医療保護入院について語ろう カルテ1
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たとえ入院患者が閉鎖病棟から退院したいと希望して精神科医も退院可能と判断しても、保護者が出さないと決めたら絶対に退院できない恐ろしい制度 先進国では異常犯罪者を周りに分かるように懲らしめると批判を浴びるから 単科精神科病院で表に出して懲らしめたくても懲らしめられない異常犯罪者を周囲に分からないように懲らしめるようにできている 精神科の看護師なんて視界に投影する医療技術で医師の指示通りに振る舞うだけだから 主治医と相性良ければ看護師全員が優しいのである 医師の指示は絶対でコメディカルは勝手な事はできないここが精神医療の特殊なところだ 単科精神科病院は異常犯罪者に懲罰を与えるところだから総合病院の精神科に行け 逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書) 以下は「医療化」の良い点と悪い点。 逸脱の医療化は重要な社会的影響をもたらす。「明るい側面」と目しては以下の五つが挙げられる。 逸脱をより人道主義的にとらえること 逸脱者に病人役割を適用し,非難を最小化し,一定の逸脱を条件つきで免責すること 医療的モデルによって,変化に対してより楽観的な見方ができるようになること 逸脱の認定や治療に対して医療専門職の威信を付与できること 医療による社会統制が他の統制よりも柔軟で,ときにはより効果的であるということ しかし,医療化には「暗い側面」もある。 個人の逸脱に対する責任を全く無視してしまうこと 医学が道徳的に中立的であると想定してしまうこと 専門家支配によって起こる様々な問題 社会統制のために使われる強力な医療技術 社会に存在する複雑な問題を個人化してしまうこと 逸脱行動を脱政治化させてしまうこと 悪を排除してしまうこと。 そして、「犯罪有責モデル」「医療無責モデル」のオルタナティブとして「犠牲者」モデルを上げる。 逸脱の医療化は,事実上の、社会政策として認識されるべきである。 逸脱の医療化の程度,ポリティクス,便益,費用などについての調査が,もっとなされなければならない。 医療による社会統制に対する一定の「対抗勢力」が創出されねばならない。 「犠牲者」モデルという形で,行為に対する責任ほ問うが,責めることは、しないという新しい逸脱モデルが必要である。犯罪か病気かという二分法モデルから脱却する必要がある。 http://archive.is/8JbMn 獣医がある牛の状態を診て病気と診断する場合、彼はその診断のみでその牛の行動を変えはしない。 つまり、牛にとっての病気は体験している生体生理学的状態であるにすぎず、それ以上の意味はないのである。 ところが医者がある人間の状態を病気と診断すればその診断によって医者はその人の行動を変えてしまう。 いうならば病気の意味を疾患に付け加えることにより、ある社会的な状態が生体生理学的な状態に付加されるのである。 次のような場合の帰結の差異について考察してみよう。 労働の無能力が怠状によるとされる場合、または単核症のためとされる場合、またはてんかんのためだとされる場合、 あるいは飲酒癖が道徳的な弱さのためとされる場合、またはアルコール症のためとされる場合である。 つまり医学的診断は人の行動、その人が自分自身に対してとる態度、他人がその人に対してとる態度に影響を及ぼすのである。 要約すれば、病気とはそもそもある状態に関する人間の判断に基づいた社会的構成物である。 病気はある意味では美意識と同じく見る人次第である。 これは部分的には疾患とは何かということに関して流布している文化的な概念に基づいており、 そうでない時、この方が西欧社会では殆どなのだが、生体生理学的な現象に基礎を置いている。 だが、いずれにせよ病気というこの社会的評価を下すという過程が病気や疾患の概念にとっては枝葉末節なことでなくむしろ中心的なことなのである。 論理的には(体系化された分類である)診断と治療が共に社会的判断を土台としている以上、両者は不可分なのである。 「疾患」の原因である微生物を確認することが重要な結果をもたらすのとちょうど同じ様に病気を社会的判断として認識することが重要なのである。 いうまでもないが、逸脱行動をめぐる病気の社会的構成は、明らかに生体生理学的な問題に比べてより多義的で解釈次第となりがちである。 この点から見れば病気と定義された状態は、社会的な価値体系とある社会の一般的世界観とを反映していることが理解できるのである。 批判的精神医学 : 反精神医学その後 D.イングレビィ編 177p. 「残基的ルール違反者が公けにレッテルを貼られる時に生じる危機のなかでは逸脱者は被暗示性が高くなり、 申しだされた狂気の役割を唯一の代替策として受け入れるかもしれない ……残基的ルール違反者が精神障害の枠組みのなかで自分の行動を組織化し、 彼の組織化が他の人びと、特に医師たちのような威信のある他者たちによって妥当化される時、彼は「ひっかけられ」て慢性的な逸脱の経歴をたどって行くであろう」(pp.88-89) https://archive.is/vItZC 初日講義では、18世紀以来の精神鑑定によって、犯罪者に「非行者」という新しい人物像が重ね合わせられるとともに、裁判官としての精神科医、そして精神科医としての裁判官という二重化がもたらされたと述べる。 ミシェル・フーコー講義集成〈4〉精神医学の権力 (コレージュ・ド・フランス講義1973-74) 身体を対象にした制御 実は、これには、近代、特に18世紀の啓蒙の時代になって以降の医学の進歩が深く関係している。 バーバラ・スタフォードが「啓蒙された批評家の仕事は今や数学者のそれと似ていた。 この木立ちに剪定の鋏を入れて、永遠の原理に従って構想された秩序立ち、客観的で機械的な自然にと刈り込むのである。 身体が概念へ、蓋然が公式に変わるこの複雑な変化が完成するには丸一世紀を要した」と『ボディ・クリティシズム』などで論じているとおり、 18世紀を通じて身体はイメージを介して制御の対象となる(数値を用いてより科学的に制御が行われるようになるには、もうすこし待たなくてはならない)。 スタフォードが身体のイメージとその制御の例としてあげるのが、当時有名だった観相学者のラファーターが人の人相をコード化していく例だ。 身体は、要約され、コード化され、図式化されることで監視・制御の対象となっていく。医学の技術が政治的にも利用可能になる。 これが時代が降って19世期に入ると、ジョナサン・クレーリーが『観察者の系譜』で論じているように、生理学という人体制御に使える分野も成立しはじめる。 医学がその計測能力を高めたことがアガンベンのいう生政治が可能な基盤を作ったのだといえる。 医学の分野における、こうした発展とともに、政治が身体を通じて剥き出しの生を管理・制御の対象とすることが可能になったのである。 収容所の出現を許すかどうか? そのことは、アガンベンは本書でも指摘している。 実のところ、国民社会主義帝国は、医学と政治が、一つに統合されるという、近代の生政治の本質的特徴がその完成した形を引き受けはじめる瞬間をしるしづけている。 このことが含意するのは、剥き出しの生に関する主権的決定が厳密に政治的な動機や領域から離れ、 さらに両義的な領域へと移動していく、ということである。この領域では、医師と主権者が入れ替わっているように思われる。 ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生/ジョルジョ・アガンベン https://archive.is/MVZbo ■思想と政治体制について 精神医学と収容所について 立命館大学生存学研究センター 天田 城介 周縁的な人間の監視=矯正へ 「金持ちと貧乏人の断絶」から「民衆と周縁的な人間の断絶」への書き換え。18 世紀における資本主義体制の成立とともに、経済的規律が課 せられ、民衆は労働に従事し、多少なりとも財を蓄積するようになると、非合法的行為を容認できなくなっていくと同時に、精神医学・警察・ 司法・刑法体系などが結合した統治システムによって「周縁的な人間の監視=矯正」が遂行されていく。こうして周縁的な人間たちが監獄や 精神病院といった施設へと分離的=差別的に収容されるようになると、かつては歓迎されることさえあった周縁的な人間は民衆と断絶させられ、 また他の下層民とも切り離されていく――プロレタリアートとプロレタリアート化されていない周縁的存在を分け隔てる分断――。そして、 こうした統治システムのもと「周縁的な人間の監視=矯正」が実効されるだけではなく、むしろその圧倒的な効果は、周縁的な人間と切り離さ れた民衆に対する監視=矯正となって現れてくるのである。したがって、「周縁的な人間」を作り出すことは「周縁的な人間の監視=矯正」よ りもむしろ「民衆の保護と監視=矯正」の効果を生み出すのだ。 こうした権力システムのもと民衆は「社会階層」のイデオロギーを発展させた。犯罪者という「周縁的な人間」を切り離し、彼/女らに敵意 ・憎悪を向けるようになった。警察による保護さえ求めるようになった。そのことで、民衆は警察から容易に監視されることになった。犯罪者 に対して厳罰を求めるようになった。「人種差別反対をしながらも犯罪者には極めて冷酷な対応をする」(Foucault 1994d=1999: 249)ように なった。その社会的帰結として、権力はいとも簡単に民衆を統制することになったのだ8)。 ■シンポジウム「『精神分裂病』(現統合失調症)とは何か」 クーパーとサズの来日講演 /東京で第72回日本精神神経学会総会 1975/05/12・13・14 まず、東京医科歯科大の島薗安雄が精神分裂病の生物学的研究の歴史経過を、東京精神医学総合研究所の荻野恒一が病理学・精神分析学的立場からの現状を述べ た後、サズが「Schizophrenia:The Sacred Symbol of Psychiatry(精神分裂病:精神医学の神聖なる象徴」、クーパーが「What is Schizophrenia?(精神分裂病と は何か?)」と題してそれぞれ講演している。 サズは、ここでも従来からの主張を繰り返す。要約すると1点目は、精神分裂病の症状といわれている現象があることは認めるが、精神分裂病(現統合失調症)なる ものは存在しない。なぜなら、精神分裂病の診断は「行動上の諸症状」を基礎に行っているものであり、はっきりした細胞上の病理などを示されていないからである。 精神分裂病とは絶対的・科学的な研究の結果ではなく倫理的・政治的な判断によって生じたものである。すなわち発見されたものではなく、社会的に構成され考えだ されたものであるとする。症状はあるが病因は不明のまま作為的な病名だけが与えられているとする従来の反精神医学の主張である。2点目に、サズはこのような精神 分裂病が社会的なものであるという前提にたち、患者の市民権や法的権利において人権侵害がなされていることにふれる。3点目としては、医学一般と精神医学を対比 し、医師と患者関係について述べている。自由な資本主義社会において、精神医学の需要と供給、すなわち検査や診断、治療といったものは当事者である医師か患者の どちらかが拒否すれば成立しないはずである。しかし、「伝統的な医学においては、医師は患者の代理行為者であるが、伝統的な精神医学においては医師は社会の代理 行為者」であるという現実上、医師によって患者が精神分裂病の診断名を冠されてしまうことにより、患者はどのように危険なのかも明確でないまま危険視され患者の 意思に反しても施設に監禁することが精神医学にも必要で法的にも正当化されていること、また患者はその診断や診断過程、診断によって正当化された治療を拒否する ことができず、そのような同意を得ないままの診断や治療が行われていることは暴行に等しいという(精神神経学会 1976:308 )。 「分裂病」という「状態」など存在しはしないのです。分裂病というレッテルが貼られることは一つの社会的事実であり、 この社会的事実とは一つの<政治的出来事>なのです。社会における市民的秩序のなかでおこっている、 この政治的出来事は、レッテルを貼られた人間の上に定義と結論を押しつけます。分裂病というレッテルを貼られた人間は、 彼に対して責任をもつべく法律的に是認され医学的に権能を与えられ道義的に義務づけられている他者の監督下におかれますが、 こういった一連の社会的行為を正当化しているのは、社会の指令なのです。レッテルを貼られた人間は、 家庭、家庭医、精神衛生関係官、精神科医、看護婦、ソーシャルワーカー、 そしてしばしば仲間の患者たちまで加わっての一致した連携(「共謀」)行為によって、 患者という役割のみならず、患者としての人生の道程を歩みはじめさせられるのです。 R.D.レイン『経験の政治学』(128p.) 単科精神科病院はご存知の通り警察に連れてこられるような人も多い だから裏の精神医療の仕組みが治すように基本的にできていない 表に出して懲らしめたくても懲らしめられない犯罪者を精神病にして悩ませて苦しめる所なんだよ 総合病院精神医学リエゾン精神医学心身医学の方がまだまともと言える 主治医が裏テクノロジーで病気を作っているから精神科は特に主治医との相性がめちゃくちゃ重要なんだよ 精神科の薬を抜く上で最も重要なポイントはどの精神科医が主治医のときに薬を抜くかである 相性の悪い精神科医や相性の悪い病院で薬を抜こうとしても精神科医は再発させるだろう 相性の良い精神科医が主治医だとあっさり薬を抜けてしまったりするものである 精神科病院よりも総合病院の精神科のほうが治る見込みが大きい なぜなら精神科病院から最も遠いところにあるのが総合病院の精神科だからだと精神科医の斉尾武郎の本に記してある 精神科医のkyupinのブログにも単科精神科病院よりも総合病院の精神科のほうが少しだけ治る期待が大きいと記してある 総合病院の精神科を10年以上経験している精神科医がもっとも当たりの先生である確率が高いと 和田秀樹の精神科医は信用できるかという本に記してある 患者の意識精神状態から何で悩ませるかも 精神科医は事細かに選択できる脳を自由自在に調整できるのである つまりプシコが変な言動を取ったらそれは精神科医がそうさせているのである プシコが変な患者であればあるほどその主治医が変な人だということになる シゾだけでなくうつ病などの患者でも病気になる前と性格が変わったという話をよく聞くが それは精神科医が他言無用の医療ツールで医師自身の意志で治療した結果なのである 病気になる前と、知能、意識の鮮明度、思考スピード、記憶力、ワーキングメモリ、感情、コミュニケーション能力、物事から感じる印象や雰囲気 人間関係なら自分も相手ももともとそんな性格だったか人間への印象を変えることもできる 現代医療の社会学-日本の現状と課題にも記してあるとおり精神科医は患者の全存在を診ている 断薬しても機密医療技術のパルスで脳を作り変えられていたら戻らないだろう 主治医を変えずに断薬や薬の調整を考えていては精神科医の掌の上である 絶望する必要はない主治医を変えれば何もかも変わる人生が変わる 精神科は日本の法律の外にあって社会にとってどんな危険な逸脱者や政治犯でも潰して懲らしめる事ができるようになっている 治外法権なので精神科医はやりたい放題だ だからこそ重症患者にこそ相性のいい(まともな精神医療を行っている)主治医を探してほしい 性格や知能やコミュニケーション能力等々前述した事も精神科医に治す気があればいつでも元に戻せるからだ 俺がある病院で性格を最初と真逆に当てつけられまくって原型をとどめない認知にされてどう頑張ってもそうなってしまっていたのに 精神科医を変えると訳分からん所まで病気になる前のもともとの性格や知能やコミュ力に戻ったのは 精神科医に完全な脳のコピーのデータがあってそこに精神科医が視界に投影する医療技術でフタを並べていくので 元々の脳はどうだったか他の精神科医がどう治療したかも精神科医は完璧に把握しているのだろう 戻そうと思えばいつでももともとの脳に完全に戻せるのだ 『精神病が古来より政治的あるいは社会によって社会的弱者や少数民族を差別するために利用されてきたことは 歴史的に明らかであり、中世末期からルネサンスにかけてのヨーロッパや近世のアメリカニューイングランド地方に おいて「悪魔懸(つ)き」や「魔女狩り」という形で人々が弾圧されたり、 ドイツ、バイエルン国王であったルートヴィヒ2世が狂人と宣告されたため王位を剥奪されたといった事、 さらにはフランス革命で活躍したテロワーニュ・ド・メリクールが晩年、発狂したとして精神病院に入院させられ 晩年を終えたといった事が有名な事例である。 こうした中で統合失調症が数ある精神病の中で最も政治性、意図性が高い病気と言えよう。 以下においては、統合失調症の政治性、意図性に焦点を絞りって解説したい。 統合失調症の典型的症状とされる、「妄想」の具体例として「誰かに追いかけられている」、「誰かに見られている」、 「誰かが悪口を言っている」などの症状があげられる。一般市民も「誰かに追いかけられている」、 「誰かに見られている」、「誰かが悪口を言っている」「幻聴が聞こえる」などと考える人は 統合失調症の患者であると考える傾向が強いが、それがどのような科学的根拠に基づいているか明確ではない。 19世紀後半のヨーロッパでは当時、近代国家が成立し、中央集権国家やそれに基づく官僚制が整備され、 自由権が保障されたゆえに大規模な犯罪行為が可能になった市民に対する監視体制が確立していった時期であった。 時同じくして確立された大衆民主主義は大衆に選挙権を与えるが故に、大衆迎合を生み出し、 例えばヒトラーやムッソリーニ、スターリンの台頭のような軍国主義的な政治家や独裁者の台頭によって 民主主義の終焉をもたらす可能性があるため、資本主義と民主主義を守るための必要悪として危険思想や 危険な行動を取る資質を持つ人物を統合失調症により隔離・無害化する事が19世紀以降、歴史的に行われてきた。』 医療従事者専用の身に付ける機器を必要としない視界に直接投影する装置は 患者の話したことを分析して投影する患者の気分をお天気マークで表示したり 本当かウソかも表示する得意げにしているとニヤリと表示したりかなり精巧に表示するのである だが看護師が見るものは医師が編集したものばかりなので本当でもウソと表示させたり 事実と異なっている場合も多いのである 統合失調症って誤診多いな ほとんど単なる自閉症だな 他人と話しないだけの子供っぽい性格なだけ >>140 >>140 だよね 統合じゃないのに統合って誤診な 幻覚見えるのが統合なんだろ でも幻覚見えるって人に会ったことない だから誤診多い 逮捕される芸能人は統合はいなくてほとんど酒飲み 酒で暴れて逮捕 薬物が効くなら強要しなくても自分で飲むよね 効かないから誰も飲まないの 精神医療には科学的な検査方法がある、精神医学は他の医学領域と同じく科学的に進歩している、 と考える方もいらっしゃるかもしれません。 しかし、精神医学、精神医療の実態は、仮病や言いがかりを正当化する、診断ありきの詐欺であり、 歴史上、その診断に客観的な検査方法のあったことはなく、現在も存在しません。 精神医学、精神医療で進歩しているのは、科学的発見や医療技術の発展に便乗し、 詐欺であることをいかにごまかし、いかに法制度を作り、いかにカネの流れを作るかという政治的技術、 いわば、詐欺の技術になります。 出典:日本語では知らされない精神医学の嘘 精神科診断には、他の医療分野と決定的に異なり、客観的な検査方法がない、つまり、 診断の正しさを証明する生物学的、化学的な検査方法も、診断の誤りを証明する生物学的、 化学的な検査方法もない。 よって、“症状”の演技や、“症状”の報告(作文)があれば、“診断”は精神科医の主観、 都合や立場、もしくは、精神科医に影響力のある人物や団体のさじ加減で、どうにでもできる。 精神医学の言う“心の病”のメカニズム、“脳内化学物質のバランスの崩れ”(ケミカル・インバランス)理論は、 半世紀にわたる実証で完全否定されており、精神障害が仮病もしくはいいがかりでしかないことは明らかだが、 精神医学では、いまだ“脳の障害”を扱っていることになっている。 グローバル製薬企業各社は、1990年代前半から、うつ病用のSSRIをメインに日本市場開拓を考え、 ロビー活動等の後、2000年から、テレビ、新聞、雑誌等のメディア、公共広告を装ったメッセージ、 製薬企業がバックにいるとはわからないように作られた「うつ病診断サイト」などを使い、 「うつ病キャンペーン」、「精神医療に対する意識改革キャンペーン」を大々的に行っている。 出典:日本語では知らされない精神医学の嘘 病気の原因は 手抜きカップラーメン育ちだよちゃんと手作り手巻き寿司育ちなら病まない 入浴剤 疲れ・冷え性・肩こり 効果・効能: 疲労回復、冷え症、肩のこり、腰痛、ひび、あかぎれ、 荒れ性、 しもやけ、しっしん、にきび、あせも、、うちみ、くじき、神経痛、リウマチ、痔 3ヶ月も毎日変な薬物強要されたら薬物中毒じゃん 逆に病気に 毒親が病気じゃない子供を入院させたがるのも断らない 子供のことは母親が詳しい 父親は仕事で忙しいから 子供のことはなにも知らない だから毒親はだいたい父親が多い 子供のことを知らないのにやぶ精神科とかに入院させたがる父親が毒親 母親に毒親は少ない 逆に母親が変な母親なこともあるかも インチキ精神科医師って自分から入院したがる甘えのは断るって言うんだよ 自分から入院したがる病気じゃないのまで入院してたら診断がインチキ丸出しってばれるもんな でも金儲けだから断ってないよ カレーライス食べるときカレーを多くしてご飯を少なめにしたら太らないそれにおいしい カレーライス食べるときカレーを多くしてご飯を少なめにしたら太らないそれにおいしい 甘いお菓子は食後がおいしい 甘い食べ物嫌いでも食後に食べるとおいしい 甘いお菓子は食後がおいしい 甘い食べ物嫌いでも食後に食べるとおいしい デザートは食後に食べる 唐辛子使う料理は痩せる 一味唐辛子ふるとおいしい料理は多い 心療内科とか精神科ってやぶ多いから親が偉くて苦情言えるくらいの強い親じゃないなら行くのはやめとけ 自分で苦情言っても無視される それくらい医者ってのは人を偉いか偉くないかで差別する変な人しかいないってこどだ 心療内科とか精神科ってやぶ多いから親が偉くて苦情言えるくらいの強い親じゃないなら行くのはやめとけ 自分で苦情言っても無視される それくらい医者ってのは人を偉いか偉くないかで差別する変な人しかいないってことだ もちろん変な医者だから薬物はインチキで薬物中毒にもなる 心療内科とか精神科ってやぶ多いから親が偉くて苦情言えるくらいの強い親じゃないなら行くのはやめとけ 自分で苦情言っても無視される それくらい医者ってのは人を偉いか偉くないかで差別する変な人しかいないってことだ もちろん変な医者だから薬物はインチキで薬物中毒にもなる 病気治療に金は必要ないよ 散歩したり食生活改善に金は必要ないよ やぶだからぼったくりインチキ営業してるから入院してる人はみんな破産してるよ みんな貧乏で困ってる 親子仲が悪いとか親が精神科好きだと薬物中毒しても親が医者に苦情言わないことあるからね だからやぶ医者が変な治療しても倒産しない 精神科薬物ってなんの効き目ないよ 飲んでないときは百倍元気だったよ だから薬物やめとけ 温泉いいよ 普通は汗だく仕事して喉が乾くから水や緑茶がおいしいが 温泉ならつかるだけで汗だくだから水やウーロン茶がおいしい 銭湯でもいい 精神科医の自殺ってあるのな それって薬物が効き目ないってことじゃん 心療内科とか精神科なんか行ってもな 早くも翌日か数日で薬物中毒になるよ その時親が苦情言えるもしくは通院やめるなら騙されないが副作用ですとかごまかされる 精神科医の自殺ってあるのな それって薬物が効き目ないってことじゃん 副作用と思って変な健康状態でも我慢したら不健康になるもんな 精神科通院歴あると 保険入れないってのがインチキなんだよね 保険会社からはインチキだと思われてるってことだ そしてその通りインチキだからね 親が苦情言っても変な薬物から違う変な薬物になるだけだから精神科薬物はいい薬物はないよ イタリアでは使用禁止だもん イタリアはローマの昔から公衆浴場ある 北欧はサウナや温泉多い 鶏肉とにんじんと大根とゴボウ煮た料理とか 魚の煮物とかおいしい マヨネーズに黄色いカラシ入れて食パンに塗るとおいしいサンドイッチになる わざわざ精神科行かなくても食欲ないなら太田胃散で充分 わざわざ精神科行かなくても 食欲ないなら 太田胃散で充分 食欲ないなら胃薬と胃腸薬は似てるから 胃腸薬でだめなら胃薬も飲んでみたら 精神科ってのは 薬物強要して薬物漬けにして儲けるんだよ ただの食欲不振は太田胃散で充分なのに うつ病とかよりほとんどは ただの食欲不振なだけってことが 多いからね ほとんどのひとは食欲不振なのに 胃腸薬を飲まないのは なんでなんだ いきなりうつ病と勘違いして心療内科精神科行くのはおかしくなるだけだ 心療内科と精神科はくれる薬物は劇薬だから飲むとへんになる 劇薬だからドラッグストアで買えない 太田胃散は市販だから優しいでももちろん用法まもって飲めよ うつ病とかよりほとんどは ただの食欲不振なだけってことが 多いからね ぺろっとギャル曽根みたいに料理たいらげる人に心療内科や精神科行こうかって不健康なひとはいない 料理たいらげる元気さがあるなら普通は健康だから 料理たいらげるけど過食とかあるって言うがそれは 野菜不足だから良くないだけ 好き嫌い克服したらいい 食欲ないなら胃腸科で充分だが 胃腸科もやぶとやぶじゃないのあるかもな やぶ行くなよ 心療内科と精神科行くのはやめとけ 薬物中毒になるしな 風呂って汗だくになるよな だから風呂から出たら味噌汁飲むとおいしいよ 入る前とか風呂で飲むのもいいかも 飴っておいしいじゃん。 でももっと おいしい食物あるよ。 。 それはキャラメル。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる