「農耕には定住が必要です。動物のように動き回るのではなく、ひとところに落ち着いて、じっと腰を据えた暮らしが大切です。芋は種芋を植えるだけではなく、芋が育つ雨と時間が必要です。

その農耕をいつも変わりなく行うためには、どこまで木を伐って畑にするかといった計画性も大切です。狩猟文明とは異なり、食糧の余剰を蓄えることが出来るため、自然と「富を蓄える」ことができるようになります。

そうすると権力者が縄張りにしている土地を飢えた民に貸し出して、作物を育てさせて上前を納めさせるという、現代の「労働」に通ずる社会の仕組みが生まれます。
労働スケジュールの管理のために、権力者たちはこぞって「時計」を発明し、「時間」によって人々を動かすようになりました。

それまでの狩猟採集社会が「仲間社会」であったのに対し(ボスはチームのキャプテンのようなものです)、農耕社会では「支配者」と「被支配者」に人々の役目が分かれた社会システムが広がります。

社会の大勢を占めるのは被支配者階級の人々なので、権力者から用意された「システム」にそのまま乗っかって、決められた「計画・スケジュール」に沿って日々命じられたことにコツコツと取り組む力が大切になります。

また、必要な思考の「カタ」もあります。農耕社会では、一人ひとりの個人が自由に創意工夫を凝らしたり、色々と手を出して経験的(帰納的)に正解を導くことよりも、
「こういうものなのだ」と権力者が提示した公式をそのまま頭にテンプレートとして取り入れる常識思考(演繹思考)が求められたのです。


およそ1万年前に起こった農業革命により始まった農耕スタイルの暮らしには、狩猟採集とは異質の才能が必要になりました。

そして、狩猟採集時代には重宝した(だろう)自閉症やADHDの人に秘められた力は、「発達障害」という枠(わく)でくくる医療行為の対象になってしまいました」