俺が統合失調症になった経路と末路を書いていく
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5chみたいな所でしか吐けないんだ
酔っ払いの世迷言だと思って聞いて欲しい。
まずは統合失調症になる前の健康な状態だった頃から話そうか
9年前頃だろうか。その時は明るくなくても多少は活発だった かといって社会の一員として何かの会社に入り正社員として働いている訳でもなく
興味のあった職種にバイトとして入りフリーターとして入り、入っては辞め入っては辞めを
繰り返す日々だった。
料理が好きだった。僕が対人関係が苦手なのもあってその逃げ道を自分で見つけただけ
だったかも知れない 高校卒業後、ある調理師専門学校に入学した
それと同時に居酒屋でバイトをしてみることにした
そこでのバイト生活と学校生活は今にして思えば結構充実していた。
朝9時から夕4時まで学校、夜8時から12時までバイト
おかげで寝不足になった。バスではいつも寝ていて遅刻になりそうだったら
親に内緒でさぼって時間頃まで本屋で適当な本をあさる様に読んだ そのおかげで僕は学校では影は薄くなっていた
もともと僕は対人関係が苦手で友達が少ない方だった。
だが一人だけ友達といえる人がいた。あだ名は『ネズ男』
げげげのきたろうに出てくるネズミ男みたいな風貌から皆からそう呼ばれていた
馬鹿みたいで面白い奴だった。学校からさほど離れていない場所にアパートを借りて
一人暮らしをしていた ぼくはたまにバイトの無い日はその家に行ってなんかしらしていた。
何をして遊んでいたのかは忘れてしまったが、貧乏みたいで食べるものが無いと
言っていたのでパスタを作ってあげたのを覚えている。
だが彼も退学していった。
僕は一人ぼっち、影の薄い存在として学園生活をのりきるしかなかった
いるのに存在しているのにいない存在。ぞくにいう陰キャラとして
ものすごく居心地がわるかった 逆にバイトは面白かった。手際良くオーダー受けた料理を手際良く作ることは
出来なかったが皆に良くしてもらった。でも先輩がそんな僕を時々怒鳴るんだ
普段優しい先輩を見ているからそのギャップに怖くて怯えて
ただただすいません。すいません。。とあやまっていた
そんなこんなで多忙期になる11月を前に給料貰ってバックレた
そして楽しくなくなった学生生活もなんとか卒業しホテルで厨房のバイトをすることになった
だがそれも続かなかった。検便に引っ掛かってしまったのだ サルモネラ菌が検出され、しばらくバイトに出れなくなってしまって治療だの検便だの
面倒になってやめた。勤務日数は6カ月くらい
次はもっとやりやすい検便などない職場を探そうとハロワ通いした
見つけた職場は居酒屋真田丸。ちいさなこじんまりした居酒屋だった
そこで働く事にした
しかし、客はなかなか入らずオーナーと店主が何かと言い合ってグラスが割れる音を聞くに
「うまくやれていないんだろうな」と推測できた。 それでもアルバイトのホールの先輩と話が合い、良く遊びにも連れて行ってもらった
その先輩は友達が多く、僕はその先輩と先輩のお友達と遊びにいくことも多くなった
童貞を捨てきれそうになったのもその先輩の友達のおかげだ
バイトが終わって風俗街につれていってもらうことになった。 僕は心底ウキウキしていた。まだ本物の女性の陰部というのは見たこと無かった
最初に行った風俗店は女性が下半身すっぽんぽんという、妙なパブみたいなところだった
マンコでたばこを吸ったり、またグラスに残った氷をいれ、それをマンコの厚で飛ばすという奇妙なショーが続いて
僕の陰茎も立ちあがった所でショーは終わった。
そして先輩が言った「抜いてもらって帰ろうぜ」
僕らは深夜の風俗街を彷徨った 話しかけてくるキャッチの男性、一回5千円という口車に乗せられ
僕らは車にのった。
出てきたのは中国人風の30から40代くらいの女性。
その女性の舌が僕の陰部を舐めまわしてくる
ぼくはなんだか怖くなってその場から逃げた
話を聞く限り、先輩、友達もろともみんな中国人風女性だったみたいな事を
言い出した。怖いところだ。 知り合いに借金をしつこい程に迫られ、挙句の果てにものを盗まれたのがきっかけ。 そんなこんなでそういうバイト生活にも終わりがきた。
店長が給料払えないから月給で払っていいかと話が持ちかけられたのだ
それは自給分は出せないから月7万で払って今まで通り働いて貰うことはできないか?
という意味だった。
ぼくは心底ふざけんな、舐められてたまるかと思って断った。
バイト日数期間7カ月くらいでそのバイト先を離れる事になった 次に探したのは少しはまともな所で簡単そうな仕事先
老人ホームの食事を作る所だ
かといって割と普通の食事に、加工が必要な人には介護食を作るというところだった
そこには若い人はおらず50代くらいのおばさん、おじさんが働いていた
大量の食材を最低限の人数で作るので腱鞘炎になった
原因は野菜の刻みでの腕の酷使
食材を切る度にビリビリ痛みがでた。それとうまく人間関係がいかなかった
その職場もこれまで
6か月とういう日数で辞めた しばらくブラブラした。
貯蓄してあった金を切り崩し、世界を見てみようと地方から東京に一人旅をしたことも
あった。東京のデパ地下で買ったケーキに感動し、今度はパティシェになろうと思いついた
今度はケーキ屋さんでバイトをすることにしてみた。最初は注文の受け取り、ケーキの扱いと
売り子のバイトに応募した やってみると思いだした。
僕は対人関係が苦手な事を
ここで克服できるかも知れないと思って頑張った
注文を受け取り、ケーキを取りだして箱に詰める作業からラッピング
バースデーケーキに名前とおめでとう等を言葉をチョコペンで書く仕事
ここでの楽しみは余ったケーキが食べられる事だった
僕は僕なりにケーキの味を分析してメモに止めた
しかし、ここでも難しく思える事があった 僕は手際があまり良くない。まわりの人はこんな僕が職場にいて迷惑なんじゃないだろうか?
と人の目を気にするようになっていった。気にしだしたら止まらない。本当は迷惑なんじゃないだろうか?
気になって冷や汗が出る。誰かが喋ってる度に僕の悪口を言っている気がしてならない
ぼくは逃げるようにその職場から離れた。期間6カ月 そのころまでにはもう何をしても駄目な気がしてきた
昔はあった根拠の無い自信とかもう無く、空っぽになっていた
でも最後の手段があった。僕はそれにすがるしか無くなっていた
それは伯父のようしとして伯父と二人でくらし手伝い二人で生きていくということだった
その権利を僕は続柄もっていた
そのかわり僕は財産の1部をもらいそれで生活する事だった
伯父はアパートを何件か経営していた。お金には困っていないってのは幼少期から知っていた 最初は張り切っていた
僕は伯父をとても優しい人だと思っていたから簡単な事だと思っていたのだ
それにお手伝い屋さんも週に3回は来てくれた。
畑の手伝いからやり始めた。生活は質素で基本自給自足。
飼っていた鶏を絞めてそれを夕飯のスープとして出すこともある
伯父は無口な人で僕はどうしたらいいか分からず戸惑った事もあった。
しかし、あることで人が変わったかのようにどなり散らかしてきた。僕はそのたびビビった
でも耐えるしかなかった。手首を切ってまでそれにしがみつこうとした。 お正月、皆の前で僕は怒鳴り散らかされた。僕は泣いた
悔しさと惨めさで涙が止まらなくなった。そして思った。
今度怒られたら死のうと。死ぬしかないと そのとき家族からものすごい心配され
僕は心の内を泣きながら話した
「もういいよ。もどってこい」といってくれた。
ぼくは家族の久しぶりのぬくもりに甘えざるをえなかった
ようしえんを解除してもらって実家に帰ってきた
そしてしばらくは本当に何もしなかった
少しでもやろうという気になったのはいつぐらいからだろうか
覚えていない。 少し時間が経ってそれからまた何をやりたいか考え出した
僕は美味しいケーキを自分の手で作ってみたかった
そして見つけたのがケーキ工場。人生初の県外で働く事にした
初めての県外、多少は不安はあるものの失うものなど何も無かった。
だから意外と気楽だった。友達もできた。初めての景色に新鮮さが心地よい
仕事内容はきついけど僕はいつまでもここで働いていたいと思った。 でも現実は上手くいかなかった。
派遣会社と会社で何かしら問題が合ったようで近いうちに他の職場に移動する事になった
こうして、夢はさめた。期間3カ月
別の職場はトイレの部品工場だった。流れてくるトイレの部品のバリをとって流す作業
