子供に勉強を強制せずに秀才にする方法
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どんなのがある?
例
・幼稚園児のうちにトランプ遊び、UNO、オセロ、囲碁、将棋、チェスをたくさんさせて思考力を鍛えさせる
・3歳児くらいの時にルービックキューブを与える
・小学館の図鑑NEOを全巻与える
・学習漫画をたくさん読ませる
・動物園、植物園、水族館、美術館、歴史資料館など、館や園のつく場所に積極的に連れて行く
・漢字を習っているか習っていないかに関わらず、身近にある色んなものを漢字で書けるようにする
・幼児のうちに英語教育をさせるよりも、発音記号をしっかり教えた方がいい ようつべ禁止、攻略本禁止、完全ノーヒントでゲームやらせるだけで頭良くなるよ
5歳のときにマリオオデッセイを完全自力でクリアさせたけど
全国統一小学生テストの算数は偏差値60台後半だわ 無理でしょ
タネと畑の血統の問題や性格もある
競馬の世界と一緒。親がスペック低いならまず無理 足が速いは生まれつきが認知されてる、頭の良さもそうだよね。知識詰め込んで勝負してもOK。努力型の「頭いい」は努力できる性格だったらなれる気がする。
そして地頭の良さはコミュニケーション能力とか複合的要素が加味されて判断されそう。 >>9
努力ができる才能わかるわ。努力のキャパない子に頑張れ頑張れ教で余計に潰してる気がするもの。
ほどほどにしかできないのにすぐやるなら一番目ざさあないとな!とか言い出す奴は無駄に煽るなと内心思ってる。 日常会話、家庭生活の中で「てにをは」を省略していると抽象的思考が苦手になり小4あたりから学業が遅れがちになるというね。聴覚障害者が陥りやすい、俗に言う10歳の壁というやつ。
親は悪い見本にならないようにしないとね。 いわゆる努力ができる人というのは、生得的なホルモン傾向による気質として報酬依存性の高い人のことだね。
要するにご褒美が効くという事なんだけど、そのご褒美というのは他人が与えるアメのことではなく、行為に含まれる小さな快楽のこと。
ボクシングの漫画で、パンチが当たるといい音がするようにワタを抜いたミットを選手に打たせるみたいに、いいトレーナーはそのことを熟知してる。つまり環境は大事。 「やって当たり前のこと」にするひとつの方法が習慣化。家庭では未就学児や低学年に書き取りに取り組ませるよりも、家族で交換日記でもやったほうが子供は伸びる。 運動ができる子はだいたい成績もいいね。体を動かすといい。散歩こそ最高の知育。 スポーツや音楽のできる子は勉強も出来るね。脳内報酬系の活性が高いから。逆に低い子はこれはもう秀才どころか何らかの依存性に早くから陥る。 >>12
>要するにご褒美が効くという事なんだけど、そのご褒美というのは他人が与えるアメのことではなく、行為に含まれる小さな快楽のこと。
全く同感だよ
ピアノも続くのは反復練習の苦痛よりも受け取る音楽的快楽が勝る人だから
でさ、具体的な問題なのが、例えば勉強をさせたいと言う時に「本人が受け取るご褒美を最大にするには親はどうしたらいいのか」だと思う
難しいことは目標までの課題を分割して一つのステップを小さくすることによって、小さな努力で超えやすくすると言うのが一つだと思う
他にありますか? >>17
・壁を感じたら何度も取り組ませるのではなくひとつ前のステップに戻す
・気持ちの切り替えの妨げになるので反省禁止
・安心感をプラスする。いっしょにやりたいという子には付き添い、ひとりでやりたいという子にはひとりの時間をあたえる
・言葉で勧めるのではなく自分でやって真似をさせる。to doリストなどアイテムを導入するときは特に 楽器は脳の発育にいいよ
ピアノとフットサルを習わせてるけど園のお遊戯では台詞も音程もリズムも体操もバッチリできます フットサルいいね、今からの時代は勉強習慣よりも運動習慣があるかないかの方が将来的に子供の幸福度に関連しそうだし フットサル良いんだー、知らなかった。サッカーよりもお手軽に始められそうな習い事だよね。 スレ主です。
皆さんのご意見を読ませてもらいました。
確かに本人のやる気次第な面も大きいと思います。
あと特に男の子の場合は、やる気スイッチが入るタイミングには個人差があり、女の子が地道に努力を積み重ねるのに対して起伏が激しいと思います。
やる気が無い場合は、どのようにして新しい世界を教えてあげるか、どのような形で日常生活の中で自然と教養を身につけさせるかも重要になってきますね。
放任主義にするにしても、部屋の中に色んな本を転がしておくだけで違ってくると思います。 強制せずに、というか人間誰しも強いるとやる気を無くすよね。心理的リアクタンスってやつ。未就学児や低学年なら興味に沿うのが一番いいと思う。妖怪が好きなら水木しげるの妖怪地図でも置いておけば都道府県など勝手に覚える。
自然科学については最低限、親が自然に興味を持ってないとダメだね。たとえば親が庭木の一つも植えられない昨夜の月の形も知らないでは植物や位置天文学に子供が興味を持ちようもないし、たとえ持っても導きようがない。
でも親も無理をするより、自分の好きなことを学ぶのが手本となる近道かも知れない。 元々才能があるものを伸ばすことはできるけど、
ないものはいくら頑張ってもそれなりにしかならないよ
頑張れる能力すら持って生まれたものの方が大きい
幼児期に親が出来るのはその才能を見極めるために様々な体験をさせること
勉強スポーツに限らず 兄弟のいずれかの子が不出来で手をかけさせられてる間に何も手をかけてないのにすいすい自分のことをしていつの間にか勝手に自立していく子はいるな。
兄弟を反面教師にしてるのか。そして手をかけ金をかけた子供の方が自立できないどころか親のせいにしてじっかにいる。 本代を惜しまない。借りるのもいいけど何度も読む物は手元に置くのが一番。 本好きじゃないこらと買わないとますます遠ざかるものね
うちも中古本をまとめて買って本棚に入れといた
気づくと手にとってることもある うちは家に図面とか理科の実験室みたいなのおいてある。勝手に酸化銀とかつくってるよ 秀才は押しつければいい
そのうち苦手が増えるか 嫌々だから学習したの忘れるけども >>11
日常会話は大事ですね。こそあど言葉ばかりの会話では語彙も増えない。以下、とある学習塾代表のコメントから抜粋。
「子どもが伸びる条件」をよく聞かれるが、まず第一に「保護者の言葉の力」だと言っている。送り迎えの家族を定点観測しているので、残酷なくらいに教養の違いが言葉に表れるのだ。
正しく的確な言葉、活き活きとした言葉、相手に分かりやすい言葉など、何分か見ていれば力量差はすぐに分かる。そして10数年経つと、概ねそこで感じた通りの学力差になっている。
それと同じことだろう。とっても当たり前だと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています