産まれたとき、毒のサソリに刺されてるんだ。それがいつ効いてくるかわからないだけで」みたいな事いってたの
あれは作者の死生観なんだろな >>180
死ぬのが怖いんじゃない、生きるのが怖いんだ
のところとか、深いところまでえぐり込まれるような描写あるよね
ゲド戦記のアニメ化としては間違いなくダメだけど単体の映画としてみたら秀作だと思う とにかく時間を止めて欲しい
答えを出したら進めていいからそれまで止めて 一時はシンギュラリティが恐怖の対象でしかなかったが
今となっては逆でそれだけが希望だ
爆発的な技術革新によって不老不死が体現される事を願う そもそも時間とか無いから…
勝手に死に急いでることに気付け ほんの少し前まで自分が死ぬことなんて全く考えてなかったのに
寝る寸前に唐突に過ぎった結果頭から離れなくなった
考えないようにしようとしても食べ物を見る度に車が横切る度に考えてしまうノイローゼになりそうだ しかし不老不死になるって実際どういうことなんや
創作では度々登場するが、そうなった証明ってどうやってやるん
永遠の時間が比喩じゃなかったら色々とおかしすぎるやろ 地球の終わりまでひとりぼっちはやだなぁ。それこそカーズみたいになっちゃう 死後の世界は存在しないと人は言うけど、
"存在しない"は「存在するかどうかは分からない、知ることはできない」と等価だ
永遠に絶対に存在しないかなんて知ることは原理的に無理に近い ずっと苦しむとかならないのであれば創作の不死者は羨ましいと思うけど
となりのヤングジャンプのしをちゃんは俺の嫉妬心を全くかきたてない。
(作品自体は好き。) 一度口に出すとヒットチャートのJ-POPの様に陳腐だが、
たまにこうして世界が存在していることの奇跡に西野カナさんなみに魂が震える。すぐ近くでバカ笑いしてるJKも疲れ顔のサラリーマンやOLも
しょうもないつり革の広告もこれ以上ないくらいに、無を埋め尽くすほどに力強く今ここに存在してる。しゅごい! 治安が良くて比較的安全な日本に五体満足で生まれただけで宝くじ100連続当選するより運が良いってわかってるんだ
それまで存在もしてなかったんだから
引き換えに回避不可能な死が約束されてるだけで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています