医療保護入院について語ろう カルテ1
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たとえ入院患者が閉鎖病棟から退院したいと希望して精神科医も退院可能と判断しても、保護者が出さないと決めたら絶対に退院できない恐ろしい制度 騙して連れて来させるという小細工する悪徳病院は 騙されないようにしなよ 本当に薬物も強要するからね それも吐き気する変な薬物 しかも3ヶ月も入院強要される 騙してまで入院させようとか必死過ぎるよな なにをそこまでして儲けたいのかって思うわ 騙してまで入院させようとか必死過ぎるよな なにをそこまでして儲けたいのかって思うわ そこのやぶ医者が言うのが30年前まで食事に混ぜて 精神科薬物を騙して投与してたそうだ。なぜ今はそれをしないのかと言うと苦情を言われて出来なくなったんだろうね。 でも騙して連れて来させてそのまま入院って悪徳なことはやめてない 薬物も吐き気する変な薬物なのは昔と変わらないのだろうから 相変わらず悪徳病院なのは変わらない。 食事に混ぜることはやめたのに なぜ未だに騙して連れて来させるなんてしてるのか不思議だ 食事に混ぜることは苦情言われてやめたんだろうね 騙して連れて来させてそのまま入院ってのも苦情言われてるだろうに やめないのはなぜなんだろね 世の中にたくさんの頭の老化したボケ老人っているよね ボケ老人って頭が弱いから苦情言わないじゃん だから悪徳病院もいい気になってるんだろうね でも頭がいい老人も居るからね 悪徳ぷりがばれるってわけだ 世の中にたくさんの頭の老化したボケ老人っているよね ボケ老人って頭が弱いから苦情言わないじゃん だから悪徳病院もいい気になってるんだろうね でも頭がいい老人も居るからね 頭がいい老人とか若者も居るから 悪徳ぷりがばれるってわけだ 利用者が若者だらけなら苦情言われるし利用者離れで経営困難になるはずなんだよね なぜか倒産しないのはボケ老人が多いからだろう すーすーしてトニックシャンプーと同じじゃん 頭のメンソレータムってあるんだな https://jp.rohto.com/mediquick-h/gold/ 歯は歯ブラシのへッドを持って力を入れず磨くと綺麗に磨ける 保護室の洋式便器はサイズが小さくて座るとペニスの先端が内側に引っ付いて気持ちが悪かった。「チンチンが病気になるだろうが」と食事を持って来た看護婦を怒鳴り付けていた2004年冬。 ドラッグストア人気トップ10 1. 新ウナコーワクール(興和) 2. キャベジンコーワ(興和) 3. 大正漢方胃腸薬(大正製薬) 4. 口内炎パッチ 大正A(大正製薬) 5. ロートリセ(ロート製薬) 6. サンテFX(参天製薬) 7. 新ビオフェルミンS(ビオフェルミン製薬) 8. パブロンゴールドA(大正製薬) 9. イブA錠(エスエス製薬) 10. 龍角散ダイレクト(龍角散) 入院すると風呂がたまにしか入れない 不潔で病むよ いつでもシャワー使えるようにしたらいいのに それと精神科薬物は変な薬物しかない。強要され薬物中毒になる 入院も長い。しかも強要される。 入院すると風呂がたまにしか入れない 不潔で病むよ いつでもシャワー使えるようにしたらいいのに それと精神科薬物は変な薬物しかない。強要され薬物中毒になる 入院も長い。しかも強要される。 入院しても食事が美味しくない。食中毒になる 入院って子供だけ入院強要してるよね 親も入院したら孤独感ないから親も入院したらいいかも もちろん薬物強要とか長い入院は嫌だが 入院って子供だけ入院強要してるよね 親も入院したら孤独感ないから親も入院したらいいかも もちろん薬物強要とか長い入院は嫌だが それに親も入院してたらヤブ医者が患者を虐待したり出来ないからいいよね でも入院って不自由だからなるべくしないのがいいと思う 親と入院って言っても仲の良くない親と入院してもだめだから 例えば母親とは仲がいいなら母親と入院が孤独感ないかも 出来れば入院はしないのがいいけど それと精神科薬物は変な薬物しかない だから入院しても変な薬物中毒になるだけ だから薬物不使用にしたらいい ピーナッツの効果・効能9つ 腸内環境の改善・便秘予防効果�sーナッツには不溶性食物繊維が豊富に含まれています。 ... 老化抑制・アンチエイジング効果 ... 肥満予防・ダイエット効果効果 ... 血行促進・貧血の予防効果 ... 生活習慣病やガンの予防効果 ... 記憶力・認知機能アップ効果 ... 二日酔い防止効果 ... 血管を強化・血圧を下げる効果 精神科医師は若手はだめ キャリア20〜30年ぐらいの50代の子育て経験ある先生がいい 若手がやぶなのは歯医者も同じ 開業してから30年の歯医者は上手い でも外来にキャリアある先生は居ても入院したら若手しか居ないから 入院してもキャリアある上手い先生が診ないから入院はしない方がいい そして良い病院なら外来も入院しても良い医師が居るばす 外来のキャリアある先生が若手より ましってだけで若手が変な病院は外来もすごく上手いわけではない 外来のキャリアある先生が若手より ましってだけで若手が変な病院は外来もすごく上手いわけではない 若手を教育してるのは先輩だから若手が下手なら先輩も下手ってこと そして良い病院なら外来も 入院しても良い医師が居るばす 父親ってどこの父親も普段は仕事で子供と居ないから子供のことをなにも知らない だからだいたい子供と不仲なんだよね だから不仲ならでしゃばらなければいいのに 精神科に入院しろとか強要してけんかになるんだよ 薬物も子供に強要するのも父親な 子供と父親は不仲だから子供のことを よくしらないし全然病気じゃないのに子供が病気と思い込むからね それてやぶ精神科と父親が仲良くなる やぶ精神科だから入院がへんに長く変な薬物強要で薬物中毒になる 逆に母親が子供と不仲なこともあるかも 両親が人格障害で10代の頃から何度も入院させられかけてるけど、調べても対抗手段何もなかったね 長く付き合いのある医師にどれだけ貴方はまともだと言われても親がヤブ医者を何度も引っ掛けてきた 親はアル中並みの倫理観なのにヤブ医者は何も見抜けなくて、ヤブ医者vsまとも医者同士のバトルも勃発したよ 発達障害は甘え 自己愛からくる自己中心的な被害妄想を現実と思い込み、周りに八つ当たりする加害者 自分の直感を200%信じこむ自信過剰人間 そんなに直感が優れているなら、そんな人生送ってないだろうに、そこすら気付けないアホ 発達障害は気付いてくれ お前らは被害者ではなく加害者なんだよ お前らの存在にそこまでの価値はない 自分は特別なんだ、すごい存在なんだと思い込んでるから被害意識強くなるんだよ 早く気付け 現実に戻ってこい 金あると親が入院費払えるから入院できるが貧乏なら入院できないからな 貧乏が得な 貧乏芸人が活躍してるが金ある子供は精神科入院という親からの虐待でおかしくなり活躍できない 精神科入院したら薬物で廃人になる しばらく治らない 薬物やめて時間がたてばなおるがな 金あると精神科入れて子供虐待するのが変な親だから しばらく廃人になるから親が精神科に苦情言うこともある 賢い親は精神科がインチキなのを知ってるから子供を入院させない 患者の手足などを固定する「身体拘束」について、日本の人口当たりの実施率がアメリカの260倍を超えるなどとする分析結果を、杏林大学などの研究グループが発表しました。 調査をした専門家は「他国と比較にならないほど多く、地域で生活できる環境に変える必要がある」と指摘しています。 調査は、杏林大学保健学部の長谷川利夫教授がアメリカやオーストラリアの研究者らと共同で行い先月、イギリスの医学雑誌「エピデミオロジー アンド サイキアトリック サイエンシス」で公表しました。 2017年に各国の精神科病院で行われた身体拘束について、公表されたデータをもとに分析したところ、日本では一日に人口100万人当たり98.8人が身体拘束を受けていたということです。 身体拘束が行われた割合をほかの国と比較すると、100万人当たり0.371人だったアメリカの266倍、0.165人のオーストラリアに比べると599倍に上るということです。 調査をした長谷川教授は、日本での身体拘束について「他国と比較にならないほど圧倒的に多い」としたうえで「歴史的な背景もあり、一般医療に比べて少ない医療スタッフで運営されている病院が多いことが影響している。 病院に行かなくても、地域で支援を受けながら生活できる環境に変えていくことが必要だ」と指摘しています。 身体拘束の実態は 厚生労働省は「身体拘束」について、患者の自傷行為を防ぐ目的などで行われるものとする一方「代替方法が見つかるまでのやむを得ない処置で、できるかぎり早期にほかの方法に切り替えるよう努めなければならない」と法律などで定めています。 「国立精神・神経医療研究センター」によりますと、国内の精神科病院で身体拘束を受けた患者は、2018年6月の時点で1万1362人と、15年間で2倍以上に増加しました。 こうした中、患者が、身体拘束の最中や直後に死亡する事例も起きています。 石川県の精神科病院では、2016年に入院中の40歳の男性が6日間ベッドに拘束された後、エコノミークラス症候群を発症して死亡し、名古屋高等裁判所金沢支部がおよそ3500万円を賠償するよう病院側に命じています。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210119/k10012821311000.html 日本の精神科は刑務所だよ アメリカも映画見てると結構刑務所だよな 拘束少ないってのが嘘臭いな アメリカも入院したら辛いだろ 精神科入院するかねを引っ越し費用にして東京という犯罪多発な腐ったまちから住みやすい田舎にってのが賢い親 精神科入院に金を使うのはだめな親 精神科入院するかねを引っ越し費用にして東京という犯罪多発な腐ったまちから住みやすい田舎にってのが賢い親 精神科入院に金を使うのはだめな親 子供は田舎がすくすく育つ 拘束が多いってことは なんの説明もなしに拘束してるからこんなに多いってこと だからなんの説明もしない変な病院ってこと アルコール依存症泥酔で記憶ないおじさんだけはなんの説明も要らないのかもだが ほとんどのひとは頭いい アルコール依存症おじさんは泥酔してて記憶はないかもだが話は通じるから泥酔してても説明はしたら 何も説明しないで無理矢理はだめだろ 無理矢理は喧嘩になる 硬い食べ物はダイエットに向いているといわれているのですがそれはよく噛むことにあります。 よく噛むと満腹感を得られると聞いたことがある方も多いと思います 硬い食べ物は満腹になるので食べると太りません 泥酔してるだけの酒飲みをアルコール依存症って病気にしてるが 酒をやめりゃ良いだけだから病院必要ないな 俺も1日だけ入れられたけど酷かった ゾンビみたいな患者ばかりで糞尿の匂いが常にして人間の捨て場だった 韓国では保護入院はなくなったらしい 日本でも早くなくして欲しい 社会全体がひとつの精神病院となり、私たちはそこに収容された囚人となる。そこでは精神医学という専門家の知識が権力をもつことになる。 今回とりあげる、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-84)の描く近代とは、まさにこうした、知識によって管理された、一種の収容所のごとき世界です。 近代となって逸脱者への対応はより巧妙になりました。逸脱した者は排除されるのでなく、おもてむき、社会へ回復することになります。 社会は逸脱者を自己のうちに回収することで、逸脱者を無害なものとします。社会は逸脱者を「更生」・「治療」と称しつつ自分の管理下に集めるのです。 社会はもはや逸脱者から脅かされることもなければ、そこから学ぶこともありません。こうして社会にとって危険な逸脱者(犯罪者と精神病患者など)は、 排除されるのではなく、社会の内に、しかしその周辺に集められ、包み込まれて無害なものとされるのです。社会はその外部をみずからの内にとりこんだのです。 刑法は犯罪者をその違法行為においてとらえますが、監獄の技術は囚人をその生活態度においてとらえます。 前者では違法性が問題とされますが、後者ではその非行生が問題とされます。刑法の建前では、監獄は犯罪者を更正させることになっています。 しかし実際には監獄はその特殊な環境によってむしろ「非行者」を生み出し、あらゆる違法行為の可能性を持つ者として社会に循環させているのです。 それゆえ、監獄制度の真の意義は、違法行為を減らし、抑制することではなく、 社会の転覆や不安につながるような犯罪の可能性を「非行性」として管理し安全なものとして閉じ込めることにあるのです。 [それはちょうど、精神病院のありかたに似ています。精神病院はたてまえとしては精神病患者の治療をするためにあります。 しかし患者を閉じ込めることでかえって患者の社会への不適合を生み出してしまいます。 実際には精神病院は、社会不安を引き起こす者たちの閉じ込めと管理をしているというべきでしょう]。 http://archive.is/GEFMi 先進国では異常犯罪者を周りに分かるように懲らしめると批判を浴びるから 単科精神科病院で表に出して懲らしめたくても懲らしめられない異常犯罪者を周囲に分からないように懲らしめるようにできている 精神科の看護師なんて視界に投影する医療技術で医師の指示通りに振る舞うだけだから 主治医と相性良ければ看護師全員が優しいのである 医師の指示は絶対でコメディカルは勝手な事はできないここが精神医療の特殊なところだ 単科精神科病院は異常犯罪者に懲罰を与えるところだから総合病院の精神科に行け 逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書) 以下は「医療化」の良い点と悪い点。 