<日本政府にとって触れられたくない不都合な真実>

1871年に台湾に漂着した宮古島の島民54人が台湾の先住民族の生蕃に殺害された後、日本政府は「自国民保護」という名目で、3年後の1874年に台湾に派兵している。
その後、日本と清国(現在の中国)の間で琉球諸島の帰属問題が話し合われることになり、日清交渉が始まった。
そして、1880年4月17日に日本政府は清国に対して琉球諸島の一部である八重山諸島と宮古諸島のいわゆる先島諸島を清国に割譲することを閣議決定している。
その見返りとして日本政府は欧米諸国同様の通商権を清国から獲得する旨を清国側に提案した。
日本政府が清国に提案した先島分割案(琉球分島案)は日清両国で合意に達したが、清国側が批准しなかったので、発効しなかった。
この合意が実現していれば、先島諸島の宮古、八重山(もちろん尖閣諸島も含まれる)の土地と住民は、清国の管轄下に置かれることになったのは言うまでもない。
1879年の琉球処分が国家統合、あるいは日本の民族統合だったという日本政府の主張が欺瞞だったことはこの歴史的事実が証明している。
「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張する日本政府にとって、商業権益の引き換えとして、その尖閣諸島が含まれる八重山諸島と宮古諸島の先島諸島一帯を清国に割譲することを1880年4月17日に閣議決定した歴史的事実は、まさに触れられたくない不都合な真実である。
この歴史的事実を指摘されたら安倍内閣の閣僚は誰一人、反論できない。