日本軍が北ベトナム軍の戦術に大きく貢献したって話 [無断転載禁止]©2ch.net
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よくブログやらで目にするんだけど
日本に穀物を搾取されまくったってベトナム教科書に乗るくらいだしそう易々日本軍を受け入れてくれるもんなのか? 組織としての「日本軍」は受け入れてない、というか日本敗戦直前に独立ヴェトナム創設を申し出たのを蹴ってる。
日本軍が敗れたあとに、志願してきた(成り行きでそうなったとか、戦犯を恐れて逃亡したとか含む)軍事技術者を個々に義勇兵として迎え入れた。まぁ明治日本のお雇い外国人みたいなもんだが…
中国人民解放軍も、日本敗戦直後に関東軍の教育航空隊をまるごと一つ雇い入れて、スクラップ再生機とアルコール燃料(離陸後)使って最初期の空軍建設の手助けにした事がある。東北老航校で検索。 なるほど、組織としての日本軍ではなく個人として志願しインドシナ戦争に参加したって事か
割りとドイツでもそういう話を耳にするな
そうなるとインドネシア独立戦争も似たような経緯なんかな。 ビルマに残った水島がミャンマー軍総司令になった話はこの後すぐ 水島は少女売春シンジゲートを構築しただろ
この情報を得た元陸軍参謀国会議員が単身ラオスに入り込み… >>1
>日本に穀物を搾取されまくったってベトナム教科書に乗るくらいだしそう易々日本軍を受け入れてくれるもんなのか?
明号作戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B7%E4%BD%9C%E6%88%A6
1945年3月、ベトナムを中心としたインドシナで日本軍がフランス軍を攻撃、打倒した。
結果として、ベトナム帝国、ラオス王国、カンボジア王国の独立が成し遂げられた。
第二次世界大戦の終結の結果、いずれの国家も半年の短命で解散してしまったが、
フランス軍打倒および現地語での教育などの現地化はその後の情勢に大きく影響した。 クワイガン陸軍中学はほぼ日本人教官だろ
小野田氏の死の直前のインタビューで中野時代の同期でベトナム政府から勲章貰った人がいるとかいってたぞ 公式にはそうなってるって話と実際のところ、ってのは往々にして違う
特に国家がらみだとな 公式に国家レベルで日本軍からの継承を受けたのって
インドネシアくらいじゃないんかね あれだろ、復員できるよう便宜を図ってもらうかわりに武器庫の鍵をわざと落とすとかだろ? ベトナムも残るように軍に騙されたのかな?
そして異国の地だから協力するしかなかったとか
山西省の特務隊なんか現地除隊扱いで
帰還命令に従わなかったから軍人恩給もでない
降伏しても帰国するまで武装解除はしてはいけないって事だな とりあえずこれがネットで見られる基本かな。東京財団研究報告書・ベトナム独立戦争参加日本人の事跡に基づく日越のあり方に関する研究。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2005/01036/pdf/0001.pdf ミャンマー軍はどうなんでしょうか
イギリスの影響のほうが強いのかな >>1
日本軍でーはないな
日本軍人がーだ
日本軍陸も海も馬鹿作戦の連続でボロ負けした
教えた人が凄かっただけで日本軍が凄かったわけではない
そしてベトナム将兵がもっと凄かった
二人の天才政治家と軍人がいたベトナムは局地的には最強の国だった >>17
ちなみに元ヤンキースの松井が毎年ベトナムに奨学金を送っているのも、親や祖父がその関係者だからだそうだ >>6
枢軸ヴィシ−政権が崩壊したからやん
枢軸の白人支配はありで連合の白人支配はなしとか笑 ゲリラ戦は日本軍の得意戦法でもなんでもないだろw
フィリピンでゲリラにボコられて駐屯地から出れなくなってたくらいだし
そもそもビルマでゲリラ戦展開したのはウィンゲート旅団で一方的に振り回されたのが日本軍 >>21
でも日本軍の軍人も一部教えてたんだし
少しはノウハウあったんでねぇの? >>2
国共内戦は抑留されてた上に徴用された日本人が多かった
看護師とかもそう
で、無理やり結婚させられて縛り付けられたり
敗戦国が自発的に協力したのではなく強制
残留日本軍が縦隊(独立支隊)として戦闘参加してるし、哀れだな ディエンビエンフー攻略作戦の重砲を山頂へ人力で運び上げるって、インパールのオマージュ? 38式歩兵銃とコマツのブルドーザーは重宝したみたいだが? 反共日本軍は連合軍指揮の下弾圧しただろ
協力したのは日本兵だし南ベトナムにも協力してる
北ベトナムに貢献したのは中ソ 何でオランダは、インドネシアの土人軍に敗退したの? >>27
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2005/01036/pdf/0001.pdf
省都クァンガイにグエン・ソン将軍を校長とし、第5戦区上級軍事幹部ドアン・クエ
(1990年代のベトナム国防相)を事務長とする陸軍中学が設立された。
北部のソンタイに設立されたチャン・クォック・トアン武備学校と並ぶ
ベトナム初の本格的士官学校であった。
教官・助教官全員と医務官は日本人、通訳はベトナム人であった。
また教官は旧日本陸軍将校、助教官は下士官であった。
第1大隊:教官=谷本喜久男(ベトナム名ドン・フン、旧陸軍少尉)、
副教官=青山浩(チン・クァン、旧陸軍軍曹)、
通訳=チュン・フオン(通称「二郎」)
第2大隊:教官=中原光信(グエン・ミン・ゴック、少尉)、
副教官=大西某(通称クァン、フルネーム不詳)、通訳=チー
第3大隊:教官=猪狩和正(ファン・ライ、中尉)、
副教官=沼田某(ベトナム名不詳、階級不詳、旧第2師団第29連隊所属)、通訳=チャン・ミン・ダム
第4大隊:教官=加茂徳治(ファン・フエ、中尉)、
副教官=峰岸貞意(チャン・クォック・ロン、兵長、第29連隊所属、福島県出身)、
通訳=通称タオ
医務官:ベトナム名レ・チュン(本名・階級・元所属部隊・出身地不詳、
旧日本陸軍の軍医または衛生下士官か)
*通訳にはマウ(通称「一郎」)というベトナム人もいた。
医務官レ・チュンは第38軍司令部に所属していた喜世藤雄伍長(宮城県出身)であった可能性がある。
また青山浩は第21師団第83連隊に所属していた青山正義軍曹(福井県出身)かもしれない。 別にこれベトミンを指揮したって話じゃないよね
教え子が勝手に北と南に分かれて戦争しただけで >>30
おいおいベトミンの士官学校だよ(^o^)
レスしたいなら、ちゃんとリンクを辿ってPDFを読めよ。 >>24
ベトナムじゃないけど中共の捕虜となってた日本兵って朝鮮戦争時,
最前線に立たされて弾よけにさせられた? 日本に戻ったら軍事法廷送りになりそうな人達はそのまま現地に居座ったんだよ >>32
中国が朝鮮戦争に義勇軍送った頃にはもう撫順戦犯管理所に収容されてたでしょ。
朝鮮戦争とからめていうんなら、ベトナム戦争中の北ベトナムには北朝鮮から軍事顧問団が送られて
空軍パイロットとして米軍と交戦してる。
さらにいえば、インドシナ戦争を戦った仏軍(外人部隊?)には
ナチスドイツの元武装SS隊員らが少なからずいたというし、歴史ってなんだろう?みたいな気分にさせられる 国共内戦で貢献した日本人は中国姓を名乗っていた。
その後は中国人となっている。 >>27
>反共日本軍は連合軍指揮の下弾圧しただろ
終戦までベトナムは日本軍占領下だったが、ベトコンゲリラの抵抗は無かったのか? 第二師団に所属していた元将校の名は加茂徳治。
「日本に帰ってアメリカの兵隊の顔を見るのが嫌だったんですよ。
思想? そんなものはありませんでしたよ。
ビルマ、仏印と転戦してきました。他国に占領されるのがどんなことか、
自分が外地に出てすでに経験していたわけです。
どこでもいいからとにかく撃て、喚声を上げよと、そんなことを身振り手振りで伝えましたよ。
身振り手振りは万国共通ですから。
教育はすべて日本人がやる、そう最初から決まっていました」
加茂はまず、他の軍離脱者と組んでベトミン民兵に訓練を施した。
ほどなくして日本軍の軽機関銃や小銃を使い、仏印軍を撃破(中略)
民兵らにとって、自分たちの手で仏印軍を倒したことで得た達成感は、強烈(中略)
加茂に対し、ベトナム政府は第一級戦功勲章、第二級戦功勲章の二つをもって報いている
ベトナム秘史に生きる「日本人」 | Web草思
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0906.php ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています