■■■死恐怖症(タナトフォビア)32棺目■■■
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タナトフォビアとは死そのものや死に関連するものに対する恐怖症のことです。
このスレにはこんな人たちがいます。
1. 意識の喪失による無が怖い人
2. 死に伴う孤独や痛みが怖い人
3. 悲惨な目や災害にあって死ぬのが怖い人
4. 生や死そのものの不可解さが怖い人
5. 死んで人から忘れられるのが怖い人
6. 永遠が怖い人
7. 身近な人の死が怖い人
8. 生きる事やこの世の全てが無意味に感じるのが怖い人
これらのことを考え出すと思考が止まらなくなり、恐怖・発狂恐怖に陥る人。
タナトフォビアの類義語としてネクロフォビアがあります。
しかしタナトスはもともと死を擬人化した神の名を、ネクロは死体を指すので、
ネクロフォビアというと死体、つまり他者の死を意味するときに使う習慣もあるようです。
(ただし海外では同義語として扱われています。)
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前スレ
■■■死恐怖症(タナトフォビア)30棺目■■■
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1501433260/
↑実質31棺目 だるい…死を考えると何もやる気が起きないエネルギッシュさが消えた
精神病だよなこれもう… >>285
漠然とした不安は9歳から
言葉にしたのは12歳からだったなぁ 救いが欲しいよ
本当に人を救う神のような存在や魂もあってそこで苦痛なく眠り続けられるならなんだってするし信じるよ
でもそうなると過去の古代生物やら原始人やらの魂はどこへとか地球が無くなって宇宙も無くなったらそこに魂はあるのかとか
どうにもならないことを考えて考えて頭がおかしくなりそうだ 大抵の人は小学生高学年くらいに一通り悩んで卒業するんだろうね
実は自分もその辺りからなんだが、どうにも治りが遅いみたいでね
それから何十年と拗らせてしまってる
きっかけも結構ベタじゃないかとおもう
あれは布団に入って寝る時、自分の部屋で電気を消す瞬間だったかな
一人巨大な宇宙空間に取り残されたような恐怖に襲われた
昼間に簡単な宇宙の本を読んだのと、自室をもって
ちょうど一人で寝るようになった頃というのがきっと大きい
何もかもとてもわかりやすい 死にゆくこと、有から無への移行、
この変化の過程をなるべく消す事はできないか
お前はもう死んでいる的に。。 老人になって死が近づくと
それを紛らわす為に呆気が存在すると
聞いたことがある
ボケて自分が何なのかも分からなくなったら
恐怖も和らぐのかな? >>287
もしあなたに子供や孫が出来て
ねぇ死んだらどうなるの?って聞かれても
答えようがないし困るでしょ?
誰かに聞いても一緒だし無駄なんだよ
こればっかりは >>296
自分の体験した事のない事を聞かれても「知らんがな」ってなるってのもあるが
一般人はそもそも死についての認識が我々と違う(というより認識すらしていない)んだから、答えが得られるはずがない
…だが、そもそも自己の異常を把握するには、他人と比較できる場面がないといけないわけで
4歳の彼はその時点ではじめて自分がタナトと自覚したわけですがな
あと、君は糖質だからタナト関係ないと思うよ いったい今ここで起こってる一度きりしかない「これ」はなんなんだ?と考えると発狂しそうになる。というかむしろ発狂したい 宇宙戦艦ヤマトの歌で「人生が二度あるならこんな険しい道は選ばないだろう」って歌詞があるんだけど人生一回しかないのに辛いんがほんとやだ 「人生一度きり」とか軽々しく口に出している人はそのことを本当に深く考えたことがあるのだろうか?まともな人なら直視出来ないほど恐怖を感じるのではないか? それに特に深い意味はないでしょ。それぐらい必死だと伝えたいだけでしょ 我々は死の恐怖が強く、世間は生の恐怖が勝るのだ
死の恐怖を朧気な生に意味を与えるものとして肯定的に受け取る ストーブや布団の暖かさ外のちょっとした寒さまで全部愛おしいよ
これが全て感じることもできなくなるってどういうことだろう恐いよ >>301
どっちが人間として「まとも」かは分からないけどな
多数派は間違いなく考えない側の人間だろうから… 形而上の問題をずっと維持していくのは普通は無理だよな
病気の不安だって症状にもよるけど、大抵は生活全般の具体的問題、
介護や働けなくなるリスクへ収斂していくんじゃないか タナトフォビアの人って多分、全ては言葉でどう捉えるかでしかないって
考えたいんだけど、それがどうも上手く行かない、みたいな葛藤を感じてるんじゃない? 言葉にしない、考えないという軌道修正とやらは多少面倒かもしれんが
