Q. 全員タイトル経験者のA級順位戦はこれまで何回?
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A. 全員タイトル経験者のA級順位戦は、長い順位戦の歴史上たったの一度きり
【第70期A級順位戦(2011年)】
羽生善治、渡辺明、三浦弘行、谷川浩司、屋敷伸之、郷田真隆、佐藤康光、高橋道雄、丸山忠久、久保利明
史上最も過酷なA級順位戦の結末は、なんと羽生善治が9戦全勝で名人挑戦権を獲得
A級順位戦での全勝は、2003年の第62期A級順位戦で森内俊之が達成して以来8年ぶり3人目の快挙であった
なお、名人森内俊之が挑戦者羽生善治を下して防衛した >>29
>・羽生と佐藤康と三人でパネルクイズ・アタック25のパネルの開け方を共同研究。深夜の雨の中、首都高を運転初心者の佐藤の車で帰ることになり、死にそうになる
>・1995年、全国で4人しか通過できない一般予選会を勝ち抜いてアタック25に出場。奮闘するも優勝はならず。
訂正
・1994年王将戦、七冠に挑戦する羽生の応援のため、佐藤康の車に同乗して2人で日光へ。実は免許取り立ての佐藤。なんと冬のいろは坂をチェーン無しで越えようとしていたことが判明する。森内必死の説得でなんとかバスに乗り換えて現地入り。
・応援虚しく羽生は完敗。羽生を乗せて3人で帰路に着く。高速に乗ったところで佐藤が思わぬ告白。「夜の運転は初めてなんだ」。震え上がる森内と羽生を乗せ、佐藤の車は深夜の雨の首都高をヨロヨロと走り抜けた。
・1995年、全国で4人しか通過できない一般予選会を勝ち抜いてパネルクイズ・アタック25に出場。事前に羽生と佐藤康と3人でパネルの取り方を研究していたが、奮戦及ばず優勝を逃す。 >>32
追加
・2010年竜王戦1回戦。いきなり同級生の郷田との対戦が決まり気合十分。ところがなんと郷田が遅刻。森内は郷田が来たら持ち時間を使わずすぐ指せるようにと郷田の分の駒も並べて待っていたが、結局郷田が姿を見せず不戦勝。
・ライバル森内との対戦が楽しみで前日の夜に一睡もできず、明け方の4時に入眠してしまったために起きられなかったと釈明する郷田を森内は笑って許し、無事和解。なお、森内は2回戦で敗退した。 >>31
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・2005年10月23日、第3回国際将棋フォーラムにて、人類代表としてコンピューター将棋前年度世界チャンピオンのYSSと対戦。なんと角落ち上手でYSSを圧倒して勝利。公式対局で駒を落として将棋ソフトを倒した最後の人類となる。 >>30
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・これにより、将棋界の二つの別格タイトルである竜王と名人の同時在位、いわゆる棋界統一を達成する。羽生、谷川に続き、史上3人目の快挙。 -森内俊之は邪道棋士の先輩ということで米長さんを挙げられました。
「あ、50歳をすぎてから、自宅の隣に道場を建てた米長さんの真似して、僕も自宅近辺にあ、おばクラブを建築しましたぁあ」と。
あ、50代後半あたりで新しいことをやろういうという気持ちって、なかなか生まれてこないというところですね。
あ、僕は46歳で順位戦から逃避したので暇なんですけど(笑)
-同じぐらいの年齢に近づいてきて、それくらいドラスティックに新しいことにトライしていきたいという気持ちはありますか?
う
ーあ、僕は将棋よりもクイズやバックギャモンで有名になりたいですね。あ、将棋は一つの道具だっただけですし
-実際に升田先生と将棋を指されたことはありますか?
あ、将棋を指したことはないんですけど、升田に褒められたことはあるんです
あ、朝日オープンで名人だった谷川を破って優勝した時、升田がいて褒められました
あ、僕は邪道棋士の後継者に適任だったみたいで、スゴいご機嫌になられて。
めちゃくちゃ臭そうな爺だったので緊張もあったんですけど「あ、よかった〜」みたいな感じでした(笑)。 あ、ブリブリ星人が沢山!!
【名人の年度勝率ワースト10】
@森内俊之 .345 10-19 2011 41歳 ←←
A佐藤天彦 .457 16-19 2017 30歳
B升田幸三 .484 15-16 1958 41歳
C米長邦雄 .486 17-18 1993 50歳
D中原 誠 .519 27-25 1990 43歳
E森内俊之 .520 13-12 2012 42歳 ←←
F森内俊之 .527 29-26 2004 34歳 ←←
G森内俊之 .533 24-21 2007 37歳 ←←
H中原 誠 .560 28-22 1992 45歳
I中原 誠 .561 37-29 1986 39歳
あ、名人8期中半分の4期がランクイン
【主な歴代名人が年度勝率6割未満となった割合】
5.6% 大山康晴 18期中1期
33.3% 中原誠 15期中5期
0.0% 羽生善治 9期中0期
75% 森内俊之 8期中6期←←
0.0% 谷川浩司 5期中0期
33.3% 佐藤天彦 3期中1期 >>31
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・2008年名人戦に合わせてNHKプロフェッショナル仕事の流儀スペシャル「最強の二人、宿命の対決」が放送される。小学生から名人戦まで森内と羽生の軌跡を克明に描き、大反響。
・「羽生さんは天才。天才の背中を追い掛けていたら、いつの間にかここにいました」「一人では険しすぎる道でした。森内さんが隣にいたから、一緒に走って来られました」 >>31
訂正
・2007年名人戦、挑戦者は郷田。郷田が扇子を鳴らすのにイラついて口論になり、興奮しすぎて鼻血を出す。それでも4勝3敗で防衛を決め、羽生より先に十八世名人の資格を得る。
↓
・2007年名人戦、相手は同級生の郷田真隆。防衛に成功すれば永世名人(十八世名人)の資格を獲得できるとあって森内の緊張が高まる。第一局では、郷田が扇子をパタパタと鳴らすのにイラついて猛抗議。興奮しすぎて鼻血を出す。
・3勝2敗と防衛に王手をかけて迎えた第6局、数年に一度と言われる大技「王手龍取り」がこの大一番で鮮やかに決まり、森内ファンは大熱狂。十八世名人が誕生した……かに思えたが、まさかのトン死で世紀の大逆転負け。重圧の前に鋼鉄の受けは香車一本で砕け散った。
・それでも、3勝3敗で迎えた土壇場第7局、落ち着きを取り戻した森内の鋼鉄の受けが炸裂。見事羽生よりも先に永世名人の資格を獲得したのであった。 >>33
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・2013年5月6日、羽生との名人戦を3日後に控える中で将棋イベント「シモキタ将棋名人戦」に参加。選ばれたファン81人を相手に駒落ち81面指しに挑戦した。小学生相手に「あ、負けました」と満面の笑みで投了してYahoo!のトップニュースに。
・将棋人気回復への使命感に燃える森内は、2016年11月5日に地元の横浜市青葉区に「青葉将棋クラブ」をオープン。翌年からの藤井聡太フィーバーで子供会員が激増し、「髪の毛フサフサの先生」として大人気に。
・2019年、クイズ王の伊沢拓司が率いる東大のクイズ研究サークル「QuizKnock」とコラボ。30歳近く年下の学生たちと将棋やクイズで対決して大はしゃぎ。 >>32
追加
・2011年、若手No. 1憲法学者の木村草太が『憲法の急所』を出版。前書きで「森内先生の『矢倉の急所』を読んで感動した。こんな法学書を書きたいと思った」と唐突に森内愛を語る。ベストセラーとなり、思いがけず森内の名が法学界に爪痕を残した。
・2014年2月3日、名著『覆す力』を出版。将棋板のこのテンプレ(の過去版)と思われる文書を頼りに編集者が森内の人生を根掘り葉掘り聞きまくり、テンプレの内容がほぼ真実であることが森内自身によって裏付けられた。 >>17
姑息絞り全盛期森内より姑息絞り全盛期羽生の方が強いw
>>34
姑息絞りでねw
佐藤康光以下w >>35
姑息絞りだよ、研究温存かw
>>36
名人9期、名人8期
大事なところで勝ったのはどっちだ!w
>>48
とってるだけで防衛はしてないし姑息絞りだけどねw じゃあなんで森内は他棋戦に弱かったのか?
王将も得意であるはずの羽生に0-4ストレート失冠してしまったのか?
答えは一つ、名人戦に絞っていたから
そりゃ名人戦に強いわけだ、納得納得
>>3-4
>>9-14
自演乙w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています