只でさえまだまだの日本の心理学や臨床心理学なのに、それをちょっと引いてきては噴飯ものだよ
日常生活でも意見の相違を口に出して論じる西欧諸国と相違をやたらと前面に押し出すことはしない日本社会では、人間の精神構造が違っている
それを西欧発祥の学問を翻訳しただけではどうにもならんだろう
内在するものの対処化の仕方さえ異なっているのだ

現在の韓国人を見れば意見の相違を直ぐ口に出すのは西欧諸国と似ているけど、西欧諸国では論理に沿うことへの脅迫が裏にあるのに、韓国ではまた違った激情が論筋を支配する

つまり、その辺のことをきちんと相対化しなくてはアホな思考に自らを導くことになる