>>939
>>944

あくまで一般の人よりは新規性を求める傾向があるのは事実だろうね。
「繰り返しの快楽」を定型は見出すけれど、ADHDはそれに対して興味を見出せない傾向がある。もちろん程度問題。

「毎日食事で同じメニューを食べる」ことが果たして(adhdが嫌うタイプの)「繰り返し」なのかも分からないし。

「毎晩7:00にこの場所に来て食事をせよ」
なら反発するADHDは多いと思うよ。絶対に遂行できないし、不快感が出ると思う。

毎日同じ飯を食うことについて、本人がそれを繰り返しのルーティンと認識してるかどうかじゃないの結局。
行動の自由が確保されていて(スケジュールによって自由が阻害されない)、その状況下でつねに好きなものを選んで良いと選択肢が与えられているならば、べつに毎日同じものを食おうとストレスにはならないんじゃね。

「自分の選択の結果、○○という行動をすることにした」というのが大事なんだと思うな。毎晩カレーが食いたきゃカレー食えば良いし。
カレー好きでも「毎晩カレーを食べること」をスケジュールとして決められると(選択の自由を奪われると)、途端に嫌になるかもしれない。

「先の見え透いた行動」というものを嫌うんだろうな。不確実性がつねにそこにないといけない。一度見た映画を繰り返し何回も見ることに快を見出せないのは先が見え透いているから。

毎日同じ飯を食うことは、第三者にはあらかじめ決められたルーティン(計画的行為)に思われるかもしれないが、
本人は多分その時その時で自分のwantに従って選択してるんだと思うよ。選択の自由の結果、好きなものを選んでるだけで。嫌になったらある日突然別のものを食うかもしれない。

本人にとっては、「今日何を食べようか」と考えるまさにその局面まで、不確実性がそこにあって、新規性がそこにある。自由に選択した結果の行動なんだよ。