期待される事が、何かを強制される事とかコントロールされる事に直結してしまって固まるのはあるな
期待に応えないと、といくら頑張ってもそれ自体無意味なものだったと学んでしまってるから、
期待される事自体が極端に不快なのかも

でも本来の「必要とされる」っていうのは多分毒親がやるそれとは違うんだろうな
毒親のそれは便利な道具として役にたつかどうかだけど、本当の「必要とされる」は、
もっと本質的な、存在自体の肯定みたいなものなのかなと想像はする
自分自身が、人間関係自体損か得かが重要な所があって、それを恥じながら友人に話したら、
「別に否定はしないけど、俺は楽しいかどうかだな」と言われた
毒親的な「必要とされる」に拘ると不健全な関係性に固執してしまうよな
居場所を見つけるために「必要としてくれる人」と嫌々居続けたり、
その人のために自分を殺し続けたり。