『先生がA級のころの名人は大山康晴。当時は岡山に住み、対局のたびに東京に来ていたが、交通が不便な時代だったので、頻繁に行き来することができず、東京に出たときは、数か月熱海の旅館に滞在し、そこで対局をこなした。

つまり大山と対局する棋士は、タイトル戦以外の場合、熱海に出かけたのである。当時の名人の日常はそのくらい優雅なもので、特権階級と言えた。だから私などは、大山が対局しているのはもちろん、姿を見ることもできなかった。

そんなとき小堀先生は、大山に将棋を教えてもらおうと、熱海まで押しかけて行った。もちろん約束なしにである。

このとき望みどおり一局指せたかどうかはわからない。この話を聞いて以来、大山が断っただろうと思っていたが、この稿を書いている今は、大山もしかたなく指したような気がする。

この話は、記録係をしていたとき、棋士たちが「あきれたものだ」と噂うわさ話をしているのを聞いて知った。

そのころの大山は、常宿の美しい娘さんとよい仲になり、まるで新婚気分である、との噂があった。これが後年、スキャンダラスな小説を書かれる原因になった。』

大山は小堀との対局以外にも熱海対局を恒常化してたと読めるな。
多分本当のことやろうが、キッチリとこの不正行為を調査して欲しいねえ。
どの程度の期間で何局で、棋譜や記録罹りはどうだったかなどなど。
今ならまだ生き証人はおるやろうしねえ。
臭いものに蓋ではすまされんのとちゃうか。大山へのご沙汰もきっちりとね。
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