アルコールを適度に飲むことは罪ではありません。聖書はぶどう酒を,生活にうるおいを与える神からの贈り物と描写しています。さらに,ぶどう酒に薬効があることも認めています。

イエスは地上にいた時,ぶどう酒を飲みました。よく知られている出来事ですが,イエスはある婚宴の席で,寛大な贈り物として水をぶどう酒に変えるという奇跡を行ないました。

飲み過ぎによる危険
聖書はぶどう酒の良い面について述べていますが,飲み過ぎや泥酔を非としています。お酒を飲むにしても節度を守らなければなりません。聖書は飲み過ぎを避けるべき理由を幾つか挙げています。

飲み過ぎは思考力や判断力を弱めます。聖書は,「あなた方の体を,神に受け入れられる,生きた,聖なる犠牲として差し出しなさい。これがあなた方の理性による神聖な奉仕です」と述べています。酩酊する人は,この命令を果たすことができません
飲み過ぎは,人から抑制力や「良い動機」を奪います。
飲み過ぎは,貧困や深刻な健康上の問題を招くことがあります。
大酒や泥酔は神を不快にさせます。

聖書によれば,飲み過ぎかどうかは,酔いつぶれるかどうかではなく,足元がふらつく,ろれつが回らなくなるといったことで明らかになります。

箴言 23章20節 大酒を飲むな、身を持ち崩すな。

 テモテへの手紙1 3章8節 同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、

 テトスへの手紙 2章3節 同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。