トホホのWindows 第8節
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マルクスが一八五八年、「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」に寄
稿した論説「イギリスの商業と金融」のなかで、現代社会は、くりか
えしの警告にもかかわらず、なぜ周期的に過剰投機、過剰生産の熱
狂に突入するのか≠ニ、恐慌現象という秘密の核心をついた反問をお
こなったことは、前に紹介しました(本書(上巻)第三篇第五章(1)「リカ
ードウの研究を読む前に」の「本当の問題はどこにあるのか?(一八
五八年)」)。過熱(バブル)とその崩壊という事態は、それから一四〇
年以上たった今日なお、いっそう深刻な形態でくりかえされています。
国家独占資本主義体制のもとでの経済への国家の介入も、包括的な
経済統計とそれを駆使しての経済予測の諸装置も、社会的悟性は
いつも祭りのあとで′サれるという資本主義的生産の固有の矛盾を
解決する力をもちえなかったのです。
今日、世界の資本主義がおちいっている事態を解明するためには、
独占資本主義とそのもとでの国家の経済への介入の体制(国家独占
資本主義)が、恐慌を引き起こす資本主義の諸矛盾・諸対立を解決す
る力をもちえず、反対に、諸矛盾・諸対立を深刻にしてきた実体とそこ
に働いている内面的な論理の分析が、求められます。
--------
不破哲三著『マルクスと「資本論」 ―再生産論と恐慌』下巻二六九頁
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101957003 まず、資本主義が、マルクスがそのことを指摘して以来、百数十年を経過した今日なお、
恐慌・不況の周期的到来という事態から、抜け出せないでいる、という問題です。資本主
義的生産様式のこの矛盾の分析に正面から取り組んだのが、今回の研究でその形成過
程を探究したマルクスの恐慌論でした。
現在、この問題を考えるとき重視するべきことは、マルクスの時代から現代までのあいだ
に、独占資本主義および国家の経済への全面的な介入の体制―国家独占資本主義の巨
大な発展があった、ということです。国家の経済への介入の体制は、一九二九〜三〇年に
世界資本主義を震撼させた大恐慌以来、とくに第二次世界大戦後の世界では、戦時だけ
でなく平時の資本主義の特質となりました。これは、資本主義の枠内に国民経済的「計画
化」や「規制」の要素をとりいれ、資本主義社会ではいつも祭りが終わってから%ュく(マ
ルクス)とされた「社会的悟性」を、祭り≠フ前あるいは最中に働かせようという側面をも
つもので、この体制の経済学的表現といわれたケインズ理論の信奉者たちは、一時は、
「ついに恐慌のない資本主義に到達した」と、その成果を賛美したりしたものでした。
しかし、国家独占資本主義によっても、恐慌を生み出す資本主義の矛盾・対立を克服す
ることはできませんでした。国家の経済への介入の成果≠ヘ、第二次大戦後でも、恐慌
や経済循環の現れ方を緩和したり、その形態を変化させたりするにとどまり、ついに一九
七〇年代には、いわゆる近代経済学の陣営で、理論的にも、経済政策的にもケインズ
主義の破綻≠ェ声高に叫ばれるようになりました。国家の力を総動員し、国のテコ入れで
恐慌をくいとめるというのは、資本主義にとっていわば最後の手段≠ナしたが、その最
後の手段も、その力を使い果たしてしまったことが、資本主義世界の共通の確認となる、そ
ういう段階を迎えるにいたったのです。
--------
不破哲三著『マルクスと「資本論」 ―再生産論と恐慌』下巻二六九頁
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101957003 マルクスが、「流通過程の短縮」という運動形態に大規模な拡張の場をあたえ
るものとして、世界市場と信用制度の役割に注目したことは、すでに紹介しまし
た(本書(中巻)第四篇第六章「『再生産過程の攪乱』をめぐって」の「信用制度と
世界市場と」)。そして現実に、二〇世紀における独占資本主義の世界的規模で
の発展が、金融資本や多国籍企業の諸形態を多様に展開させながら、「現実の
需要」からの再生産過程の独立化に、マルクスの時代をはるかに上回る巨大な
規模を与えたことは、疑いありません。
また、生産の無制限的な拡大の「梃子」としての信用制度の役割を解明しよう
として、マルクスが綿密な分析をくわえた再生産過程への外部からの貨幣資本
の投入の問題でも、金融資本の成立と支配、さらには国家財政の大規模な投入
は、マルクスの時代には想像もされえなかった規模で、経済を「生産のための生
産」に駆り立てる推進力をつくりだしました。
さらに世界市場の問題があります。マルクスは、早くから、世界市場を、恐慌現
象が本格的に展開される舞台と位置づけました。しかし、「資本論」では、この問
題の全面的な研究にまではいたらず、世界貨幣論など、部分的な言及をおこな
っただけでした。資本主義世界の現実としても、恐慌が世界市場での独自の特
徴をより本格的に示すようになったのは、むしろ「資本論」以後の時期において
でした。それだけでも、ここに研究の新しい大きな分野があることは明らかです。・・・
これらの諸問題をふくめ、今日の恐慌・不況の問題の本格的な究明のために
も、マルクスが「資本論」のなかにこめた資本主義批判、とくに恐慌論での理論
的到達点のすべてを、あますところなく汲みつくすことが必要になります。
--------
不破哲三著『マルクスと「資本論」 ―再生産論と恐慌』下巻二六九頁
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101957003 σ < 仮にアメリカが核廃絶を決めたとしても
(V) 気に入らない奴を高射砲で処刑する北朝鮮の核の脅威はなくなるとは考えにくい
|| まして、自国民を戦車でひき殺す国の核の脅威が無くなる事もないだろう
核を用いて脅迫行為に出るテロリストは後を絶つとも考えられない
そういう連中が我が物顔で蹂躙することができないようにする対抗手段は必要だ
だが、核に頼って他のあらゆる防止のための努力を行ってはならない
そうであれば、核に頼らざるを得ない事態が発生する可能性は高くなる
民生と軍事全般で不祥事の発生を防止しなくてはならない
核を持てば安心なんてアホ過ぎる
核を持たなければ平和なんてこともアホ過ぎる まず、恐慌の根拠をなす「生産と消費との矛盾」が、現在、どのような規模に達
しているか、という問題があります。マルクスが研究した主要な対象は、十九世
紀のもっとも発達した資本主義の国・イギリスの経済社会でした。現代の高度に
発達した資本主義社会は、当時存在しなかった社会保障の体系もあれば、労働
者階級の消費生活の多様化、高度化など、国民生活の面での、当時とくらべて
顕著な発展があります。しかし、そのなかでも、新しい貧困の諸形態の発展、技
術の革新によって加速されたリストラと失業、社会的格差の拡大など、社会的消
費を狭い限界内に押し止める新しい力も多面的かつ強力に働いています。そし
てなによりも問題なのは、生産の無制限的拡大への衝動とそれを具体化し実現
する諸条件が、飛躍につぐ飛躍といった拡大をとげて、社会的消費の能力との
矛盾が、おそらくマルクスの時代とは、ケタ違いに深刻な段階を示しているだろう
ことです。 σ < ワロタ
(V) お仲間の競演ですなwww
|| >>285
まだ串に関しての屁理屈を思いつかないのかい?ヒロちゃんw >>282
↑
相手はスクリプトだと主張してたのに
コピペに返事する形になってる馬鹿w >>65
↑
てか木下お前これ流したくて
テレキチにスレ潰し頼んだんだろ?違うのか?w 不破哲三『マルクスは生きている』 平凡社新書
労働者の苦難の根源をついて
「労働者」は日本の人口構成で四分の三以上を占める
搾取を究明する経済学/マルクスの目で現代日本の搾取の現場を見ると
『資本論』に描かれた労働者像/「社会の強制」が資本の横暴を規制する
「ルールある経済社会」は世界の発展方向となった
「ルールなき資本主義」の国・日本
資本主義の「死にいたる病」――周期的な恐慌
恐慌論へのマルクスの挑戦/恐慌論には三つの柱がある
マルクスが解明した“バブルの論理”/資本主義百八十年の恐慌史
世界経済危機をつらぬく恐慌の論理
人間社会は資本主義で終わりではない
窮極の災害――地球温暖化
地球大気という“生命維持装置”/地球の生命を誰が危険にさらしたのか
資本主義社会は人類にたいする責任を果たせるか
地球温暖化の危機と社会体制の選択
〔補論〕マルクスは抜粋ノートをこうして活用した 2003年2月3日(月)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-02-03/13_0801.html
不破哲三著『マルクスと「資本論」(1)――再生産論と恐慌・上』まえがき
<転載>------------------------------------------------------------------ 本書
は、雑誌『経済』に連載された論文「マルクスと『資本論』 再生産と恐慌」を、著者の
不破哲三氏が全体にわたって整理・加筆の手をくわえ、上中下三巻にまとめて刊行するも
のですが、第一巻には、著作全体についての「まえがき」が載せられています。恐慌論は、
資本主義の矛盾と破たんのもっとも鋭いあらわれを分析したもので、『資本論』の核心を
なすものです。「まえがき」には、この恐慌論に著者が永年にわたって問題意識をもちつ
づけ、マルクスが『資本論』でやり残した仕事でもあるこの「空白」部分の探究に挑む道
程が簡明に描かれていて、社会科学研究のあり方のうえで、内容に富んだものがあります。
著者と出版社の了解をえて転載します。 (一)
本書『マルクスと「資本論」――再生産論と恐慌』は、雑誌『経済』に二〇〇二年一月
号から一〇月号まで連載した同名の論文を、仕上げと整理、補筆の作業をおこなって、全
三巻にまとめたものです。
