幼稚園の頃から、やることなすこと他人と大きく違ってたから
他人と自分は違うという事実を、幼稚園児だった自分は純朴に受け入れてたよ
自分と他人と違うんだから、他人と比べて物事の出来が違うのは当たり前
疑問なんて持つこともなかった

その後、診断が下りても、別に何にも感じなかった
他人と違うなんて当たり前だから
今更他人と比べてどうのこうの説明されたってハイハイそうですかで終わり

幸いだったのは、15歳までいわゆる療育を受けさせられなかったこと
おかげて、健常者と自分が、具体的にどこがどのように違うのか観察実践することができ
健常者と接するときの自分なりのキャラ作りができた

15歳から、急に療育的なこと(ショウガイシャなんだから進学よりも生活訓練して手に職をー)させられて
自分が自分なりのやりかたの社会適応を構築するために必要な、貴重な10年間を無駄にした
この期間、全く何も得られなかった
他人と違うのだから、ごく一般的な健常者の日常とより多く接して、自分なりの振舞いかたを構築しないとならないのに、自分の周りには参考とする健常者がいない
これでは全く何も構築できない
この完全に無駄な、療育的な流れから決別し、自分なりのやりかたに戻れたのが25歳
いちど療育的なところに迷いこむと、足を洗うのがもの凄く困難だよ

精神の被害は、被害を受けた期間だけ回復に時間かかる、とは、よくぞ言ったものだ
結婚し、所帯持って、なんとか生活の形を戻せたのが35歳だったよ