大山は王座戦が一般棋戦のとき9回優勝している
しかも第1回優勝(30歳)から1959年(36歳)まで下から勝ち上がり4回の優勝を記録した
これがタイトル戦なら五番勝負に勝つだけでよく7期連続防衛していたことになる
このあとも、1964年(41歳)に優勝して1968年(45歳)まで3回優勝した
これも五番勝負に勝つだけでよいタイトル戦だったら5期連続防衛できていた
1970年から準タイトル戦に昇格して中原王座時代になってからも1980年(57歳)、1981年(58歳)と連続優勝した
つまり、大山の王座戦9回優勝はタイトル戦なら14期の価値があった

同じことは棋王戦にも言える
棋王戦の前身だった最強者決定戦(1961年〜1973年)には名人は出ることができなかった
その代わり、最強者決定戦優勝者と名人との模範対局(持ち時間6時間の公式戦で名人が後手)があった
大山名人はこれに10年間で8連勝し9-1の成績を残している
名人は後手という決まりのハンディもあったから、五番勝負のタイトル戦なら10期連続防衛の価値があった
すなわち、大山時代に棋王、王座がタイトル化していたら大山のタイトル獲得数は104期になっていたことになる
あくまでもこれは仮定の話だ
だからこそ、直接比較が容易なタイトル戦で見ればいい
>>417-421の通り、大山が上であるという結論は磐石だ