棋士のおもしろエピソード教えて
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谷川九段は腹痛で辞任したはずなのに夕休でドカ食いした NHKの講座中にアシスタントが消えた。確か妊娠中であったが産気づいたわけではなかったかと。真相は真部先生しかわからない。 南の島事件
矢内さんを諦めます
叡王戦はどうでしたか?
結婚式で詰将棋。からの読み上げ
それを言うのは10年早いかと
チャーシュー6枚追加
将棋盤の星
どっちがおいしいの?
将棋以外では将棋観戦
ZONE解散コンサート
チェスは捕虜を殺すじゃないか
100万を叩きつける
みかん山盛り
滝を止める
小袋からゼナ
いい女を抱きたい
青いの
大富豪次の一手 新幹線で財布をすられ、
大ポカで桂をタダで取られた中原を不憫に思ってたら
「もっと大事な物(名人)を取られてしまった」谷川浩司 その話は米長が冗談半分で大袈裟に書いたものが、あまりにも「らしい」ので信じられているというパターンの気がするなあ 佐藤康光が箱入りみかんを軽トラに目一杯積んで師匠の田中魁秀に届けた 青野は奨励会時代、沼との対局で全駒級の大差で
沼の玉も風前の灯という超ド必勝の局面を迎えながら
3四の飛車を3六飛成として反則負け
次の対局で香落ち下手なのに初手7六歩と指して反則負けで
二手連続反則負けを記録した 有野芳人は水島新司と草野球仲間だった縁でドカベンスーパースターズ編に実名で登場した akbのライブに間に合いたくて怒涛の早指しでしかも勝ったの誰だっけ 村山聖さんのアパートを将棋マガジン誌の企画で米長さんが訪ねたとき、足のふみばもないほど散らかっていたが、将棋しようと米長さんがもちかけたが、盛り上げ駒の歩が1枚足りなくて10円玉を代わりにして指したのが面白かった。 好きじゃないけど得意だから棋士になったってこと?
>>24
というか、彼ぐらいキャラが濃いの、他にいるかな。
>>29
その話、AKBじゃなくてZONE解散コンサートに間に合うために持ち時間使わずに勝ったんじゃなかったっけ。 >>29
大平
33にあるように持ち時間を使わずに勝った 山田久美は大山康晴と喫茶店に行く事になったが、
ちょうどフライデーにセミヌードが掲載された頃で
運悪く喫茶店にもそのフライデーが置いてあった。
大山が席を立ち雑誌を取りに行き絶対怒られる…
と思って恐る恐る目を開けたらまさかのお菓子の本で
「息子はこういうの作ってくれるけど君は作れるかい?」と言われて安堵した 林葉直子はペンキ塗り立てのベンチに座って
ペンキがベッタリ付いてしまったが
替えの服もなかったのでしばらくペンキのついた服のまま対局した 小林健二は板谷進の内弟子になった際、
「嫌いな食べ物があったら全部書きなさい」と言われ
気を遣ってくれるんだと思ったら毎食嫌いな物ばかり出され、
「プロ棋士になるのに苦手な物があってはいけない」
という師匠の厳しい教えで好き嫌いを克服した。 日浦市郎は奨励会時代、記録係をしていたが
対局者の富沢幹雄が夕食に注文したカレーも食べず、
感想戦に熱を入れてなかなか切り上げないから
もうカレーを注文した事も忘れてるんだろうと
控室に置いてあった富沢のカレーを平らげ、
富沢が「あれ、おかしいなあ」とカレーを探してる時にダッシュで会館を後にした
そして生前に謝罪しそびれたまま富沢がなくなり 日浦市郎は奨励会時代、記録係をしていたが
対局者の富沢幹雄が夕食に注文したカレーも食べず、
感想戦に熱を入れてなかなか切り上げないから
もうカレーを注文した事も忘れてるんだろうと
控室に置いてあった富沢のカレーを平らげ、
富沢が「あれ、おかしいなあ」とカレーを探してる時にダッシュで会館を後にした
そして生前に謝罪しそびれたまま富沢が亡くなり
週刊将棋の連載の場で謝罪した 内藤國雄が神戸新聞に出題している詰将棋の原稿料を
一題3万円と見込んだ人が「私の詰将棋を2万円で買って欲しい」と手紙を寄越したが
実際の原稿料はその10分の1だとエッセイで暴露した コンピューターが人間に勝つのはいつか?
という将棋年鑑のアンケートに
平藤眞吾は「ゲーセンの将棋に2回負けた事がある」と答えた 三間飛車党で知られる山本四段
実はかなりの大喰漢で三枚堂七段と'さわやか'へ行った際にステーキセット・ハンバーグセットをそれぞれ頼み完食している 関西棋士がふざけて鬼ごっこをして騒いでいたら警察が来た
職務質問に慣れている福崎文吾が対応して処理した 貞升が、学生時代にバレンタインチョコをあげた事がある男に再会したら、ギャル男に変身していた 米長伝説
1(中)道後温泉のホテルで将棋連盟の社員を前にして「よし!明日は頑張ろうじゃないか」と下半身露出
2(二)順位戦で谷川浩司に負けて「悔しい!」と叫びながら将棋会館4階から放尿を試みるも未遂に終わる
3(一)鳥取砂丘で「男四十、鳥取砂丘に立つ」と全裸に。その勇姿は写真週刊誌に掲載
4(三)46歳。王将戦フルセットの激闘を制しタイトルホルダー復帰。打ち上げで歓喜の裸踊り
5(右)記念すべき第一期竜王戦、島朗にストレート負けを喫して金沢ニューグランドホテルの廊下を全裸疾走
6(捕)弟弟子の沼春雄と八ヶ岳に登頂。天狗岳山頂で「ああいいねえ」と言いながら自らの天狗を開チン
7(左)加藤一二三との十段戦。トイレで一緒になった観戦記者の山田史生に「ここだけは加藤さんには負けないんですね」と逸物を見せつける
8(遊)永世棋聖を決めた棋聖戦。打ち上げの席でお酌のために近づいてきた芸者に「これが本当の金一封なんですね」と晒す
9(投)上記ほとんどのエピソードを「将棋世界・米長邦雄追悼号」に書かれる痛恨のミス 今ので思い出したが
中原がバーでキープしてるボトルを飲んで
ボトルに「大山が飲みました」と書いた先崎学 浦野真彦は奨励会時代、詰将棋創作に没頭するあまり
例会の対局中に「なんで玉が2つあるの?」と相手に聞こうとした 杉本昌隆四段(当時)
機内食を配り始めた時、私の前にきたスチュワーデスが日本語で話しかけてきた。
「もしかして杉本君ですか?あの将棋の強かった……」と。
過去形で言われたのがいやに気になったが、どうやら日本人らしい。
しかし、どう考えてもその顔に見覚えはなかった。とっさに思ったのは、
この人、見かけによらず将棋好きで、意外にも俺のファンなのではないか、
なんて事だから我ながら図々しいにも程があるが……。 >>10
>それを言うのは10年早いかと
これわからん 先崎はジーパンで対局したことや
対局室に入ったことは実は無い
本人談「アレはチノパンだからOK」 突撃はこのハゲぐらいワイドショーで放送されてたよね 佐々木勇気が貞升南に
「永瀬が本当に好きなもの知ってる?え、一緒に仕事したのに知らないの?イチゴだよ!」と謎のマウント取った話も面白かった 杉本八段が藤井くんと食事をした際、藤井くんはデザートを決めるのに長考したが品切れだった。
さらに30分間長考したものの、先ほど選んだ品切れのものをまた頼んでしまった。 >>53
鈴木の「10年経ちました」へのフリのこと?
棋士数名で呑んだ時に勝浦だったか誰だったかが一人で払おうとして
鈴木が「私も半分出します」と言ったら、「それは10年はやいかと…」と止められたって話
のちに、「此処は私が」で、また止められた時に「10年経ちました」と言って
じゃあ頼むと言って貰えたってエピソードあったはず 小学校の帰りに将棋の事考え過ぎて
ランドセル忘れて帰ってきたな藤井少年 藤井聡太が小学生の時、大会でミスして準決で負けて悔しくて泣きじゃくって
、そのまま泣きながら3位決定戦を指して泣きながら勝ってたという話好き 旧山口「三浦(孝介・元奨励会三段)さんはポケモンGOでカイリュウを道端で発見してすごい興奮して
モンスターボールじゃなくて携帯を投げつけたというエピソードをある棋士の方から聞いてそれ以来ファンになりました(笑)」 タカミチ先生の離婚時の名文(おもしろではないか)
「今年のA級、独身は丸山と三浦の二人、この度私も仲間入り」
あと、おもしろでないし対局中の話題だけど、〇の冷えピタには当時衝撃を受けました。 「何でも気軽に書き込める巨大掲示板」の話題を
NHK将棋講座テキストのエッセイに書いた青野照市 >>47
>4(三)46歳。王将戦フルセットの激闘を制しタイトルホルダー復帰。打ち上げで歓喜の裸踊り
確かその時勃起してて、しかも弟子(先崎)にも一緒に躍らせてたんだっけ。 神吉「戦形に著作権を認めて、採用数の多い上位5人だけがその戦形を使えるようにしよう」
杉本「だったら、まず居飛穴を禁止しましょう」
神吉「ちょwwwwおまwwwwさっきワシ相手に居飛穴で勝ったのはどこのどいつだよwww」 >>68
覚えていた記憶力と
これを言おうと準備あったのか、偶々思い出したのか知らんけど
10年越しのネタを本当に実行する辺りは
鈴木らしさあってオモシロかと思うけどなあ〜
ただ47氏がコレを意図していたのかは謎 >>63
そんなことしてる暇あるなら将棋の研究しればよかったのに。。
というのは野暮か 森内が将棋大会の解説に登場して、負けた小学生に詰み勝ちがあったことを言い小学生を泣かせた
そして、その小学生は奨励会に入ったが奨励会を抜けられず泣いて消えた って事は棋士から訴えられない程度のデタラメで埋めたら面白いのか って事は棋士から訴えられない程度のデタラメで埋めたら面白いのか って事は棋士から訴えられない程度のデタラメで埋めたら面白いのか 中原は将棋世界編集部に「これを飲むと将棋が強くなるよ」と
ハブ茶を差し入れた 他スレでも千田ってワード見つけては差別って言い回る奴いるけどなんなの 小学生の時に藤井二冠はニコニコしながら将棋祭りで何をしていいのか分からない
小学生の手を引いて自由対局エリアに連れて行き、
フルボッコにした。 先ちゃんのエッセイ本はエピソードの宝庫だったな
・南の島事件
・滝と郷田のボウリング事件
・康光、助手席に先ちゃん乗せて一時停止違反
あと忘れた >>85
昔はA級棋士は絶対で将棋盤にウンコしろと言われたらしなければやらなかったみたいなエピソードが1番引いた >>47
この米長をして「あの人にはかなわん」と言わしめた藤沢秀行はとんでもない人だったんだな。 スレチだが話の流れで藤沢秀行の面白エピソード
日本棋院から脱退して「免状は高すぎる」と独自免状を発行したものの
紙代やら執筆依頼代やら桐箱代やらの諸経費がかかって
免状を発行すればするほど赤字になり
免状の値段が適正だと証明してしまった件だな 羽生家は一家でフィギュア羽生さん大好き
羽生特集をすると知ってTVの前でワクテカしてたら自分の特集でがっかりしたという話わろた >>87
1(中)愛人の家で三年間暮らしたため自宅の場所が分からず、本妻に迎えに来させる
2(二)酒癖が悪く、酔うと「おまんこ」を連発する
3(三)ケ小平と会談する際にも「おまんこ」連発、更に「中国語でおまんこは何と言うのか」と執拗に絡み会談中止
4(一)自宅を抵当に入れられるほど借金がかさみ、返済するために新設のタイトル戦を6連覇
5(左)重度のアルコール依存症のためタイトル戦の前には酒を抜くための訓練をした
6(右)最年長タイトル保持者(67歳)
7(遊)競輪で250万円をスり、悔しさのあまり金網を強く握り締めたところ競輪場の名所となる
8(捕)自分の嫁に「二度と結婚したくない」と言われるが、死の間際に息子を呼び「かあちゃん好きだ」と呟く
9(投)孫娘が最年少で女流棋士となり更に最年少で女流本因坊獲得
中継ぎ 女性棋士が集まった会に乱入「なんだ、腐ったおまんこばっかりだな」
抑え 普通教えない囲碁の技術を弟子に教えて負ける→「弟子が強くなるなら、自分がそれ以上強くなればいい。己を磨くためにライバルを育てているんだ。」
代打 知り合いの家に訪問する時は、インターホンを押すかわりにおまんこを絶叫
代打 初代棋聖獲得を祝う記念パーティーでのスピーチ第一声が「おまんこなめたい」→NHKで中継
代打 棋聖防衛を報じる日テレ生放送インタビューにて「姉ちゃんかわいいな、私とおまんこしようよ」
代打 熱海で遊んでいる時、「そういえばヨネさん(=米長邦雄)がこの近くで名人戦やってるな。観に行こう」と突撃を敢行。
しかし泥酔済みのため名人戦会場入口で止められる。「俺だ!藤沢だ!通せ!おまんこ!おまんこ!」と叫ぶ
対局中に表情を変えることがないと言われていた中原誠も思わず爆笑 夕食を注文した事も忘れて外食に行ったA八段
大会の審判に呼ばれて行ったら誰もおらず大会自体が架空のイタズラだったB七段
大会の審判に行ったら優勝賞金に20万円も出してしまったせいで
赤字を理由にギャラ払えないと言われブチ切れて帰ったC九段 >>85
むしろ、真っ暗闇の中でも、決して将棋盤井つまずかないようでなければ、棋士でないとか言ってた殴打のほうがオモロイ >>90
己を磨くためにライバルを育てているんだ
何これかっこいい ・1970年10月10日生まれ。同学年には、羽生、郷田、丸山、藤井、先崎がいる。
・体重は4075g、身長は55cmと非常に大きかったため、大変な難産だった。
・祖父は京須行男八段。奨励会の幹事を務めたこともあったが、
当時の奨励会には中原、米長、大内、河口などが在籍しており、何かと苦労が多かったようだ。
・小学校3年生の時に将棋と出会う。その後、すぐに将棋に夢中になり、
学校から帰ると「将棋世界」誌を読みながら、京須八段の形見の駒を動かしていた。
・1981年1月6日、新宿で開かれた小田急将棋まつりの小学生大会の予選2回戦で
同じ小4で後にライバルとなる羽生善治と初対戦し、ツノ銀中飛車で勝利する。
しかし、翌日に行われた本戦の準決勝で再戦し、今度は完敗する。
・1981年8月、友達になった羽生に誘われ、東京都下小学生名人戦に参加するため八王子まで行くが、
神奈川県在住だったため参加することが出来ず、観戦だけして帰った(優勝は羽生少年)。
その姿を見た主催者が不憫に思い、翌年から規定が変わって、県外からの参加もオープンになった。
・1982年4月、小学生名人戦にてTV初登場。しかし、「リハーサルと同じ様にお願いします」という
ADの言葉を勘違いして、将棋まで同じ様に指してしまい、惨敗。優勝した羽生とは対戦できなかった。
・1982年8月、規定が変わった東京都下小学生名人戦に参加。
決勝で小学生名人の羽生を204手の泥仕合の末に下し、優勝する。
・1982年12月、奨励会を受験。入会試験で、負ければ不合格の対局を3連勝して合格(その内の1勝は林葉から)。
・奨励会1級の頃に、高柳道場で時の名人だった中原誠と対局し、大熱戦を演じる。
後年、中原は「ひっぱり込むような受けをされ、負かされそうになった。これは強くなると思いました」と語った。
・奨励会二段の頃に、島朗から研究会の誘いを受ける。もう1人のメンバーに郷田を推薦するか、
佐藤康光を推薦するか迷うが、結局、佐藤を推薦し、さらに羽生を加え、最終的には4人で研究会を結成。
・1987年5月13日、四段に昇段し、プロ棋士になる。翌月に三段リーグが復活したことで、
現在のところ、三段リーグを戦わずに四段になった最後の棋士となっている。 ・四段昇段時のインタビュー。
── 目標は?
森内 「名人です」
── 尊敬する棋士は?
森内 「米長九段」
── ライバルは?
森内 「羽生善治、佐藤康光、先崎学」
因みに、好きなタレント・歌手は、「南野陽子、Wink」と答える。(南野は後に将棋ファンになる)
・デビューから土付かずの9連勝を記録し、その勢いで新人王戦を制覇。
さらに、早指し新鋭戦でも2年連続で、決勝で羽生を下し、連覇を達成。
・中学・高校は、サレジオ学院(男子校)に在籍。
カトリック系の学校の生徒という理由で、加藤一二三九段に一方的に親近感を持たれる。
・高校生ながら年収が600万円を超えていたため、月の小遣いとして10万円もらっていた。
・1989年3月、谷川浩司名人を2勝1敗で下して、全日本プロトーナメントを制覇。
最終局の観戦に来ていた升田幸三は「四段が名人に勝っちゃいかん」と言っていたが、
実は、「若手No.1は森内」と高く評価していた。
また、高校生・四段が名人を番勝負で負かすのは前代未聞で、「フォーカス」誌は、
「東の正横綱を十両12枚目が破ったようなもの」と報じた。
・同世代の学生との交流を求めて、慶應義塾大学のクイズ研に参加。
棋士であることを明かさなかったため、サークルのメンバーには、フリーターだと思われていた。
・プロ棋士になって揮毫する機会が増えたため、書家に弟子入りする。
平日の昼間から来ていたため、先生には、深夜労働の長距離トラック運転手だと思われていた。
・1990年、竜王戦4組で吉田七段と対戦。羽生竜王に挑戦すべく気合いを入れて臨んだが、
必勝の将棋を逆転負け。終局後、吉田七段に「君は詰みが読めなかったの?」と煽られる。
怒りを静めるために、気温5℃の中、自宅の青葉台までの30kmを5時間かけて走破。 ・1993年、全日本プロトーナメントで河口俊彦と初対戦し、36手で瞬殺。
河口は「私より大駒1枚強い」と語っていたが、実際には、もっと差があると思われる。
・順位戦で26連勝を記録し、C2からB2まで一気に昇級するが、
すでに8連敗で降級が決まっていた佐伯八段に敗れ、9勝1敗ながら頭ハネを食う。
・志村けん、渡辺徹、佐藤康と4人で飲んだ時、他の3人が行き先の店の電話番号を
忘れて困っているところを、スラスラと電話番号を答えて、その記憶力に感心される。
・タイトル戦初登場は1996年の名人戦。その開幕局で封じ手時刻の30秒前に着手。
大盤解説をしていた米長邦雄が「宣戦布告だ!」と叫び、緊張感は最高潮に達したが、
局後に「封じ手が気になって食事ができないから」と意外な理由を明かした。
この事件の後から、封じ手時刻は“100年に1秒も狂わない”という超精密時計を用意して決めることになった。
・第4局では、さらに際どく、封じ手時刻の5秒前に着手して関係者を驚かせる。
そして、その将棋でタイトル戦初勝利をあげる。途中で金銀8枚を全て手にしての勝利だったため、
翌日の新聞に「高額納税者の羽生七冠王を金欠にさせた」と書かれる。
・第5局は、大逆転負け。感想戦で羽生に「この形が詰まないことは100年前から知っていました」と言われ驚く。
初のタイトル戦は1勝4敗に終わったが、全局が大熱戦で名人戦史上最高の内容と今も讃えられる。
・七冠王だった羽生が、約8割の確率で先手番を取っていたことに疑問を抱き、
自宅で数千回、振り駒を行う。「歩兵」が表になり易いというデータが得られたが、
誰からも相手にされず凹む。
・米長が自慢にしていた米長邸の菜の花畑を見せられるが、「立派なレンゲですね」と言って凹ませる。
・棋士仲間と雀荘に行き、席に座っていると、女装したオカマ店員に声をかけられる。
何と、その店員は、小学生名人戦の準決勝で敗れたときの対戦相手で、実に20年ぶりの再会だった。 ・羽生の嫁のおにぎり屋に通っているところを頻繁に目撃され、関係者に不思議がられる。
・羽生と佐藤康と三人でアタック25のパネルの開け方を共同研究した後、
深夜の雨の中、首都高を運転初心者の佐藤の車で爆走し、死にそうになる。
・1999年、久しぶりにタイトル戦に登場。相手が羽生棋王だったこともあり、
気合が入っていたが、対局中に記録係の飯島栄治に熟睡される。
・TBSの「史上最強のクイズ王決定戦ライブ」において、林葉直子が九州地区の
タレントゲストで目立ちまくっている中、関東地区の一般参加者の中でひっそり敗退。
・2001年に「クイズ・ミリオネア」に「森内俊之(30)、職業:団体職員」の紹介で
一般人として登場。最後の並べ替えクイズで撃沈。
・2002年の春に、名人奪取&婚約発表。妻とは、行方尚史がセッティングした合コンで知り合った。
また、関根十三世名人以降続いていた、「永世名人になるには見合い結婚」という法則も破った。
・名人就位後、NHK将棋講座の講師を務める。講師は初めてで気合が入っていたが、
始まってすぐに、講師の座を聞き手の千葉涼子に奪われる。
・2003年、羽生との名人戦において、夕食休憩でカレーを食べ終えた後、
再開後に、一手も指さず投了するという奇妙な行動をとり、“カレー投了”と揶揄される。
・無冠になった後、竜王戦で勝ち進み、中原誠と挑戦者決定戦で対決。
「羽生−中原のタイトル戦が観たい」という多くの声をものともせず、会心の指し回しで中原を圧倒。
・2004年にA級順位戦で9戦全勝の快挙を達成。最終戦で負かした島はB1に降級。
その後に行われた打ち上げ麻雀でも、国士無双を決めて、島を圧倒。
・2003〜2004年にかけて、羽生から、竜王・王将・名人と3連続タイトル奪取に成功し、最優秀棋士賞を初受賞。
獲得賞金は1億円を突破したが、賞金で買ったのは麻雀卓のみだった。 ・2004年、竜王戦(森内−渡辺)の前夜祭で、乾杯の音頭を担当した加藤一二三が、
片手にマイク、片手にグラスを持ち、「乾杯!」と甲高い声で叫び、
何故かマイクを高々と揚げた姿を見て、ビールを吐きそうになる。
・2005年3月、10年ぶりにアタック25に登場。「あ、はなみ」の勝負手が炸裂して、優勝。
・2005年、名人戦第5局で羽生を相手に相横歩取りを採用するために、
「羽生の頭脳9巻(激戦!横歩取り)」で予習するが、本に載っていない変化になり、惨敗。
・2006年、通算1000対局目で羽生から棋王位を奪取。
・2006年、名人戦で谷川と対局中にトイレのドアが開かなくなり閉じ込められる。
数分後に、近くを通りかかった観戦記者が気付くが、「公平を期すため」という理由で放置される。
・2007年、名人戦で郷田が扇子を鳴らすのにイラついて抗議。口論になり、興奮しすぎて鼻血を出す。
・そのシリーズで、郷田を4勝3敗で下し、名人通算5期達成。十八世名人の資格を得る。
・小さい頃から可愛がっていた妹が結婚。感慨で胸が一杯になっていたが、
結婚式の日を一日勘違いして、式の途中で呼び出される。
・木村一基と対戦した際、顔を真っ赤にして指していたため、後に木村に
「よほど一生懸命に指してくれたのかなと思い、嬉しかった」と言われたが、
「あの時は花粉症で・・・」とあっさり答え、木村をガッカリさせる。
・チェスのルールを教えてくれた先生を教わった直後のゲームで破る。
・欧州のチェス大会に参加して、ベスト8に入り「アジアの新星」と現地で報道される。
・棋士同士で食事した時、ジャンケンで負けた者が全額払いという習慣があったが、
「大金がかかると心理的にグーが出しにくい」など、色々と細かく分析して、
実際、かなり強かったため、ジャンケンを廃れさせ、コイントスへ移行させる。
・加藤一二三に「森内さんと二人っきりになると、ずっと沈黙だが、
そこには暖かい空気が漂っている」と言われる。 ・大和証券杯での感想戦で
森内俊之 > 尾車川の振り飛車側の?振り振り
森内俊之 > OK?
森内俊之 > 直りました^^
……という意味不明なコメントを残す。
・永井英明氏の盤寿を祝うパーティーの帰り、エレベータに乗ったが、
定員オーバーになり、将棋関係者しかいないのに降ろされる。
・2008年のJT杯で佐藤康光と対戦。久し振りのライバル対決に気合いが入っていたが、
対局会場の前で受付嬢に一般観戦者用のパンフレットを渡される。
・2008年の名人戦第3局で、見落としから急所の銀を抜かれ、30cm(※推定値:深浦の目視による)飛び上がる。
・トランプの大富豪や花札やモノポリーで遊ぶ時も常に真剣。出たカードを全て記憶し、
相手が何を持っているか、などをすぐに推測するので仲間を驚かせることもしばしばである。
・「ご自身の恋愛を将棋に例えると、どういう棋風?」と訊かれ「鉄板流」と答える。
・下北沢名人戦の会場で、飯野健二が遠くにいた弟子を手招きで呼ぶと、
間にいた森内が近付いて来て、慌てさせる。
・2011年の名人戦では、最終局を迎えた時点で、羽生が公式戦8連勝中、自身は公式戦5連敗中という状況だったが、
会心の指し回しで名人復位を果たす。
・喫茶店でオムライスを食べていると、エレファントカシマシの宮本にサインをねだられる。
・2012年の名人戦で羽生のリターンマッチを受ける。羽生がA級を9戦全勝し、絶好調なのに対し、
自身は公式戦11連敗するなど絶不調だったが、下馬評を覆し、4勝2敗で防衛を果たした。
・2013年、神奈川イメージアップ大賞を受賞。その後に行われた名人戦でも羽生を退け、3連覇を達成。
・2016年、将棋連盟史上最大の疑獄、三浦カンニング事件が発生。
全棋士を巻き込む事件の最中、バックギャモンで自己最高レート1105を見事達成。 この噂の真偽を知りたい。
一分将棋の石田和雄がトイレに行きたくなって
「すまないがトイレに言ってよろしいか」と対戦相手の森安に聞く
森安が快諾し、トイレに向かう石田だが、廊下で着手音に気づき戻って着手
これを数度繰り返す、漏らしたかは不明。 >>90
>代打 知り合いの家に訪問する時は、インターホンを押すかわりにおまんこを絶叫
彼が米長邸を訪れた際にも、居留守を使われて、それやったんだっけ。 村山聖は野本虎次と麻雀が打てたら死んでもいいと
泉正樹にお願いして早朝に電話してもらった事がある
ちなみに村山一人勝ちの流れから
助っ人に来た中田宏樹が村山の勝ち分を取り返し
支払いなしで平和に解散 将棋の研究をしている所を見たことない
棋士が突然研究会を始める。
いったいどうしたんだとみんな驚いたが
しばらくして研究会のメンバーの
女流と結婚して
あいつはやっぱり研究なんて
してなかったんだ
ってネタをだいぶ前に見たがホントなのかな
だとして誰の事なのか・・・ >>110
充分あり得そうな話だね。
中原談
一分将棋なのに加藤さんがトイレに立ったんですよ。
その間にこちらが指すと「ドタドタドター!」とものすごい速さで
戻ってきてね(笑)ずいぶん早くトイレを済ませることができるもんだと ウンコ行って時間切れとか
対局者、記録係でウンコションベン漏らした奴もいるんだろうな 加藤一二三が自分の家にマジシャンを呼んだ。
マジシャンが加藤の家に入ると電動髭剃りがたくさん置いてあった。
なぜ髭剃りがたくさんあるのかマジシャンが聞いたら、
しばらく使うと動かなくなるからと加藤が答えた。
電動髭剃りが充電できることを加藤は知らなかった。 中原「なんで自分(寅さん)の息子に誠(まこと)って名前つけたの?」
田中寅「一度でいいから「おいこら、まこと」って言ってみたかったんです」
中原「そうか、今度うちの猫が子供を産むからその子の名前は寅(トラ)にしよう」 ある大山ー二上戦でのこと
大山「たつや、たちまち撃滅の〜」(対局中軍歌をよく歌っていたそうだ)
ある人「大山さん、二上さんの前でその歌はやめてください。」
大山「???、ああ、二上さんの名前はたつやでしたね、これは失礼しました」
二上を相手にしてよくもこんな都合のいい歌があったものだというエピソード。
その後の二上九段に対する仕打ちからして、おそらく故意じゃなかろうか。 20年ほど前、俺に穴熊で負かされた黒田
半泣きで「穴熊する人キライ」 剱持は順位戦で羽生に勝っただけで
しばらく稽古で食うに困らなかった そのうち「藤井聡太に勝った」を売り文句にする棋士とかも出てきそう。 森信雄「師匠が弟子のパンツ洗うなんてあべこべじゃないかー」
村山が体調不良の時村山のパンツを洗うこともあった森信七段 >>91
呼んでおいて誰もいないとかギャラ未払いとか
偽計業務妨害及び詐欺罪だな 森安秀光は大山とのNHK杯で秒読み中、
駒が盤に張り付いて動かず
慌てて指で「ここ、ここ!」と着手を示した(ルール上はセーフ) >>134
佐藤康光会長は駒(飛車だったかな?)を落として指差して駒名叫んだ事あったな 森安秀光は酔うと内藤の指を舐めていた
兄弟子への敬意や甘えが出たのかも知れないが
「知らん人が見たらワシらホモちゃうかって思われますわ(内藤)」 >>140
森安って酒のネタ多いな…
息子に殺されたのも間接的に酒が原因ではなかったか 昔、雀鬼の漫画を買ったら
将棋有段者 鈴木大介 という名前があった。 内藤は富岡と対戦する時に
棋譜をいくつか取り寄せて下調べしたが
対戦してみるとあっさりした棋風のはずが
ガッツあふれる将棋でおかしいと思ったら
室岡と間違えていた 本間博は空き巣に入られたが
あまりの部屋の汚さに何も盗まれず
こたつの上にあった20万円は無事だった 澤田「最近は豊島さんと研究会とかされてるんですか?」
菅井「最近は研究会もVSもやってない。どうやら、人間とじゃなくて、PCとしかしないみたい(笑)」
澤田「ということは菅井さん、人間だったんですね」 2004年秋の園遊会での米長邦雄氏の発言が
当時の陛下のお言葉を引き出してしまい朝日新聞達を喜ばせたな
頑張ってるねと言ってもらいたかったのか・・・ 大人達が難解な古典詰将棋を盤に並べて考えてる時に
初心者だった米長邦雄がふざけて玉方の歩頭に飛車を置いて
「またいたずらを…」と思ったら、
それが詰将棋にありがちな絶妙手で
「読まずとも先を見通せる天才だ!」と評された 郷田は中村修や先崎と高知旅行した際、
競馬新聞の見方を先崎に教わるとひたすら没頭し、
バーで郷田の隣に座って郷田に口説いて欲しそうな顔してた 郷田は中村修や先崎と高知旅行した際、
競馬新聞の見方を先崎に教わるとひたすら没頭し、
バーで郷田の隣で口説いて欲しそうな顔してた女の子も無視して
ひたすら競馬新聞を読み続けた >>150
将棋盤の点で言い争った時と同じ面子だな。 村山聖が四段に昇段して、初の東京対局。
前日に千駄ヶ谷の駅までは着いたが、宿泊などが分からず
仕方なく鳩森神社の軒先で夜を明かした。
翌朝、連盟で先輩棋士から「連盟に泊まればよかったじゃない。」と
言われると、きょとんとした顔で「将棋連盟って泊まれるんですか?」
天才とは、やはり、どこか抜けている。 >>149
ふざけてたんじゃないよ
それ以外の手は散々ためしてダメだったから消去法を使ったんだよ 阪神淡路大震災の時、谷川浩司九段が連盟かどこかに連絡してきたとき(その日の昼頃)発した言葉は
「生きています」 >>158
湾岸戦争のニュースがテレビからガンガン流れてたのも無視して競馬新聞見つめてたんだってね
まぁ、将棋差しが中東とアメリカの平和に興味持つ必要もないしね 将世90年10月号に中村修が
「最近、将棋指しとして自信を失う事がありました」
と点があるない論争について触れてたな 大体函館くんだりの呑み屋で
修「星なんかねーよww」
郷「あーあーお前100万よこせ」
先「公衆電話で…あ〜もしもし羽生?」
こんなんアホの極みやw >>161
羽「えー、見るのも面倒だけどあると思うよ」
修「羽生の時代は終わった!!」 >>157
そもそも、碁盤はともかく、将棋盤に何で点があるんだろう? >>132
熱を出した村山に森師匠が「何かほしいものはないか?」と聞いたら
少女漫画を買いに走るはめになった
住み込み弟子から近くのアパート住まいになってからも
「何かほしいものはないか?」
シーチキン巻きを所望されてコンビニに走らされた 決しておもしろではないが、阿部コール
四段昇段がかかった三段リーグ対局に地元弘前から高速バスで向かっていたら
福島県内で311震災に遭遇
当然高速道路は走れず膨大な時間をかけて東京に到着
コールは携帯を持っていなかったので奨励会幹事だったサニキはじめ皆心配したらしい
結局その時のの例会
延期になり
延期日の対局で見事昇段ゲット 行方は料理を結構やる「一人暮らしが長かったですから」
対局に負けた晩にイカを買って帰り腹いせに包丁突き立てたら
墨袋に命中してしまい帰り血ならぬ帰り墨を浴びてしまった 一人暮らしの長さでは行方を軽く制圧する郷田はスーパーで見切り品の野菜を購入しているところをファンに目撃される
「勝負師なのにショボくね?」という意見もあったものの審議の末「経済観念も発達した素敵な先生」ということに落ち着いた >>38
柳家喬太郎さん-プロ論。-
https://next.rikunabi.com/proron/0934/proron_0934.html
>師匠に弟子入りしてすぐのことです。師匠が「嫌いなものはあるかい?」って私に聞くんですよ。それで「納豆がダメです」って言ったら、翌日「よし、昼メシに買いに行こう」って。納豆嫌いに納豆食わすなんて、死ねって言ってるようなもんですから。意地悪してるのかと思いましたよ。
>そしたら師匠が言うんです。「お前ね、これから噺家としてやっていくなら、お客様や先輩方とのお付き合いもある。そんなときに、あれ食えない、これ食えないじゃ、話にならないよ」って。好きなことをさせてもらっているなら、辛抱しなきゃならないこともある。師匠は、それを一番初めに教えてくれました。
落語家の柳家さん喬と弟子の喬太郎のエピソード思い出したわ。
まあ、落語家ほどじゃなくても、棋士も付き合いとかはあるしな。 村山聖、膀胱がんの手術したあと、
「エッチなビデオもよく見たけどもう必要なくなったんで・・・」とユーモア交えて誰かにあげたそうだ。 そりゃまた、言われた方はどう反応していいのかわからなくなるジョークだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています