あなたの町にある戦争、軍隊の名残 [無断転載禁止]©2ch.net
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あなたの町にある戦時中使われた物や施設、兵器など残ってたりしていたら書いてきましょう
ちなみに私の地元福井県には歩兵第36連隊が駐留していました。
戦後、駐留地があった所には部隊名がついた三六町が生まれました。 うちの市内には元陸軍造兵廠だった陸自の駐屯地と中島飛行機の工場だったショッピングモールくらいしかない 軍関係跡地は自動車学校が意外と多い
それと普通の学校も
工場も多いなあ 市川の国府台病院の門扉は陸軍病院からの物だったんだけど問答無用でぶち壊した。
病院の建物も当時の物を修繕しながらだったんだけどやはり無くなりつつある。 けっこうあるね
空港や実質兵器工場の近所の神社とかに
ばあちゃんの実家には防空壕があったよ
多分今もある 最寄り駅の駅前団地は戦中は工場でそこでキ94 Uをつくってた。
結局完成はしなかったんだけどおそらく滑走路にするつもりだったところは直線道路になって現存している。
残念ながらそれを示す看板等は無い。
それでいいと個人的には思ってるけど。 遺構を完全保存とは言わないが
プレートくらいは欲しい 結婚を機に大阪郊外に越した
近くに陸軍病院上がりの総合病院がある
最近、叔父が戦時中にそこに入院してたことを知った
(後にニューギニアで戦死) 知多半島常滑市にはロ号の白い燃料容器がゴロゴロある 軍事施設じゃないが国会議事堂も
戦前からありそういう建物は地方にも多いが
九段下の九段会館を見た時は
ちょっとびっくりしたなあ
311で天井が落ちて死者まで出したが
昔見た時も教科書と一緒の外観だった
陸軍の将校専用倶楽部?だっけ
同潤会アパートも殆ど消えた 松戸駅東口のヨーカドーの裏は工兵連体跡なんだけど
公園になった入り口の門扉はそのまま。
歩哨の立番所がまだ残ってる。
土地境界の杭には”陸軍省”の文字。 自衛隊基地の殆どは流用だし
周辺には関連施設の残骸も多い 家の近くは熊谷空襲で被害受けてたらしいしなんかありそうだなぁ。探してみるか。 鉄道は車輌や駅舎を銃撃されて
死者や負傷者が結構出ているね >>37
終戦記念日近くの特番でよく見るな
米軍のガンカメラのやつ。 >>37
名古屋には川沿のコンクリに銃撃の痕がある 上野戦争で撃たれた弾痕付きの門が三ノ輪のお寺に移築されて残ってる。 愛知県碧南市と刈谷市の間にあった海軍明治基地(最盛期150機)跡は
滑走路がそのまま道路になっていて煉瓦造の建物がそのまま民家の一部になっている。
衣浦温泉に海軍指定の従軍慰安所だった建物もまだあるよ。
渥美半島は陸軍射爆場の観測用タワーがまだあるが心霊スポットで有名
三菱重工は変わらず 自衛隊は旧軍からそのまま敷地を
引き継がれた所ばっかりだが
都市伝説いうか田舎伝説で
便所で自殺した兵隊さんの幽霊が出るとか
子供の頃はよく聞いたなあ
見るからに戦前からある兵舎?とかは
今でも緊張する
南方の島のホテルで夜中に人の気配がして
廊下を出ると沢山の兵隊さんが
匍匐前進していたとか業界の人に聞いた
そこは有名だって おまけ
イタリアだったかなあ部屋で寝ていたら
ホテルの壁から馬が引き人が乗る戦車
映画のベンハーとかに出て来るあれが
一式飛び出て来たんだって
さらにおまけ
そういうツワーで
現地のバスを使うけど
そのツアーの人数が予定より何故か多い
全員降りた後一人残ったおばあさんは
ツアー客の中の1人がおばあさんも
一緒に連れてきていたらしい
常時見えていなくて
車内空で運転手だけに見えたり
添乗員にだけ見えたり
感のいい人にだけ見えていたらしい
孫本人は特徴を聞いて分かったが
見えていなかったらしい 大阪の東淀川区(かな?)に
高射砲台跡をそのまま家にしちゃってるところがあったな 下関や鹿児島には軍艦を砲撃する
江戸時代の砲台跡が残っている
関門海峡のは距離的にも納得で
模造品も設置されいて
逆に英国から砲撃を受けた訳だが
鹿児島で見た砲台跡は大隅半島の
結構南側で対岸の薩摩半島は遥か遠く
砲台が有るくらいだし役人も常駐だったそうな
スレチだが
今ではぱっとしない佐賀だが藩政時代の
工業分野の開発力には目を見張る
大企業の創設者のふるさとを巡る旅もいい
明治時代までで商家や豪農出身が多いが
士族も多い 高知空港の近所には戦闘機の掩体壕が多く残ってるよ。
農家が倉庫に使ってるみたい。 掩体壕はいつどこで見ても怖いなあ
特に大型機のはその場でタイムスリップした
錯覚まで起こしそうになるわあ
飛行場の跡地巡りもいい
田んぼや畑に住宅地や工場
その中に突如異様な掩体壕
工場の引き込み線跡が実は
空港や軍需工場用の鉄道も多い
その鉄道も廃止されトラック輸送だが
田舎だと目標物で大きな橋や
寺社も狙われているそれとお城 三重県香良洲町に予科練があったんだが、建屋の基礎部分が現存してるはず。 新京成線て、旧軍鉄道連隊の線路を引き継いだそうだが
とにかくカーブが多すぎる。
時間のロスも馬鹿にならんし、商業的に損失も多いはず。
旧軍が造ったんなら、強権でもって真っ直ぐな線路でも良かったはずだと常々思っていたが、
運転士の訓練のために限界レベルまでカーブをきつくしてたんだって。
先月ようやく知った。 >>55
満州の遺構の撮影の話
昨日の長崎浦上天主堂の破壊の話も面白かった 陸軍燃料厰跡改め第5空軍司令部改め航空総隊司令部のほか、軍艦多摩の慰霊碑が今世紀になってから2年前に立ったよ。
え、ここから分祀してたのってこっちが驚いた。やっぱりあれの影響ありかね、やってないが。
あと、東大和の変電所跡は一見の価値ありだね。12.7mm機銃と気楽に言うが、どれほどの威力か生で見られる遺構は東京じゃ少ないよ。 群馬県太田市には戦時中に中島飛行機が使ってた航空機用の道路が残っている
太田駅北側の富士重工太田製作所(旧中島飛行機太田製作所)から、太田駅の東を通って太田運動公園(旧太田飛行場)に伸びる県道313号のことで
戦時中は太田製作所で完成した隼や呑龍がこの道路を牽かれたり押されたりしながら太田飛行場へ運ばれていったという
ちなみに戦前生まれの人は「飛行機道路」と呼んだりする
あと太田のイオンモールの駐車場の一角には戦時中に高射砲陣地があったので
当時の台座跡には撤去された台座と同じ大きさの鉄製のプレートと案内板が設置されてる 空港の近所に掩体壕は結構あるね
小型機のはまだいいが
大型機のは今見ても怖いw
某所の航空基地は規模が凄すぎ 関東大震災の後、内務省が設立した老人福祉財団法人の施設を1942年9月から1945年7月まで、
建物の約半数を接収。
陸軍参謀本部隷下の中央特種情報部(陸軍中央通信調査部)が入居。
ポツダム宣言受諾受信後、施設本館3階で機密書類焼却。
川向うの台地には244戦隊機撃墜のB-29墜落地点存在。
搭乗員が仮埋葬された墓地も現存。
老人福祉施設から数キロ先の女学校には、軍需工場と海軍水路部分室が入居。
同校学生が勤労動員で、天文航法時に使用する高度方位暦作成時計算を担当。
もう一つあるがこれを書くと瞬時に場所がわかるので、一応今回は省略。 山梨県甲府市には歩兵49連隊がいて、その正面の門柱と煉瓦造りの建物が一棟、遺構として保存されている
連隊が満州に進駐した後、本土防衛の部隊として63部隊が結成され、終戦まで残った
終戦後この地域は「ロクサン」と呼ばれ「六三食堂」「六三クリーニング店」何かが出来た
今は無いけど年配の人はいまでもこの地域をロクサンと呼んでいる 子供の頃住んでた団地にコンクリート製の防空壕があったんよ
今思うと写真の一枚でも撮っておけば良かった
場所は港区六本木一丁目 六本木1-9 3号棟の東側にあった
そこから2〜300mくらい東にコンクリート製のトンネルがあった
防空壕との関連は不明 あの周辺は軍関係の施設も多かったが
焼け残った地域も多かった
2度のオリンピックや再開発で
街並みは急変しているが
元 青山在住 >>68
「赤旗」として、保存に賛成なんだろうか? >>69 勿論だ。原爆ドームやアウシュビッツほどの大物じゃないが、「忘れてはならない負の遺産」という視点で戦争遺蹟は保全されるべき、というのがいまの左派の流れでな。
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