つまり
パーソナリティのある人で
根底に器質的障害が何もない場合など存在しえないのではないか
というような私説です

つまり
「とりあえずの応急措置」として「パーソナリティの治療」を行ったとしても
結局間髪おかずに再燃してしまうだろうという事ですつまり

パーソナリティが起こった原因の解明に到達していないという事です

例えば
腎不全の患者に、Nsaidsの中止を掛けないで
透析治療を開始するようなイメージとでも申しましょうか
Nsaidsなど、腎排泄でかつ腎障害のある患者では

腎障害がある→Nsaidsの血中濃度が上がる→腎障害が増強する→Nsaidsを中止しない→さらに血中濃度が上がる
もう透析するほかありません
確かに、現時点に存在する腎不全状態は透析にて改善するでしょう
しかしもしNsaidsを休止しなければ、障害透析治療から抜け出すことは出来ないでしょう
透析とて負荷のかかるものです

ちなみに、その痛みというのが、もしも脳血管障害から来るものであれば、Nsaidsは効果なしと言われています。
つまり、効果のない薬剤の副作用で、腎臓を壊しておいて、負荷のかかる透析に強引に持ち込むようなものです。
まあ現実では、多くの透析はとても有意義なものでしょうが

やはり、パーソナリティでは具体的に説明できません
パーソナリティではそれほど研究していないからでしょう

でも私の直感が同じ部類だと感じているのです