マッカーサー「アイシャルリターン(敵前逃亡)」 [転載禁止]©2ch.net
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アメリカ軍の直近の元参謀総長が、初戦で捕虜になったら士気が下がっ
ちゃうだろ。 実際にマッカーサーが帰ってきたとき、フィリピンには40万の日本軍がいたが
マッカーサーの名将ぶりにあっという間に無力化して撃滅
オルモック強襲上陸などの奇策でレイテでは8万の日本軍が
何らアメリカに損害を与えることなく壊滅。
ルソンでは28万の日本軍が17万のマッカーサーになすすべなく敗北
結局日本軍は33万人が死亡、米軍の損害たった1万というありえない惨敗
こんな一方的敗北は第二次大戦ひろしといえど、ほかにはないだろう。 それマッカッサーじゃなくても似たように勝てたんじゃね? 41年の日本軍フィリピン上陸部隊は34,000で迎え撃つ米軍側は150,000以上の圧倒的兵力だった
が…マッカーサーはボートで逃亡w
取り残された将兵は3ヶ月間戦い続け、日本軍の戦死4,100に対し米軍側26,000に捕虜83,000
(足りない分は武器を放り出して逃亡したフィリピン兵)
本当に軍事に才能があるなら圧倒的兵力差の日本軍を海に追い落としてるw 日本軍の補給や食料、水、弾薬は果てて病し死者や餓死だらけだったのは考慮に入れない点 マニラの戦いとかいうアメリカの無差別攻撃で現地民ばっかり死んどる戦い >>6
沖縄戦や、硫黄島のグダグダ見るととてもそうは思えないが。 >>7
日本軍のフィリピン上陸戦は総勢120000ぐらい。
マッカーサーは帳簿上は130000の軍を持ってたが、ほとんどが現地の新兵で、実際に使えるのは31000くらいだよな。
これでミッドウェーの直前まで粘ったから、マッカーサーの戦略眼は適切だったな。 >>8
マッカーサーが堅固陣地に突撃をするような猪突将じゃなく
巧みな上陸戦と防御構築で敵の補給を絶ってスマートに戦う名将であることを考慮に入れないとな。 >>9
マニラ失陥が軍のメンツに関わるからと民間人を巻き込んで虐殺しまくった日本軍と対比すると
マッカーサーがマニラを早々と無防備都市宣言して民間人を巻き込むのを防ぐ優しい将軍だったことが際立つな。 マッカーサーは、第一次大戦で最初に戦闘した米軍部隊に居た。マッカーサー
の指揮は敵の弱点を突くことに徹してる。第一次大戦の教訓を、一番理解して
いた将官と言うべきだろう。 >>11
日本軍は上陸初期で2個師団1個旅団で34,000、二月に1個師団2個支隊が増援
計43,000だけ
米駐留軍は31,500にフィリピン兵を含め152,000以上で圧倒的に多い兵力を持ってた
上陸部隊がこんなに劣勢なら、指揮がよっぽとヘボじゃない限り日本軍は負けてる 上陸側は三倍の兵力が必要なのが一般的なのに、防御側が五倍以上だったのに逃げ出すとかw
後年の戦いがいかにマッカーサー以外の能力だったかを示してるな 間抜けだから仕方ない。
せめて逃げる時に食料は置いていってやるべきだわ。 帰還命令に従い脱出→>>1の基準では敵前逃亡扱い
何故なのか 部下を見殺しにして
決まりが悪いので
日本が悪いことにしとこう。 もし捕虜にできてたら、そこで講和だったかな?
武士道的には、まさか逃げるとは思ってなかっただろ。 >>24
すまんが、どういう理屈でそういう考えが出てきたかわからない
説明を求む。 日本陸海軍がてんでばらばらで大東亜戦争戦っていたと言われるけど、映画マッカーサー見ていたら、アメリカの方が
そのデタラメさのスケールがでかすぎる。
米陸海軍が二方面から平行して進撃するのがおかしいと前から思っていたが、
実のところは、台湾を目指して日本勢力を南北分断する主作戦を取るつもりのルーズベルトとニミッツは
マッカーサーの南太平洋戦線での戦いを全く意味のない無駄なものとみていたんだな
フィリピンに固執して駄駄をこねてるデカい子供に仕方がないから遊びを許しているという感じで 最新ミリタリー関連記事.
http://yamatotakeru999.jp/index.html
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★第7艦隊 南支那海 中国人工島12海里へ進む
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← あなたはどっち優先? →
←兵器優先 生活優先→
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時代遅れバイバイw 火星人と交流スタート!
ウヨク
KC46Aは米軍機への給油可能。1機208億円。来年度予算案に1〜2機を計上。
政府が「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」の候補地である沖縄県本部町に、大型港を検討。米空母が入港可能になる。
サヨク
都内をデモ行進!時給1500円を要望!「海外並みの引き上げを」。中道左派政権は増税を検討中、スウェーデンの富裕層は世界最高水準の税率に。
金持ちからカネを搾り取るのは理にかなっている。格差の時代に変えたのは竹中平蔵=新自由主義
シールズ・山本太郎
安倍は国会前でシールズの学生デモが盛り上がれば盛り上がるほど「燃えるんだよね」と周囲に語っている。SNSI「1557」
マイトレーヤ「国民の意志を裏切ると、極端な場合、自殺や殺人にまでつながる。」si5n7k/04zpzf/bf1tqd
民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。 mai_03_01.html
火星人は生活優先
マイトレーヤ「株式暴落の後における政府の第一の義務は、人々を正しい食物で養うことである。そして最後に防衛である。
暴落は優先されるべき物事の順序の再検討につながるだろう」magazines/si5n7k/04zpzf/bf1tqd
それが最終的な暴落であることがはっきりするや否や、マイトレーヤは出現するでしょう。ahjzfl-1/pzytyf/u4t847
マイトレーヤが公に世界に現れるにつれて、UFOがとてつもない数で姿を表すでしょう。si5n7k/kxz1kf/xchu67
メドヴェージェフ『世界が地球外生命体の実在の真相を知る時がきた。アメリカが公式に認めないなら、クレムリンは独自に情報公開する予定だ』
https://www.youtube.com/watch?v=gAE5665i3lQ >>27
アイゼンハワーも欧州で同じ事やってるが、同じ力で押す戦線を二つ作って、
押し切るのが唯一の負けない戦略だそうだ。 >>27
でもマッカーサーと第7艦隊はしっかり協力してるんじゃないか?
ニミッツ方面は陸軍がさっぱりで海兵隊ばかりだけど。 バターン行軍の元捕虜で頻繁にメディア出てた人で今は大企業の幹部の人、名前は忘れたけど、自伝で要塞に逃げ込むまでの過程でフィリピン人を
「現地人なんか敵か味方かなんてわかんないから片っ端から掃討して移動した」とか、被害者ヅラしながらサラっととんでもないこと言ってた人がいたはずだが。 ソロモンからニューギニア、
ビアク島からペリリュー、アンガウル、
実は米軍の損害を少なくするために、
オーストラリア軍を弾丸除け代わりに使って、
実は三万人以上を戦死させているwww オーストラリア軍の戦死は8000人じゃね?
日本軍の収容所で1万人死んでるけど ビルマ方面だと労働に駆り出されてた連合軍将兵が何千人も連合軍の爆撃で死んでる
現地で爆撃跡調べたら爆弾の部品に使われてた米製のラジオが出てきて日本軍か捕虜が
使ってた物と勘違いされたりした 何千人はない。ていうかほとんどない。
労働で死んだ捕虜のほとんどはマラリアやチフスや赤痢だぞ ξ _ ヽ
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/ / マッカーサーはハワイでのルーズベルトとニミッツとの会談で
ニミッツのやり方では硫黄島や沖縄で大損害を被ると予言してその通りになった。
フィリピンは合理的な目標だったが、日本軍も大軍で防備を固めていたため
ルーズベルトは損害が大きくなると予測しマッカーサーに問いただしたが
マッカーサーが現代的戦法で損害を少なくすることを説き、ルーズベルトは納得した。
結果、マッカーサーの言う通りにアメリカの損害がほとんどなくフィリピンの日本軍は壊滅した。 スティルウェル辺りと比べると
マッカーサーの方が遥かに名将なのがわかる。 マッカーサーは面積の大きい島を選んで上陸、日本軍の守備を分散させ破った。
ニミッツは小さい島ばかり選んで上陸、日本軍の土木技術と補給力が低くても
準備が進む場合があり、そういう時は大損害を受けた。マッカーサーの方が、
日本の大軍を集めて破り、日本本土の防衛戦力を減らしてるから優秀だな。 ニューギニア戦の損害
日本軍18万人、アメリカ軍4000人、オーストラリア軍8000人。もはや論外のレベル。
マッカーサーは優秀。 ニミッツ・ルートは海兵隊が正面攻撃ばかりしていたから損害も大きい。
硫黄島なんて、死傷者数として数えれば日本軍より多い。
それに比べると、マッカーサーは、無力化して死兵になった日本軍は
ほっとらかしにしておいたからね。 フィリピン戦の損害
日本軍33万人、アメリカ軍1万6000人。正に論外、マッカーサーは優秀。 こなったのも「栗田艦隊が悪かった」のです…
オーストラリアに逃げていく魚雷艇を見逃したのも悪かったかもしれんが(>_<) >>44
これに対抗できるのは、スリムぐらいだよな。
海兵隊の面々は論外。 >>42
マッカーサーはビアク島のような小さな島も上陸しているぞ。
ここではマッカーサーの米軍さえ、戦死471人と大きな損害を出している。
一方日本軍の死者は… American casualties were also high. Ground combat losses for the Sixth and Eighth
Armies were almost 47,000, some 10,380 killed and 36,550 wounded. Non-battle casualties
were even heavier. From 9 January through 30 June 1945, the Sixth Army on Luzon
suffered 93,422 non-combat casualties, including 260 deaths, most of them from disease.
The Battle Of Luzon Compared With Other Battles Of World War II
http://6thinfantry.com/6thinfantry/the-battle-of-luzon-compared-with-other-battles-of-world-war-ii/
>the Sixth Army on Luzon suffered 93,422 non-combat casualties,
一つの例外をのぞき、ルソン島で第六軍の麾下部隊となった全師団は、少なくとも以前に一度、
作戦に投入されたことがあり、それら師団の大半は二度、戦闘を経験した。六個師団全将兵の
三分の一にも達する隊員が、三年間も海外に派遣されたままであった。これらの隊員は疲れ、
戦いにうんでいたが、休息したり、気力体力を回復するための時間をあたえられていなかった。
補充部隊の到着は遅々としており、またその員数が欠員をうめるには非常に足りなかったので、
第六軍は非戦闘員の死傷により生じた定員不足は、うめることができなかった。
「ドキュメント神風 下」(デニス・ウォーナー ベギー・ウォーナー 妹尾作太男 徳間文庫) >>49
ビアク島は沖縄よりデカいよ。サイパン島の10倍、グアム島の4倍の大きさだ。 >>39
その時点で沖縄が議題に上がっていたのかな、台湾が目的地であって
直前に沖縄の方が小さくて攻略しやすいので変更したと思っていたのだが 台湾はフィリピンと競合、フィリピンの方が合理的な目標だったからそちらに変更された。
沖縄や硫黄島は既に規定路線だった。 マッカーサーは軍人として最優秀だよ。ボロ負けした旧軍側は認めたくないし、
朝鮮戦争で正しい主張をしたせいでアメリカの左翼、占領政策に不満の日本の
左翼に嫌われてるだけ。 フィリピン大統領ケソンから50万ドルを巻き上げ、他の米軍の将軍たちからは嫌われた。 >>55
マッカーサーは、現地のしきたりを尊重できる人間なのさ。 悪の大日本帝国を解体したGHQ総司令マッカーサー様は神、日本の恩人として神社を建てて祀るべし ノルマンディー上陸も、マッカーサーが指揮していたら多正面同時上陸をやって
もっと早くドイツを破っただろう。 >>58
ノルマンディー上陸は、マーシャル参謀総長の構想にルーズベルト大統領と
チャーチル首相が同意したもので、マッカーサーと同格の戦域司令官である
アイゼンハワーは、その単なる現場監督にすぎません。 >>59
上陸後の戦略でもアイクは広域多正面戦略であって
マックは弱点攻撃だからスタイルは違う。 まあビアク・マリアナ沖と同時に遂行してしまうというのはたしかにすごいけどな。
空母や航空機の数の不足よりも、その後の補給に必要な輸送船の数が足りるかという試金石にはなったけど。
でも太平洋方面と大西洋方面の防御・反攻での重大局面のタイミングの一致ぶりを見る感じ、米軍としては意図してそういう形になるリソース配分をおこなっていたということだと思う。 >>61
マッカーサー軍には、かなりのオーストラリア軍もいたから、アメリカだけの
意思とは限らない。
特にニューギニア戦の前半は、オーストラリア軍が主力。
マッカーサーがあまり犠牲を出さない戦略を採ったのも、
兵站基地でもあるオーストラリアに配慮しなければならないからという面もあった。 アイゼンハワーだからモントゴメリーとも何とかうまくやっていけたが、マッカーサーだったらすぐに喧嘩しそうだな。
パットンとかとも衝突しそうだし。 >>56
これ
ケソンは亡命中になくなって、マッカーサーを悲しませたが
今でもフィリピンの英雄だな。
しかしこれだけフィリピンに愛されたマッカーサーも、厚木に飛んで以後はフィリピンにいってないのな… >>62
ニューギニアの損害の少なさはほんとにすごいよな。
日本軍の手記を見ても、ほとんど戦闘がない。
ただただ餓え、病死していくだけ。 だって、太平洋戦争当時にラバウルにいた日本軍の数は、
陸海軍合計して、当時のオーストラリアの全人口の1%もいた。
というか、それしかオーストラリアの人口はいなかった。
そのオーストラリアから兵力を借りているんだから、
マッカーサーは海兵隊みたいな戦い方は出来ないよ。 何でニューギニアなんかに行ったんだ、オーストラリア北部に直接上陸した方
がインフラが整ってて行動しやすかったんじゃないか。 マッカーサー アイシャルリターン
ターミネーター アイルビーバック
メリッシュ アパム 弾持ってこい マッカーサーがノルマンディー上陸を指揮していたら、カレーとノルマンディー
の間にも上陸して、ドイツ軍を早期に壊滅させてた。マーケットガーデン作戦も
バルジの戦いも、やらなくて済んだだろう。 マッカーサーがマニラ陥落と同時に死ぬゲームもあるわけで… >>71
欧州方面の最高司令官が押しが強いマッカーサーだと、
戦後秩序構想がない、当時の米陸軍の戦争観の限界を、
最悪の形で露呈する結果になりそうだけどね
米は大英帝国に背乗りされている形が丁度いいのよ >>72
捕まえるか逃げるとこで戦死してたら、日本軍が来た時に「アギナルドが日本軍を味方に付けて帰ってきた!」てな人達もいた訳だし、もっと歓迎されて対日協力盛り上がったかも。 マーシャルがチャーチルの希望通り、オーバーロード作戦の最高司令官としてロンドンへ行き、
マッカーサーが後任の参謀総長としてワシントンに復帰する可能性はあったけれども、
ヨーロッパ戦線の最高司令官になる可能性はゼロだったわけで。 >>74
ちなみに死ぬ時は長門か陸奥どちらかの砲撃を直撃して木っ端微塵になってる >>68
補給線が倍に延びるが、皇軍の補給力でどうする? マッカーサーはニミッツと違って前線で督戦するクセがあった。
コレビドールでは捕虜になりかかったし、ホーランジア、レイテ、ルソン、仁川全て前線で督戦したから、上手くやれば狙撃できたが
皇軍はショボ過ぎた。 ヒロヒトが前線に出向いて一騎打ちに臨んだならば、大いに覇気が盛り上がったのにな >>32
ゲリラに悩まされて現地人を女子供含めて機銃掃射して皆殺しにした行軍と比べるとな。
マニラ大虐殺の10万人て凄いわ。それもほとんどが市街戦じゃなくて海軍陸戦の虐殺によるとか >>5
山下の持久戦に引きずり込まれて、終戦まで身動きとれなかったんだけど(笑)
山下の持久戦をバカにするなら、150日も優勢な(実際は米比軍の方が多い)日本軍を足止めしたってマッカーサーの美談を否定することになるんだがバカなマッカーサーはそれに気がつかない
あとフィリピン戦の米軍死傷者+負傷者は10万人超
一緒に戦ったフィリピン軍の損失は多すぎて不明なんだが
>>81
一万の陸戦隊が10万の虐殺とかバカなの?殆どが米軍の流れ弾や砲撃で死んだってアメリカやフィリピン人ですら常識なんだが 今どき、マッカーサー礼賛とかタイムスリップでもしたのかよ
それともマ元帥を大統領にとか提灯行列したジジイか?
妄想とwikiだけでキモい礼賛してないでマンチェスターやシャラーのマッカーサー本読んでこいよ 弾薬も食料もないウェインライトに死守命令出したキチガイだからなこいつ それでもマッカーサーは朝鮮戦争で半島北部を維持するには満州を確保するしかない
日本の方針は間違ってなかったと看破してた
血も涙も無い差別主義者だったが自分が生き残るのに必要な判断はできる男だった >>71
ノルマンディやバルジよりもマッカーサーが被ったフィリピンでの人的損失が遥かにデカかったんだが
フィリピンの膨大な死傷にビビったルーズベルトがヤルタでスターリンに譲歩しまくって参戦を頼み込んだのが歴史的事実
>>79
マッカーサーの逃げ足が早いだけだろ
がっぷり四つで戦った沖縄戦司令のバックナーはしっかり討ち取ったし
スプルーアンスも二回も旗艦を特攻で大破させてるから、陸海軍司令両方の首を討ち取れるとこだった >>85
マッカーサーが自伝に日米戦の最中に「対ソ支援物資」を積んだ船団が
津軽海峡を通ってウラジオに行くのを日本軍が臨検もしないのは幸運と
いうか理解できなかったと言ってる。
船団は各船ともソ連の旗を立てているので日ソ中立条約を律儀に守るのは
分かるが臨検すれば条約違反の支援物資を積んでるのは明らかだった。
よほどソ連を刺激したくなかったのだろうが、そのおかげでソ連に渡った
軍事物資が朝鮮戦争で我々に返ってくる皮肉な運命になったと言ってる。 マッカーサーは50才のときに15才の踊り子をセフレにしたガチのロリコンです
そのあとセフレに脅されて30000ドル現在で言えば5000万円くらいを脅し取られてる 牟田口は兵士達が苦闘している間、芸者をあげてドンチャン騒ぎなんだからまぁいいだろ >>65
ケソンはマッカーサーを見限ってアイクに言い値で給料払うからフィリピンに残ってくれと泣きついたが、マッカーサーにうんざりしてたアイクはフィリピンから逃げた
でも日本軍にバターンにマッカーサーと一緒に追い込まれると、フィリピンの国庫からマッカーサーの口座に賄賂として50万ドル振り込んで、一緒に逃がしてもらった
マッカーサーもケソンの同じ穴のムジナのクズ 補給途絶えた日本軍を10ヶ月かかっても殲滅できなかった
マッカーサーが名将なら
同じように補給は途絶えながら、兵員数では3倍以上の
米比軍を150日で殲滅した本間中将は神将だよね
しっかしマッカーサー信者の理屈はガバガバで愉快だなぁw >>87
国際法を知らないんだと思うが公海上で国籍を明らかにする非交戦国の船舶を
臨検するのは戦争行為と同じなんだが…
法を守ってる側を馬鹿にするのは特定な亜の国の慣習らしい マッカーサーは最初の妻ルイスからチンチンが小さくてセックスが下手と罵られそれがトラウマになった
これ豆知識な >>91
マッカーサーは、殲滅する必要が無いからしなかっただけさ。 昔の軍板ならマッカーサーと言えば女装かマザコンが真っ先に出てきたもんだが
低能キルレシオ廚が名将()とかw人入れ替わりすぎだろ >>91
主力が日本兵かフィリピン兵かの違いだな。差別的な発言ではあるが。 >>82
はあ?
さっさと放置されてフィリピン進行をとめなれなかった安達はどうなんよ?
無力化されてフィリピンゲリラに相当されるようになった時点で山下は終わりだぞ?
無駄に50万人の兵を殺した愚将山下。 >>86
アホ?
バルジの戦いの戦死20000。
フィリピンの戦いの戦死12000。 >>90
どうケチつけてもケソンもマッカーサーも皇軍の圧政からフィリピンを解放した英雄だかな。
そりゃ、皇軍が現地人に嫌われてフィリピンゲリラに虐殺されたのは絶対認めたくないんだろうが。
いくら妄想でイチャモンつけても現実は変わらんぞ? >>95
ニューギニアでも安達を放置してフィリピンに行ってしまう。
「あとはジャングルが始末してくれる。」 >>100
英語wikiベース
バルジ
19,000 killed,
47,500 wounded,
23,000 captured or missing
フィリピン
米軍
Army: 16,043 dead and missing,
55,531 wounded
Navy: 7,270+ dead and wounded
Tens of thousands hospitalized due to disease
フィリピン軍
Unknown, but high
どうみてもフィリピン戦の人的損失が多いです
ありがとうございました。 >>98
フィリピン兵の大部分は緊急召集された予備役なのも追加で。
1941年の12月に召集されて、録な装備もなく同月下旬には実戦とか。
ほとんど素人だよな。 >>101
その虐殺されたフィリピンゲリラもマッカーサーの指揮下で戦ったようなもんだよな
虐殺した日本兵はマッカーサーの戦果で、反撃で日本軍に討伐されたら
マッカーサーの責任じゃないとか、マッカーサー信者の脳みそは都合よくできすぎだろ >>104
マッカーサーとアイゼンハワーが二人がかりで6年間も
軍備増強と訓練していたという事実は無視かよおいw >>103
1941年以後の戦いも入れるなら別だわな。たくさんの戦いの集合でフィリピン戦線になるからな。
バルジと並ぶのはレイテ
フィリピンの戦線は西部戦線と同じ。
そう考えるとマッカーサー軍の損害はマジ少ない。 >>102
それはマッカーサーのおかげじゃなくて
ニミッツの海軍とジャングルのおかげだろ
同じく補給ないから惨敗したバターン戦はマッカーサーの偉大な功績で
補給無く自滅した日本軍への勝利もマッカーサーの偉大な功績とか
都合よすぎだなおいw >>106
その訓練は不十分だったってこと。
マッカーサーもアイクも平和ボケしてた。
一方皇軍は中国での実戦経験豊富な精鋭ばかりだった。
まあ訓練と実戦を経験したマッカーサー米軍は皇軍の精鋭をキルレート20で圧倒したが。 >>109
海軍でもキンケードの第七艦隊じゃね?
ハルゼーとも仲良かったし。
ニミッツも終盤にはマッカーサーと仲良くなった。 補給をたったのは、第5空軍とオーストラリア空軍の貢献も大きいな。
インパールで皇軍の補給が絶たれたのも空軍の力だったし。 >>107
>>103は1944年10月以降の人的損害だよ
ちなみに1941年のフィリピンの戦いは
25,000 killed
21,000 wounded
100,000 captured
とバルジどころではない人的損害
トータルなら、バルジの数倍だな
>>108
米軍も砲爆撃で大量にフィリピンの民間人殺してますけど
ついでにマッカーサーの親父は米比戦争で40万人〜100万人殺してる >>111
第七艦隊は潜水艦も空母も持ちませんが
旧式戦艦と巡洋艦の戦闘艦だけ
ニミッツとマッカーサーはフィリピンか台湾かでもめてるよ
最後はルーズベルトのとりなしでニミッツが折れただけ
キンケイドとハルゼーの仲は最悪だった
>>112
インパールの何が関係あるの? >>110
キルレートと言っても藤原彰の餓死した英霊たちによれば
フィリピン戦の餓死・病死率は80%
日本軍のフィリピン戦の戦没者が40万とすれば戦闘で死んだのは8万人
餓死・病死はマッカーサーの采配()のおかげじゃないから
戦闘でのキルレート()なんてフィリピン軍やゲリラ入れたら
マッカーサー軍の方が負けてるんじゃね? >>109
それ言い出したら統合作戦を否定しないといけませんな 平成のご時世にこれだけ熱いマッカーサー愛を持った奴がいるとは(絶句) >>115
マッカーサーの戦略はフィリピンの主要な島を手中に入れれば目的は達成。
フィリピンに多数の航空基地を持って東南アジアと日本本土の間の海上交通線を遮断すれば
日本は干上がるという考えで事実その通りになったじゃん。
ロクな装備も食料も持たず山奥に逃げた日本兵など何の脅威にもならん。
テキトーに相手しとけ、放っておけば餓死するってのも当初の作戦の内だから。 >>118
ろくな食糧も持たない部下に死守命令を出した愉快な司令官がいてなぁw >>118
それは台湾攻略すりゃ十分だったよな
そしたらフィリピンゲリラや正規軍数十万も無駄死にすることはなかった >>119
ルメイが平成に叙勲されたとは初耳だな
軍板に来ると賢くなれるわ
明日学校で自慢してくる >>122
昭和なら良くて平成ならダメなのかw
で学校ってw >>121
アホか?
台湾は広すぎるから損失は予想できない。
フィリピンなら群島の中で有力な島を押さえればいいだけだし
米側に協力する現地人多数がいて有利な状況。
だから台湾は素通りして放置プレイで充分だった。
事実、日本側もフィリピン押さえられたらお終いだ、という事が
よく理解していたから連合艦隊も全滅覚悟でレイテに送ったし
神風特攻隊も生まれた。フィリピンが天王山だったんだよ。 アメリカの参謀本部や海軍が台湾攻略を決めてたのをマッカーサーが約束を守る(翻訳:利権を取り返す)為にルーズベルトにごねて作戦曲げたって事実も知らない軍板住人がいるとは衝撃だな 台湾攻略はキングの鶴の一声でニミッツもキングには逆らえないからそうなっただけで
逆にキングは台湾を攻略する場合の兵力や補給の不足をマッカーサーから指摘され自信家の
キングでさえマッカーサーに説得されたんだよ。
個人的にフィリピンを取りたいのは当然あったがな。 日本軍が、もっと大兵力をフィリピンに送り込んでたら、フィリピンは放置で
台湾進攻だったろう。 >>127
どうしても台湾に行きたがってるようだが最後の一兵まで降伏しない日本軍を
一番よく知っていたのはマッカーサーで、台湾を攻めた場合の損害は途方もない
数の米兵を失うと分かっていたから自説を貫いたのでこれは正論。
当時の台湾人(思想的にも日本人)が日本軍と共に玉砕するまで戦ったら米軍は
膨大な兵力と日数を費やすのは明らか。しかも背後にフィリピンは手つかずで
放置な訳だから少なからず脅威にもなるので、そんな無謀な戦いはしないわ。 そもそもアメリカ海軍の中でさえ、台湾攻略を主張していたのは
キングだけだろ。
ニミッツ以下の太平洋艦隊幹部は台湾攻略に乗り気ではなかった。 は?マッカーサー信者は歴史をクリエイト(笑)するのか?ww
何がキングただ一人でニミッツが嫌々とかwwwwww
ここまで調べもせずに妄想垂れ流せるなんてある意味尊敬するわ
俺が優しく教えてやるから感謝しろよ
1944年6月12日に統合参謀本部(リーヒ)が台湾攻略し、戦争早期終結を指示
海軍はキング、ニミッツ、スプルーアンスとも賛成、しかしハルゼーだけがフィリピン攻略主張
陸軍航空隊ヘンリー・アーノルドも台湾にB-29が配置できると賛成
陸軍長官スティムソン、陸軍参謀総長マーシャルも賛成、マッカーサーはマーシャルに文句言うが、
6月24に統合参謀本部のいう事を聞けと返事
マッカーサーがあまりに強硬なので、ルーズベルトは7月21日両方の意見を聞く事とし、フィリピン派代表
マッカーサー(といっても主要なのは1人)台湾派代表ニミッツを真珠湾に呼びつけ、二人はルーズベルトとリーヒの前で説明
その場でも結論がでなかったが、腹黒いマッカ―サーは自分の国民的人気を武器に、フィリピンの捕虜らを
解放しないとルーズベルトの再選に響くと、政治的脅しをかける。
ルーズベルトの方針はこれでも固まらず9月11日までは台湾、フィリピンどちらの命令も出なかった為
業を煮やしたニミッツが統合参謀本部にどっとでもいいから早く決めろと督促
それで、ケベック会談の前にルーズベルトの意向を反映しつつ、タマムシ色の解決となる
マッカーサーがミンダナオを攻略後に、レイテも攻略、日本軍多数が待ち構えるルソンを回避して
台湾に向かう作戦案を決定
その後9月13日、フィリピンを空襲した第三艦隊ハルゼーが日本軍の抵抗は少ないと報告
これでニミッツが初めて折れて、この後ようやくフィリピン戦が優先されるようになるんだが マッカーサー信者って、なんでもマッカーサーのおかげってことにしないと死ぬ病気にでもかかってるの?
キングがマッカーサーに説得されたとか初めて聞いたわ あと台湾が広すぎるとかアホ言ってるけど
台湾の面積35,980 km2
フィリピン全土で299,404 km2
ルソンだけでも104,700 km2だw
次いでいうならミンダナオ島は97,530 km2
>台湾は広すぎるから損失は予想できない。
>フィリピンなら群島の中で有力な島を押さえればいいだけだし
どうやったらこんな狂ったレスができるのか知りたい
これが戦中世代のGHQの洗脳ってやつなのか
>逆にキングは台湾を攻略する場合の兵力や補給の不足
台湾の第10方面軍は総兵員数で12万人なんですけど
フィリピンの第14軍は何人いたと思ってるの?
マッカーサー愛は判ったけど、少しは調べてからレスしようね ルソンより台湾が広いとか思っててまともに社会生活が営んでこれたのかよ
マッカーサー以前の問題でしょこれは >>128
でもマッカーサーはもしかしたら第14軍より第10方面軍の戦闘力が10倍と判断していた可能性が微レ存
マッカーサーの伝記で翻訳出てる本は殆ど持ってるから
マッカーサーが台湾を攻めたら大損害()を被ると言ったと書いてるソースを教えてくれよ
検証して間違いだったら謝るから >>130
???
1944年1月27日、28日に真珠湾で開かれたニミッツ司令部とマッカーサー司令部の会議で、
ニミッツとシャーマンがサザーランドに説得されてマッカーサーのフィリピン攻略路線に同意してしまい、
キングに手紙で叱責されているんだが。 マッカーサーをここまで盲信できるとはこりゃ宗教だね >>135
そら知らんかったな
でも真珠湾ではルーズベルトに対してニミッツは台湾攻略優先を説明してるよ バカじゃねーかこの天皇教信者は?
作戦が多数決で決まるとでも思ってんのか
なんかTVゲームの信長とか提督とかやっているつもりで計算しているんだろうけど
結果的に見ればフィリピンを攻めたほうが、米軍施設も抗日ゲリラも有効活用できるんだし
作戦としては上出来だったんだが
ほとんど反日の要素の無い台湾を一から攻めても、米軍部隊が孤立するだけだろーが しかも面積の狭い台湾から攻めろってw
それじゃあ袋のネズミだっつうのw フィリピンでも台湾でも、日本軍の輸送力と工兵能力からみて要塞化は不可能
だから、どっちでも楽勝だったよ。 >>140
天皇教信者とかw多数決とかw史実から眼を背けるなよ、それにマッカーサーと昭和天皇は仲良かったのに、なんでマッカーサー叩いたら天皇教になるんだ?まったく意味がわからんが
台湾を優先しようと言ってたのはマッカーサーの一応は上官や上部組織にあたる連中だよ。
お前の珍説だったら、レーダーやマーシャルも提督の決断や艦これでもしてたのか?
あと、面積狭くて敵が少ない方から攻めるのが楽に決まってるだろ?50万人と15万人だぜ?
>>135さんの指摘があったから、よく調べたらニミッツは迷ってたみたいで、ルーズベルトとの会見ではミンダナオ攻略優先はやむ無し(但しルソンは回避)という意見には同意したとあったわ
どうせ指摘するならこんなまともな指摘を頼むよマッカーサーカルト >>143
天皇教信者のヒロヒトカルトが必死こいてw
マッカーサーと昭和天皇が仲良かっただってwバカスw
ヒロヒトはマッカーサー閣下の下僕にしかすぎないんだが
なにしろヒロは日本国民を裏切ってアメリカについた売国奴だかんな
そんな奴とマッカーサー閣下のような世界を日本の抑圧から救った救世主が
対等になろうなんて思うわけないだろが
いいかげん現実見ろよ涙拭けよこのヒロヒトカルトがww >>99
>無駄に50万人の兵を殺した愚将山下。
米軍からみて、ヨーロッパの戦いと太平洋の戦いがどう違うかは、以下の表が示している通り。
The break-down of German and Italian losses against American,
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
1 Includes 3,404,949 disarmed enemy forces.
The break-down of Japanese losses in the Eastern battlefronts,
including China, since Pearl Harbor is as follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Southern Pacific 684,000 69,000 19,806 772,806
Central Pacific 273,000 6,000 17,472 296,472
India-Burma 128,000 38,000 3,097 169,097
China 1,26,000 126,000 1,059 253,059
[sic] [sic]
Aleutians 8,000 1,000 30 9,030
Total 1,219,000 240,000 41,464 1,500,464
Biennial Reports of the Chief of Staff of the United States Army
July 1, 1943, to June 30, 1945 to the Secretary of War
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/COS-Biennial/COS-Biennial-3.html マッカーサーの大戦回顧録では、いきなり真珠湾に呼び出されて、台湾かフィリピンかルーズベルト前での会議となったが
フィリピン素通り案を持ってきたニミッツ(キング案)をマッカーサーが論破()しその場でルーズベルトがフィリピン優先を決めたとあるな
大戦回顧録は嘘だらけだが、真珠湾会議の時点ではフィリピン攻略が確定してなかった事だけは確かなんだろう >>71
>マッカーサーがノルマンディー上陸を指揮していたら、カレーとノルマンディー
>の間にも上陸して、ドイツ軍を早期に壊滅させてた。
ナチスドイツを敗北させた戦いは専ら独ソ戦なのだが?
地上に生き残るための戦い
なぜ対戦相手、参戦国、または戦争地域のことを示唆しない、大祖国戦争という名称がロシアで使われているのだろうか。
ロシア人やソ連諸国の人民にとっ て、この戦争は祖国の戦争以外の何物でもなかった。自由と祖国の独立を求めた戦争であり、
生き残るための戦争だった。
ではなぜ頭に大がついているのだろうか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍との戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、
ルーマニア、クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦い
が同レベルの戦いと見なされることを理解できないでいる。ヨーロッパ諸国の多くの歴史教科書では、第二次世界大戦としてこの2つの
戦いが同等に扱われている。
http://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899.html >>27
>マッカーサーの南太平洋戦線での戦いを全く意味のない無駄なものとみていたんだな
>フィリピンに固執して駄駄をこねてるデカい子供に仕方がないから遊びを許しているという感じで
マッカーサーの米陸軍が恥を掻かされたのはフィリピンに他ならないから、当然といえば当然では? >>145
>マッカーサー閣下のような世界を日本の抑圧から救った救世主
朝鮮戦争ではトルーマンの鶴の一声で解任されているが? >>115
>戦闘でのキルレート()なんてフィリピン軍やゲリラ入れたら
>マッカーサー軍の方が負けてるんじゃね?
マッカーサーは米軍の損害を少なくするために、貧しいフィリピン人に金と武器をバラ撒いて日本軍と戦わせた。
数字上のキルレートでは米軍が日本軍を圧倒しているようにみえても、損害にビビって姑息な手を使ってるだけ。 >>7
>>15
>>16
>>18
この辺りが軍板らしい適格なツッコミだが
いつの間にかマッカーサー狂信者に乗っ取られて、軍板らしからぬマンセースレに成り下がった >>44
>>66
それが論外なら
フィリピン戦(1941)の損害
日本軍戦死4000
マッカーサー軍戦死25000捕虜100000
の本間中将は人外だよな
戦いもせずに歩かせただけでバタバタ死んでくれたんだから
マッカーサー狂信者の見えないふり芸は芸術的だ
というかネタでやってんだろ? >>1
現代英語では「shall」は構文で使われるような定型文以外では使われないみたいだな。
「推量」や「意志」の意味では使われなく、「will」を使うことが原則となっているらしい。 I shall Return
でもって戦艦の砲撃で死ぬのが提督3
というか最近の米軍ageって米の工作員がやってるんじゃねーかなと思うこの頃 ションベンしてくるぜ、アイシャルリターン→当時GIでの流行語
兵隊を見棄てて逃げたマッカーサーへの兵隊の評価は低かった
兵隊にとっては大統領の命令があったから(震え声)は言い訳にすらならなかったんだろう 回顧録でのマッカーサーとルーズベルトのやりとりでマッカーサーはルソン攻略で大損害を被るんじゃね?というルーズベルトの質問に
正面からの攻撃は避けるから損害は大したことないと答えてるが、その結果が米軍だけで、死傷者80000人で
あまりの死傷者にルーズベルトはスターリンに参戦のませるためにヤルタで譲歩せざるを得なくなったんだから
ジャップ40万人を駆除したぜ!!キルレシオwwwwじゃ済まないと思うんだけどな という指摘をしたのちにスレを読み返してたら>>39みたいなレスを見て驚いた
マッカーサーの言ってることはほぼ正しく引用してるが損害が殆ど無いとか事実無根もいいとこで
沖縄や硫黄島よりフィリピンの人的損害がでかいし
しかし>>39はマッカーサーの「硫黄島や沖縄の様な島には前身基地として使える利点はない」と言う主張には触れてないが(同じページに書いてるのに)
これほどマッカーサーの無能っぷりを表している言葉があるだろうか?
フィリピン攻略をごり押しした正当化の為にわざと支離滅裂な主張をした可能性もありはするけど マッカーサーのコンプレックスはチンコが小さいこと
一人目の嫁に指摘されて実際に子供もできずマッカーサーは種無しと悩んだが二人目の嫁の時に子供ができた
しかしこいつが出来そこないで自称音楽家のニートになった ヒロヒトカルトの必死だことw
いくらこの連中が貶そうとも、誰の目で見てもわかるようにフィリピン攻略は戦略的に大成功なのにな
ジャップが無い知恵を振り絞って考えたミッドウェー攻略は、偽電文に引っ掛かかって、
ものの見事に大敗北w
まったくの対照的な戦略脳の有無がにじみ出てしまったよなw >>161
マッカーサーのチンコは嫁の人差し指の第一関節までの大きさだったらしいよ
これ豆知識(ry >>54
ネトウヨってなんでかマッカーサー好きだよね
こいつほど日本人をコケにした奴はいないと思うんだが
こいつの証言を曲解して日本軍は自衛戦争をしたと擁護したとか
まるで嫌われてる相手にストーカーしてるキモブタみたいで気持ち悪い 大日本帝国バンザイのネトウヨにマッカーサー好きがいるわけないだろ。
大東亜戦争は自衛戦争だったと主張するときに利用するだけ。 >>146
こういう数字見るとナチのショボさが際立つ
アメリカ軍のたった60個師団に900万人もいて歯が立たなかったとか何かのギャグとしか思えん
それに引き換えフィリピンでイエローモンキー45万人に大苦戦とか、軍人としての能力は
アイク>>>>>>>越えられない壁>>>>>>マッカーサーだよ アメリカに加えてイギリスとかその他諸々混じってるから… だつおさんがきてたのか・・・
なんにしても、このスレでマッカーサーカルトが主張している
マッカーサーは殆ど損害もなく日本軍を打ち破った・・・とかいう妄想は
1941年25,000名 1944年20,000名+フィリピン軍多数
の戦死者にも失礼な話だよな
フィリピン戦線での米軍の人的損失は間違いなく、WW2最大級なんだから 日本の恩人として神に祀る運動のあったマッカーサー様とアイクごときを比べるとはw >>167
フィリピンは主要な戦場となった陸戦でも最大の面積。
それに1941年は増援が到着せず最終的に降伏した戦いだし、1944年上陸時のフィリピンの防衛担当の司令官は山下。牛島あたりとは格が違う相手。 >>167 米軍の人的損失は間違いなく、WW2最大級
それはない、欧州戦線ではもっと死んでる。損害2万以下で33万の日本軍を撃破
してる。マッカーサーは優秀。 >>169
マッカーサーは山下に苦戦させられた腹いせと本間への復讐の為に軍事法廷で無理矢理死刑にしたんだよな
この裁判はアメリカ国内からもカンガルー法廷とか裁判のふりをしたリンチとか言われた
特に山下に対しては作業服のまま、正式な死刑台ですらないモンテルンパの前のマンゴーの木に吊るされた
こんな奴を>>168みたいなことしようとしてた当時の一部の日本人は狂っていたとしか言いようがない >>170
wikiベース
Invasion of Normandy
y 24 July:
120,000 casualties
(11か国合計)
United States American
Tens of thousands hospitalized due to disease
Total: 79,104+ dead and wounded
Filipino
Unknown, but high アメポチが泣こうが叫ぼうがフィリピン戦で戦ったフィリピン軍史上はフィリピン連邦軍の兵士扱いなんだよなあ
フィリピン軍が倒した日本兵や補給路遮断して餓死病死させた日本兵がマッカーサーの手柄で
日本軍に殺された土人はノーカンではフィリピンを愛した()マ元帥も不本意だろう マッカーサー「アイクとニミッツは何で損害が大きくなる正面攻撃をするんだ?」
アイゼンハワー、ニミッツ「フアッ!?お前の方が損害でかいだろ」 >>170
>それはない、欧州戦線ではもっと死んでる。損害2万以下で33万の日本軍を撃破
>してる。マッカーサーは優秀。
戦力の編成と犠牲者に関する統計が、アメリカのこうした戦略的選択を反映している。転出や部隊再建が
なされたことを考慮に入れると、太平洋戦争において連合国が対戦し、壊滅せしめた日本陸軍の師団の数
はわずか 28 個にとどまり、その半数は、フィリピンに配備され戦ったものであった。連合国の地上部隊は、
アメリカ陸軍 21 個師団と6つの海兵師団、オーストラリアあるいはニュージーランド軍の7個師団から
なるものであった。ビルマで戦い、インド、アフリカおよび英国の師団で編成された第十四軍も、
最終的には日本の 12 個師団と対峙し、その大半を破った。この他、日本軍は当時アジア北部にはおよそ 50、
本土に 50、そのほかフォルモサ島(台湾)に7、東南アジアに 12 の師団を派遣したが、1945 年 8 月の
ソビエト連邦の短い軍事行動を除き、連合国は日本陸軍とは殆ど交戦していないと言える。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2007/forum_j2007_05.pdf
>連合国は日本陸軍とは殆ど交戦していない
MILITARY HOSTILE NON-HOSTILE
ACTION DEATHS WOUNDED DEATHS
World War II
(1941-45)
Total 293,1216 670,846 115,185
European Theater 185,179 498,948 66,805
Pacific Theater 107,903 171,898 48,380
http://www.vfw.org/PR/Media%20Room/AmericasWarDead1775_2009.pdf
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w
対日戦争がおまけなら、日中戦争はおまけのそのまたおまけww
ちなみに朝鮮戦争で米軍は、おまけのおまけな中国に大苦戦www >>165
>こういう数字見るとナチのショボさが際立つ
ヨーロッパでは、外交でうまく立ち回るために忘れてはならない鉄則がある──「第二次大戦について語るな」。
だがドイツ(と日本)にとって不幸なことに、中国はこれを知らないらしい。
今月末にドイツ訪問を予定している中国の習近平(シー・チンピン)国家主席は、是が非でも先の大戦に
ついて触れたいようだ。ロイター通信によれば、中国側はベルリンのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)記念碑
を訪問して記者会見を開きたいと要求したが、ドイツは拒否したという。
中国の狙いはナチスの暴虐についてドイツを非難することではない。むしろ戦後何十年にもわたって反省
を重ねてきたドイツを褒めちぎり、それとは対照的に中国の思うように謝罪しない日本を執拗に批判することだ。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/03/post-3209_1.php
>むしろ戦後何十年にもわたって反省を重ねてきたドイツを褒めちぎり、
何故か旧西ベルリン側にあるソ連対独戦戦勝記念碑。左上はソ連兵士、右手前は独ソ戦
で戦勝に寄与した(最初にベルリンに入ったとも言われる?)T-34戦車の実物です(下写真とも)。
ベルリン市民には好かれていないそうですが、ロシアを意識して撤去もできないそうです。
http://homepage3.nifty.com/tompei/Ph-Berlin.htm
↑
これって、「反省」じゃないだろwww >むしろ戦後何十年にもわたって反省を重ねてきたドイツを褒めちぎり、
イギリス国民に勝利を宣言するウィンストン・チャーチルのスピーチ「明らかな国家元首である
デーニッツ元帥」という部分は事実上、少なくとも無条件降伏の瞬間までフレンスブルク政府を当局として
認識していたことの証拠であった。しかし、連合国はフレンスブルク政府を即座に解体することを決定した。
5月20日、ソ連政府はそれまでのフレンスブルク政府について考えられていたことを白紙にした。
彼らはデーニッツ政府(彼らは「デーニッツ・ギャング」と呼んだ)がどんな権力を持つことも許さず、
どんな考えでも厳しく批判、これを攻撃した。プラウダには以下の通り記述された。
デーニッツ周辺のファシストギャングどもの威信についての議論はまだ続いており、いくつかの目立っ
た連合軍の集団はデーニッツとその協力者の「活動」を利用することを必要と考えている。イギリス議会
でこのギャングどもは「デーニッツ政府」と呼ばれている。(中略)反動的な新聞『ハースト』の記者は
デーニッツの兵籍編入を「政治的に賢明な行為」と称した。このように、ファシストの物書きどもはヒトラー
の弟子たる略奪者と協力することを正しいと考えている。同時に、ドイツの右翼が差し迫った混乱に
似たおとぎ話を作り出したとき、1918年のドイツが条件付けたことを大西洋両側のファシスト報道機関
は広めようとしている。その後、降伏の直後、無傷のドイツ軍部隊が東方で新たな冒険に使われた。
現在の政治活動にも似たようなものが存在し、連合軍の多くの反動的な集まりはクリミア会議に基づ
いた新たなヨーロッパを作ることに反対している。これらの集まりはファシスト体制の維持を考えており、
すべての自由を愛する国々の民主主義の成長を阻害する手段を取ろうとしている。・・・(後略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%94%BF%E5%BA%9C >それとは対照的に中国の思うように謝罪しない日本を執拗に批判することだ。
バーンズ回答文
1945年8月11日付 (ジェイムス・バーンズ国務長官)
1)降伏のときより、天皇および日本国の政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施のため、その必要と認める
措置をとる連合国軍最高司令官の制限の下に置かれるものとする。
2)天皇は、日本国政府、および日本帝国大本営に対し「ポツダム宣言」の諸条項を実施するために必要な
降伏条項署名の権限を与え、かつ、これを保障することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸・海・空軍官憲、
および、いずれかの地域にあるを問わず、右官憲の指揮の下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終止し、
武器を引き渡し、また、降伏条項実施のため最高司令官の要求するであろう命令を発することを要請される。
3)日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜、および、抑留者を連合国の船舶に速やかに乗船させ、安全なる地域に輸送すべきである。
4)日本国政府の最終形態は、「ポツダム宣言」に従い、日本国民の自由に表明する意思によって決定されるべきである。
5)連合国軍隊は、「ポツダム宣言」に掲げられた諸目的が完遂されるまで日本国内に駐留するものとする。
http://tikyujin-suganuma.a.la9.jp/sengosi/sen-mokuji/banzu.html >>171
マニラに居座ってヤスクニ信仰のもと現地人を死後の国での永遠の奴隷にするために殺しまくった
山下が大量殺人犯として絞首刑に処せられたのは当然のことだろ >>180
日本側の国体護持の切望に対して敢然と拒否したバーンズ国務長官閣下の回答文な >>182
>日本側の国体護持の切望に対して敢然と拒否したバーンズ国務長官閣下の回答文な
?
2)天皇は、日本国政府、および日本帝国大本営に対し「ポツダム宣言」の諸条項を実施するために必要な
降伏条項署名の権限を与え、かつ、これを保障することを要請せられ、
#ちなみに明治憲法は新憲法制定のは昭和22年5月3日まで、効力を失っていない! >>181
弾薬すらまともに無かった海軍陸戦隊1万ちょいに10万のマニラ市民の虐殺は無理
それをわかってるからマッカーサーは山下のクビが必要だった
マニラが米軍の砲撃で灰燼に帰したのに市民に死傷者が出なかったなんて思うのはキチガイだけ >>176
>>177
ナチのヘタレ800万人ろくに戦いもせず降参し、英仏内の収容所でのたれ死んでいたとき
日本軍の156個師団760万人の兵士は本土決戦に備えていた
ナチがゴキブリホイホイにかかったゴキブリのように、800万人もろくに戦いもせず降参に追い込まれたのはアイクの手腕とも言える
イエロージャップたった40万人と、1年近くフィリピンで小競り合いしてたマッカーサーとはスケールが違いすぎる >>183
国体護持の意味がわかっていないようだが
日本の頂点の天皇ヒロヒトに「要請した」のは誰だと思っているんだ?
天皇よりも上の存在の本当の神様のイエスさまのしもべたるGHQ司令官さまだ
なにしろ天皇はGHQの従属下に置かれていたんだからな >>184
米軍が砲撃したことはハーグ陸戦条約に照らしてもまったく正当なことなんですけど
大量殺人鬼山下はマニラの現地人を人質にとって米軍が退かせるために毎日殺し続けていた
その犠牲を最小限にするためにもやむを得ない措置だった >>187
山下がマニラの海軍陸戦隊を把握してなかったことはマニラ軍事法廷ですら周知の事実なんだが
マッカーサー愛()が行きすぎてマッカーサー以外のアメリカすら全否定すかw >>188
はあ?飼い犬がやらかしたことは飼い主の責任に決まっている
これは全世界共通のオキテだよ >>189
>飼い主の責任
昭和天皇ヒロヒトの責任は? >>191
昭和天皇陛下はアメリカの第二次大戦勝利における最大の功労者であらせられる
日本国臣民という名の家畜人どもを見捨ててアメリカさまの勝利に貢献なされたのだから
その責任を問うものなど国際社会に存在するわけがないだろ British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
たった17万人の戦死者で857万人の精強なドイツ軍を撃破したアイゼンハワーぱねえ・・・・
マッカーサーはアイクの爪を垢を煎じて飲むべきだった >>189
指揮官責任なんて判例ねーよwwwww
とまともなアメリカの法曹関係者からツッコミ入りまくりだったんだか
マッカーサー信者にこんな正論言っても無駄だな マッカーサーカルトってチョンモメン並の歴史観なんだな >>178
絶滅戦争を仕掛けて返り討ちにされて平身低頭しているのを、「反省している」とは言わない。 バカ「マッカーサーは少ない損害でフィリピンの日本軍を打ち破ったから、優秀」
事実
アメリカ・フィリピン軍の損害
アメリカ軍 死傷80,000人 戦病20,000人以上 フィリピン軍・ゲリラ 数十万人死傷 American casualties were also high. Ground combat losses for the Sixth and Eighth
Armies were almost 47,000, some 10,380 killed and 36,550 wounded. Non-battle casualties
were even heavier. From 9 January through 30 June 1945, the Sixth Army on Luzon
suffered 93,422 non-combat casualties, including 260 deaths, most of them from disease.
The Battle Of Luzon Compared With Other Battles Of World War II
http://6thinfantry.com/6thinfantry/the-battle-of-luzon-compared-with-other-battles-of-world-war-ii/
>the Sixth Army on Luzon suffered 93,422 non-combat casualties,
一つの例外をのぞき、ルソン島で第六軍の麾下部隊となった全師団は、少なくとも以前に一度、
作戦に投入されたことがあり、それら師団の大半は二度、戦闘を経験した。六個師団全将兵の
三分の一にも達する隊員が、三年間も海外に派遣されたままであった。これらの隊員は疲れ、
戦いにうんでいたが、休息したり、気力体力を回復するための時間をあたえられていなかった。
補充部隊の到着は遅々としており、またその員数が欠員をうめるには非常に足りなかったので、
第六軍は非戦闘員の死傷により生じた定員不足は、うめることができなかった。
「ドキュメント神風 下」(デニス・ウォーナー ベギー・ウォーナー 妹尾作太男 徳間文庫) >>197
>>198
マッカーサーって大損害受けてたんだな
なんでこんな奴が持ち上げられてるんだ?アメリカならともかく日本人でこんな奴持ち上げるのはキチガイしかいないだろ 大損害なんか受けて無いよ。アメリカ軍は医療体制がいいから戦病戦傷からの
死亡率3%ぐらいだから、戦死と合わせて損害は15000人程度。それで日本軍
33万人死んでるから優秀だな。 >>194
普通に山下は大量殺人犯なんだが
こいつに言わせれば麻原彰晃だって無実なんだろーよ 日本軍33万人を倒すのに15万人のアメリカ兵と100万人のフィリピン人の犠牲が必要だったとか
マッカーサー池沼すぎだろ >>202
大陸打通作戦で大勝利したから、反省の必要は全く無い。 ドイツ空軍も、イタリア空軍も、中国人民解放軍も、朝鮮人民軍も、ベトナム解放戦線も、
ソヴィエト共産党軍も、アルカイダも、「イスラミック・ステーツ」も、
アメリカ海軍の機動部隊には、石ころ一つぶつけることができないへタレ組ですwww
日本陸海軍だけが、戦艦・空母・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦等の艦艇に損害を与えました(^o^)丿 卑劣な騙し討ちをすれば誰だって相手にケガさせることはできるわな
まあまともな国はそんな卑怯なマネをしないだけで
しかも3倍返しで反撃されてるし\(^o^)/ >>203
マッカーサーが武器や金をやってけしかけたせいでユッフェとかのフィリピンゲリラは日本軍と戦ったんだよ
フィリピンゲリラは勇ましかった分沢山死んだし、ベトコンみたいに民間人との線引きはなかったから、日本軍が見分け付けず討伐しまくった
とどめはマッカーサーの爆撃と砲撃
、100万人のフィリピン人の犠牲はみんなマッカーサーのせい
だからマッカーサーの失った人的被害にはフィリピン人の死者をいれて当たり前 ドイツ空軍も、イタリア空軍も、中国人民解放軍も、朝鮮人民軍も、ベトナム解放戦線も、
ソヴィエト共産党軍も、アルカイダも、「イスラミック・ステーツ」も、
アメリカ海軍の機動部隊には、石ころ一つぶつけることができないへタレ組ですwww
日本陸海軍だけが、戦艦・空母・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦等の艦艇に損害を与えました(^o^)丿 >>202
反省も何も、ヤルタ協定ではドイツの四分割が決定されたのに対し、日本は未定だった。
日本については戦局の見通しがはっきりせず、取らぬ狸の皮算用になりかねない状況。 中国人の主張する「三光政策」(焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くし)は、独ソ戦にこそ当てはまるはずだ。
けれども中国と違って戦って勝利を収めた旧ソ連・ロシアは、ドイツの悪口なんて言わない。
かつて白ロシアで、628の村々がドイツ軍に焼き払われた
殺しつくし度
100
奪いつくし度
100
焼き尽くし度
100
http://wolf.adolf45d.com/eiga628.htm
ナチスドイツとその愉快な仲間たちを撃破してベルリン入りを果たしたソヴィエト赤軍>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>( 越 え ら れ な い 壁 )>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>大陸打通作戦でドツキ回された中国チンピラゴロツキ Anonymous アメリカ Wed Apr 23 2014 02:52:10 No.23462647
もちろんユダヤ人達が、ドイツ人の手によって殺されたのは事実。
でも亡くなった人達は、病死や飢餓等・・・他の原因の方が多かったと思う。
生きたままガス室に送られた事よりもね。
http://www.gekiyaku.com/archives/38455922.html
ただ「ホロコースト」については、ガス室ではなくて、病死や過労死や飢餓が大半だったと思う。
アンネフランク一家もそうだった。それから600万という数字は根拠が乏しい。 マッカーサーは兵員5倍、戦車圧倒、航空機火砲互角という戦いで第14軍に全滅させられるという離れ業(笑)を演じた雑魚 朝鮮戦争でもリッジウェイに任せたらあっさり形勢逆転したからな
大博打()の仁川上陸作戦だけがこいつの功績なんだろうが
仁川上陸作戦もなんで成功率が低い難作戦とか言われてるんだ?
太平洋正面で日本軍の敵前上陸作戦を繰り返してきた海軍と海兵隊からすれば北朝鮮軍相手の敵前上陸作戦なんてちょろいもんだろ リッジウェイが優秀なんじゃなく、補給切れと兵力損耗で共産軍が限界だった
だけ。 >>214
>>215
チンピラゴロツキに大苦戦する痛い米軍w こんな糞カスを崇めさせられた戦後の日本人が哀れすぎるわ マッカーサーは優秀だよ。トルーマンが戦争を朝鮮半島に限定しようとしたら、
それでは戦争に勝てないし、米軍の損害は意味を持たなくなると警告した。その
後のベトナム戦争の行方を暗示したようなもんだ。 >>218
マッカーサー「満州に放射能を撒き散らして人が住めないようにするわ」→優秀な作戦(笑) 天皇を超えたマッカーサー様をsageる程、日本人を貶める事ができるからって必死すぎない? >>219
ソ連の核兵器なんて大した事ない時期だし、朝鮮戦争で使ってればキューバ危機
もベトナム戦争も無かっただろう。使わない事で共産側にかえってナメられた。 まぁその大したことない核兵器が真っ先に落とされるのは国連軍の後方基地だった日本だったろうな
朝鮮戦争勝利()の為に日本人が大量に死ぬとかマッカーサーに尽くしすぎだろ 一九五〇年の夏、朝鮮戦争が勃発して秋に「中国人民義勇軍」の出動が決まると、私は前線行きを志願した。
抗日戦争にも内戦にも参加していないので、祖国のために奉仕するチャンスがほしかったのだ、内心は中国
に勝ち目はないだろうと思いながら。なにしろアメリカ合衆国のほうが中国よりも格段に発展していたし、
装備がはるかにすぐれていたからである。
私は戦況をつぶさに追い、中国の「義勇軍」が崩壊しないばかりか、連戦につぐ連戦で「国連軍」のアメリカ軍
を敗退させつつあるのを知って驚き、かつ興奮した。一世紀以上にわたって、中国が外国軍と戦端を開いて
面子をうしなわなかったのは今回がはじめてだった。私はまた、アメリカ軍が朝鮮で細菌を用いているという
報道に唖然とした。戦争が膠着状態に入っても、私は中国人であることが誇らしかった。しかし上司たちは
私の前線志願を却下し、中南海での医療に従事するほうがずっと大切だという主張をくり返すばかりであった。
<毛沢東の私生活(上) 文春文庫 李志綏 P95>
「一九四九年の冬、解放からわずか数か月後にソ連と直接交渉するため、私はモスクワへでかけた」と、
主席は話しつづけた。「ところが、スターリンは私を信用しないんだ。話し合いもしないで二ヶ月もほうって
おかれた。しまいに私も頭にきて言ってやった。『交渉したくないのであれば、交渉するのはよそう。
私は帰国するまでだ』とね。このようにしてやっと中ソ友好同盟相互援助条約を結んだのだよ」
朝鮮戦争もまた、毛沢東とスターリンとのあいだで緊張関係を生む一因となった。中ソ両国は戦争中
ずっと協力しあってきたと思いこんできた私だけれど、実際はそうではなかったと毛は言いはる。
「朝鮮戦争中、アメリカ軍が中朝国境の鴨緑江に到達したとき、私はスターリンに対しわれわれは
軍隊を派遣して闘わなければいけないと言ってやった」。ところが、スターリンは「ノー」と返事した。
第三次世界大戦を誘発するものと思ったからだ。
<毛沢東の私生活(上) 文春文庫 李志綏 P192> >>223
米ソは互いに核兵器を使用しないことで、第三次世界大戦を回避させていた。
第三次世界大戦になれば西側が勝ったかもしれないが、核ミサイルによる報復は図り知れない。 ああした来歴をもつ反共主義については事情はまったく違っていた。ゴーロ・マンは一九四五年五月のヒトラー・ドイツ
の降伏から四十周年にあたる一九八五年二月の「ツァイト」紙に寄せた文の中で、反共主義の狂気の投影がどれほど
深く戦後に入りこんでいるかについて次のように確認している。
「私に言い寄ろうとする、おそらくたいていは元ナチス党員だった人びとから、私はよく次のような問いを受けた。
<なぜ西側連合国は、ヒトラーの敗北がすでに確定していた一九四四年の晩冬に、“同盟の逆転”を実行し、
ヒトラーとその一味抜きのドイツ人と結んでロシア人と対決しなかったんですか>と。純粋に技術的に
はそのようなことは困難だったろうが、可能ではあった。というのはアメリカはかつてないほど無傷のままであり、
豊かであったし、ロシアは恐ろしいほど荒廃し疲弊しきっていたからだ。そのようなことを考えるのさえ不可能
だった原因は、心理的なもの、道徳的なものにあった。」
<「第二の罪」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P230、231>
> <なぜ西側連合国は、ヒトラーの敗北がすでに確定していた一九四四年の晩冬に、“同盟の逆転”を実行し、
>ヒトラーとその一味抜きのドイツ人と結んでロシア人と対決しなかったんですか>と。
放っておけばソ連だけでナチスドイツを打倒してヨーロッパ全てがソ連圏に入る。
また米国がナチスドイツに肩入れすればソ連は激怒し、第三次世界大戦に突入する。
従って米国としては「自由と民主主義の解放戦争」という名目で、ナチスドイツと戦うしかない。 If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war?
Yes................................ 85%
No................................ 8
No opinion......................... 7
1941年1月4日の世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するというのが多数意見。
If you were asked to vote on the question of the United States entering the war against Germany and Italy,
how would you vote — to go into the war, or to stay out of the war?
Go in.............................. 12%
Stay out............................ 88
けれども米国がドイツイタリアと戦争すべきかというと、戦争は避けるべきというのが多数意見。
http://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm
■ フランスはすぐに降伏した。イギリスは全期間を通してひどかった。
アメリカは間違いなく勝てるという確信を持てるまで様子見してた。
勝利はすべてソビエトのおかげと言っても過言じゃない。 +5 ロシア
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html ドイツ住民が恐れていたのはロシア人による敗北と占領だった。この恐怖心はナチスのプロパガンダ
だけに由来していたわけではない。ユダヤ人の絶滅政策とは異なり,対ソ戦におけるドイツ軍の残虐行為
は帰還した兵士などによって広くドイツ国内に知れ渡っていた。そのため多くのドイツ人は報復を恐れ,
プロパガンダで広められたロシア人の「野蛮・残虐性」のイメージは真実味を帯びてしまったのである。
バドーファーによれば,ロシア人を「未開」で,「野蛮」で,「卑劣」だと非難することで,当時のドイツ人
は自分の不安と罪意識を振り払っていた。ある少年は,「ドイツにとって唯一の希望はアメリカの援助
を受けてロシア人と戦い,殺すことにある」と洩らしたという。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/19-1/RitsIILCS_19.1pp.175-189takahashi.pdf
でも日本の場合は大陸打通作戦で大勝利してたから、中国人の報復を恐れる必要はまったくなかった。
そればかりではなく米国は中国を捨てて日本を同盟国に選び、中国人=チャンコロという図式が戦後も定着した。 >>228
いやあ、ロシアの兵站を支え続けたアメリカのレンドリースはすごかったんだと思うよ。 >>224
ソ連ってのはヘタレだから、そんな事はしないよ。 過去の中国指導者はドイツ訪問期間、主に産業施設を視察した。ある外交消息筋はロイターに対し、「過去ドイツを訪問
した中国最高指導者のうちに第2次世界大戦犠牲者関連施設を訪問した前例はないと把握している」とし「習主席が
“日中歴史戦争”に飛び込もうとしている」と述べた。第2次世界大戦戦犯を合祀した靖国神社と対照的な場所を訪問し、
日本とドイツの違いを浮き彫りにしようという狙いだった。
http://japanese.joins.com/article/545/182545.html
>第2次世界大戦戦犯を合祀した靖国神社と対照的な場所を訪問し、日本とドイツの違いを浮き彫りにしようという狙いだった。
まず>>146の統計。次に>>179のナチ後継政府解体。なお大日本帝国については>>180。
海外「日本デカ過ぎだろ」 大戦中の世界の領土の変遷が分かる地図動画
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html >>2
オランダの東インド総督は捕虜になったし、
シンガポールにいたウェーベルやパーシバルも捕虜になってる ルーズベルトのスターリンとの「ヤルタの密約」を知っていながら、
ソ連参戦を許してソ連軍に満州を取られたハリー・セルゲイ・トルーマン最悪!!! >>235
>ソ連参戦を許してソ連軍に満州を取られたハリー・セルゲイ・トルーマン最悪!!!
ポツダムに私が行った理由は、多くある。しかしもっとも重要な理由は、ソ連から
自ら対日参戦の確約を得ること、すなわち米軍首脳が狙っていたことである。
(『トルーマン回顧録1』トルーマン著、76年、恒文社、 292頁)
中国に大兵を入れて日本軍を中国本土より追い払うよりも、私の希望は常に十分な
ソ連兵力を満州(ママ)に入れ、日本軍を追い出すことにあった。それがこの際できる唯
一の道である。(同226頁)
http://www.han.org/hanboard/c-board.cgi?cmd=one;page=2400
「日本本土に侵入すれば、日本軍の大部隊をアジアと中国大陸に釘づけにできた場合でも、
少なくとも五〇万人の米国人の死傷を見こまなければならない。したがってソ連の対日参戦は
われわれにとって非常に重大なことであった」(『トルーマン回顧録』)
http://nekotomo.at.webry.info/201211/article_2.html >>237
(^_^.)馬鹿じゃねwww日本に対して有利な講和条件を出していたら、
満州も朝鮮半島も北方領土も、シナ全土すらアメリカの支配下になっていたのにwww アメリカは講和の条件なんか出せないよ。真珠湾攻撃で沸騰したアメリカ世論
に迎合して、無条件降伏以外は認めないってトルーマンの前任者が宣言しちゃ
ったので。 ドイツの戦後処理についての会議として中国を外したのに、
あわてて「ポツダム宣言」を起草して、
英中ソの承認を取り付けるトルーマンwww レート 皇軍死 連合軍 戦場
115.8 *11000 ***95 シッタン作戦
*62.9 *10000 **159 ホーランジア
*30.5 *25000 **820 ミンダナオ
*24.4 *11000 **450 アイタペ
*22.1 *79261 *3593 レイテ
*21.2 *10000 **471 ビアク
*19.3 205535 10640 ルソン
*18.8 *16533 **881 ピョープウエ〜ラングーン陥落
*17.1 *14300 **835 ビサヤ
*16.1 *20000 *1243 ブーゲンビル島
*15.9 *10000 **628 ラエ・サラモア
*12.9 *72480 *5633 インパール(追撃戦含む)
*11.4 *12500 *1100 レイテ沖海戦
*8.71 *30000 *3441 サイパン
*8.71 *18500 *2124 グアム
*6.36 *21000 *3300 ギルバート・マーシャル諸島
*5.45 110000 20195 沖縄(海戦含む)
*4.58 *10695 *2336 ペリリュー
*4.36 *31000 *7100 ガダルカナル(海戦含む)
*2.64 *18000 *6821 硫黄島
*1.62 290000 178507 バグラチオン →さすがドイツ
*0.89 *17236 *19276 バルジ →負け戦でも強いな 9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm
つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html 茂木
『ところが、ガダルカナルの飛行場建設というのは井上がやったわけですよ。
では、「島の防御」や「島の要塞化」をほんの少しでも実践したかというと、実は何もしなかった。
言った事は立派かもしれないけれど、ガダルカナルでは何の防御もしないまま、飛行場をそっくり取られてしまった。
サイパン島の要塞化を進めておけばいいのに、19年に陸軍が行ってみたら、陣地構築も何もしていなかった。
だから、あっという間にやられてしまった。
陣地構築をして、それなりの戦いをしたのが、ビアクであり、ペリリューであり、硫黄島です。
要塞化すれば、そう簡単に落ちるものじゃない』
→陣地構築したのに、キルレート20でやられたビアク
マッカーサーはマジで名将 >>243
the US Sixth Army could be expected to suffer between 514,072 casualties (including 134,556 dead and missing) under the "Pacific Experience" (1.95 dead & missing and 7.45 total casualties/1,000 men/day)
and 149,046 casualties (including 28,981 dead ead and missing) under the "European Experience" (0.42 dead & missing and 2.16 total casualties/1,000 men/day)
ところでマッカーサーの第6軍がヨーロッパ戦線の5倍の死亡率って知ってたか? >>243
フィリピンの戦い1944年wiki
損害
アメリカ陸軍戦死16,043
戦傷 55,531
戦病 93,422以上
アメリカ海軍死傷者7,270
フィリピン連邦軍多数
ところでトータルの人的損失は
マッカーサーとフィリピン軍>>>日本軍
なのを知ってたか? >>243
現場の艦隊司令官がいくら言ったって、中央がOKしなけりゃ防御工事なんか出来ない。
海軍も陸軍に負けず攻撃重視の防御軽視なだけ。あと、ビアク島は防御工事したんじゃ
なく、自然の洞穴がたくさんあってそれが利用できただけ。 中国作戦区域の抵抗のため、日本陸軍は太平洋戦場へ投じた兵力が10個の師団だけで、
中国戦場の1/3に及ばなかった。日本は太平洋戦場で海軍の主要な兵力を投じたが、
陸軍の協力に事欠いて優位を得ることができなかったため、さらにミッドウェー諸島戦役後、
同盟軍との島争奪戦の中で劣勢となった。約半年をかけてのガダルカナル島の争奪戦の中で、
日本軍は一敗地にまみれ、その戦死者が2.4万人以上、米軍の15倍となった。その重要な原因
の一つは中国戦場にいる日本陸軍の主力を引き抜いて派遣し補充することができなかった
ためであった。日本海軍が打ち出した、オーストラリアを攻撃・占領し米軍の反撃を制止する
作戦計画は、同様に陸軍兵力の不足でしかたなく諦めた。
ウリ島戦役後、日本は太平洋戦場で戦略の防衛態勢に転換した。1943年初、日本の240万陸軍
の総兵力の中で、中国戦場で66万人、太平洋戦場は48万人でした。ここからも、日本陸軍の主力
はなお中国戦場で作戦し続け、これによって米軍の太平洋での反撃のために有利な条件を創り出した。
http://jp.theorychina.org/xsqy_2477/201509/t20150928_329354.shtml 日本の海軍は艦隊決戦ばかり想定していて、島嶼の争奪戦とか水陸両用作戦とか
殆ど何も考えて無かった。 >>249
一人ではないし、そういう命令なのだが? 3 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/08/07(火) 22:06:44.75 ID:jalfdviW
>>71
朝鮮戦争中、一時は北が釜山近くまで侵攻してたのを
マッカーサーの仁川上陸作戦が成功したおかけで
南が38度線まで陣地を挽回できたんだよ。
だから今の南朝鮮にとってマッカーサーは恩人。
94 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/08/07(火) 22:24:00.32 ID:Lnf5eEYR
>>93
上陸したときに、仁川周辺に塹壕陣地を築いていた北軍を
陣地もろともブルドーザーで埋めてしまったという、逸話もありますなw
南にとっては恩人でも、北にとっては悪魔。
マッカーサーにどう反応するかで、どちら側かがわかる。 ノルマンディーの戦い1944年6月6日〜8月30日
https://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Overlord
D-dayの戦死者アメリカ軍2499人、英連邦軍1955人
作戦戦死者アメリカ軍29204、英連邦軍24173人
ドイツ軍戦死者50000人
レイテの戦い1944年10月17日〜12月26日
D-dayのアメリカ軍戦死者51人
作戦死者アメリカ軍5000人(陸軍3593人)
日本軍戦死者49000人
差がありすぎる。 第二次アキャブ作戦でイギリス軍に惨敗した日本軍
↓
指揮官は上官に自決を強要される
↓
指揮官棚橋が自決
↓
翌月のインパール以後、日本軍はイギリス軍にキルレート15で負け続ける
フィリピン戦で惨敗した米軍、マッカーサーは脱出拒否
↓
指揮官ルーズベルトはマッカーサーに脱出を命令
↓
マッカーサー「アイシャルリターン」
↓
日本軍はマッカーサー軍にキルレート20で負け続ける >>54
マッカーサーに滅亡寸前まで追い込まれた北朝鮮は、熱心にアンチマッカーサープロパガンダやってるわな。
日本でのアンチはほとんど北チョン関連だろ >>153
フィリピン戦1941〜2年の皇軍死者は9000人とかなり多いぞ
本間はバターンでの大苦戦で、更迭されそうになり、腹いせに捕虜虐待やってるし
さらにこの後のコレビドールでも苦戦して、結局更迭されている。
レート 連合軍 皇軍死 戦場 敵将
*3.55 *2384 *671 皇軍蘭印征服 ポールテン・ウェーベル 捕虜82618
*3.13 *2113 *675 香港の戦い ヤング 捕虜10947
*3.07 *5500 1793 マレー作戦 パーシバル 捕虜50000
*1.43 10000 7000 バターンの戦い マッカーサー 捕虜7.5万(デスマーチで21600死亡)
*1.17 *2000 1714 シンガポール パーシバル 捕虜8万
*0.89 **800 *900 コレビドールの戦い ウィンライト・マッカーサー 捕虜1.1万
*0.75 *1499 1999 皇軍ビルマ征服 スリム・アレクサンダー(ただし中国軍損害含まず)
(23121のビルマ兵が軍務放棄or捕虜、イギリス兵いくらか、200インド兵が捕虜)
捕虜が多い戦いなら
レート 皇軍捕虜 連合軍死 戦場 敵将
***∞ 26000 ***0 ジッパー作戦・マラヤ ハロルド・ウォーカー
***∞ 76700 ***0 Tiderace作戦・シンガポール マウントバッテン
無条件降伏って悲しいわな。 大会戦を少ない犠牲で勝利し続けた名将
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
115.8 *11000 ***95 シッタン作戦 スリム
*62.9 *10000 **159 ホーランジア マッカーサー
*25.7 *21100 **820 ミンダナオ マッカーサー
*24.4 *11000 **450 アイタペ マッカーサー
*22.1 *79261 *3593 レイテ マッカーサー
*21.2 *10000 **471 ビアク マッカーサー
*19.3 205535 10640 ルソン マッカーサー
*19.1 *10000 **524 ニューブリテン マッカーサー
*18.8 *16533 **881 ラングーン陥落 スリム
*17.1 *14300 **835 ビサヤ マッカーサー
*16.1 *20000 *1243 ブーゲンビル マッカーサー
*15.9 *10000 **628 ラエ・サラモア マッカーサー
*12.9 *72480 *5633 インパール スリム
*11.4 *12500 *1100 レイテ沖海戦 マッカーサー、ニミッツ
*8.71 *30000 *3441 サイパン ニミッツ
*8.71 *18500 *2124 グアム ニミッツ
*6.96 *83737 12031 満州日ソ戦 ヴァシレフスキー
*6.36 *21000 *3300 ギル・マーシャル ニミッツ
*5.45 110000 20195 沖縄(海戦含む) ニミッツ
*4.58 *10695 *2336 ペリリュー ニミッツ
*4.36 *31000 *7100 ガダルカナル(海戦含む)ニミッツ・ゴームレー
*2.64 *18000 *6821 硫黄島 ニミッツ
*1.08 *10000 *9703 ノモンハン事件 ジューコフ 小さめの戦いは皇軍も健闘しているが、ここでもマッカーサーはかなり優秀だな。
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
222.3 2890 **13 ビスマルク海 ケニー・マッカーサー
147.5 5900 **40 スールー諸島 マッカーサー
69.47 2987 **43 マリアナ沖海戦 ニミッツ
43.53 3700 **85 坊ノ岬沖海戦 ニミッツ
28.96 6400 *221 サンボアンガ半島 マッカーサー
25.97 1714 **66 ヌンホル マッカーサー
23.94 7807 *326 テニアン ニミッツ
19.43 5500 *283 フィンシュハーフェン マッカーサー
15.33 9000 *587 ウェワク ブレ―ミー
10.56 6600 *625 ポートモレ〜ココダ ブレ―ミー・マッカーサー
10.17 4629 *455 ワクデ・サルミ マッカーサー
*9.96 3057 *307 ミッドウェー海戦 ニミッツ
*9.94 3280 *330 アドミラルティ― マッカーサー
*8.26 4700 *569 ボルネオ マッカーサー 皇軍戦没者18000
*5.19 1350 *260 アンガウル ニミッツ
*4.58 4716 1034 第二次チンデット ウィンゲート
*3.52 7000 1991 ブナ・ゴナ マッカーサー
*3.44 1200 *349 ワウ マッカーサー
*3.10 3106 1000 第二次アキャブ クリスティンソン・スリム
*2.94 4350 1481 アリューシャン ニミッツ
*2.82 6513 2307 イラワジ会戦 スリム
*1.40 1671 1195 ニュージョージア ハルゼー・マッカーサー
*1.00 1000 1000 サハリン プルカエフ
0.625 3067 4907 菊水作戦 ニミッツ 部下も
第五空軍と豪空軍を率いて、航空消耗戦に引きずり込み勝利したケニー
第六軍を率いて主要作戦に主力として戦ったクルーガー
第八軍を率いて訓練と別同軍として活躍したアイケルバーガー
第七艦隊を率いて南西太平洋とレイテ沖海戦を指揮したキンケード
豪陸軍を率いてニューギニア、ソロモン、ボルネオで主力となったブレ―ミー
と有能 マッカーサーはコレヒドールに追い詰められた際に「私は軍法会議にかけられてもフィリピンに残る(キリッ」と言ってたくせに
裏でフィリピンコモンウェルスのケソンを脅してフィリピンの国家予算から50万ドル支払わせ(それもアメリカ国内の銀行)
自伝の執筆について出版社と打ち合わせしていた
つまり逃げてアメリカ本土に帰る気満々だった
(ジェフリー・ベレット著【ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず】) >>260
マッカーサーはアイケルバーガーが活躍してマスコミの取材を受けると、呼びつけて「私はお前を降格させてアメリカに帰らせることもできる」と激しく叱責した
あまりのパワハラキチガイ上司ぶりに呆れたアイケルバーガーは「戦闘詳報では俺の名前を目立たないようにしてくれ」と副官らに頼んでいた >>260
ブレイミーは豪軍兵士を前に「諸君らの敵であるジャップは人と猿の中間の生き物であるから容赦や情けは不要」と訓示した
これはマッカーサーの考えをそのまま代読したようなもので、西太平洋方面軍は捕虜を原則取らず、傷病兵でも丸腰の軍属でも片っ端から殺しまくってキルレシオ(笑)を誇ったが
そのキルレシオ(笑)の分子には病死や事故死や後日死んだ連合軍の兵士や米豪軍の盾となって死んだ現地人は当然除外 >>260
キンケードやバーベイといったマッカーサーの指揮下で働いた海軍将官は
マッカーサーと部下の陸軍将官らの関係をまるで奴隷制度みたいだと呆れて見ていた >>260
戦後にGHQ職員として着任したとある陸軍士官がマッカーサーの頭を見て副官の一人に「将軍はハゲを隠しているのか?」と無駄話をしたところ
その副官は黙っていたのに、数日後にマッカーサーより「経緯を説明し文書で報告せよ」という命令がきた
仕方なく報告書を出すとその陸軍士官は当然のように更迭された。
副官はマッカーサーが盗聴で自分の悪口をチェックしていると確信している。
ちなみに、マッカーサーはハゲを隠すため、横髪を撫でつけ頭頂部を隠すという涙ぐましい努力をしていたがバレバレで、そのことについて口にするのは無言の圧力で禁止されていた。 >>260
マッカーサーは陸軍参謀総長時代の陸軍予算折衝で、財務省の役人からあきらかに異常なトイレットペーパー代をとがめられ
「陸軍では赤痢でも流行してるの?(笑)」と揶揄されたが、舛添の様にまともな回答ができずに逆ギレしてその席から逃亡したことがある ハゲもパワハラもトイレットペーパーも、成果に比べりゃ些事に過ぎない。 >>264
キンケードは毎年のマッカーサーの誕生日会に、クルーガーやケニーとともに参加し続けたほどのマッカーサーシンパになっちゃった海軍将
ハルゼーもすっかりマッカーサーシンパになったしな。
海軍の将にとってマッカーサー>>>キング提督 >>244
アメリカ陸軍の損害見ると、
ドイツが強いのか、皇軍がカスなのかわからくなるぜ
https://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/ref/Casualties/Casualties-1.html
大西洋戦線 太平洋戦線
全損害 765,751 169,635
戦関連全死 177,100 57,137←フィリピン兵含む
戦死 153,270 35,909
戦傷病 493,020 98,958
うち死 20,276 5,928
死亡率 4.1% 6.0% ←太平洋は病気が多い
除隊 151,814 30,821
戦線復帰 320,930 62,209
捕虜 95,532 28,526
うち死亡 1,124 11,516 ←さすがドイツ、国際法遵守してあの強さ
死亡率 1.17% 40.03% ←捕虜虐待で帳尻するカス皇軍 >>244
>ところでマッカーサーの第6軍がヨーロッパ戦線の5倍の死亡率って知ってたか?
そのわりに、太平洋戦争での戦死者は、欧州の3分の1もないな。
さらにフィリピン兵や捕虜虐待や違法な処刑による行方不明を除くと
欧州戦線のたった25%、>>270
休暇が欧州の15倍あった計算になるな。
欧州の方がはるかに過酷だった。
太平洋戦争は米軍にとって休暇だらけのバカンスだったんだよ >>244
太平洋で任務についた陸軍、空軍の軍人のうち、将校の40%と45%の兵は一度も戦闘現場を見ずに終わっている。
太平洋の戦いは、おおむね短い戦闘と、そのあとに長い「待機」の時間が続くことに特色があった。
ある陸軍師団は太平洋で19ヶ月間任務についたが、実際に戦闘を行ったのは31日間だった。
そりゃ、何もしなくても皇軍が勝手に餓死病死していくんだから、待機休暇だらけになるわな。
実際に欧州の1/4の損害で皇軍を粉砕したマッカーサーの戦略は素晴らしい。 >>245
?
フィリピンの皇軍は死者だけで500000万人だが?
米軍の病気はほとんど回復して太平洋戦争で捕虜以外での病死者は2800人しかいない。
医療体制も完備して補給をしっかりしていた名将マッカーサーと、全く補給も医療も考えない愚将山下との違いがすさまじい。 >>244
オーストラリアでは、少なくとも1万5000人の同国女性が米兵と結婚した。
オーストラリアの新聞はアメリカのプロ野球の試合結果を掲載し、将兵を家庭に迎え入れ、多くの米軍将兵がオーストラリア娘を憎からず思った。
オーストラリア駐留後、大半のGIがこのみにあった娘を見つけ、ステディな関係になった。フィリピンに愛人を持ち込んだサザーランドなんてやつまでいる。
インドにおいてもカルカッタが休暇、保養の拠点となった。将校ともなれば、カルカッタでまずまずの休暇を楽しめた。一部の将校は、イギリス野手になった涼しく、清潔な高原の保養地で休暇を過ごすことができた。
一方、ヨーロッパ戦線に投入された米兵は、一度戦場に放り込まれると、延々とどめおかれ、なかなか休みが取れなかった。
欧州では全くなかった現地女性との婚姻が太平洋ではやたら多い。
そりゃ皇軍が放置しても餓死病死して自滅するんだから、こうなるわ。
米軍、お前ら太平洋にバカンスに来たのか? 太平洋戦争は、陸軍はニミッツ配下でも戦闘したから、マッカーサー配下はさらに損害が少ない。
部隊の損耗率は欧州の半分以下。そりゃ6倍の戦闘損耗があっても、休暇待機が15倍もあればそーなるわ。
マッカーサーは10から20日で交代させ休暇をとらせる余裕
アイゼンハワーは数ヶ月ぶっ通しで第一線で戦い続けさせた鬼畜
米陸軍の師団毎の期間中の戦死者が、戦闘中が6倍太平洋が多いのに結果は4倍も欧州戦線が多いのは
戦闘期間が欧州戦線が24倍も長い、休暇が太平洋が24倍も長いからだな。 >>275
American casualties were also high. Ground combat losses for the Sixth and Eighth
Armies were almost 47,000, some 10,380 killed and 36,550 wounded. Non-battle casualties
were even heavier. From 9 January through 30 June 1945, the Sixth Army on Luzon
suffered 93,422 non-combat casualties, including 260 deaths, most of them from disease.
The Battle Of Luzon Compared With Other Battles Of World War II
http://6thinfantry.com/6thinfantry/the-battle-of-luzon-compared-with-other-battles-of-world-war-ii/
>the Sixth Army on Luzon suffered 93,422 non-combat casualties,
一つの例外をのぞき、ルソン島で第六軍の麾下部隊となった全師団は、少なくとも以前に一度、
作戦に投入されたことがあり、それら師団の大半は二度、戦闘を経験した。六個師団全将兵の
三分の一にも達する隊員が、三年間も海外に派遣されたままであった。これらの隊員は疲れ、
戦いにうんでいたが、休息したり、気力体力を回復するための時間をあたえられていなかった。
補充部隊の到着は遅々としており、またその員数が欠員をうめるには非常に足りなかったので、
第六軍は非戦闘員の死傷により生じた定員不足は、うめることができなかった。
「ドキュメント神風 下」(デニス・ウォーナー ベギー・ウォーナー 妹尾作太男 徳間文庫) >>275
ルソン山中に籠った日本軍の足止めで米軍は大損害を被ったってアメリカが言ってんだけど
全ての事例において、 連合軍の戦死者 1 名に対して 2〜3 名の兵士が負傷のため戦列を離れその多くが生涯残る障害を負った。
ルソン島と沖縄ではアメリカ軍戦闘要員の約 50%が死傷したのである。硫黄島では、アメリカ軍死傷者の総計が日本軍のそれを上回っていた。
こうした死傷者の規模と比率は重要であった。
なぜなら、1944 年後半以降、日本軍の戦略策定者たちは、どれほど一方的な戦いで国民に重い代償を課すとしても、
人員 1 名の損失と引き換えにアメリカ人の意志を打ち砕くという新しい戦略を研究していたからである。
彼らの狙いは、アメリカ政府に、天皇制と国体の護持、さらにおそらく一部の海外領土の領有を認める条件付き和平を受け入れさせることであった。
この戦略を実現するには、アメリカが日本に侵攻し、信じがたいほどの大損害を蒙って攻撃が頓挫し、一方日本は継戦能力を誇示する、ということが必要であった。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf >>275
フィリピン戦米第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名 >>275
マッカーサーは自伝で硫黄島と沖縄には戦略的価値はなかったと言い切ったが
日本の息の根を止めたのはニミッツによる両島の攻略であったのは異論のないところ
マッカーサーはその頃ルソンの山中でマレーの虎山下大将の術中にはまって無駄な戦力を消耗していたのは>>276に書いてる通り >>275
研究の趣旨についてロバーツ教授は、「GI(進駐軍兵士)はたくましい男で、常に正義に基づいて行動するとの典型的な『GI神話』の偽りを暴き出すことだった」と、AFPに語った。
教授によると、米軍では当時「フランス人に対して優位に立つ」手段として性欲、買春、レイプが取り入れられていたという。
米兵たちは、ノルマンディーの人々から「性のアバンチュール」を求めてやってきた、セックスに飢えた荒くれ者と見られていた。
これは地元ノルマンディーではよく知られていることだが、一般的な米国人にとっては「大きな驚きだ」とロバーツ教授は述べている。
■「女性を隠せ」、街中いたるところで性行為
米メディアがノルマンディーに上陸した米兵について、キスをする米兵と若いフランス女性の写真を掲載するなどロマンチックな視点で解放者として描いていた間、地元の人々は「問題」に直面していた。
地元には、「ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」という話が伝わっているという。
米兵たちの放蕩ぶり、不法行為、さらには組織的な人種差別などもあった。
「GIはどこでも所かまわずセックスしていた」とロバーツ教授。
特に、ルアーブルやシェルブールでは米兵たちのマナーの悪さが目立ったという。
米兵たちは、女性を見れば既婚女性でさえ公然とセックスに誘い、公園、爆撃を受けて廃墟と化した建物、墓地、線路の上など、街中いたるところが性行為の場となった。
しかし、全てが両者の合意のもとで行われたわけではなく、米兵によるレイプの報告も数百件残されている。
ロバーツ教授が調べた資料によれば「セックスをしている男女を見かけずに街を歩くことは不可能」なほどで、当時のルアーブル市長が米駐留部隊の司令官に改善を求めたと記されていた。
米軍の上官らは兵士たちの行為について公式な非難声明は出したが、改善の努力はしなかったという。
http://www.afpbb.com/articles/-/2946474?act=all
ナチが弱すぎて暇だったGIはフランス娘とフランスおばさん相手に一戦を挑んでいた(笑)
マッカーサーの配下の第6軍にそんな暇はなかったのは>>276に書いてる通り >>275
ところで、マッカーサーの第6軍の兵士の死因のトップは異常な高率の小火器によるヘッドショット
死因の約二割にもなった。
日本軍の狙撃はナチのティーガーやパンターよりもアメリカ兵をぶち殺したって知ってたか?
Statistics for& Army on Leite indicate that almost half of all fatal wounds
were from small arms fire, and a little more than half of fatal small arms
wounds were from hits to the torso, with head wounds accounting for about 20% of fatalities. On the other hand,
the majority of nonfatal wounds were inflicted by shell or grenade fragments.
http://pwencycl.kgbudge.com/C/a/Casualties.htm >>270
ヨーロッパ戦域にはアメリカ陸軍航空隊の戦死者80000人も含まれている
一方で太平洋地域には海兵隊や海軍が含まれていない
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
太平洋方面での日本軍戦死者(含自然死)120万人
同じぐらいのナチ兵が“戦いもせず”捕虜収容所で野垂れ死んでいた
どっちが気楽な戦場でマッカーサーとアイクがどっちが有能かバカじゃなきゃわかるはず
>>275は馬鹿そうだが >>275
一九四四年秋に戦われたレイテでの激戦ゆえに、アメリカ軍はルソン島上陸作戦や硫黄島、および沖縄の攻略を時期を遅らせて実施せざるをえなかった。
案の定、そうした上陸作戦はアメリカに多大な損害を強いるものとなった。硫黄島戦では、太平洋戦争始まって以来、初めて、ひとつの戦いにおけるアメリカ軍の戦死傷者数が日本軍の戦死者数を上回った。
また沖縄戦は、第二次世界大戦中、アメリカ海軍がもっとも数多くの戦死傷者を出した戦いとなったし、アメリカ陸軍も沖縄戦で、太平洋戦争中、最大の損害を被った。
イギリス軍の損害もまた大きかった。
チャーチルがドイツ分割占領に対する考えを、突然、変更したのも、夥しい血が流されたこうした作戦のさなかであった。
チャーチルはソ連にドイツの中央部を分け与えるように線引きされたローズベルトの占領計画案を以前は拒否していたにもかかわらず、今度は自分の計画を変更して、強引に仮協定に調印した。
太平洋の戦いとヨーロッパの戦い
ノース・カロライナ大学教授 ゲルハルト・L・ワインバーグ
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/199803/08.pdf
ルソンでの日本軍の敢闘とマッカーサーのもたつきはナチの運命すら変えてしまった >>275
英語wikiベース
バルジ
19,000 killed,
47,500 wounded,
23,000 captured or missing
フィリピン
米軍
Army: 16,043 dead and missing,
55,531 wounded
Navy: 7,270+ dead and wounded
Tens of thousands hospitalized due to disease
フィリピン軍
Unknown, but high
どうみてもフィリピン戦の人的損失が多いです
ありがとうございました。 >>275
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
アイクはたった17万人(内8万人は航空隊)の戦死者で857万人のナチを粉砕した
フランス観光の片手間にあっさり撃滅されたのがナチwww >>275
>米軍の戦死者=日本軍との戦闘で24時間以内に死んだ戦死者(兵士のみ)
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ポーマー 181頁>
MILITARY HOSTILE NON-HOSTILE
ACTION DEATHS WOUNDED DEATHS
World War II
(1941-45)
Total 293,121 670,846 115,185
European Theater 185,179 498,948 66,805
Pacific Theater 107,903 171,898 48,380
Korean War
(1950-53) 33,739 103,284 2,835
Vietnam War
(1961-73) 47,434 153,303 10,786
Iraq War
(2001-2016) 3,519 32,246 965
http://www.tavvntc.org/cost.htm
↑
負傷者と死者の比率を比べてみれば、兵士にとって過酷な戦場はどこなのかは自明だ。 >>275
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1〜3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)。
その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands - which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21 >>275
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 人に上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」39。
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた40。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6 >>275
そりゃ
日本軍の死者=米軍との戦闘での戦死者+フィリピン軍との戦闘の戦死者+フィリピンゲリラや一般人に殺された戦死者・軍属+病死・餓死
米軍の戦死者=日本軍との戦闘で24時間以内に死んだ戦死者(兵士のみ)
だからキルレシオ()に差が出るのは当たり前だろ >>275
マッカーサーは35歳歳下の愛人イザベルに色狂いで身体ばっかり求めてきたとバラされてたな
バラされまいと口止め料払ったが、結局バレた
その時口止めの交渉したのは本人でも弁護士でもなく副官だったらしいが
アイクだったという説もある >>269
>>275
ルソン守備隊司令官エドワード・ポステル・キング・ジュニア少将
日本は降伏して捕虜は自由の身となった。しかし、キングの扱いは降伏文書調印式に招待されたウェインライトや、同じく捕虜から解放されたイギリス軍のアーサー・パーシバル大将とは違って大した扱いを受けなかった。
これら低い扱いは、キングとともにバターンで戦って生き残った者にとっては違和感のあることであった。多くの生き残りは、マッカーサーによって惨めな思いをしたと証言している。 >>275
補給途絶えた日本軍を10ヶ月かかっても殲滅できなかった
マッカーサーが名将なら
同じように補給は途絶えながら、兵員数では3倍以上の
米比軍を150日で殲滅した本間中将は神将だよね
しっかしマッカーサー信者の理屈はガバガバで愉快だなぁw >>292
いや、日本軍が普通じゃないから。
異常だから。 >>293
確かに34000名の兵士と75両のボロ戦車で15万名の兵士と105両のM3戦車を撃滅した日本軍は異常すぎるな 日本の主力中戦車が歯の立たなかったM3軽戦車を105両も撃滅したのか、そいつはスゴイ >>277
ルソンの戦い。
皇軍死者、陸軍だけで205535人、海軍16000以上。
アメリカ陸軍10640人
格が違うわ >>278
ノルマンディーの戦い1944年6月6日〜8月30日
https://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Overlord
D-dayの戦死者アメリカ軍2499人、英連邦軍1955人
作戦戦死者アメリカ軍29204、英連邦軍24173人
ドイツ軍戦死者50000人
レイテの戦い1944年10月17日〜12月26日
D-dayのアメリカ軍戦死者51人
作戦死者アメリカ軍5000人(陸軍3593人)
日本軍戦死者49000人
差がありすぎる。 >>292
本間はバターンで大苦戦して解任されかかったから腹いせでデスマーチやらかしてフィリピン人を大量に殺した戦争犯罪人
さらにコレビドールでも大苦戦して、結局解任。
戦争犯罪人としてフィリピンが裁判で処刑してるほど。
民心を獲得して現地人に大喝采を浴びたマッカーサーとは器が違いすぎるな。 >>289
アメリカ陸軍の戦傷死含めた全死者がこちら
>>244
アメリカ陸軍の損害見ると、
ドイツが強いのか、皇軍がカスなのかわからくなるぜ
https://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/ref/Casualties/Casualties-1.html
大西洋戦線 太平洋戦線
全損害 765,751 169,635
戦関連全死 177,100 57,137←フィリピン兵含む
戦死 153,270 35,909
戦傷病 493,020 98,958
うち死 20,276 5,928
死亡率 4.1% 6.0% ←太平洋は病気が多い
除隊 151,814 30,821
戦線復帰 320,930 62,209
捕虜 95,532 28,526
うち死亡 1,124 11,516 ←さすがドイツ、国際法遵守してあの強さ
死亡率 1.17% 40.03% ←捕虜虐待で帳尻するカス皇軍 >>289
日本軍は海軍含めりゃ50万人も死んでるが、餓死するに任せた山下泰文は愚将過ぎるな。
作戦しか考えないカスだから、軍政も経済も優れていたマッカーサーに圧倒的キルレシオで敗北してしまうわけだ。 >>286
>負傷者と死者の比率を比べてみれば、兵士にとって過酷な戦場はどこなのかは自明だ。
皇軍にとってのフィリピン戦は、米軍のそれの100倍も過酷だったのか!
66万人も派遣して50万人も死んだんだぜ・・・ オーストラリアでは、少なくとも1万5000人の同国女性が米兵と結婚した。
オーストラリアの新聞はアメリカのプロ野球の試合結果を掲載し、将兵を家庭に迎え入れ、多くの米軍将兵がオーストラリア娘を憎からず思った。
オーストラリア駐留後、大半のGIがこのみにあった娘を見つけ、ステディな関係になった。フィリピンに愛人を持ち込んだサザーランドなんてやつまでいる。
インドにおいてもカルカッタが休暇、保養の拠点となった。将校ともなれば、カルカッタでまずまずの休暇を楽しめた。一部の将校は、イギリス野手になった涼しく、清潔な高原の保養地で休暇を過ごすことができた。
一方、ヨーロッパ戦線に投入された米兵は、一度戦場に放り込まれると、延々とどめおかれ、なかなか休みが取れなかった。
欧州では全くなかった現地女性との婚姻が太平洋ではやたら多い。
そりゃ皇軍が放置しても餓死病死して自滅するんだから、こうなるわ。
米軍、お前ら太平洋にバカンスに来たのか? 太平洋で任務についた陸軍、空軍の軍人のうち、将校の40%と45%の兵は一度も戦闘現場を見ずに終わっている。
太平洋の戦いは、おおむね短い戦闘と、そのあとに長い「待機」の時間が続くことに特色があった。
ある陸軍師団は太平洋で19ヶ月間任務についたが、実際に戦闘を行ったのは31日間だった。
そりゃ、何もしなくても皇軍が勝手に餓死病死していくんだから、待機休暇だらけになるわな。
実際に欧州の1/4の損害で皇軍を粉砕したマッカーサーの戦略は素晴らしい。 >>303
間違い
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1〜3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)。
その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands - which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21 >>302
>一方、ヨーロッパ戦線に投入された米兵は、
第二次世界大戦
1941年 開戦
1944年 米軍、欧州に上陸
1945年 終戦
■ソ連は常に9割以上のドイツ軍と戦った
■死傷、捕虜になった全ドイツ兵の7割はソ連軍によるもの
■米軍が戦ったのはわずか1割未満のドイツ軍だった
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/information/bill-totten/__icsFiles/afieldfile/2015/06/19/2015_syunki_slides_3.pdf
(2)マゾワーの所見
「ナチスの占領地統治」シリーズ(コラム#2790、2792、2796)で、著書を紹介したことがあるマゾワー
(Mark Mazower)の、先の大戦論のコラムは、結果的にロバーツ批判になっているので、ご紹介しましょう。
「・・・ Dデー<(ノルマンディー上陸作戦)>がついにやってきた時、
それは、ここ数年における山のような出版物から我々が抱くところの、それが圧倒的
に決定的な出来事であったという印象とはかけ離れたものだった。
ほぼ時を同じくして行われたソ連の攻勢であるバグレーション作戦
(Operation Bagration)について耳にした人はどれくらいいるだろうか。
この作戦には、<Dデーが相手にしたものの>10倍近いドイツ師団が関わり、
ドイツの3つの軍が殲滅された。
よもや、少ないとは思わないだろうね。
にもかかわらず、Dデーの記念行事の間、全くこちらは話題にならなかった。
しかし、バグレーション作戦は、ノルマンディーで起こりつつあったことなど
かすんでしまう、史上最大で最も成功裏に終わった奇襲攻撃だったのだ。
http://blog.ohtan.net/archives/51411037.html >>299
> 戦線復帰 320,930
西部戦線がいかに『ぬるい戦い』だったかが一目瞭然だなw >>299
ナチが殺した米兵の半分は陸軍航空隊のパイロットだし、ほぼ陸軍としか戦争してないが
一方大日本帝国陸軍は米三軍とがっぷり四つで陸軍よりはるかに強い海兵隊を殺しまくり >>307
>ほぼ陸軍としか戦争してないが
米陸軍なんて朝鮮戦争でチンピラゴロツキも撃破できてないからw >>307
>ナチが殺した米兵の半分は陸軍航空隊のパイロットだし、
世にも奇妙な「空軍であって地上戦闘軍」
<中略>
ドイツ空軍地上軍の半分以上は,高射砲部隊に属していた.
いちばん多いとき(1944年末)は100万の兵士(数千人の女性兵士含む)が,2万基以上の空軍
(陸海軍所属の高射砲は別にある)の対空砲とサーチライト部隊に配属された.
連合軍の進撃にともない,これら後方基地の高射砲部隊が前線に位置する結果になった.
ドイツ軍は地上の敵と戦うことも予想して高射砲をデザインし,兵士をも訓練してあった.
――――――第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著
http://mltr.ganriki.net/faq08a12d.html
↑
この『米軍重爆を大量撃墜した』ナチ軍のやり方が、戦後どこかの国で採用されたか? >世にも奇妙な「空軍であって地上戦闘軍」
ナチ軍のやったこと
1 ユダヤ人とスラブ人を沢山殺したこと
2 本土防空を延々とやっていたこと
3 劣等スラブ人にトドメを刺されたこと ドイツ軍と日本軍、ここが違う!
1 ドイツ軍はスラヴ人を大量虐殺したが、スラヴ人は断固反撃してファシストドイツを粉砕した。
2 日本軍はチンピラゴロツキを懲らしめるために出征し、チンピラゴロツキは小便ちびって逃げ回った。
3 チンピラゴロツキは逃げ回った恥を隠す為に、極悪な日本軍に虐殺されたと騒ぎ出した。 >>299
>>310
開戦まもない1940年から敗戦までほぼ大戦全期間に渡って本土防空戦をやってた愉快な軍隊ナチ >>299
177100人のヨーロッパ戦線での陸軍の戦死者の内80000人は陸軍航空隊
太平洋戦線には20000人の海兵隊の戦死者が加わるから、陸上戦の戦死者数はそう差はない
ナチ陸軍のティーガーやパンターはチハや38式の皇軍と戦力的には差がなかったことになるな >>302
>一方、ヨーロッパ戦線に投入された米兵は、
バグラチオン作戦でナチ軍の9割がソ連軍に殲滅されてるつーのに、ソ連が嫌いだからナチス支持なのか?
それからバグラチオン作戦と大陸打通作戦を比べてみれば、米国参戦とレンドリースは理由にならないとわかる。 ベルリン陥落1945
https://www.youtube.com/watch?v=4luMV132zdg
トランプ氏に「壁造るな」 分断の歴史持つベルリン市長呼び掛け
2017年01月28日 16:51 発信地:ベルリン/ドイツ
http://www.afpbb.com/articles/-/3115798
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html
ソ連軍のベルリン解放については、現在のドイツ連邦政府の立場としては、泣きながら「感謝」するしかない! >>299
>>302
>>303
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ポーマー 181頁>
MILITARY HOSTILE NON-HOSTILE
ACTION DEATHS WOUNDED DEATHS
World War II
(1941-45)
Total 293,121 670,846 115,185
European Theater 185,179 498,948 66,805
Pacific Theater 107,903 171,898 48,380
Korean War
(1950-53) 33,739 103,284 2,835
Vietnam War
(1961-73) 47,434 153,303 10,786
Iraq War
(2001-2016) 3,519 32,246 965
http://www.tavvntc.org/cost.htm
↑
負傷者と死者の比率を比べてみれば、兵士にとって過酷な戦場はどこなのかは自明だ。
GIにとってヨーロッパ戦線はフランス娘やイタリア娘とセックスを楽しむ合間にクラウツをボコボコにするレジャーに過ぎなかった。 フィリピン小学校4年生読本『歴史』(タガログ語)コンコルディア・C・ロゲ、フロレンチア・B・バウティスタ編 レックス・ブックストア発行 1977年版
フィリピンの歴史における暗い時代は私たちの国を日本国が占領したときです。
日本軍は、来たばかりのころは、自分たちはフィリピンの友だちだといい、フィリピン人と日本人を結びつけるためアメリカを敵としました。
日本人は、アメリカ人と関係あるものすべてを取り除きました。英語の代わりに日本語にしました。
彼らはまた、人びとの食糧や家財道具をはじめ、乗りものや大きな家々をも取り上げました。多くの人びとが生活に困り、お腹を空かせていました。彼らはまた、捕らえた人びとを拷問し、殺しました。
しかしフィリピン人は、マッカーサー将軍が、戻ってくることを信じていました。将軍がそう約束したからです。
ゲリラ活動をしていた人、日本人と一緒になるのを嫌がった人びとは、山にこもりました。そしてマッカーサー将軍がフィリピンを救い出してくれるのを待ちました。ゲリラと日本軍はしばしば闘い、ゲリラは人びとの希望となりました。
日本兵は、ゲリラに復讐するため、フィリピン人のスパイを使いました。これらのスパイは、ゲリラを偵察しました。
日本人は、スパイがゲリラとみなした人びとに、とても残忍でした。捕らえた者たちを拷問し、要塞に閉じこめました。捕まった者たちに、仲間の名をいわせました。
罰せられ、殺された者たちの中には、アバド・サントス裁判官、ウェンセスラオ・Q・ビンソン氏、アントニオ・エスコーダ氏、ホセファ・リャネス・エスコーダ夫人、ラモン・ラントス医師らがいます。
しかしマッカーサー将軍は、フィリピン人との約束を守りました。戻って来て、私たちの国を日本人から救ってくれました。 リパ大虐殺
フィリピン戦では「抗日ゲリラ掃討」を名目に、日本軍による住民虐殺が全土で多発した。
フィリピン全体で最も多くの老若男女が殺されたのがマニラ南方、ルソン島バタンガス州リパ市ルンバン。
一家に10人〜15人の家族がいたとしても、そのうちの1人、2人しか生き残ってはいない。
事件は米軍のマニラ奪還から約10日後に起きた。
午後11時すぎ、ルンバンの全住民約千人が川の土手に集められ、男性は後ろ手に、女性は数人ずつ紐で縛られた。
最初に男たちが日本兵に包囲され、銃剣で脇腹や背中を刺されていった。
次は女性と子供。皆殺しだった。
午前3時すぎまで虐殺は続き、村は抹殺された。
日 本軍は陣地構築作業にルンバンの村人を使役していたので、
米軍に情報が流れぬよう口封じで殺害されたものとみられる(村にゲリラはいなかった)。
戦後、千柱以上の遺骨が同地区の慰霊堂に納められ、
堂内にはフィリピン語で
「戦争中の1945年3月4日、日本人に殺された千人以上の老若男女の遺骨をここに埋めたことを知らしめる」
と刻んだ石版が掲げられた。
虐殺の生存者は傷の後遺症で満足に仕事をできない人がいるが、日本政府からは全く補償金が出ていない 日本軍はルソン島やパナイ島、レイテ島などの島々を占領すると、すぐに各地で「慰安所」作りを始めました。
朝鮮人や台湾人、日本人女性を送り込んだだけでなく、未成年者も含めて、地元のフィリピン女性を無理やり慰安所に連行しました。
さらに各駐屯地の部隊がたびたび女性を拉致・監禁し、強かんを繰り返しました。
フィリピンを占領した第14軍に、強かん・略奪などが多かったことは陸軍中央でも問題にされたほどでした。
また米軍の再上陸が迫った戦争末期には、追い詰められた日本軍は「無人化作戦」を発令し、
「ゲリラ討伐」に名を借りた住民の大量虐殺をルソン島南部のリパ市などで引き起こしました。
1945年2月から3月にかけてのマニラ市街戦では、スペイン植民地時代からの古い街イントラムロスなどで10万人もの市民が犠牲になりました。
富裕層の居住地域だったエルミタ地区では、400人ものさまざまな国籍の女性たちが連行され、次々と強かんされた「ベイビューホテル・集団強かん事件」[1]が起きました。
戦後のマニラ裁判やBC級戦犯裁判、さらに東京裁判(極東国際軍事裁判)などの戦犯裁判では、連合国軍の捕虜に対する虐待も含めて、おびただしい戦争犯罪の証言や証拠が集められ、裁かれました。
しかし各地の慰安所に送りこまれたフィリピン人女性や連行されてきた朝鮮や台湾の女性たちが被害者であるケースについては裁かれていません。
http://fightforjustice.info/?page_id=2620 日本は神の国で白人からアジア人を開放してやったが白人によって日本は滅ぼされ
白人が日本で神になった
あの戦争の真実だよ。 >>319
マッカーサーがフィリピン人に武器をばらまいてアメリカ軍の盾にしたからな
日本軍40万人を撃破するのに110万人のフィリピン人を死なせ15万人の米兵が死傷や病気となった
マッカーサーは無能すぎる >>316
>負傷者と死者の比率を比べてみれば、兵士にとって過酷な戦場はどこなのかは自明だ。
皇軍にとってのフィリピン戦は、米軍のそれの100倍も過酷だったのか!
66万人も派遣して50万人も死んだんだぜ・・・ ノルマンディーの戦い1944年6月6日〜8月30日
https://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Overlord
D-dayの戦死者アメリカ軍2499人、英連邦軍1955人
作戦戦死者アメリカ軍29204、英連邦軍24173人
ドイツ軍戦死者50000人
レイテの戦い1944年10月17日〜12月26日
D-dayのアメリカ軍戦死者51人
作戦死者アメリカ軍5000人(陸軍3593人)
日本軍戦死者49000人
差がありすぎる。 ルソンの戦い。
皇軍死者、陸軍だけで205535人、海軍16000以上。
アメリカ陸軍10640人
バルジの戦い、アメリカ陸軍の戦死だけで20000人
マッカーサーはマジで格が違うわ アメリカ陸軍の戦傷死含めた全死者がこちら
アメリカ陸軍の損害見ると、
マッカーサーが名将なのか、皇軍がカスなのかわからくなるぜ
https://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/ref/Casualties/Casualties-1.html
大西洋戦線 太平洋戦線
全損害 765,751 169,635
戦関連全死 177,100 57,137←フィリピン兵含む
戦死 153,270 35,909
戦傷病 493,020 98,958
うち死 20,276 5,928
死亡率 4.1% 6.0% ←太平洋は病気が多い
除隊 151,814 30,821
戦線復帰 320,930 62,209
捕虜 95,532 28,526
うち死亡 1,124 11,516 ←さすがドイツ、国際法遵守してあの強さ
死亡率 1.17% 40.03% ←捕虜虐待で帳尻するカス皇軍 日本軍は海軍含めりゃ50万人も死んでるが、餓死するに任せた山下泰文は愚将過ぎるな。
作戦しか考えないカスだから、軍政も経済も優れていたマッカーサーに圧倒的キルレシオで敗北してしまうわけだ。 大日本帝国陸軍が善戦できたのは対ジューコフのみ
ニミッツにはボロ負け、イギリスには超ボロ負け、マッカーサーには超超ボロ負け
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
115.8 *11000 ***95 シッタン作戦 スリム
*62.9 *10000 **159 ホーランジア マッカーサー
*25.7 *21100 **820 ミンダナオ マッカーサー
*24.4 *11000 **450 アイタペ マッカーサー
*22.1 *79261 *3593 レイテ マッカーサー
*21.2 *10000 **471 ビアク マッカーサー
*19.3 205535 10640 ルソン マッカーサー
*19.1 *10000 **524 ニューブリテン マッカーサー
*18.8 *16533 **881 ラングーン陥落 スリム
*17.1 *14300 **835 ビサヤ マッカーサー
*16.1 *20000 *1243 ブーゲンビル マッカーサー
*15.9 *10000 **628 ラエ・サラモア マッカーサー
*13.1 100000 *7613 沖縄陸戦 ニミッツ
*12.9 *72480 *5633 インパール スリム
*12.3 *27000 *2188 ガダルカナル陸空戦 ニミッツ・ゴームレー→ハルゼー
*8.71 *30000 *3441 サイパン ニミッツ
*8.71 *18500 *2124 グアム ニミッツ
*6.96 *83737 12031 満州日ソ戦 ヴァシレフスキー
*6.36 *21000 *3300 ギル・マーシャル ニミッツ
*4.58 *10695 *2336 ペリリュー ニミッツ
*2.64 *18000 *6821 硫黄島 ニミッツ
*1.08 *10000 *9703 ノモンハン事件 ジューコフ 中規模陸戦でも、煌軍は勝てていない。
とくにマッカーサー相手には餓死病死の嵐だぜ。
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
147.5 5900 **40 スールー諸島 マッカーサー
28.96 6400 *221 サンボアンガ半島 マッカーサー
25.97 1714 **66 ヌンホル マッカーサー
23.94 7807 *326 テニアン ニミッツ
19.43 5500 *283 フィンシュハーフェン マッカーサー
15.33 9000 *587 ウェワク ブレ―ミー
10.56 6600 *625 ポートモレ〜ココダ ブレ―ミー・マッカーサー
10.17 4629 *455 ワクデ・サルミ マッカーサー
*9.94 3280 *330 アドミラルティ― マッカーサー
*8.26 4700 *569 ボルネオ マッカーサー
*5.19 1350 *260 アンガウル ニミッツ
*4.58 4716 1034 第二次チンデット ウィンゲート
*3.52 7000 1991 ブナ・ゴナ マッカーサー
*3.44 1200 *349 ワウ マッカーサー
*3.10 3106 1000 第二次アキャブ クリスティンソン・スリム
*2.94 4350 1481 アリューシャン ニミッツ
*2.82 6513 2307 イラワジ会戦 スリム
*1.40 1671 1195 ニュージョージア ハルゼー・マッカーサー
*1.00 1000 1000 サハリン プルカエフ >>321
さて、フィリピン人が味方したのはどちらでしょうか?
現地での圧政と強制労働と経済破壊と餓死で大量にフィリピン人を虐殺して、現地人に嫌われまくったのが皇軍。
一方マッカーサーは軍政も経済も補給も素晴らしい。
現地人に嫌われまくって餓死しまくった皇軍がキルレシオ20でマッカーサーに惨敗するわけだ。
しかもニューギニア突破には20ヶ月かけてるのに、フィリピンは僅か8ヶ月で解放とかスゲエ 米海兵隊によるベトナムからの米人引き上げ作戦の報道は私を憂鬱にした。
何万という難民がそのあとについて脱出していくが、石を投げる者はいない。
その記事の一つ一つは、しまいには読むのが苦痛になった。
形は変わるが三十年前我々も比島から撤退した。
誰か、我々の後についてきたであろうか。
もちろん、事情は違う。私が言うのは本当についてきてほしいということではない。
だれかが、「日本軍の後について脱出したい、しかしそれは現実にはできない」と
内心思ってくれたであろうか、ということである。
もちろん何事にも例外はある。しかし我々は、アメリカ軍と違って、字義通りに
「石を持って追われた」のであった。
三十年前に、マニラ埠頭の罵声と石の雨を、昨日のことのように私に思い出させたからである。
二十年九月ごろだと、異様な憎悪の殺気のようなものが群集の中に充満しており、
その中を引かれていくと、いまにも左右から全員が殺到してきて、八つ裂きのリンチ
にあうのではないかと思われるほどであった。
護送の米兵の威嚇射撃のおかげで、我々はリンチを逃れた。 「ピリ公なんざぁアジア人じゃネェ」というアジアという妄想に基づく、抜きがたい偏見があった
「どうせ奴らは、そういう民族なんだ。骨の髄まで植民地根性がしみ込んでやがる。
敗者には石を投げ、勝者には土下座する。確かに我々は敗れた、だが、奴らにゃ敗れる能力もない癖しやがって・・・」
呪詛所そのようにこういう言葉が延々と続く、まるで自分の傷口を舐めるように
「違いますぜ、そりゃあ・・・・」収容所で、私の斜め前のカンパスベッドから、Sさんが言った
ほとんど口に出さず、何かを言うときはつぶやくように言う、その人が言った。
「違いますぜ、バターンの時は違いましたぜ。」
私は驚いて彼の顔を見た。当時『バターン』は禁句だった。
バターンの死の行進に、何らかの形でタッチしたなどとは、絶対誰も言わなかったし、聞きもしなかった。
彼は言った、あの行進のことは誰も絶対口にしない。だからあなたは何も知らないだろう。
石の雨ではない花の雨が降ったのだ。
沿道には人々が群がり、花を投げ、たばこを差し出し、乾いたものには水を飲ませ・・・・・、それがどこまでも続く。
追い払っても追い払っても無駄だった。
「まったく、頭に来ましたよ、あれにゃ。でもわかるでしょ、
彼らだって別に、いつも敗者に石を投げ、勝者に土下座するわけじゃありませんぜ」 >>326
> うち死亡 1,124 11,516 ←さすがドイツ、国際法遵守してあの強さ
> 死亡率 1.17% 40.03% ←捕虜虐待で帳尻するカス皇軍
――たしかに、ブランデンブルク門に似ている。上には、勝利の女神、ヴィクトリアの銅像がある。
「ソ連兵は、西ベルリンに毎日、自由にやってくる。それに、1961年にベルリンの壁をつくってからも、
記念日には、ソ連軍はベルリンの壁を越えてきて、パレードするから、西ベルリン市民の怒りをかっている」
と、ガイドも怒っている。
ベルリンの壁をつくって、東西ベルリンの行き帰を遮断しておいて、ソ連は西ベルリンへ、フリーパスというから、
――西ベルリン市民が、パレードに石を投げる気もち、離散家族のやりきれない気もち、怒る気もちはわかる。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a26d5bfa4c84a7c567da9567e8decb72
何故か旧西ベルリン側にあるソ連対独戦戦勝記念碑。左上はソ連兵士、右手前は独ソ戦
で戦勝に寄与した(最初にベルリンに入ったとも言われる?)T-34戦車の実物です(下写真とも)。
ベルリン市民には好かれていないそうですが、ロシアを意識して撤去もできないそうです。
http://tompei1.la.coocan.jp/Ph-Berlin.htm
史上最良といわれた独露関係の風向きが、人権重視のメルケル独新政権の登場によって変わりつつある。 ロシア外務省は三月末、
ベルリンにある旧ソ連軍記念碑が何者かに冒涜されたとしてドイツに抗議する声明を出し、
「前例のない破損行為で正当化できない」と批判した。この記念碑はこれまでも何者かにペンキを塗られたことがしばしばあったが、
ロシアが抗議声明を出すのは異例のことだ。 メルケル首相は一月中旬に初めて訪露した際に、
ドイツ大使館に人権活動家らを招き、「ロシアの強権的政治体制を憂慮している」と述べ、
連帯を表明した。さらに首脳会談後の共同会見でも、チェチェンでの人権弾圧を批判し、隣にいるプーチン大統領を刺激した。
http://www.fsight.jp/2620
おそロシア「第二次大戦のこと、これからもずっと言い続けてやるからヨロシクな!」 >>326
> うち死亡 1,124 11,516 ←さすがドイツ、国際法遵守してあの強さ
> 死亡率 1.17% 40.03% ←捕虜虐待で帳尻するカス皇軍
トランプ大統領「ドイツはNATOと米国に高額な防衛費の借りがある」
2017年03月19日 14:31
https://jp.sputniknews.com/us/201703193447128/
ロシア連邦議会情報政策委員会のアレクセイ・プシコフ会長は、トルコとロシアに対する
ドイツのアンゲラ・メルケル首相の政治的行為を批判した。
プシコフ議長は、この件に関してツイッターから行った発表で、
「アメリカのドナルド・トランプ大統領との冷えた関係、ロシアとの悪い関係、エルドアン大統領との口論、
怒ったギリシャ、イタリア、イギリスとの袂の分かち合い・・・それらはすべてメルケル首相の行為の結果だ。」と述べた。
(2017年3月21日)
http://www.trt.net.tr/japanese/shi-jie/2017/03/22/rosia-merukerushou-xiang-nidui-sitorukoniguan-sitepi-pan-696208
「フラウ・メルケル!(メルケルさん) 実際はウクライナではナチズムが大手を振って横行しているのです。
ですが、西側は非常に奇妙な立場をとっており、我々は理解に苦しんでいます。こうした立場はウクライナ
のナチズムへの甘やかしと捉えることができます。なぜ欧州の人々はウクライナにおける大規模な暴力
を見てもなんとも思わないのですか? あなた方の経済制裁の本当の目的はどこにあるのでしょう?
大国ロシアの弱体化ですか? ウクライナのナチズムを支持するためですか?
これについてのあなたのご意見を伺いたく存じます。」
https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/news/2015_01_22/282336879/ >>324
ナチのヘタレ800万人ろくに戦いもせず降参し、英仏内の収容所でのたれ死んでいたとき
日本軍の156個師団760万人の兵士は本土決戦に備えていた
ナチがゴキブリホイホイにかかったゴキブリのように、800万人もろくに戦いもせず降参に追い込まれたのはアイクの手腕とも言える
イエロージャップたった40万人と、1年近くフィリピンで小競り合いしてたマッカーサーとはスケールが違いすぎる >>324
ところで、マッカーサーの第6軍の兵士の死因のトップは異常な高率の小火器によるヘッドショット
死因の約二割にもなった。
日本軍の狙撃はナチのティーガーやパンターよりもアメリカ兵をぶち殺したって知ってたか?
Statistics for& Army on Leite indicate that almost half of all fatal wounds
were from small arms fire, and a little more than half of fatal small arms
wounds were from hits to the torso, with head wounds accounting for about 20% of fatalities. On the other hand,
the majority of nonfatal wounds were inflicted by shell or grenade fragments.
http://pwencycl.kgbudge.com/C/a/Casualties.htm >>324
フィリピン戦第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
太平洋は、死傷率が高かった海兵隊の数字が入ってなくともこの有様
米軍にとって西部戦線はフランス娘とのセックスと観光を楽しむツアーにしか過ぎなかったのだ! >>324
ヨーロッパ戦域にはアメリカ陸軍航空隊の戦死者80000人も含まれている
一方で太平洋地域には海兵隊や海軍が含まれていない
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
太平洋方面での日本軍戦死者(含自然死)120万人
同じぐらいのナチ兵が“戦いもせず”捕虜収容所で野垂れ死んでいた
どっちが気楽な戦場でマッカーサーとアイクがどっちが有能かバカじゃなきゃわかるはず >>324
一九四四年秋に戦われたレイテでの激戦ゆえに、アメリカ軍はルソン島上陸作戦や硫黄島、および沖縄の攻略を時期を遅らせて実施せざるをえなかった。
案の定、そうした上陸作戦はアメリカに多大な損害を強いるものとなった。硫黄島戦では、太平洋戦争始まって以来、初めて、ひとつの戦いにおけるアメリカ軍の戦死傷者数が日本軍の戦死者数を上回った。
また沖縄戦は、第二次世界大戦中、アメリカ海軍がもっとも数多くの戦死傷者を出した戦いとなったし、アメリカ陸軍も沖縄戦で、太平洋戦争中、最大の損害を被った。
イギリス軍の損害もまた大きかった。
チャーチルがドイツ分割占領に対する考えを、突然、変更したのも、夥しい血が流されたこうした作戦のさなかであった。
チャーチルはソ連にドイツの中央部を分け与えるように線引きされたローズベルトの占領計画案を以前は拒否していたにもかかわらず、今度は自分の計画を変更して、強引に仮協定に調印した。
太平洋の戦いとヨーロッパの戦い
ノース・カロライナ大学教授 ゲルハルト・L・ワインバーグ
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/199803/08.pdf
ルソンでの日本軍の敢闘とマッカーサーのもたつきはナチの運命すら変えてしまった >>324
アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158
「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160
無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した
ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑) >>324
1945 年までに、日本陸軍の持つ力は敵に死傷者を生じさせる能力のみになっていた。
その能力は、日本陸軍の戦略を躱し、安価に日本を破る手段として原子爆弾を使用するという
アメリカの決定に影響を及ぼしたが、また、無条件降伏の要求を取り下げ、代わりに皇室と
従来の国家体制の一部を維持するという条件付き和平を採用することも決定された。この
状況は日本のエリートと国民に、ドイツ人が受けた権利から比べると、自らの運命
を制御するはるかに大きい権利をもたらした。日本の戦力と戦闘は実際のところ、
若干の政治的目標を達成したのである。敗北によってある種の勝利を得たのである。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
支那の3500万人の犠牲は常任理事国に繋がった
大日本帝国の310万人の犠牲は政治的目標を達成した
しかし
ナチのファシスト1000万人の死者は無駄死にの犬死に過ぎなかったのだ >>324
>>107
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1〜3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands - which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21
しかし、ナチは強力なMe262やパンターを使ってもチハや38式の弱っちい日本軍の1/3の消耗率しか与えられなかった
日本軍にヤクトパンターやパンツァーファーストがあればナチの10倍の消耗率の損害を米軍に与えていただろう
ナチは作った兵器を全て日本軍に無償譲渡すべきで だった >>324
ヒムラーはシュナイデミュール要塞の司令官が退却する兵を射殺し、死骸に『臆病者はすべてこうなる』と書いた札を下げたことを称賛している。
負傷もしていないのに、部隊を離れているところを発見された国防軍兵士はすべて銃殺されることになった。
幻想のなかではドイツはどうにか勝利を収める。そのためには無条件の献身と勝利への信頼があれば十分なのであった。
元帥ヴォルターモーデルはドイツ軍上層部を支配していたイデオロギー的認知症をあらわにしている。
彼らがもっと正気であれば、戦争に敗れるのはわかっていただろうに
ナチスの戦争 1918〜1949 リチャード・ベッセル
ナチ兵には『全自動餓死兵士』というあだ名以外にも『全自動銃殺兵士』というあだ名も似つかわしいな >>324
過去の中国指導者はドイツ訪問期間、主に産業施設を視察した。ある外交消息筋はロイターに対し、「過去ドイツを訪問
した中国最高指導者のうちに第2次世界大戦犠牲者関連施設を訪問した前例はないと把握している」とし「習主席が
“日中歴史戦争”に飛び込もうとしている」と述べた。第2次世界大戦戦犯を合祀した靖国神社と対照的な場所を訪問し、
日本とドイツの違いを浮き彫りにしようという狙いだった。
http://japanese.joins.com/article/545/182545.html
>第2次世界大戦戦犯を合祀した靖国神社と対照的な場所を訪問し、日本とドイツの違いを浮き彫りにしようという狙いだった。
【韓国の反応】ドイツの外交官「ドイツは、中国が第2次大戦と関連して、
継続的に日本とドイツを比較することを好まない」と不快を表明
http://oboega.blog.jp/archives/37477726.html
>行くのを不許可にするというのはどういうことだ。
>観光客も訪れる場所なのに、国家主席が訪問することを許さないなんて…
>日本の顔色をうかがってるといわれても、何も言い返せないだろう…
何故か旧西ベルリン側にあるソ連対独戦戦勝記念碑。左上はソ連兵士、右手前は独ソ戦
で戦勝に寄与した(最初にベルリンに入ったとも言われる?)T-34戦車の実物です(下写真とも)。
ベルリン市民には好かれていないそうですが、ロシアを意識して撤去もできないそうです。
http://homepage3.nifty.com/tompei/Ph-Berlin.htm
日本には靖国を参拝できる自由がある
ナチは完全敗北完全否定だからそれもなし マックのペニスは先妻ルイーズの人差し指を折り曲げたぐらいの長さしかなかった
これ豆知識な ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています