別に擁護してないじゃンよ。

【周囲のひとが大勢いて、イジメ現場などを眼の前にしながら、
誰も止めようとしなかった】り、【さらには、教師陣のほうも、それを
知りながらも放任し続けていた】わけだから、【全員が、まとめて
眼の前に糞を食わされたり嫌がっていようが、それに何の罪悪感や抵抗感も
覚えて、自己嫌悪に陥るといった、自己愛性パーソナリティー障害者じゃない
人間なら、誰でも自分自身の悪い部分について省みれて悩み込んだりする、
そんな様子も、まったく無かった】ということだろ?

それを、実行犯のそのひとりだけを、著名人ということも
口実や理由にしながら、祀り上げるように名指しで報じながら、
他のひとたちの責任については、ろくに語ったり報じることも無しだったりかよ。

「自分がされて嫌なことは他者には絶対にしない」といった、
人間が、まず、物心ついたばかりの最初の初歩たる、
対人コミュニケーションなどの基本中の基本の良心や良識、
言葉の認知ができない犬や猫でも、噛みついたり引っ掻いたりしてきたら「痛い」「嫌がる」
というのを体感的に覚えさせるために平手打ちでぶっ叩き返すなどの
シツケで教えられるほど、ホントに基本中の基本、なんと、
そのイジメ問題があった環境下で、誰ひとりもそれが実行できていなかった、
実行できているのなら、「嫌がっているのだから止めろ」と、
周囲の何十人の人間がみんなでイジメ現場の実行犯を取り抑えるなりも
するはずのこと、まったくしなかったンだろ。

どんな自己愛性や自己中心でしかない、人間として完全にどうしようもない
ゲロカスそのものな極悪障害者のゴミクズ養成所とかを形成していたンだろうね。

その場に居合わせたみんなとか組織自体の問題という根本の部分とか、
コミュニケーションの基本中の基本のことを人間として最低限の
基準にしながらの感想など、ちゃんとレスしろよってリアル話ね。