>逆に反省的道徳を慣習的道徳であるかのように扱わなかったら「正義の味方」にはならない
うん、例えば共感的な理由で他者に施しをした場合それは(この場で定義する)「正義の味方」では無いって事だね。
正義の味方が弱者(という属性を帯びた存在)を救うのはあくまでそれが社会規範というか彼らの信じる正義に基づいた
「当たり前」の正しい行いだから結果的に救ったのであって、彼らは救った人間がその後どうなるかにも興味が無い。
>自分と同じようになれと求める
例えば誰かが仕事でミスをして仕事外の時間を投げうってでも同僚がフォローしたとしたら、
それは「困った時はお互い様」の精神の反省的道徳による互恵的な行いになるよね。
でもそれを見ていた上司(正義の味方)が
「組織の規範となる素晴らしい行いだ。これからは全ての社員に"いつ如何なる時も同じ"対応をさせよう。
勿論これくらいやって当然の”当たり前”だよな?」
と言い出したらそれはもはや慣習的道徳であり当然の義務、ノルマになってしまう。
この場合上司に悪意は無いんだけど自分が普通の人間とは違うズレた感性を持っている事を弁えていないとついついそう言ってしまう。