逸脱の医療化は重要な社会的影響をもたらす。「明るい側面」と目しては以下の五つが挙げられる。 逸脱をより人道主義的にとらえること 逸脱者に病人役割を適用し,非難を最小化し,一定の逸脱を条件つきで免責すること 医療的モデルによって,変化に対してより楽観的な見方ができるようになること 逸脱の認定や治療に対して医療専門職の威信を付与できること 医療による社会統制が他の統制よりも柔軟で,ときにはより効果的であるということ しかし,医療化には「暗い側面」もある。 個人の逸脱に対する責任を全く無視してしまうこと 医学が道徳的に中立的であると想定してしまうこと 専門家支配によって起こる様々な問題 社会統制のために使われる強力な医療技術 社会に存在する複雑な問題を個人化してしまうこと 逸脱行動を脱政治化させてしまうこと 悪を排除してしまうこと。 そして、「犯罪有責モデル」「医療無責モデル」のオルタナティブとして「犠牲者」モデルを上げる。 逸脱の医療化は,事実上の、社会政策として認識されるべきである。 逸脱の医療化の程度,ポリティクス,便益,費用などについての調査が,もっとなされなければならない。 医療による社会統制に対する一定の「対抗勢力」が創出されねばならない。 「犠牲者」モデルという形で,行為に対する責任ほ問うが,責めることは、しないという新しい逸脱モデルが必要である。犯罪か病気かという二分法モデルから脱却する必要がある。 http://archive.is/8JbMn 獣医がある牛の状態を診て病気と診断する場合、彼はその診断のみでその牛の行動を変えはしない。 つまり、牛にとっての病気は体験している生体生理学的状態であるにすぎず、それ以上の意味はないのである。 ところが医者がある人間の状態を病気と診断すればその診断によって医者はその人の行動を変えてしまう。 いうならば病気の意味を疾患に付け加えることにより、ある社会的な状態が生体生理学的な状態に付加されるのである。 次のような場合の帰結の差異について考察してみよう。 労働の無能力が怠状によるとされる場合、または単核症のためとされる場合、またはてんかんのためだとされる場合、 あるいは飲酒癖が道徳的な弱さのためとされる場合、またはアルコール症のためとされる場合である。 つまり医学的診断は人の行動、その人が自分自身に対してとる態度、他人がその人に対してとる態度に影響を及ぼすのである。 要約すれば、病気とはそもそもある状態に関する人間の判断に基づいた社会的構成物である。 病気はある意味では美意識と同じく見る人次第である。 これは部分的には疾患とは何かということに関して流布している文化的な概念に基づいており、 そうでない時、この方が西欧社会では殆どなのだが、生体生理学的な現象に基礎を置いている。 だが、いずれにせよ病気というこの社会的評価を下すという過程が病気や疾患の概念にとっては枝葉末節なことでなくむしろ中心的なことなのである。 論理的には(体系化された分類である)診断と治療が共に社会的判断を土台としている以上、両者は不可分なのである。 「疾患」の原因である微生物を確認することが重要な結果をもたらすのとちょうど同じ様に病気を社会的判断として認識することが重要なのである。 いうまでもないが、逸脱行動をめぐる病気の社会的構成は、明らかに生体生理学的な問題に比べてより多義的で解釈次第となりがちである。 この点から見れば病気と定義された状態は、社会的な価値体系とある社会の一般的世界観とを反映していることが理解できるのである。 批判的精神医学 : 反精神医学その後 D.イングレビィ編 177p. 「残基的ルール違反者が公けにレッテルを貼られる時に生じる危機のなかでは逸脱者は被暗示性が高くなり、 申しだされた狂気の役割を唯一の代替策として受け入れるかもしれない ……残基的ルール違反者が精神障害の枠組みのなかで自分の行動を組織化し、 彼の組織化が他の人びと、特に医師たちのような威信のある他者たちによって妥当化される時、彼は「ひっかけられ」て慢性的な逸脱の経歴をたどって行くであろう」(pp.88-89) https://archive.is/vItZC 初日講義では、18世紀以来の精神鑑定によって、犯罪者に「非行者」という新しい人物像が重ね合わせられるとともに、裁判官としての精神科医、そして精神科医としての裁判官という二重化がもたらされたと述べる。 ミシェル・フーコー講義集成〈4〉精神医学の権力 (コレージュ・ド・フランス講義1973-74) 身体を対象にした制御 実は、これには、近代、特に18世紀の啓蒙の時代になって以降の医学の進歩が深く関係している。 バーバラ・スタフォードが「啓蒙された批評家の仕事は今や数学者のそれと似ていた。 この木立ちに剪定の鋏を入れて、永遠の原理に従って構想された秩序立ち、客観的で機械的な自然にと刈り込むのである。 身体が概念へ、蓋然が公式に変わるこの複雑な変化が完成するには丸一世紀を要した」と『ボディ・クリティシズム』などで論じているとおり、 18世紀を通じて身体はイメージを介して制御の対象となる(数値を用いてより科学的に制御が行われるようになるには、もうすこし待たなくてはならない)。 スタフォードが身体のイメージとその制御の例としてあげるのが、当時有名だった観相学者のラファーターが人の人相をコード化していく例だ。 身体は、要約され、コード化され、図式化されることで監視・制御の対象となっていく。医学の技術が政治的にも利用可能になる。 これが時代が降って19世期に入ると、ジョナサン・クレーリーが『観察者の系譜』で論じているように、生理学という人体制御に使える分野も成立しはじめる。 医学がその計測能力を高めたことがアガンベンのいう生政治が可能な基盤を作ったのだといえる。 医学の分野における、こうした発展とともに、政治が身体を通じて剥き出しの生を管理・制御の対象とすることが可能になったのである。 収容所の出現を許すかどうか? そのことは、アガンベンは本書でも指摘している。 実のところ、国民社会主義帝国は、医学と政治が、一つに統合されるという、近代の生政治の本質的特徴がその完成した形を引き受けはじめる瞬間をしるしづけている。 このことが含意するのは、剥き出しの生に関する主権的決定が厳密に政治的な動機や領域から離れ、 さらに両義的な領域へと移動していく、ということである。この領域では、医師と主権者が入れ替わっているように思われる。 ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生/ジョルジョ・アガンベン https://archive.is/MVZbo ■思想と政治体制について 精神医学と収容所について 立命館大学生存学研究センター 天田 城介 周縁的な人間の監視=矯正へ 「金持ちと貧乏人の断絶」から「民衆と周縁的な人間の断絶」への書き換え。18 世紀における資本主義体制の成立とともに、経済的規律が課 せられ、民衆は労働に従事し、多少なりとも財を蓄積するようになると、非合法的行為を容認できなくなっていくと同時に、精神医学・警察・ 司法・刑法体系などが結合した統治システムによって「周縁的な人間の監視=矯正」が遂行されていく。こうして周縁的な人間たちが監獄や 精神病院といった施設へと分離的=差別的に収容されるようになると、かつては歓迎されることさえあった周縁的な人間は民衆と断絶させられ、 また他の下層民とも切り離されていく――プロレタリアートとプロレタリアート化されていない周縁的存在を分け隔てる分断――。そして、 こうした統治システムのもと「周縁的な人間の監視=矯正」が実効されるだけではなく、むしろその圧倒的な効果は、周縁的な人間と切り離さ れた民衆に対する監視=矯正となって現れてくるのである。したがって、「周縁的な人間」を作り出すことは「周縁的な人間の監視=矯正」よ りもむしろ「民衆の保護と監視=矯正」の効果を生み出すのだ。 こうした権力システムのもと民衆は「社会階層」のイデオロギーを発展させた。犯罪者という「周縁的な人間」を切り離し、彼/女らに敵意 ・憎悪を向けるようになった。警察による保護さえ求めるようになった。そのことで、民衆は警察から容易に監視されることになった。犯罪者 に対して厳罰を求めるようになった。「人種差別反対をしながらも犯罪者には極めて冷酷な対応をする」(Foucault 1994d=1999: 249)ように なった。その社会的帰結として、権力はいとも簡単に民衆を統制することになったのだ8)。 ■シンポジウム「『精神分裂病』(現統合失調症)とは何か」 クーパーとサズの来日講演 /東京で第72回日本精神神経学会総会 1975/05/12・13・14 まず、東京医科歯科大の島薗安雄が精神分裂病の生物学的研究の歴史経過を、東京精神医学総合研究所の荻野恒一が病理学・精神分析学的立場からの現状を述べ た後、サズが「Schizophrenia:The Sacred Symbol of Psychiatry(精神分裂病:精神医学の神聖なる象徴」、クーパーが「What is Schizophrenia?(精神分裂病と は何か?)」と題してそれぞれ講演している。 サズは、ここでも従来からの主張を繰り返す。要約すると1点目は、精神分裂病の症状といわれている現象があることは認めるが、精神分裂病(現統合失調症)なる ものは存在しない。なぜなら、精神分裂病の診断は「行動上の諸症状」を基礎に行っているものであり、はっきりした細胞上の病理などを示されていないからである。 精神分裂病とは絶対的・科学的な研究の結果ではなく倫理的・政治的な判断によって生じたものである。すなわち発見されたものではなく、社会的に構成され考えだ されたものであるとする。症状はあるが病因は不明のまま作為的な病名だけが与えられているとする従来の反精神医学の主張である。2点目に、サズはこのような精神 分裂病が社会的なものであるという前提にたち、患者の市民権や法的権利において人権侵害がなされていることにふれる。3点目としては、医学一般と精神医学を対比 し、医師と患者関係について述べている。自由な資本主義社会において、精神医学の需要と供給、すなわち検査や診断、治療といったものは当事者である医師か患者の どちらかが拒否すれば成立しないはずである。しかし、「伝統的な医学においては、医師は患者の代理行為者であるが、伝統的な精神医学においては医師は社会の代理 行為者」であるという現実上、医師によって患者が精神分裂病の診断名を冠されてしまうことにより、患者はどのように危険なのかも明確でないまま危険視され患者の 意思に反しても施設に監禁することが精神医学にも必要で法的にも正当化されていること、また患者はその診断や診断過程、診断によって正当化された治療を拒否する ことができず、そのような同意を得ないままの診断や治療が行われていることは暴行に等しいという(精神神経学会 1976:308 )。 「分裂病」という「状態」など存在しはしないのです。分裂病というレッテルが貼られることは一つの社会的事実であり、 この社会的事実とは一つの<政治的出来事>なのです。社会における市民的秩序のなかでおこっている、 この政治的出来事は、レッテルを貼られた人間の上に定義と結論を押しつけます。分裂病というレッテルを貼られた人間は、 彼に対して責任をもつべく法律的に是認され医学的に権能を与えられ道義的に義務づけられている他者の監督下におかれますが、 こういった一連の社会的行為を正当化しているのは、社会の指令なのです。レッテルを貼られた人間は、 家庭、家庭医、精神衛生関係官、精神科医、看護婦、ソーシャルワーカー、 そしてしばしば仲間の患者たちまで加わっての一致した連携(「共謀」)行為によって、 患者という役割のみならず、患者としての人生の道程を歩みはじめさせられるのです。 R.D.レイン『経験の政治学』(128p.) 単科精神科病院はご存知の通り警察に連れてこられるような人も多い だから裏の精神医療の仕組みが治すように基本的にできていない 表に出して懲らしめたくても懲らしめられない犯罪者を精神病にして悩ませて苦しめる所なんだよ 総合病院精神医学リエゾン精神医学心身医学の方がまだまともと言える 主治医が裏テクノロジーで病気を作っているから精神科は特に主治医との相性がめちゃくちゃ重要なんだよ 精神科の薬を抜く上で最も重要なポイントはどの精神科医が主治医のときに薬を抜くかである 相性の悪い精神科医や相性の悪い病院で薬を抜こうとしても精神科医は再発させるだろう 相性の良い精神科医が主治医だとあっさり薬を抜けてしまったりするものである 精神科病院よりも総合病院の精神科のほうが治る見込みが大きい なぜなら精神科病院から最も遠いところにあるのが総合病院の精神科だからだと精神科医の斉尾武郎の本に記してある 精神科医のkyupinのブログにも単科精神科病院よりも総合病院の精神科のほうが少しだけ治る期待が大きいと記してある 総合病院の精神科を10年以上経験している精神科医がもっとも当たりの先生である確率が高いと 和田秀樹の精神科医は信用できるかという本に記してある 患者の意識精神状態から何で悩ませるかも 精神科医は事細かに選択できる脳を自由自在に調整できるのである つまりプシコが変な言動を取ったらそれは精神科医がそうさせているのである プシコが変な患者であればあるほどその主治医が変な人だということになる シゾだけでなくうつ病などの患者でも病気になる前と性格が変わったという話をよく聞くが それは精神科医が他言無用の医療ツールで医師自身の意志で治療した結果なのである 病気になる前と、知能、意識の鮮明度、思考スピード、記憶力、ワーキングメモリ、感情、コミュニケーション能力、物事から感じる印象や雰囲気 人間関係なら自分も相手ももともとそんな性格だったか人間への印象を変えることもできる 現代医療の社会学-日本の現状と課題にも記してあるとおり精神科医は患者の全存在を診ている 断薬しても機密医療技術のパルスで脳を作り変えられていたら戻らないだろう 主治医を変えずに断薬や薬の調整を考えていては精神科医の掌の上である 絶望する必要はない主治医を変えれば何もかも変わる人生が変わる 精神科は日本の法律の外にあって社会にとってどんな危険な逸脱者や政治犯でも潰して懲らしめる事ができるようになっている 治外法権なので精神科医はやりたい放題だ だからこそ重症患者にこそ相性のいい(まともな精神医療を行っている)主治医を探してほしい 性格や知能やコミュニケーション能力等々前述した事も精神科医に治す気があればいつでも元に戻せるからだ 俺がある病院で性格を最初と真逆に当てつけられまくって原型をとどめない認知にされてどう頑張ってもそうなってしまっていたのに 精神科医を変えると訳分からん所まで病気になる前のもともとの性格や知能やコミュ力に戻ったのは 精神科医に完全な脳のコピーのデータがあってそこに精神科医が視界に投影する医療技術でフタを並べていくので 元々の脳はどうだったか他の精神科医がどう治療したかも精神科医は完璧に把握しているのだろう 戻そうと思えばいつでももともとの脳に完全に戻せるのだ 『精神病が古来より政治的あるいは社会によって社会的弱者や少数民族を差別するために利用されてきたことは 歴史的に明らかであり、中世末期からルネサンスにかけてのヨーロッパや近世のアメリカニューイングランド地方に おいて「悪魔懸(つ)き」や「魔女狩り」という形で人々が弾圧されたり、 ドイツ、バイエルン国王であったルートヴィヒ2世が狂人と宣告されたため王位を剥奪されたといった事、 さらにはフランス革命で活躍したテロワーニュ・ド・メリクールが晩年、発狂したとして精神病院に入院させられ 晩年を終えたといった事が有名な事例である。 こうした中で統合失調症が数ある精神病の中で最も政治性、意図性が高い病気と言えよう。 以下においては、統合失調症の政治性、意図性に焦点を絞りって解説したい。 統合失調症の典型的症状とされる、「妄想」の具体例として「誰かに追いかけられている」、「誰かに見られている」、 「誰かが悪口を言っている」などの症状があげられる。一般市民も「誰かに追いかけられている」、 「誰かに見られている」、「誰かが悪口を言っている」「幻聴が聞こえる」などと考える人は 統合失調症の患者であると考える傾向が強いが、それがどのような科学的根拠に基づいているか明確ではない。 19世紀後半のヨーロッパでは当時、近代国家が成立し、中央集権国家やそれに基づく官僚制が整備され、 自由権が保障されたゆえに大規模な犯罪行為が可能になった市民に対する監視体制が確立していった時期であった。 時同じくして確立された大衆民主主義は大衆に選挙権を与えるが故に、大衆迎合を生み出し、 例えばヒトラーやムッソリーニ、スターリンの台頭のような軍国主義的な政治家や独裁者の台頭によって 民主主義の終焉をもたらす可能性があるため、資本主義と民主主義を守るための必要悪として危険思想や 危険な行動を取る資質を持つ人物を統合失調症により隔離・無害化する事が19世紀以降、歴史的に行われてきた。』 医療従事者専用の身に付ける機器を必要としない視界に直接投影する装置は 患者の話したことを分析して投影する患者の気分をお天気マークで表示したり 本当かウソかも表示する得意げにしているとニヤリと表示したりかなり精巧に表示するのである だが看護師が見るものは医師が編集したものばかりなので本当でもウソと表示させたり 事実と異なっている場合も多いのである 統合失調症って誤診多いな ほとんど単なる自閉症だな 他人と話しないだけの子供っぽい性格なだけ >>140 >>140 だよね 統合じゃないのに統合って誤診な ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる