【陣屋事件】

1952年の第1期王将戦第6局において、対局場であった旅館「陣屋」の対応に不満を抱いた升田幸三が対局を拒否した事件である。

この年からタイトル戦になった王将戦、升田は、名人・木村義雄を相手に第5局までに4勝1敗とし、すでに初のタイトル獲得を決めていた。
しかし、当時の王将戦の制度では、タイトルの行方が決まってからも新聞掲載のために番勝負を継続することとなっており、第6局は2月18日から神奈川県の陣屋で行われることになった。

2月17日、対局前日に升田は陣屋に赴き呼び鈴を鳴らした。
しかし、待てど暮せど誰一人迎えに来ない。
一説には、升田が大変粗末な身なりだったため、陣屋側は対局者だと気付かず、物乞いと誤解して無視したとも言われている。
怒り狂った升田は、近くにあった別の旅館に駆け込み、やけ酒をあおった。

やがて、他の棋士や主催紙の記者らが気付き、慌てて升田のもとを訪れ、必死になだめた。
しかし、いつの間にか升田は陣屋の非礼そっちのけで連盟や新聞社に対する積年の不満をぶちまけ始め、聞く耳を持たない。
非礼を知った陣屋の主も謝罪に訪れたが、升田は一向に収まらず、結局、そのまま翌日の対局をボイコットしてしまう。

これに怒ったのは連盟理事。
升田に事情も聞かず、棋士総会にもはからず、理事会の独断で、升田に対して一年間の出場停止という厳罰を下してしまう。
また、升田は七番勝負ですでに4勝を挙げていたが、王将戦が途中で中止になった以上、タイトル獲得とは認められないとして、王将位も認めなかった。
これに対して、「升田に弁解の機会も与えずに処分を下したのは強引である」「升田にも同情の余地があるのに、一年間の出場停止は重すぎる」「第5局までですでに王将位獲得は決まっていたのだから、タイトルを認めないのはおかしい」と世論は猛反発。
連盟理事全員が辞任し、将棋界は大混乱に陥る。