>>239
8月24日、攻撃禁止地区であるロンドンが誤爆された。これにイギリス側は報復としてベルリンを爆撃したのだ。

これに激怒したヒトラーは報復として、目標をロンドンに変更したのである。あのまま敵戦闘機を壊滅すればドイツの勝利はあったかもしれなかったのだ。

9月15日イギリス戦闘機隊は取るに足らぬと判断したドイツ軍はロンドンへ昼間爆撃に向かった。
すると、ロンドン上空には300機近いハリケーン、スピットファイアが待ち構えていた。

この日は作戦中に2番目に多い60機が失われた。これにはゲーリングも酷く落胆した。9月27日と30日にもドイツは昼間爆撃を実行したが、それぞれ55機、48機を失い計画は失敗した。

イギリスの9月15日での勝利はバトル・オブ・ブリテンでの勝利を決定付ける形となった。

ドイツ軍は戦術的に夜間爆撃のみに専念していったが、翌年には独ソ戦の準備もあるために、爆撃の規模も減って行き、イギリス上陸作戦は事実上失敗したのだった。

ロンドンという虎の尾を踏んでしまいナチは惨めな惨敗を喫したのだった(笑)