>>437
優しさが感じ取れるね。人間は人間であるうちはみんな人間に対しては優しいんだ。僕は半分人間をやめたような存在だから人間に対する優しさは人間以外への優しさを取ることによって失ったかもしれない。

僕のあり方は普通の人間から見れば異常で狂って病的だろう。受け入れる前に思考が追いつかない場合はそうして自分に説明するものだ。しかし、いつか自分自身を人間という枠を超えて考え続けたら僕の歩いてきた道のことがわかる。僕はそこの樹にもたれかかって屍のようにじっとしているだろう。その再会の時に変わっているのは君らの側だ。

得体の知れぬものを受け入れるだけの多角的視野を得るには体験と思考の繰り返し。修行ともいう。それを苦行としているうちはまだ未熟で、苦しみをなぜ感じるのかその理由が自然と理解できるようになってからは言葉は必要ない。僕は昔の人ともそうやって何度も再会し言葉を介さず通じ合っているよ。本当の名前は誰も知らない。それは自分が自分を名乗ったわけでもないし、自分が自分を名乗る必要がなくなるから。異形を異形と見做すその目で見ているうちは何も見えない。