少しヤンチャな風な年下の先輩と友達になる。名前は林といった。
朝8時15分始業開始で夜8時頃まで。
林とは帰る電車が反対だったが僕は林の話とかいろいろ雑談しながら林を見送り帰る
そんな日々が続いた。林は20歳たっていないだろうにたばこを吸っていた
「たばこを吸わないとやっていけないよ」
そんなことをいっていた。
帰りに僕もアパート近くのコンビニで手軽なたばここ買って日を点けた 少し苦味の後にたばこの匂いが口に広がる。良いもんだな
ここから僕は喫煙者になる
これはこれで生活が楽だったのだが僕はケーキ工場でのやりがいを忘れられず「そうだ、今度は
製菓の学校に行こう」と思った。それだけのためにやめて、だがそれがいけなかった 製菓学校に入学するやいなや、昔の思い出が脳裏にフラッシュバックする。
また誰かに噂されていると思いこみ、視線を感じ、眠れなくなってしまった。
そして心療内科を受診する羽目になった
予約が無くても診察してもらえる町の小さな病院。
目のギョロついた医者が質問するたびその質問に答えていった。
最初はうつ病と診断され、睡眠薬とか不安を解消する薬を処方された 製菓学校は辞め、何もしない日々が続いた
するとこんな話が迷い込んできた
畑に植えられている庭木がある理由で潰される事になった
100本から200はあるだろうか?撤去願いがだされたのだ
僕は目がくらんだ。これを売ればお金になるんじゃなかろうか?と 親父と二人で早速パワーショベルや重機をかりて掘り出して形を整えていった
そのときからすこしづつ体に異変が起こり始めていく。
最初に来た症状は幻聴、夜眠る前でも蝉がないていたり、ざわざわなんか音がする
次に変な妄想、自分は一回死んだと思いこんで必死で般若心境を唱えていたり
猫に謝りにいこうとか訳分からないこといっていた。ほかにも自分が操られていて
命令されている気分になったりじっとしていられなくなったり人が変わったようになった そして入院した。
入院の記録は日記を書いていたのでこれを書き込む事にする
11月6日今日これまでの入院生活を振り返り文字にしてみる事にした
あまり文字を書く習慣が無かった事や頭の体操、とくにやることが無いという
あまりおおげさな理由では無くただの暇つぶしみたいなものだ
動機はさまざまな要因を生み出す。入院したのは10月22日家で暴れて自ら精神病院に入院
したいという考え、家にいたら頭がおかしくなって皆を傷つけてしまうという直感じみた考えを持っていた 何がどうなってこうなってしまったのかは分からない。過度の疲れかも知れないし
霊的な仕業かもしれない。あまり分かりたくない部分や深く考えてはいけない絶対封鎖的な部分も
あるかもしれない。分からない方がいいのかも知れないし、いずれにせよ何より今は回復に向かっている
それも直感的な考えだ。でもこうして入院して患者さん達の話に耳をかたむけるのも
何か意味がありそうな気がしてならない。親父の言っていた「意味の無い命などない」に考えは
似るかもしれないが「意味の無い事など無い」に近い、それもどこかで聞いたことあるな、
と今思う。 10月22日の昼ごろだろうか?あまり覚えていない。
家族が何が起こっているか分からない表情で見届けてくれた。
僕はその時体がそわそわして落ち着かなく、トイレによく行った記憶がある
『統合失調症』。僕は何度かその病名を聞いたことがある。幻聴。幻覚何が原因で発症
するのかまだ解明されていない病気だ。僕の場合誰かに操られている、思考が盗聴されている。
恐怖感が落ち着きを無くしていたと思う。また、この病気も投薬治療で良くなっていってるから
入院したのは間違いではないと思う事が出来る。この病院では同じ病気を患った人が集まる場所 彼らにとって自分の辛さはこれくらいちっぽけなものと思われてもしょうがない。なにせ
初めての入院なのだから。そんな彼らでも友達になってくれたり、テレビをみて笑えるようになった
また、頼られお菓子を分け合える仲にもなれた人達もいる
みんな同じような苦しみを抱えている、事情は異なるが。 22日〜25日くらいまで咳と熱が続き、いわゆる保護室、独房みたいなところにいれられた
4〜5畳位のトイレ付。食事は窓から渡され、ベッドも無かった。
眠る場所はスポンジのマットレス1枚に毛布1枚まくら。
それから水はください言えばいくつも貰う事ができた
ここでも数日は落ちつかなく、よく水を貰って飲んだし般若心境も心の中で唱えていた
不思議と般若心境を唱えていると落ちつくような気分になった しばらくはそこでの生活が続いた眼鏡も持って行けない部屋で時間も分からず楽しみと
いえばテレビから流れてくる音声と時計の変わりにしている太陽の位置、食事くらいだった
それと昼過ぎの2時くらいにそうじが入りそとに出られた。
そこでテレビに近づき音楽番組を見るのも楽しみだった。そこで仲良くなったのが3人くらいいた 一人は浜さん。下の名前は分からない
浜さんはとにかくおせっかいが好きな51歳くらいの男性だ
人にやさしく接しよくアドバイスをくれたり僕に親切にしてくれた
重度のお節介焼きでのちにまた独房に入れられたり面白い人だった
僕に販売機の使い方(ここでは医者に頼んで買って貰えた)や買い物の仕方を
教えてくれたのも浜さんだった 朝ごはんは必ずパンと牛乳、パンにはマーガリンがついてきた
おかずは野菜炒めとたまにハム、魚肉ソーセージがでる
最初はパンとは合わないと思って食べていたがだんだんと慣れていきあとは
美味しいと感じる事ができた
ご飯の中で一番おいしいと思った物は12月5日に出た酢豚だ
病院食とは思わせないほど味がしっかりついて味の薄いものばかり食べ、
飽きてきた頃に出てきた酢豚はほっぺたが落ちるほど美味く胃にストンと落ちた
一番まずかった食事はいつか出た魚のムニエル。生臭さが取れて無くむせかえるほど
美味しくなかった 主治医か佐藤先生でやさしく、本当に僕の心の中を分かってるみたいに見透かす事が
出来る先生だ。頼りになるし信頼している。塩川さんという患者がいた。
僕に手紙を書かせてくれた。手紙は遠くにいる親戚か何かなのだろうと推測する
唯一の頼りなのだろう 人にはあまり深く知ってはいけない部分もある。
なぜなら苦労が分かってしまいどうしようも出来ない自分が不甲斐なさが感じられる
からだ「。何もできない自分はちっぽけな存在だと思って不甲斐なさを感じるからだ
塩川さんとは留置所や刑務所の話をした
彼は人に騙されやすいのだろう話を聞いてそう推測できた。なぜなら詳しかったからだ
留置所や刑務所のことに 彼は黒糖ともろこし輪太郎、アルフォートが好きで売店でよくそれらを買って分けてくれた
手紙をかいたらちょっとだけ量が多くなった
この手紙ものちに問題となるのだが、このままの関係を維持したいところだ
もう一人女友達が出来た。僕にべったりついてきた。あやのさんという名の女性だ
はじめてこんなにべったりされたので、戸惑う事が多すぎて頭が混乱してしまった
でも悪い人ではなかった 気を使ってくれるし何より笑顔が素敵だった。彼女も保護室からいつ出られるのか分からない
保護室から出されたのが10月31日、突然移動が言い渡された。
最初上手くやっていけるか不安だったが悪い人と思える人はいなかった
4人1部屋ある程度自由がきいた置いてある雑誌とかテレビ等も見る事が出来る
自由だなぁと思う そこで一冊の本と出会った
「夢をかなえるゾウ」2ガネーシャと貧乏神、水野敬也という人が書いた小説だ
この本は本当に生きるコツだとか幸せになるコツだとか書いてあってすらすら読めてしまった
そこで今回はいくつか為になった文章、教えを紹介していこうかと思う ガネーシャの教え
「仕事、お金、人間関係、幸せ..人間の悩みなんていつの時代も同じや、そんで本ちゅうのは
これまで地球で生きてきた何億何十億ちゅう数の人間の悩みを解決するためにずっと昔から
つくられてきてねんで。その「本」でも解決出来へん悩みちゅうのは何なん?自分の悩みは
地球発の新種の悩みなん?自分は悩みのガラパゴス諸島なん?」 人というのはつくづく面白く出来ているなと思う。偶然的に見えて必然的にも思える
院内で不思議に本来の自分を取り戻したあと、何かの縁だろうと禁煙したのも何かの縁
皆との出会いも何かの縁だと思う
11月9日父さんが面会に来てくれた。僕が元気になっている様子を見て驚いている様子だった
そのとき父の背中が大きく感じたのを鮮明に覚えている 11月10日単独外出の許可がおりた。そのとき病錬の西側に植えてあるへごの木が3本植えられてる
道を通りかかった。その時また調子が悪くなった。高熱が出た木の精霊かくすりの作用か
このとき丁度薬を一錠止めた時だった初期症状と同じような高熱、幻聴、死への恐怖感が頭で
一杯だった。家に電話したら、お母さんがきてくれて落ちついた気分になり後に熱は下がり良くなっていった よくそんなに記憶保ってるんだね
自分は昨日の記憶さえもあやふやでほとんど覚えてないな 11月11日僕に親切というかなんていうか分からないちょっとうるさくて発音がよく分からない
何を喋っているのかも分からない「かつゆ」という人がICUに移動になった。頭に血が上りやすく
怒りっぽくなったからだそうだ。かれはとにかくおしゃべりで何を喋っているのか理解するのに
こっちが頭をつかった。彼は僕を褒めてくれた。占いも教えてくれたしジュースも奢ってくれた
おかげでジュースをよく飲む癖がついた気がする。彼は後に同僚の人と喧嘩して隔離されてしまった >>44
日記をつけていたので
ここでの楽しみはあまりない
楽しみといえば飲み物を飲むこととお喋り、テレビ、お菓子を食べるくらいだ
だから前より社交的になれたのかもしれない
お菓子を分け合って食べ外にでたらやりたいことを考える事がたのしかったし
たわいもない会話でげらげら笑ってる時も楽しかった。友達も増えたような気がした
11月12日祭りに行った
正式にはメンタルヘルスフェア。新しい病錬で熱がでているにも関わらず親が来てくれて
先生に勧められて向かうことになった おでんやポップコーン、焼き鳥にそばなどの出店
母さんが何かを買ってあげようとしていたがお腹が空いていなかったので
食べようとは思わなかった
そこで福森聡という小学生以来の同級生とであった
彼との出会いは小学生の時だったからあれから大分前になるのだろう
でも以前よりイキイキしていた様に見えて安心したし、嬉しかった。
そこのディケアで働いていた 人は様々な所で会う様に出来ているなぁと毎回思う
住んでる所が狭いからか、僕の生きている世界が狭いだけなのか、それとも何かの
縁なのか。話をしたとき聡が覚えていてくれたのがうれしかった
そんなこんなで入院生活にも終わりが来た
1泊許可2泊許可までして何も問題が無かったので退院出来るようになった こうして退院して2年、僕はといえば少ない障害年金を握りしめ
わずかばかりの洋服、CD、サプリメント、ゲーム、本などを買い浪費し
このままじゃ駄目だ、このままじゃ駄目だと日々自分と喝采し
考えても思いつかず、思考の袋小路に迷い込む
暇な時間の使い方。
『労働とは3つの収入をもたらす』
と誰かの本に書いてあったが、その中に『暇がなくなる』
という言葉のように暇を潰す為に、僕はお金を浪費する。
一生月6万程度の金額で過ごすにはいいのか悪いのか
出来る事は無いのか、このままで終わってたまるか、終わってたまるかと
考え
時間が来たらたばこを吸いに外に出てはを繰り返すただの
廃人となってしまった。永遠の消費者だ
生きている意味がない。いつか打ち切られるであろう障害年金の更新に怯え
興味があったものも、あまり手を付けず
毎日だらだらと過ごしている。
ここまで読んでくれてありがとう。
皆さん、統合失調症には気をつけて >>50
タバコはやめられない
一定時間吸わないでいると、イライラ、落ち着かないといった禁断症状が出てしまい止めれそうにありません。 >>51
お腹すいていたなら食べてたかもしれんが、結果的に食べてないので美味しかったのか、不味かったのか分かりません 病気じゃねえよ
医者に病気いわれて
病気だ焼き鳥ごときで笑顔になってるなんて病気じゃない
もっと暗くしてなきゃなんておもwsんでいいw 病気じゃねえよ
医者に病気いわれて
病気だ焼き鳥ごときで笑顔になってるなんて病気じゃない
もっと暗くしてなきゃなんておもわんでいいw
たばこは今度やめりゃいい >>55
病気じゃないってことは、医者の間違いでしょうか?
いずれにせよ、ありがとうございます
そういっていただくと心が少し落ち着きます >>56
ありがとうございます。
そういっていただくと少し安心します うつ病は多いが糖質言われると薬物強要されるからみんなうつ病演じてるんかね
どう考えても
うつ病はやさしくしてもらえて
糖質は虐待されるじゃんw 元気なうつ病はやたら多いが糖質言われると薬物強要されるからみんなうつ病演じてるんかね
どう考えても
うつ病はやさしくしてもらえて
糖質は虐待されるじゃんw
俺からみると仮病にしかみえねえんだようつ病はw >>60
あなたにはそう見えそう考えているんですね >>61
きみもそうおもうだろw
でも薬物強要はうつ病もだったな
でも糖質は強要が虐待レベルだよなあ イタリアじゃ自殺少ない
薬物強要もない
そもそも薬物不使用だからw 見られてるいう糖質いるじゃん
ああいうの か弱いんだぜ
猪木みたいな筋肉隆々じゃない
そんなの警戒してどうすんだよなあw >>61
元気なのに不正受給してるにせうつ病はいるよなw >>64
そうなんですか?
あまり知識が無くてすいません 糖質いわれたくらい
きにすんな
冤罪で三十年不当に入れられたひとより幸福だぞ >>11
とろサーモン
アリガトウゴザイマース >>75
長い目で見ればそうですね。
これからが末路ということになります >>79
俺はまだ死にたく無いのかもしれない
保守 ほとんど読んでないんだけど今は陰性なの?
俺も陰性だよ
お互い辛いけどいずれ楽になってくるさ
まだ一年だけど数ヶ月単位で良くなってる感じはしてるよ俺は
末路とかまだまだこれからだろ、希望を捨てるなよ、なんとか生きていこうよ、いきてて楽しいこととか少しはあるでしょう? 監視機関の者だが大変興味深い絵巻だった。
もっと監視を強化してやる。 >>84
悪戯に監視するなら安楽死位させてやんなよ >>82
落ち着いていて、おそらく陰性だとおもいます。そうですね。希望を捨てちゃ駄目ですよね。でも毎日が退屈で、、こんな退屈な日常が続くかと思うと少し憂鬱になってしまいます。
レスありがとうございます >>83
やめてください
頭がもっとおかしくなりそうです >>87
安心汁!今より可笑しくなっても檻の部屋に引っ越すだけだから 文章読みやすかった。乙。
今おいくつですか?
また、料理関係のアルバイトなんかができるようにたったらいいね! >>85
全く同じだ(´ω`)
退屈すぎて鬱になって抗うつ薬飲んでるよ
あと一年くらいはかの退屈な時間と向き合わなきゃいけない >>88
レスありがとうございます
そういっていただくと嬉しいです
今は26
だけど、後、4日経つと27になります
調理かなんかのバイト出来ればいいんですが。少しばかり心配です >>89
あなたもそうなんですね
鬱になるとは、大変ですね 分裂系の人は心霊関係の本読むといいです。 中でも「悪霊」という高橋信次という霊能者が書いた本が素晴らしくいいです。
なぜ狂うかのメカ二ズムも書いてあります。
心の持ち方が原因なんです。 自己保存という悪くなる原因があります。
この世の人はみな何か問題があるから出て来た人ばかりなので自分だけが問題あるのではないのです。
だから堂々と生きていけばいいのです。 みな問題人なのだということ。
そして狂う原因が直ればまともな人間になれるのです。 >>94
レスありがとうございます
探してみますね >>96
確かに誰かに命令されてるとき、ちょっと危なかったでしょうけど
今は大丈夫です 統失に原因なんてないよ
周りのせいにしないで
もともと生きにくかったでしょ?人付き合い苦手とか
もうその時点で気質なんだよ
生まれつきだから治んない
治んないから薬で隠すしかない
社会も隠すしかない
薬やめたりしないでね
身の程わきまえてね
ほんと人に迷惑だけはかけないでお願い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています