羽生善治「残り10分です。 50秒ぉぉぉぉイチ・ニッ」
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https://i.imgur.com/RgQ68Fd.jpg
上の子はとてもおっとりしていていつもニコニコとゆっくりご飯を味わって食べるのだけど、後10分で身支度しないとねと母娘で話していたら突然夫が子供の方をひょいと向き
『先生、残り10分です。
50秒ぉぉぉぉイチ・ニッ』
と真面目な顔で秒読み始めたのでお茶吹いたです。流石に。 棋力もオワコン化してるから一二三の後釜狙ってるんだろうな
大山みたいに将棋界に尽くす人生じゃないね羽生は
早く引退して欲しい お茶目だなw
ここに常駐してる、ひねくれいじけた将棋じじぃども
は爪の垢でも煎じて飲むべし。 こんな羽生さんは嫌だぁ
をリアルでやる羽生さんは嫌だぁ 【糞スレ終了のお知らせ】
| ̄| ∧∧
|ニニ( ゚Д∩コ
|_|⊂ ノ
/ _0
(ノ
えっ…と、糞スレ
\はここかな…、と/
 ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄
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∩Д゚≡゚Д゚)| ̄|
ヽ |)ニニニ|
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∪∪
よっこらしょ
∧_∧ ミ _ ドスッ
( )┌─┴┴─┐
/ つ. 終 了 |
:/o /´ .└─┬┬─┘
(_(_) ;;、`;。;`| |
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普段他の棋士の糞スレ立ててるのが羽生オタだってよくわかるスレ 駄目だこりゃ
オワコンを通り越して、呆けが始まってるな >>4
俺には「大山が将棋界に尽くした」などとは到底思えないけどな
何故なら、人気が今一つの大山が
「家族的雰囲気」でタイトル戦を私物化・独占したせいで将棋人気が低迷したからだ
そして奨励会入会者数は伸び悩んだ(だから東西決戦という形になった)
https://i.imgur.com/Q5HvtOw.png
その「暗黒時代」を終わらせたからこそ中原は「将棋界の若き太陽」と呼ばれた
そしてそのライバルとして米長加藤、続く世代としては谷川羽生
さらに森内佐藤などの羽生世代という豊富な人材が名勝負を繰り広げたおかげで
現在の将棋界があるわけだが
これはパワハラ盤外の大山と二上、加藤、内藤らの時代では起こり得なかったことだ
(升田にはパワハラが通用しないので名勝負がいくつかある)
そして現在は、奨励会入会者数も人数は多いが四段昇段者数比率は低いという形で
高いレベルが保たれている状況だ
大山の功績はただ寄付を募って東西の将棋会館を建てたぐらいで
それ以外には特筆すべき功績は特になにのではないか?
最期は弟の会社との不適切な癒着を咎められて退任という体たらくだし
しかも東京将棋会館は行ったことのある人間ならば分かるだろうが
誰もが「何故こんな場所に?」と思うような辺鄙な場所にある
これは羽生の尽力もあり、ようやく数年後に駅前の商業地に移転されることになったが
藤井聡太2冠も出現してくれたし、これからが将棋界の本当の始まりだよ
大山の存在せいで30年ぐらいは遅れていた可能性すらある 記録係「羽生先生、A級残りありません」
羽生「えっ!?」 >>19
東西決戦になったのは連盟の財政が大ピンチで棋士を絞らざるをえなかったからだよ
大山が理事になって新聞社と交渉して多額の契約金を引き出して財政が改善されて奨励会のシステムも変えることができた
大山会長が将棋会館を建ててくれて多額の契約金を引き出してくれたことで平成の将棋界は安泰だったのだが
羽生が将棋を斜陽産業にしてしまった
やっと藤井のような本物の才能が現れて将棋界も救われた >>26
東西決戦昇段者
https://i.imgur.com/WKmvGyf.png
これを見ても参加人数が多いとは言えないし
ここから年3〜4名も昇段させていたら
イージーモード過ぎるということでは?
それに大山理事(長)による財政改善が制度変更の理由というのは
時系列的にも違うという気がする
1972 大山名人失冠
1973 東西決戦終了
1976 大山理事長就任
1977 名人戦契約金増額
1988 三段リーグ始まる >>27
昭和35(1960)年頃から50(1975)年頃までは、特に将棋連盟にとっては苦しい時期で、新四段を年2人に制限し、A級になっても固定給は10万円ちょっとに抑えて凌いでいた。
また棋士全員に「積立金」と称し、クラスによって対局料の1割ないし2割を運営費として連盟が預かり、20年たったら返すという制度があった。
将棋連盟の財政が持ち直したのは、昭和50年代の初め、囲碁界で名人戦が読売新聞社から朝日新聞社に移り、契約金が大幅アップしてからで、将棋界もその恩恵に預かるようになってからだ。
そして丁度昭和から平成に移る時に、読売新聞社が「十段戦」を発展解消し「竜王戦」になってから、対局料も大きく上がってきた。
私のA級昇級は昭和58(1983)年だから、A級の固定給も以前の数倍になっていて、低い頃にA級になったS九段にはいつも「君らの時代は良いね」と言われたものだった。
各社の契約金が上がり始めた頃、将棋会館の建設が始まり、木造2階建てから、現在の5階建て(地下1階)ビルへと変わった。
建設には大山会長が中心となり、馬車馬の如く会社を回って建設基金を集めた。
その会館も40年を過ぎて老朽化し、今また新たな建設の話が進んでいる。
https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/200818/lif20081821190046-n1.html 大山は偉大だよ
それに引き換え羽生は幼稚な賞金稼ぎにすぎん >>1
イマイチつまらない
これをマンガ化しても厳しいかも >>28
囲碁の名人戦主催社移管では読売が裁判したんだっけ。
依田紀基の乱といい、将棋と違って法廷まで話が行っちゃったのは、白黒つけたがる気質でもあるのかな、囲碁だけに。 ナベとの対比で言えば、良くも悪くもカラッとしてるのかも。 >>27
四段昇段人数が少なかった時期でも、必ずしも精鋭揃いというわけでもないんだな。
後年成績がパッとしなかった棋士も複数……。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています