>>372
だから今のようなひとまとめの大きな括りで捉える考え方は
まだ教育の現場レベルには入ってきてなかっただろうって話だよ

自閉症とか知恵遅れとか、まだそれぞれがかなりバラバラの概念で存在してて
「IQテストもまともに出来ないくらい周りについていけない子、合わせられない子」
が養護なんかに入れられてたわけでしょ
学校関係者は医者とも違うから情報が入って浸透するのはもっと後になるしね
アメリカで学んできた司馬理英子が「のび太・ジャイアン〜」で
子供のADHD本出したのがやっと97年という遅さなわけだよ

単に言い方の違いだけのように感じるかも知れないけど、それぞれはもっと独立したものと捉えられてたし
基準もかなり狭いものだったから、今の概念と同じと言うにはちょっと無理があるよ