上巻では、『ロンドン・ノート』のなかの小論「省察」を起点として、『五七〜五八年
草稿』および『六一〜六三年草稿』の二つの草稿が、研究の対象になります(連載の一〜
四月号)。
中巻では、いわゆる『六三〜六五年草稿』、すなわち、『資本論』第二部第一草稿と第
三部草稿の研究が主題です(連載の五〜七月号)。 下巻では、現行『資本論』の第一部
と第二部(草稿としては、第二草稿〜第八草稿)――『資本論』執筆の最後の段階の研究
で、結びとして現代の問題にも論及しました(連載の八〜一〇月号)。
今回の研究は、「再生産論と恐慌」という一つの主題を、かなり長期にわたる連載で追
究したため、執筆してすでに発表した部分に、そのあとで論究の不十分なところを発見し
たり、『六一〜六三年草稿』のマルクスの執筆順序などで新たな知見を得たりしたところ
があるなど、いくつかの点で、補筆の必要を感じていました。また、雑誌連載の性格上、
あまりに細目に入ることを恐れて、検討を割愛した問題もありました。
今回、まとめるにあたっては、全体にわたって、加筆・整理の作業をおこない、まとま
った補論としても、「マルクスは『六一〜六三年草稿』をどういう順序で執筆したか」
(上巻)、「〔第三部〕『第二五章 信用と架空資本』――マルクスの草稿の原型を復元
する」(中巻)、「信用論の第三三章〜第三五章の編集について」(同)などを、書きく
わえました。 また、下巻の最後には、「T マルクスの、『資本論』の準備と執筆にかかわる年譜」、
「U 『再生産と恐慌』・総目次」、「V 人名索引」、「W マルクス、エンゲルスの
文献索引(『資本論』とその準備草稿をのぞく)」を作成・収録しました。
若干の説明をくわえますと、「T」の年譜は、マルクスの経済学への取り組みと経済学
ノートや諸草稿、『資本論』原稿の執筆、それを発展させる構想のいきさつ、その過程で
のエンゲルスその他との経済学の問題をめぐるやりとり、その研究成果の実践活動への反
映(国際労働者協会)などが、包括的に分かるものにすることを志しました。また、『エ
ンゲルスと「資本論」』をふくめ、私のこれまでの研究と重ね合わせ、そこで提起した問
題の理解の助けとなることに、主眼の一つをおきました。その意味では不破流の年譜とな
っていることをご了承ください。
「U」は、三巻の全体にわたって研究の道筋を見やすくするという意味で、まとめたも
のです。あれこれの問題を、どこでどういう順序で検討してきたかを見るときに、参考に
していただければ、ありがたいと思います。
「V 人名索引」では、そのなかの経済学者の項目で、一つの新しい工夫をしました。
それは、その人物の著作で、マルクスが研究したり読んだりしたものは可能なかぎり書き
出し、マルクスがその著作について、いつの時期のどのノートで抜粋をつくったかを書き
こんだことです。マルクスの経済学研究の歴史を読んでゆく上で、参考になればと考えた
からです。 最後に言えば、私の心づもりでは、この研究は、『マルクスと「資本論」』についての
研究の最初の部分をなすものです。今回の研究は、『資本論』とその準備草稿の全体にわ
たったとはいえ、主題としては、「再生産論と恐慌」の問題での理論形成の過程を探究す
るという問題にしぼっての研究でした。『資本論』にまとめられたマルクスの理論展開の
なかには、私として、今後研究したいと思っている多くの問題があります。実際に、その
うちのどれだけを現実に研究の対象としうるかは、もっぱら私の努力のいかんにかかるこ
とで、予告できるものではありませんが、自らを励ます意味もこめて、その心づもりをあ
えて書き添えた次第です。
(二)
本書の主題は、いまも述べたように、マルクスの恐慌論を、その形成の歴史を追い、ま
だ書かれなかった部分への推測的な展望もふくめて探究することにありましたが、この主
題には、実は、私が多年にわたって抱いていた二重の問題意識が結びついていたのです。
一つは、恐慌論そのものにかかわる問題です。私が、マルクスやエンゲルスの文献に親
しみはじめたのは、戦後、旧制高校に入って間もない頃でした。最初に読んだのは、薄い
小冊子版の『共産党宣言』で、たしか戦前の堺利彦訳を復活させたものだったように記憶
しています。そこでの資本主義批判で、もっとも鮮明に描き出されているのが、恐慌問題
でした。「ブルジョア社会は、自分で呼び出した地下の悪霊をもはや制御できなくなっ
た」、「商業恐慌」は「周期的にくりかえし襲ってきて、ブルジョア社会全体の存立をま
すます威嚇的に脅かす」などの文章からは、きわめて鮮烈な印象を受けたものでした。
間もなく、長谷部文雄氏訳の新訳『資本論』(日本評論社、第一分冊・一九四六年刊)
がはじまり、早速、それに飛びついて、たどたどしく読みはじめましたが、関心の中心は、
やはり恐慌論を理解したい、という点にありました。このあたりが、私の『資本論』との
触れ合いのはじまりで、その後も、『資本論』を手にとる度に、恐慌論を意識して読むの
ですが、マルクスの恐慌論を腑に落ちるところまで読みとるということは、私にとってた
いへんな難題でした。 あれこれの角度から恐慌問題にふれた一つ一つの命題は、なんとか分かるような気がし
ても、恐慌論の全体像はどうしても描ききれません。当時は、再生産論や市場の理論につ
いてのレーニンの著作が、再生産論と恐慌論を結びつける指針となるとされ、この角度か
らこれを高く評価する意見があり、なるほどと思ったこともありましたが、しかし、詰め
て考えてみると、そこにも疑問が残ります。その思いは、「恐慌論」についての名著とい
われた内外のあれこれの研究書を読んでも、結局は満たされないで終わりました。
ここに、今回の研究につながる、若い頃からの問題意識の流れの一つがあったのです。
もう一つの問題意識は、『資本論』の準備草稿にかかわるものです。私が一九五三年に
大学を出て、鉄鋼労連という労働組合の書記局に入り、組合の仕事に専従している時期に、
マルクスの『五七〜五八年草稿』が、『経済学批判要綱』という表題で、大月書店から出
版されました(第一分冊は一九五八年、最後の第五分冊は一九六五年刊行)。この草稿が、
ソ連と東ドイツで出版されていたこと((注))は、かなり前から話題になっており、
『資本論』好きの友人のあいだでは、『グルンドリッセ〔要綱〕』というドイツ語名で呼
ばれていましたが、その現物が日本語で読めるようになったのは、私にとっては、一つの
感激的な事件でした。
(注)『五七〜五八年草稿』は、最初は、モスクワで、『経済学批判要綱』の表題のも
と、一九三九年に本巻、一九四一年に補巻と二巻に分けて出版されました。その次が戦後
の東ドイツで、一九五三年に、マルクス生誕一三五年、死後七〇年を記念して出版された
のです。 σ < ワロタ
(V) マイクロソフト工作員が何かに怯えます田、わわわわわ
|| しかし、手にとってみると、きわめて難解な、きわめて読みにくい書物でした。編集者
が、目次的な項目をつけて一応の順序だてはしてあるものの、マルクスが自由に考察をめ
ぐらせ、考察の主題も自由に変転させながらの草稿です。組合本部に通う往復の電車のな
かで、傍線や書きこみをしながら、ともかく目を通すのですが、さきの見通しのきかない
深い山の中を、地図をもたずにさまよっているような印象でした。それでも、“あ、ここ
は、ひょっとすると、『資本論』のこういう考えの糸口になったのか”と感じられる箇所
にぶつかって、奥山からある程度勝手のわかる人里に出てきたような思いをすることもあ
れば、前後の脈絡はうまく読みとけないものの、いままで触れたことのない新鮮な命題に
行き会って、マルクスの思想の新しい側面を知った喜びを感じることもあります。全体を
理解するだけの力はなかったものの、マルクスの思考の発酵過程の記録として、重い印象
を刻まれた本であったことは間違いないことでした。
そういうなかで、『五七〜五八年草稿』よりはるかに大部の草稿『六一〜六三年草稿』
なるものを書いたというマルクスの『資本論』執筆の歴史も、おぼろげながら、頭に入る
ようになりましたが、当時は、『六一〜六三年草稿』が具体的にどんなものであるかは、
知るすべはありませんでした。
それでも、いつかは、『五七〜五八年草稿』から『六一〜六三年草稿』を経て『資本
論』にいたる道程を歩いてみたいものだという志も、ほのかではあるが、私のなかに芽生
えていたように思います。 期待の草稿『六一〜六三年草稿』が、日本語で出版されはじめたのは、『五七〜五八年
草稿』の刊行が終わって一三年たった一九七八年のことでした。その背景には、一九七五
年からはじまった新『メガ』の刊行がありました。新『メガ』は四部編成で、その第二部
を『「資本論」およびその準備労作』にあてることになり、一九七七年に『五七〜五八年
草稿』の第一分冊と『六一〜六三年草稿』の第一分冊の刊行が並行してはじまりました。
それを受けて、大月書店が、一九七八年から『マルクス資本論草稿集』の刊行を開始した
のです。最初に発行されたのが、待望の『六一〜六三年草稿』第一分冊でした。最後の第
六分冊の発行は一九九四年でしたから、『六一〜六三年草稿』全六分冊の刊行は足かけ一
七年にもわたったことになります。
大部の草稿ではありますが、早い時でも一年に一分冊、最後の分冊などは一〇年もの間
(あいだ)という断続的な発行ぶりでしたから、例によって往復の車などのなかで、一冊
出るごとに目を通しました。しかし、内容は、『五七〜五八年草稿』以上の難解さです。
第一分冊は、『資本論』第一部前半部分の元原稿にあたるわけで、割合読みやすかったの
ですが、第二分冊以後は、「剰余価値に関する諸学説」と題する学説史的研究が延々と続
きます。そのなかから、合理的な核心をつかみだすことは、至難の業というべきことで、
車中で目を通すなどというやり方では、とても手に負えるものではありませんでした。
それでも、ともかく読むだけは読み終えましたし、一度読んだあとも、『五七〜五八年
草稿』や『六一〜六三年草稿』の、その時どき興味をひかれる部分に立ち戻ることは何度
もありました。さらに、『六一〜六三年草稿』の刊行の途中に、同じ大月書店から出た
『資本論』第二部第一草稿『資本の流通過程』(一九八二年)も、興味津々のたいへん刺
激的な草稿でした。
しかし、いろいろな点で理論的な刺激を受け、多くの興味をかきたてられながらも、そ
れ以上の立ち入った研究に取り組むことは、この時期には、考えもおよばないことでした。
それには、それだけの問題意識の成熟が必要だったし、それに取り組むための私なりの覚
悟が必要だったのです。 (三)
いま見てきた二つの問題意識が、一つに合流するきっかけを得たのは、一九九五年、エ
ンゲルス没後一〇〇年を記念して、『エンゲルスと「資本論」』という研究をはじめたこ
とからでした。この研究では、マルクスとエンゲルスとの交流・共同の追跡に主軸をおき、
『資本論』についても、エンゲルスがどう関わってきたかの歴史を主に取り扱ったのです
が、そのなかでは、一八四〇〜五〇年代の経済学ノートにはじまるマルクスの経済学研究
の長期の過程、それをふまえて執筆され年代ごとに層をなして積み重ねられた諸草稿、さ
らには、全三部の最初の草稿を一応書き上げたあとの「仕上げ」のための努力、そして、
新しい構想をもって『資本論』の新たな発展をはかろうとする最後の準備など、『資本
論』の準備と執筆にかかわるマルクスの努力の全過程を、いやおうなしに研究することに
なりました。こうして、エンゲルスを歴史の主題にすえながら、『資本論』の歴史そのも
のを系統的に研究する機会を得たことは、大きな収穫で、私自身の理論的な関心のなかで
は、マルクスの理論の形成・発展の過程を追究する課題が、いままで以上の迫力をもって
浮かびあがってきました。
雑誌『経済』の一九九七年四月号で『エンゲルスと「資本論」』の連載が終わったあと、
続いて『レーニンと「資本論」』の研究に移り、その年の一〇月号から連載をはじめまし
た。新たな転機がそのなかで訪れました。この連載の二回目と三回目に、レーニンの再生
産論と市場理論を(第二回「市場問題と『資本論』第二部」、第三回「市場論争――第三
部をふまえて」)、さらに四回目と五回目には、レーニンを批判したローザ・ルクセンブ
ルクの『資本蓄積論』を取り上げたのです(第四回「実現論争・後日談――ローザの『資
本蓄積論』」、第五回「実現論争・後日談――社会主義社会の再生産表式」)。 この時、再生産論、市場理論にかかわるレーニンの全文献を、当時の論争の脈絡のなか
において、正面から研究しなおしました。その結論は、私自身のこれまでの常識≠く
つがえすものでした。レーニンが、一連の論文で、『資本論』第三部の恐慌論にかかわる
諸命題を多く引用していることから、これらの論文は、再生産論と恐慌論を結びつけるも
のとして読まれることが多かったし、私自身も大まかにそういう理解でいたのですが、あ
らためて研究してみると、レーニンがそこで論じている主題は、ロシアで資本主義的生産
様式が発展の可能性をもつかどうかという、ナロードニキとの論争の中心問題であって、
恐慌論についてのレーニン自身の見解は、そこには何ら示されていない、ということが分
かったのでした。さらに、恐慌論自身については、レーニンの論究はあまり多くはないの
ですが、ナロードニキとの論戦のなかでのある論文で、恐慌の根拠を「生産と消費との矛
盾」に求める見地を、非マルクス的な誤りとして批判しているところに出会いました。
レーニンは、その後、この見解を繰り返すことはしませんでしたが、この批判は、明らか
にレーニンの勇み足≠ナ、マルクスの見地とは矛盾するものでした。
私が、『資本論』でのマルクスの恐慌論の展開に、一種の「空白」があるということを、
そういう形で強く意識したのは、この時でした。ローザの『資本蓄積論』についての引き
続く検討のなかで、彼女の『資本論』第二部批判につきあって、拡大再生産論における試
行錯誤をあとづける仕事もやりました。 >>295
まだ串に関しての屁理屈を思いつかないのかい?ヒロちゃんw
何をごまかしたいの?w レーニン研究のこの過程で、恐慌論の「空白」を埋めることが、私の最大の関心事の一
つとなりました。そのためには、年来おぼろげに頭に浮かべていた、マルクスの理論形成
の過程を諸草稿を通じて追跡するという課題に、思い切って取り組む必要がある、その追
跡のなかで、恐慌論にせまってゆくマルクスの問題意識が、私たちが現在『資本論』から
読み取っているものよりも、より広い視野と角度から必ず浮かび上がってくるし、私が感
じている「空白」を解決する道も、そのなかから必ず切り開かれるはずだ――こう考えて、
一九九七年はじめ、『レーニンと「資本論」』の連載の執筆と並行して、諸草稿を読み解
く仕事に、思い切って挑戦したのです。『資本論』の全体的な歴史を追究するのではなく、
恐慌論、再生産論にしぼって理論の形成過程を探究するというこの問題設定は、結果論的
にいうと、たいへん的確だったと思います。
『五七〜五八年草稿』にしても、『六一〜六三年草稿』にしても、最初に読んだときに
は、地図をもたないまま、奥深い山をさまよっている気持ちだったと述べましたが、恐慌
論および再生産論という対象を正面にすえて取り組むと、かつては道なき山と見えたとこ
ろに、マルクスの思考の展開の筋道が浮かび上がってくるのです。その筋道は坦々とした
ものではなく、試行錯誤の繰り返しや迷路への迷いこみなども出てきますが、それは、こ
れまでの経済学の全体を変革した科学的経済学の生みの苦しみそのものを表すものであり、
曲折する思考の展開の節目の一つ一つを読み解くたびに、マルクスの問題意識がより活き
活きと伝わってくる思いがしたものでした。そして、『五七〜五八年草稿』を読み、『六
一〜六三年草稿』へ進み、そこで得たマルクスの問題意識を頭において、『資本論』第二
部第一草稿へと読み進むなかで、恐慌問題への運動論的な接近、それが必要とする運動形
態の探究という新しい視点が、一筋の糸となって現れてきたのでした。 実は、こうした探究のなかで、まだおぼろな形ながら、「空白」を埋める方向づけをと
らええたように思った時、私は、その時点での研究の成果を、試論的にまとめてみる仕事
に取り組みました。一九九八年の二〜三月のころでした。雑誌に連載したら四回分ほどに
当たる論考でしたが、これを書き上げてみると、自分の考えのどこが足りないか、マルク
スのどこをさらに研究する必要があるのか、今後の研究の指針となる新しい地図≠ェ、
いちだんとはっきりしてきました。なかでも、マルクスの問題意識を探究してきた立場で、
その角度から、現行の『資本論』そのものを読み直すことが、とりわけ必要なことをあら
ためて痛感しました。
そこで、この研究は当面わきにおいて、『レーニンと「資本論」』の続稿への取り組み
を続けましたが、これが、予期した以上の長編となって、一九九七年一〇月号から二〇〇
一年四月号まで、四三回におよぶ連載となりましたので、マルクスの足跡を正面から本格
的に探究する仕事は、それ以後のことになりました。
こうして、二〇〇二年一月号からの『マルクスと「資本論」――再生産論と恐慌』の連
載がはじまったのでした。
考えてみると、エンゲルス没後一〇〇周年に『エンゲルスと「資本論」』の筆をとって
から、すでに七年以上がたちました。二〇世紀の末から二一世紀のはじめにかけての世紀
的な転換の時期に、『エンゲルスと「資本論」』、『レーニンと「資本論」』、そして
『マルクスと「資本論」――再生産論と恐慌』へと連続的な研究を積み重ねてきて、多年
の宿題をある程度果たすことができ、私自身のマルクスへの認識を一歩ではあるが深める
ことができたことを、うれしく思っています。 (四)
今回の『マルクスと「資本論」――再生産論と恐慌』は、私と妻七加子と、私たち夫婦
のちょうど結婚五〇周年の記念の年に出すことになりました。
私たちの婚約は私が一九歳だった一九四九年の秋、結婚は一九五三年の三月で、大学卒
業とほぼ同時でした。結婚に先立つ三年あまりの婚約時代に、二人のあいだを往復した手
紙を読みかえしてみると、ひと言ひと言がいまも思い出と結びつく若い愛情の表現と、自
分たちが選んだ社会変革の道を生涯歩き通そうといった意思表明とが、交じり合って文面
にあふれている――時代の反映がそのあたりにも色濃く表れた青春でした。なかには、“
これからの生涯のあいだにこうむるであろう悪罵や攻撃”を予想してそれに屈しない決意
を語るといった、健気な、そしてある意味では予見的ともいえる文章もありました。
そこから出発して、一九五三年以来の半世紀を、夫婦として、また日本における科学的
社会主義の事業の参加者として、一筋に共同して生き抜いてきたことには、重い感慨があ
ります。
半世紀といえば、誰にとっても、一つの巨大な歴史です。私たち二人にとっても、それ
は、若い時代の予想を越えた波乱と激動が文字通り連続した半世紀でした。そして、その
波乱と激動を確信をもって生き抜いてきたのも、たがいにこの共同があってこその歴史で
した。
ともに歴史を生きてきた半世紀をふりかえり、今後とも、一筋の道を歩いて新しい歴史
に挑戦する共同の意思をこめて、この本を、私たちの結婚五〇周年の記念の書とすること
を、お許しいただきたいと思います。
二〇〇三年一月 不破 哲三 だいたいWindowsカタログもパソコンの仮想化も知らん馬鹿が
どうやってスクリプト組むの?ヒロちゃんwww σ < ネットワーク接続が常態となったPC・スマホ・モバイルタブレットのOSで
(V) Windowsが市場寡占常態であることは
|| セキュリティ破りがデバイス使用の最大の障壁である現在では
リスク回避の観点からは、もっとも愚かしい状態と言うことになる
まして、一つのバージョンに絞るのは、セキュリティ上、最貧困の戦略と言うことになる
なるべく多用なOS使用でこの難儀を回避すべきだにゃ
最新Windowsだけに絞りたがるマイクロソフト
トホホのWindows寒極まる、わわわわわ
怪物も首が一つであれば、一つの首を刎ねれば良いけど
ヤマタノオロチだと難儀過ぎるだろう σ < すなわち
(V) 現在のネットワーク状態では
|| Windows寡占はもっともアホらしい回答であるwww >>308
寛信何言ってるの?
俺が聞いたのは串をどうやって判断したかなんだけど?w さーて、注文していた本が書店に届いたみたいだから
これから取りに行ってくる。 木下
スクリプトが外出するとか言い出したんだけど
どういう事なの?w >>242
木下
なんでそんなにシッタカしたいの?w ____
____(^o^)____ < 世の中必要に反してトッホッホの世界ですぉ
| レ{ V }し |
|\⌒⌒⌒ \
\| ⌒⌒⌒⌒|
 ̄ ̄ ̄ ̄ σ < ワロタ
(V) 何分以下のランダム間隔でやったのかな
|| それとも、マニュアル
いずれにしても乙www 今日は17115にもアップデートしたし
BIOSのアップデートも済んだし
メンテバッチリなんだわw
木下は何で10IPをアップデートしないの?
トホホなのはお前の脳みそじゃないの?w >>242
>一分につき一発のプロキシサーバーを経由したスクリプト爆弾だにゃ
>>315
>何分以下のランダム間隔でやったのかな それとも、マニュアル
精一杯シッタカ中w 同じコピペ貼り付けるスクリプトじゃなくて
一分間隔で違う事書くスクリプト
おまけに『外出』するwww
木下www >プロキシサーバーを経由してるぜ(キリッ!!
馬鹿丸出しw σ < ワロタ
(V) おまいらでは出来るだろう
|| 出来ないのか
しょぼい工作員だにゃwww >>323
木下、それ自分で出来て言ってるわけ?w 木下はプロキシサーバーとかスクリプトとか
言ってみたかっただけなんだろ?
素直になれよw σ < おいらは書き込みのプロトコル知らないので出来ませんぉwww
(V)
|| >>329
お前が出来ないのは知ってるよw
何文章そのまま受け取ってんだバーカw >>323
>出来ないのか
出来ないヤツが何言ってんだって話だろ?
木下お前ホントやることなすこと朝鮮人っぽいなw 木下、もうちょっと自分を省みながら話すこと出来ないの?w σ < V2Cのjarファイルを解析すれば
(V) プロトコルわかるだろうけど
|| 誰かテキストファイルを投稿する
コマンドラインを教えてくれ
VZ Editorで投稿できると楽だわ 木下よ
あらかじめ言っとくけど俺は外出するスクリプトなんて作れないよw そんなことよりどうやって串通してる判断したのか答えたらどうかな?ヒロちゃんw スレが延びていると思ったらば、何時ものキチガイ定期かよ?
隔離スレらしくていいんじゃないあ?
もしかして爺の子供がテレキチ(51歳:就職経験ゼロ、童貞)なのかな? ID:buX4Auvd
暇で、うだつの上がらない君に励みになることをやってあげたんだから、
感謝しないといけないよ。 σ < 寡占OSで世界が覆われると言うことは
(V) 同じ手口で大部分のPCをクラックできるということです
|| アップデートにバグがあれば、同時に世界中のPCが機能不良に陥ります
ヤバイですね、ヤバイですね、ヤバイですね
アプリケーションも同じです
この脆弱な構造に向けて努力してのかマイクロソフトです、わわわわわ
たまりませんノウ >>316
>今日は17115にもアップデートしたし
>BIOSのアップデートも済んだし
>メンテバッチリなんだわw
こういう無知蒙昧の輩にマイクロソフトは支えられています。
バカが居て、初めて成り立つOS商売 たった二日でスレ340…
スレ伸ばしすぎだな。
無知蒙昧の輩は書き込み禁止だな σ < 日本のタクシー会社は評価の定まった古いモデルを使ってますね
(V) 最新モデルで配車するとしたら
|| 複数のメーカーのモデルの混合編成にしておくのが無難でしょう
一つのメーカーの車を採用してたら
運悪くリコール発生したら全く稼げなくなりますぉ
タクシーならまだしも物流を担っているとしたら一大事です
リスク分散は必然でしょう
PCはビジネスシーンに今や不可欠の存在です
ネットの危険が無視できない現在社会では
そこで寡占が進展していることの社会的リスクは重大事です
余程、腰を入れて考えなくてはならないと事項だと思いますぉ、わわわわわ 飛行機も同じかも
久しく、ボーイングしか使ってこなかった日航が
エアバスを導入するとか。
リスク分散は必要だ。 書籍の内容そのまま丸写しはこんな掲示板であっても
著者または版元から著作権侵害・無断転載で告訴される場合がありますよ
引用 【法第32条】 など、一部の例外はありますけど 日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの
子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢
を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の
厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこ
れを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法
は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を
排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚す
るのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持
しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に
除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、
全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有するこ
とを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないので
あつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を
維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを
誓ふ。 >>347
爺は自分のリスクに備えてるのか?
σ< ワロタ、氏にそうですぉ 助けてくれぉ
などとここへカキコしても誰もどうしようもできない σ < ワロタ
(V) OSは即時付け替え可能
|| OSは付け替えできる準備があっても
己の体は他と付け替え不可じゃん
σ< ワロタ、氏にそうですぉ 助けてくれぉ
な事態に備えてるのか? σ < ワロタ
(V) おさらばなら問題解消
|| その中間も対して変わらない
すべて100%用意とは現在の価値観で生きること
そこから腐敗が始まる、ホッホホホ
その時々の出来ることで生きればよい
出来なければTHE END だからそれはそれでよいwww をいをい、それでいいのかよ
爺は良くても周囲は困惑するぞ
腐っても爺ってか σ < ワロタ
(V) 能力者でないから
|| 後は知らんがな、ホッホホホ ◆志位委員長がメッセージ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-01-25/2011012503_02_1.html
幸徳秋水が大逆事件で刑死して百年を迎えるにあたり、墓前祭へのごあいさ
つを申し上げます。
幸徳秋水は、日本における社会進歩の運動のさきがけの一人でもあります。
師である中江兆民の自由民権論を継承・発展させ社会主義へすすみ、『廿世紀
之怪物帝国主義』『社会主義神髄』などの啓蒙(けいもう)書を著し、マルク
ス、エンゲルスの『共産党宣言』を初めて翻訳し、紹介に貢献しました。
また、日露戦争時に、幸徳秋水が堺利彦らと「平民新聞」を創刊し、日本と
ロシアの人民はともにこの戦争に反対し両国の専制政府とたたかおうと、反戦
闘争の先頭に立って「非戦」の論陣を張ったことは、わが国の近代史に特筆す
べきことでした。
反戦平和が世界の大きな潮流となっている今日、幸徳秋水の反戦の活動は、
歴史のなかで新たな輝きをまし、私たちの反戦平和のたたかいを力強く励ます
ものとなっています。
2011年1月24日
日本共産党幹部会
委員長 志位和夫 σ < ワロタ
(V) マイクロソフトはOSサポートをWindows 10 一つに集約したいのだろうが
|| 努力の甲斐があってその理想に近づけたとたんに
セキュリティとバグフィックの二つの視点から
リスクが分散されずに集中して覆いかぶさるになってしまう
寡占の市場スタイルはセキュリティに対しては脆弱である
このどんでん返しを理解できないとしたら
知的とは言いかねますなwww お前がLinux使ってりゃ良いだけw
馬鹿がマイクロソフトと朝鮮人の心配しなくてよろしいw σ < 南米大陸に栄えた文明はスペインから来た僅かな侵略者の前に滅亡した
(V)
|| 無邪気な反戦が生活の場を地獄の場に一変するどんでん返しを理解できなければ
愚かと言うしかない >>345
IPは仮想上におもちゃとしてインストールしてるだけだし
アップデートすらできないアホが居るから言っただけ
BIOSはマイクロソフトとは無関係
馬鹿お疲れw σ < ワロタ
(V) テーノーとしか言いようのない
|| 実存の避けることの出来ない価値転換の様相を洞察できないおバカ >実存の避けることの出来ない価値転換の様相を洞察
いつもの屁理屈w マイクロソフトが10一本に集約しようとしても
個人で別なOS使えば良いだけの話
マイクロソフトに頼り切ってるから
余計な心配が必要w σ < ワロタ
(V) ま、テーノーではどうしょうもないフィールドなので諦めろwww
|| VZエディタに頼り切りでリスク分散出来てないから
Windowsから離れられないマヌケがリスク分散を語るw アップデートの度に環境破壊される事を繰り返すノウタリンwww >どうしょうもないフィールドなので諦めろwww
プロキシサーバーだのスクリプトだの
シッタカしたがる76歳(ネトウヨ)がw 仮にマイクロソフトが別にOS出したとしても
買う金持ってない木下(76歳、ネトウヨ)
ま、貧乏人ではどうしょうもないフィールドなので諦めろwww σ < 幸せはどこにでもあるさ
(V) おまいらのようなもののために用意されている
|| 触れないフィールドの代わりに楽しめ あぁ中古のポンコツにLinux入れて動いた時の勝利感ね
貧乏人は大変だなw VZエディタがないから完全移行できない癖になぁwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています