5月、実穂さんは捜索に専念するため医療事務の仕事を辞めた。
建設会社に勤務していた義明さんは震災後1カ月間、休職を許された。
しかし、会社に復帰した頃、同僚の反応が変わっていた。
「仮設住宅っていいな。家賃、かからないんだろ」。
娘の捜索のため、沿岸部でたくさんの塩水をかぶり、
故障しかけた車を買い替えただけなのに
「いいな、車も買えて」と、心ない言葉を受け続けた。

2年間耐えたが、限界が来て転職した。
義明さんはむなしそうに「子どもを亡くしただけじゃないんだよね。
被災者は。地元の人の方が冷たかった」。

今もなお、愛娘の捜索を続ける鈴木夫妻。
今年2月、石巻市教委に対し、捜索活動の中で地中探査レーダーの導入を要望した。
義明さんは「硫黄島での遺骨探査にも使っていると聞く。
これまで有効的な具体策を何も打ち出してこなかった市教委に、
本気度を見せてもらいたい」と訴えた。

まさか平成が終わろうとしている今の今までかかるとは。
実穂さんは「『津波が来たら泳ぎ切る』と言うぐらい強気な子だった。
ハワイ沖ぐらいまで泳いでいったんでねえか」。
義明さんは「宇宙人に助けられてどこかの星で暮らしてるのかな…」。
そう思うしかなかった。