米長邦雄 永世棋聖
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生きていたら藤井聡太にベタ惚れだっただろうな
羽生さえ超える逸材として羽生なんてそっちのけになって
亡くなった時点では
将棋界の未来を託すのが渡辺明状態だったから
夢見られないw 長生きしてもっと長く会長を務めてほしかった
この方を失ったのは棋界にとっても国民にとっても惜しい 電王戦とか藤井聡太の頃から将棋を観始めた人は知らないから。 詳しく教えてくださいませ。
動画よろしく
>>11
> 天皇に怒られてる映像ながれてたな ありゃ米長が正しいというか、別に間違っちゃいないよ。
当時の新潮に小堀桂一郎先生がコメントしている。
あれに尽きる。 まだ答えを出すには早すぎるけれど、
このままだと天才型の先ちゃんは
師匠を超えられないで終わるぞ。
先ちゃんは、『或るB級棋士とソフトとの死闘』とでも
題して、双方が順位戦の持ち時間で一番手直りで差し込みで
100局指して出版しなよ。続編を出す頃には、A級に復帰して
いるはずだ。 まだ答えを出すには早すぎるけれど、
このままだと天才型の先ちゃんは
師匠を超えられないで終わるぞ。
先ちゃんは、『或るB級棋士とソフトとの死闘』とでも
題して、双方が順位戦の持ち時間で一番手直りで差し込みで
100局指して出版しなよ。続編を出す頃には、A級に復帰して
いるはずだ。 信長の野望
米長の野望
翁長の野望
皆志を遂げる前に斃れた >>13
正しいとか言ってるのは
お前みたいな知的障害知恵遅れチンカスゴキブリアホウヨだけだよ(笑) こいつが会長だったなら三浦冤罪事件を引き起こした張本人に
己の隠し口座に一千万単位の金を振り込ませた後で力尽くで揉み消そうとしただろうな。
三浦を懐柔できなければなければ強制的に長期休場させていたことであろう。
こいつは金と地位のためなら何でもやる。 >>20
相手にダメージを与えたいなら、もう少し文章を練ることだね。
小堀先生の意見については過去スレに書いた。 米長会長の功績
・将棋連盟黒字化
・公益法人化
・電王戦
・ニコ生
・女流棋戦契約額大幅アップ ライバル・中原とは20回タイトル戦で戦って、6勝14敗
しかし前半10回は米長の1勝9敗だが、後半10回は5勝5敗の五分だった 米長は正式な段階手続きを経ずに勝手に永世棋聖を自称しだしたので、まあ詐称なわけでもないから、連盟が後追いで襲名を認めた。 なんとか谷川を後継者に育てようと頑張ったけど、これだけは失敗した 思ったより勝ってる。6勝18敗位かなと思ったけど、名人戦が1勝7敗か2日制も敗けが多いからやられてる印象強い
3勝4敗が多かった
>>29
> ライバル・中原とは20回タイトル戦で戦って、6勝14敗
> しかし前半10回は米長の1勝9敗だが、後半10回は5勝5敗の五分だった 将棋じゃなくても出世しただろうなー
あんなジジイになりたいもんだ 棋王通算5期目を獲ったとき、自分から余計なことを言って大山を刺激しなければ、結局は米長が初代永世棋王になっていた可能性が高いかもね。 >>38
米さんは大山会長にどんな余計なことを言ったの? 米長をかばって「何もなかった!夢!」
って叫んだ棋士は誰だったのかだけ教えてほしい @羽生さんが無冠になった瞬間のインタビューで後ろに藤井九段がこの世のおわりのような悲しい顔してた
A米長さんがA級陥落した時、BS放送で他の観戦棋士のあ〜あと ため息が聞こえた
B2011or2010羽生さんが森内に名人を奪取された時、第7局の千駄ヶ谷大盤解説会に行ったが、95%は他の観客もがっかりしてた
帰りはみんな元気なくてお通夜の帰りの気分だった
@=A=B
のがっかりだった 放射線治療ではなくちゃんと切り取っておけば
いまでも会長やってたかもな >>41
http://shogi-yakata.com/7kan/KIOU.htm
※による大山死後での『週刊将棋』投稿によると、大山氏は「あんな」棋戦10期(連続か通算かは忘れた)必要と言ったらしい
とばっちりで前期の渡辺棋王に余計なプレッシャー。
なお、個人的見解としては、半年1期時代と今の1年1期時代とで棋聖の重みが違い、半年1期時代の通算5期での永世棋聖は永世棋王のやたらな厳しさ並に違和感。
※は永世棋王のほうがふさわしい >>22
小堀先生というから小堀清一九段かと思った。
桂一郎の方は現役教授時代から何かとイカれていた >>21
三浦冤罪事件は大悪党の※が死んで、小悪党がぞろぞろ動き回れる状況になったからおきた事件
※体制だったら出禁くらってる業界関係者が数人でてるはずだよ 57銀のとき、あっさり負けて順に踏み込んだのがかっこいい ※は凄いよ。
若い頃は性欲の塊、性欲衰えたら仏門に入って神様に媚びる。 米長十段 4勝3敗対中原名人 二年連続米長が4勝3敗
中原が(爽やか流じゃなくて ) 泥沼流だと吐き捨てた
フルセットだからよっぽど中原は悔しかったんでしょうね♪ >>46
小堀がどうとか関係ない
あれは今上が間違ってる
天皇がああいう政治的な発言はすべきではない あ、尊敬する米長先生を見習い、A級陥落フリクラ宣言しました 将棋界の長嶋茂雄。
実績は一番ではないが、
常に将棋界の話題の中心だった。
米長九段が名人挑戦中は、
段位の申請を控えるアマチュアが多かった。
「米長名人の免状が欲しい」と。 記録より記憶のド変人で過大評価気味の人気者長嶋茂雄っぽいのは加藤一二三
米長はナンバー2ポジだから違う >>80
いや、長嶋茂雄はプロ野球界の実力No.2ではあったよ。
特に日本シリーズでの活躍は凄まじく、
巨人軍のV9に大きく貢献した。
日本シリーズはポストシーズンだから、
この時の成果は生涯成績には加えられてはいないが。 選手としての長嶋はふっつーにトップ。
ホームランは王に譲るが、投高打低の時代に3割余裕の圧倒的成績だった。
加藤一二三は浮き沈みが激しいが、全盛期の中原に対抗できた唯一の棋士(棋王戦での覚醒後だが)
対中原のタイトル戦で4勝5敗と互角。20代を大山に潰されたのでタイトル獲得数は少なめだが、過大評価ってことはない。
米長は対中原で80−100くらいに納めてるのが流石だが、タイトル戦成績6−14と大きく負けこしてる。
まあ20回もタイトル戦で激突してることが凄いのだが、中原の防衛支援者ポジだった。
中原を羽生とすると、米長は大活躍するも覇者にカモにされる佐藤康光ポジ、加藤は伸び悩んだ時代が長いが覇者に煮え湯を飲ませて名人竜王になる森内ポジ
あと、現役中に人気があったのは加藤じゃなく米長。長嶋ポジに近いのは米長だろう。
ただし、成績的には長嶋の方が上だと思うが。 >>65
あんな場であんなこと言われたらどんな態度とっても政治的な意味持っちゃうだろ
上皇が選んだのが結局のところ一番穏当な発言だよ
天皇家は昭和天皇の時代から将棋好きなんだから将棋界のためにもっと言うべき発言あったのにねぇ 昭和帝だったら、
「ああ、そう」
で済まされたと思いますよ
そのようにすべきだったと存じます そういったことに関しては昭和天皇の方が万倍神経尖らすタイプだから
たぶん米長の社会的生命おわってたと思う りゅうおうのおしごと11巻で内藤先生がモデルの棋士に愛想つかされしてた >>57
地獄にも天国にも居ないだろ
もし米長の霊があるとしたら快楽の世界で浮遊? ●095 1970(昭和45)年09月17日 第11期王位戦 大山康晴 47歳 4-1 米長邦雄 27歳
○112 1973(昭和48)年07月20日 第22期棋聖戦 米長邦雄 30歳 3-1 有吉道夫 37歳
●115 1974(昭和49)年02月04日 第23期棋聖戦 内藤國雄 34歳 3-2 米長邦雄 30歳
●116 1974(昭和49)年03月12日 第23期王将戦 中原 誠 26歳 4-2 米長邦雄 30歳
●119 1974(昭和49)年10月08日 第15期王位戦 中原 誠 27歳 4-2 米長邦雄 31歳
●121 1975(昭和50)年01月10日 第25期棋聖戦 大山康晴 51歳 3-0 米長邦雄 31歳
●122 1975(昭和50)年03月19日 第24期王将戦 中原 誠 27歳 4-3 米長邦雄 31歳
●130 1976(昭和51)年06月11日 第35期名人戦 中原 誠 28歳 4-3 米長邦雄 33歳
●134 1977(昭和52)年01月31日 第29期棋聖戦 大山康晴 53歳 3-2 米長邦雄 33歳
●138 1977(昭和52)年10月05日 第18期王位戦 中原 誠 30歳 4-2 米長邦雄 34歳
●146 1978(昭和53)年12月27日 第17期十段戦 中原 誠 31歳 4-3 米長邦雄 35歳
○149 1979(昭和54)年04月03日 第04期棋王戦 米長邦雄 35歳 3-2 加藤一二三 39歳
●150 1979(昭和54)年05月18日 第37期名人戦 中原 誠 31歳 4-2 米長邦雄 35歳
○152 1979(昭和54)年10月13日 第20期王位戦 米長邦雄 36歳 4-3 中原 誠 32歳
●153 1979(昭和54)年12月14日 第18期十段戦 中原 誠 32歳 4-1 米長邦雄 36歳
●156 1980(昭和55)年03月21日 第05期棋王戦 中原 誠 32歳 3-1 米長邦雄 36歳
●157 1980(昭和55)年06月04日 第38期名人戦 中原 誠 32歳 4-1 米長邦雄 36歳
○158 1980(昭和55)年07月18日 第36期棋聖戦 米長邦雄 37歳 3-1 中原 誠 32歳
●159 1980(昭和55)年08月29日 第21期王位戦 中原 誠 32歳 4-0 米長邦雄 37歳
●161 1981(昭和56)年01月28日 第37期棋聖戦 二上達也 49歳 3-1 米長邦雄 37歳
●162 1981(昭和56)年03月03日 第30期王将戦 大山康晴 57歳 4-1 米長邦雄 37歳
○163 1981(昭和56)年03月12日 第06期棋王戦 米長邦雄 37歳 3-1 中原 誠 33歳
●167 1981(昭和56)年12月22日 第20期十段戦 加藤一二三 41歳 4-2 米長邦雄 38歳
○169 1982(昭和57)年03月30日 第07期棋王戦 米長邦雄 38歳 3-2 森安秀光 32歳
○176 1983(昭和58)年03月04日 第32期王将戦 米長邦雄 39歳 4-1 大山康晴 59歳 ○177 1983(昭和58)年03月11日 第08期棋王戦 米長邦雄 39歳 3-0 大山康晴 59歳
○183 1984(昭和59)年01月23日 第43期棋聖戦 米長邦雄 40歳 3-1 森安秀光 34歳
○184 1984(昭和59)年03月06日 第33期王将戦 米長邦雄 40歳 4-1 森 雞二 37歳
○185 1984(昭和59)年03月21日 第09期棋王戦 米長邦雄 40歳 3-1 森安秀光 34歳
○187 1984(昭和59)年07月13日 第44期棋聖戦 米長邦雄 41歳 3-0 谷川浩司 22歳
○190 1985(昭和60)年01月08日 第23期十段戦 米長邦雄 41歳 4-3 中原 誠 37歳
○191 1985(昭和60)年01月31日 第45期棋聖戦 米長邦雄 41歳 3-2 中村 修 22歳
●192 1985(昭和60)年03月05日 第34期王将戦 中原 誠 37歳 4-1 米長邦雄 41歳
●193 1985(昭和60)年03月22日 第10期棋王戦 桐山清澄 37歳 3-1 米長邦雄 41歳
○195 1985(昭和60)年07月19日 第46期棋聖戦 米長邦雄 42歳 3-1 勝浦 修 39歳
○198 1986(昭和61)年01月08日 第24期十段戦 米長邦雄 42歳 4-3 中原 誠 38歳
○199 1986(昭和61)年01月13日 第47期棋聖戦 米長邦雄 42歳 3-0 中村 修 23歳
●203 1986(昭和61)年07月25日 第48期棋聖戦 桐山清澄 38歳 3-1 米長邦雄 43歳
●204 1986(昭和61)年08月21日 第27期王位戦 高橋道雄 26歳 4-0 米長邦雄 43歳
●206 1986(昭和61)年12月19日 第25期十段戦 福崎文吾 27歳 4-2 米長邦雄 43歳
●210 1987(昭和62)年06月12日 第45期名人戦 中原 誠 39歳 4-2 米長邦雄 44歳
●222 1988(昭和63)年11月17日 第01期竜王戦 島 朗 25歳 4-0 米長邦雄 45歳
●226 1989(平成01)年05月19日 第47期名人戦 谷川浩司 27歳 4-0 米長邦雄 45歳
○233 1990(平成02)年03月30日 第39期王将戦 米長邦雄 46歳 4-3 南 芳一 26歳
●240 1991(平成03)年03月12日 第40期王将戦 南 芳一 27歳 4-2 米長邦雄 47歳
●242 1991(平成03)年05月31日 第49期名人戦 中原 誠 43歳 4-1 米長邦雄 47歳
○258 1993(平成05)年05月21日 第51期名人戦 米長邦雄 49歳 4-0 中原 誠 45歳
●266 1994(平成06)年06月07日 第52期名人戦 羽生善治 23歳 4-2 米長邦雄 50歳 新聞社の嘱託になるのを断ったのは将棋界への大貢献なんだなあ
このおかげで棋戦の賞金交渉がやりやすくなった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています