>>861
大山はこういう時代の覇者



85歳観戦記者の記憶

高橋さんが東京の笹塚で生まれたのは、その少し前の1933年。将棋を覚えたのは1939年ごろで、小学校に上がる前だった。

「当時、男の子の8割ぐらいは、将棋のルールを知っていたでしょう。
小学校の前には文房具屋が必ずあって、紙の盤と木材のクズでできた駒を売っていましたからね。私が将棋指しで知っているのは、木村義雄でした。
知名度があって、相撲の双葉山と並んで『強い男』の代名詞でしたよ。」

「戦後の新聞はページ数も少なかったのですが、将棋は破格の扱いで、新聞の社会面に写真つきで名人戦や『高野山の決戦』が報道されていたことを覚えています。
升田、大山はとにかく有名で、将棋を知らないかみさん連中でも名前を知っていましたね。
私は学校に将棋好きの友達がいれば、よく指していました。戦法は『腰掛け銀』、これをバカの一つ覚えみたいにやったんですよ。
『腰掛け銀』は新聞社の入社試験の常識問題に出たぐらい有名だったんです」

https://bunshun.jp/articles/-/10104