「ドイツも一撃講和論のような講和プランを考えていた」

135名無し三等兵2020/06/29(月) 12:06:00.85ID:CkOmyq9i141
戦争末期の日本軍は、一億総特攻で大きな被害を与えて一撃講和&仲介はソ連と
現実的か否かはともかく曲がりなりにも戦争方針を固めてはいましたが
末期ナチスドイツ(ラインの守り作戦失敗後)はどのように終戦まで持っていく画を描いていたんでしょう?

ドイツも一撃講和論のような講和プランを考えていた

んでしょうか?
「スウェーデンの仲介で西側と講和して一緒にソ連と戦う」は
ヒムラーの個人的な案であってヒトラーや国家の正式な方針ではないですし