自分のことを自分だと認識している人の「意識」とやらは
実は何も決定権を持たないただの傍観者的存在だという
ならば死んだ後違う世界線でまた違う個体の意識に宿っても不思議ではないのでは?

「意識」つまり「魂」的なもの自体に人格があるのではなく、
人の個体それぞれに備わっている細胞らしきものの何かが成長とともに人格形成され、
あくまで「意識=魂」は、それを投影する装置的なものとして宿り存在する

生まれ変わりは信じないが、こっちの理屈なら前世との因果は何もない
完全なる無を想像するよりたやすく、辻褄も合う
そんな気がする、という時点で自分にとって都合が良い嘘でそれなりに気に入ってる