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3月11日東日本大震災を思い出すと辛い 10揺目
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0001優しい名無しさん
垢版 |
2018/03/09(金) 19:11:49.99ID:gg646mGm
2011年3月11日、俺は乗り鉄で気仙沼線に乗りに行く予定だったのだが腰痛になったため旅行を中止していた。
あの時無理してでも行ってれば、今頃は死んでいたかもしれない。死ねないにしても九死に一生の貴重な体験ができていたかもしれん。
千載一遇の機会を自ら逃してしまった。死ねた人達が羨ましい。なぜ俺を死なせてくれなかったんだ。
1000年に1度の大災害が起きる時代に生まれながら、その災害を経験出来ないこの悔しさ。さらに、2011年9月21日、「帰宅難民」再来になったほどに猛威を振るった台風で死者も出たが、俺はこの時は入院していた為、また しても体験出来なかった。
俺の住んでいた湯河原の、近隣のターミナル駅の小田原駅では、
例えば2012年9月30日も強風で電車が深夜まで動かなかったり(JR東海の小田原駅、つまり新幹線小田原駅で、深夜に弁当や水が配布されてた)、或いは2013年4月7日も東海道線踏切脱線事故の影響で東海道線は翌日まで遅れを引き摺ったが、しかし2012年9月30日のは311や921台風に比べると格段に落ちる、日常的な範囲内の事だ。
2013年4月7日なのはそもそも自然災害ではない。自然の猛威、俺にも味わわせてくれよ。
※「東北地方太平洋沖地震」が正式名称であり、津波や原発事故も含めば「東日本大震災」となるが、ここではそういった厳密な使い分けをせず、「地震」も「震災」も、「東北地方太平洋沖地震」「東日本大震災」も基本的に同義語として扱っています。

過去スレ
3月11日東日本大震災を思い出すと辛い 9揺目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1503635134/l50

関連スレ他(他板含)
災害・災害報道に対するメンタルケア
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/utu/1305299269/88
災害および災害報道でストレスが限界の人-3
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/mental/1304646238/
3月11日東日本大震災を思い出すと辛い
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/eq/1310262650/
東日本大震災の被災者が羨ましいのだが
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/eq/1315742299/
ものすごい津波の動画をあげていこうぜ38
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1411000732/643-http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1411000732/712-http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1411000732/740-
事故や事件の災害に「周年」という言葉の使い方は誤りか 〜「周年」と「年目」の使い分け
http://www.kotobano.jp/archives/1598
3月11日は震災から5年目ではない!正しい「何年目」の使い方 2016.03.26
http://suzie-news.jp/archives/16096

※動画群はなぜか今回からNG語句になったようなので、見たい人は前スレの>>1で。
0033これ自殺と震災の因果関係があるかどうか書いてくれよ
垢版 |
2018/03/12(月) 18:20:44.90ID:FYmWb2r1
福島・相馬市、祈り込め木の葉を海へ=追悼、復興への思い―東日本大震災7年
3/11(日) 16:07配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180311-00000030-jij-soci



486人が亡くなった福島県相馬市の沿岸では、地震が起きた午後2時46分に合わせ、遺族らが「安らかに」「私たちは忘れない」など追悼や復興への思いを記したタイザンボクの木の葉を海へ流した。


 486人が亡くなった福島県相馬市の沿岸では、地震が起きた午後2時46分に合わせ、遺族らが「安らかに」「私たちは忘れない」など追悼や復興への思いを記したタイザンボクの木の葉を海へ流した。

〔写真特集〕鎮魂の3.11

 
0034これ自殺と震災の因果関係があるかどうか書いてくれよ
垢版 |
2018/03/12(月) 18:20:51.28ID:FYmWb2r1
 福島県伊達市に住む三浦さおりさん(46)は、高校3年の時の副担任と同級生を亡くした。「7年たってもついきのうのことのように思える」と話した。葉には「(同じようなことが)2度と起きないように」と書いたという。

 行事は、宮城県石巻市で被災し、伊達市に移住した永野泉さん(63)が発案。地震で全壊した家から取り出せた児童書「じろはったん」に描かれたエピソードを基に、2013年から始めた。著者の森はなさんの出身地兵庫県や、福島県内の児童らからも将来の夢などを書いた葉を送ってもらったという。 
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最終更新:3/11(日) 16:36
時事通信
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