それが済めば明るい未来が待っている 死んだら無になってその後の世界を知る事も出来ないというのが
生きる上でのやる気を激しく無くさせてしまったんだよね
死んだ後も守護霊となって家族を見守れるのならば、
自分も人並みに努力して結婚して子供の成長を楽しみにする
普通の親らしい親を目指す人生を歩んでいたかもしれないのに… 嫌と思うことすらできない状態にはなりたくないなぁ
でも10年前の俺が今の俺を見たら多分「お前なんかオレじゃない!お前みたいにはなりたくない!」って言うだろうな まあ今の現代社会は死ぬことよりも生きることということへの
価値や考え方を重視しているし、それが多数派であるから、
どうしても死ぬことに関する正しい考え方みたいなものが捉えにくいんだよね どうすれば解決するか
じゃなくて
どうすれば考えなくてすむか
ばっかりなんだよな 睡眠時間は7〜8時間が一番長生きできるらしい
眠っている間は全て忘れられるからもっと眠りたいときがあっても無理矢理起きる… 一回瞬間的でも起きる時間が存在すれば、後から全てを振り返られる睡眠の認識になれるなら、何万年と意識が消えても怖くないんだよ >>296
そもそも私には結婚や出産ということさえ考えられないので、その問答は無意味
もし誰かの子どもから
「何で人は死ぬの?」と聞かれたら
「飽きるほど考えたけれど未だにわかりません、どうして人は生きてるの?」と逆に聞いてみたい >>316
わかるけど、睡眠の時間を無と考えればそれは結局永遠に生きるのと同じことになる 睡眠は夢があったり自己が脳が存在してる前提での睡眠にすぎないからなあ
3DSのスリープモードが睡眠
バラバラに破壊された3DSが死 これを見ると気分が軽くなるのか重くなるのかわからなくなる 同じ奴らがいるのは嬉しいけど
たまにそれまで見えてなかった恐怖の新しい視点に気付かされるときつい きついからもう見るのやめようと思いながらまた見にきてしまう。 もう疲れたよパトラッシュの境地に辿り着きたい
どこかの誰かみたいに燃え尽きて真っ白になりてー!
努力が足らんわあ、まだ行き着く所まで行ってないんだ
無駄に絶望して騒げるだけ、まだ全ての手段を試してないんだわ 評論家の西部さん、知識人でエリートで昔よく朝生にも出てたし権威もあるし生活も困ってなさそうなのに
晩年の最後に明日大雪が予測される冬の寒い東京の多摩川に身を投げたんだろ?
知識人や哲学者にはタナトが多いというが西部さんはタナラーじゃなかったんだな・・ 事故も病気も無くまだ生きられるという幸運をもっていてどうして自殺なんかしてしまうんだ… あの保守のじいさん、身体の調子はよくなさそうだったけど ハイデガーやサルトルがタナトであったかはまた別の話だな 無 って言葉にするのは簡単だけど自分が 無 になるってどういうことなのか考える程恐ろしい
永眠とか意識が無くなることじゃなく存在すらしなくなるってどうなんだろう
無だから苦しくないとかそういうのじゃなくて 無 になるって 祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり
形あるものはいずれ消える
世の儚さ 自分なりの死生観を持つことも重要
昔の人達はみんな死生観を持ってた
宗教によって
キリスト教では天国 仏教では生まれ変わり 輪廻転生
日本の古神道では死ねば霊になるという考え
今の科学的な世の中で宗教的な考えは受け入れられないかもしれないけど
自分なりの死生観を持つことが重要
今の科学的な世の中は死後の世界を否定するから
現代人は余計に怖くなってる
科学と宗教は相反するものだけど
科学的な世の中だからこそ
宗教は人間が生きる上で必要だと思う そんなもん持たなくても時間が来ればみんな無に還る。 もし自分が死んだら当然だけど墓の中で眠ることになる
そうしたらこの世界のありとあらゆるものが認知できなくなるのかな
空の青さも、懐かしい思い出も、科学の進歩も
それらを認知できてないことさえもわからない
自分だけが世界から消されたみたいだ
ああ死ぬのは恐い 自分の死がこの世の終わりだから心配する必要がない。 >>324
奥さん亡くしてからは親しい人に色々漏らしてたらしいですよ 自我があるから死があるわけで。
何で自我があるかというと自我があって欲しいと思うからあるわけで。
本当に自我要らないと思ったら自我なんて溶けちゃうものだと思う。
俺は優越感が欲しかったから自我を必要としていた。 無に戻るくらいなら最初から無のままでいたかった
この世に「有」ってしまった事が最大の恐怖だ 私の終わりが世界の消滅というと、必然的に独我論に近付くんだけど、そうすると何かコレジャナイ気がする >>340
夕焼けの詩の最初期とかもだけど、地球最後の日って短編集がたしかそんな短話の寄せ集めで出てた気がする
死後の世界に連れていかれた女の子が鬼に「こんなのひとりぼっちで見る夢と同じじゃない!」みたいな事言ってる話や、飲み屋で知り合ったおっさんが死ぬと世界が崩壊してそれを唯一知覚できる青年が苦しんだりする話が印象的 西部邁も昔は実存思想について語ってた時期があった
自分の死は全て言語の構築物で伝統だから本当の意味では
死ぬことはないのだと、生命体として死ぬだけで、
伝統として永遠に続くのだと 死について考えない時間は幸せだと思うが、その間も知らぬ間に死が近づいているのだと考えると、死について考えている時間よりも不幸なように思えてくる 死ぬのが怖いと考えてしまうあまり外出が怖い
車が飛び出してくるんじゃないかとか暴漢に遭遇しないかとかろくでもないことを考えてしまう
食べ物も大好きだったもの殆ど口にできなくなった ただ自宅でくつろいでるだけなのに心臓発作の可能性あるんだよなとか考えるのもうやだ 道行く人にいきなり襲いかかられないだけ幸せ
いきなり家にトラックが突っ込んでこないだけ幸せ
心臓が動いてて幸せ
幸せってさりげないもんだな 噴火のニュースがあったが、全く本当に人間いつどこで
死ぬかなんて分かったもんじゃないね
それは今日かも知れんし、夜を迎えてもこれからかも知れない
自分は身体的にはいたって健康だが、言うほど時間はないのかもな 身体のガタって本当に突然来るんだよ
誰もがジワジワと老いを実感する訳じゃない、
唐突な内臓の不調や自覚なき癌の進行で
具合が悪くなったら既に残り寿命1年足らずなんて人も多くいる
残りの寿命が分からないのと同じように
自分の肉体がどれくらい健康なのか、
骨や内臓はまだ丈夫なのか弱っている所があるのかなんて
明確に数値化されている訳でもないしね >>354
噴火で電話した人叩かれてるの悲しい
目前に死が迫ってたら妻と子を助けてくれ!ってなりふり構わず懇願もするだろうし親に愛だって伝えるだろ
死ぬ間際までカッコつけてられるかよ 100年後には今いる奴らは全員死んでるんだから仕方ないじゃない。 必ず死ぬのになんで死ぬのが怖いなんていう本能があるのか。
これじゃ生まれたら恐怖すること確定じゃん。 ドラマや心霊企画番組の実況スレで死んだらどこに行くんだろう?ってテレビで言った後に
無になるって実況に書いてる奴を見る度に嫌悪感が湧く
自分もいつか無になるのに書いてて怖くないの?とか
無の具体性や恐ろしさを理解せずに発言していないか?とか
無になるのは分かっているのに考えないようにしているだけって言うのなら
それはただの思考放棄じゃないの?とか
50年後の年老いた時や末期癌で無が目の前に迫っている時に同じ事が言えるのか?等の
等の色々な質問をぶつけてみたくなるけどこれを実況スレで書いたら
間違いなく自分の方がキチガイ扱いされるから黙っている
自分は死後の無の事に付いてはこのスレッド以外では絶対に書かない
他人にその恐ろしさを意識も想起もさせたくないからだ
死んだら無なんてのは、簡単に気軽に言っちゃいけないんだよ 昔は死ぬのが怖くて仕方なかったけど
人生詰んでからはどうでもよくなった
死刑囚も刑執行直前には案外ポジティブな言葉を残すって言うし
人生どうにもならなくなったら死ぬのが怖くなくなるもんなのかね 詰むって簡単に言うけど俺はフリーターになっても貧乏でもみじめでも長生きしていたい
暖かい食事と布団があるだけでいい 死=自我喪失
というのが恐らく正解なんだよね。
体という器がないと存在出来ない自我とは、本当に弱いものだ。 詰むって簡単に言うけど、人生という概念そのものが詰んでるから 50代半ばの親父は気が付けば髪は白くなり自分より小さく見えるようになった
飲食店勤務で早朝には仕事に出かけ帰宅は夜も更けたころ
帰ったら少しばかり深夜番組を楽しみ酒を煽ってはすぐ居間で寝てしまう、ずっとこれの繰り返し
そんな親父に一度訊いてみたい、生きてて良かった?って 何も無い人生が有るとは、つくづく世界ってやつは不思議だな >>366
日本人に生まれただけでも宝くじの一等に当たったくらい幸せだと思うぞ
中東の少年兵やシリアの難民からしてみれば君のお父さんの生活も憧れだよ >>363
バイトすらまともに出来ない池沼だから困ってる 人生をエンジョイしてる人は本当に僅かだし
うらやましいとは思う
かけがえのない今この瞬間を生きてる人
大抵の人はやりたくもない仕事をして
ただ無機質に生きてるだけだから 武井は死は恐怖はしてないかもしれんが
衰えに対しては誰よりも恐怖している筈だ 本当にやりたくないなら、死んだように生きているのが
嫌なら今日にでもやめてもええんやで
安全を屑籠に捨てれば世界中がその人のフィールドだぞ
リアルオープンワールドだ
かけがえのない一瞬を生きることはできる
ただそのリスクを誰も背負いたくないだけだ タナトの人って基本的に孤独な人が多いのではないか?
配偶者がいて子供がいて…となるとタナトが入ってくる隙間がないだろう
自分ももちろんそうだけど まず自分のようなネガティブの極みのような人間と結婚するなんて事自体
相手に申し訳ないし、相手も嫌だろうから結婚という概念自体が頭にない
そして何より子供を作りたくない
自分が無になるのだけでも嫌なのに、いずれ無になる存在を、生命を
自分のエゴで生み出すなんてとんでもなく畏れ多い事だと思っている
誰よりも無の恐ろしさや逆らえなさを分かっているからこそ、誰も無にさせたくない
無の恐怖を体験させるくらいなら最初から産まず作らず無のままの方が絶対に良い >>375
俺もその発想だったが
一生その発想のままとは限らないよ
というか必ずグラつく時がくる
その時に後悔しないことだな サルトルの小説になかったっけ?生まれた子供に対して、何故自分と同じ運命を辿らなきゃいけないのかと、こんな事が何億回と繰り返されるのかと苦悩すんの 「はれのひ」の社長の図太さ、絶対タナラーにはならないんだろうなぁ・・ 鈍感はとても高貴な感情だよね
邪悪な思想を含めて人生においてあらゆる行動を妨げない 年を取るのが本当に嫌だ
死が近づくのも怖ろしいが日々可能性を失っているのが怖ろしい
もう取り返せない 年を取ると時が流れるのを早く感じると人は簡単に言うが
本当にそれはその通りであるし怖ろしいことだ
中学の頃に教師が雑談でその話をして
あぁ小学生の頃は同じ45分の授業でももっと長く感じたなと思い
これから更に速く感じるようになるのかなとボンヤリと考えた記憶がある
大学の90分講義にもだんだん慣れてしまうしその辺から年を取るのが怖くなった
老人を見ると昔の面影を考えるようになったり子供を見れば大人の姿を想像すると言った具合で
それが次第に重くなって自分の肌のかさつきやシワを恐れたり
記憶力が落ちてないか身体に異常はきたしてないかと不安になる
いずれ自分もシワクチャになって自我も曖昧になり消えいくだけかと思うと身震いが止まらん 100年後に生まれていたら不老長寿に届いたんじゃないだろうか
何でこんな微妙な時代に生まれてしまったのだろう
会社に行くまえ毎日鏡を見るけどそのたび絶望して死にたい欲求と死にたくない欲求の葛藤に悩まされます 不老長寿でも死ぬからダメ
不老不死は証明のしようがないからダメ
生きることは死ぬことを想像するからダメ
でも死ぬのは恐いから自殺はダメ タナトで薬もらってる人いる?
以前処方された事あるけどあまり効果なかったのと
もし効果あっても逆に嫌というか自分が構築した思想と感じている恐怖こそが本物であるべきで
それが投薬による脳のホルモン分泌の変化によって緩和されると不本意みたいなややこしい考えがあって
心療内科とか行っても医者は医療として応対するに決まってるから行こうと思わないんだ
要はタナトって自意識過剰の極致で途方もないワガママ どこでもドアとかクローンとか自己と同じでも本体は…みたいなのでも怖くなる >>382
相対的な年齢と寿命の関係だけじゃなくて、
若い頃は全てが未知で見聞きする物全てが新しい発見だからね
だから小学生の頃の一年は本当に長く感じたし毎日が新鮮だった
でも中学高校と歳を重ねて、二十歳になる頃には一般常識や社会に世界の成り立ちだけでなく
この世の仕組みや物理法則、宇宙や地球がどう作られたかも理解するし
三十路になる頃には自分の環境や境遇に地位や財産なども含めて総合的に判断した結果、
自分がどんな将来を迎えてどんな最期を迎えるかも大体想像が付いてしまう
理解してしまって、夢や希望を無くしたり知るだけ知って知る事がなくなってしまうと
後に残るのは毎日のルーチンワークだけだ…毎日起きて、働いて、寝るだけ
新しい刺激や発見がなければないほど体感時間は早く過ぎ去る
この世の全てに意味はないと悲観・虚無・厭世的思考に陥っているなら尚更ね… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています