名人は後手という決まりはNHK杯戦を始め様々な棋戦で適用されていた
現役名人だけでなく15世名人ということで後手の棋戦もあった

◇NHK杯
1951年開始
1954-1971まで41局中39局が後手
◇王座戦
1953年開始
1953-1972の第20回まで63局中49局(0.778)が後手
先手番は決勝三番勝負の互先のみ
◇勝ち抜き戦
1979年開始
1979-1983まで10局(最高3人抜き)すべて後手
◇名将戦
1974年開始
1974-1975の12局中10局が後手
先手は2年連続した中原との決勝三番勝負の2回だけ
第3回(1976年)から振り先になったが、なぜか後手率が高く、38局中25局が後手だった(後手率0.658)


上記で見たように大山は、一般棋戦での後手率が高い上に、その多くが指し盛りをすぎてから始まった棋戦で、しかも羽生のように若手棋戦(若獅子戦、新人王戦)や朝日杯、銀河戦がなかった時代という制約下で44回優勝した
優勝した棋戦だけでも20代、あるいは30代に出場できていたなら優勝回数は倍増していたのは間違いない