将棋って性格が出るけど史上最も性格の悪い一手は
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アマの場合は性格というより
初段に成るまでどんな勉強したか(しなかったか)
のほうがより棋風と密接な関係あると思う 大昔のNHK杯で谷川が必勝の局面からわざと長い詰み手順の詰めろを掛けてたのは性格悪い
…というのとは少し違うか。自分大好きなだけか https://shogipenclublog.com/blog/2017/04/01/manabe-17/
将棋世界2001年6月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。
大山についての一つの仮想
第41期A級順位戦
昭和58年3月8日
▲十五世名人 大山康晴
△九段 二上達也
▲5三桂成△9二飛▲6三成桂まで、89手で大山十五世名人の勝ち
この局面、よほどのヘボでない限り、▲5一飛成と指すでしょう。あまりに単純な王手飛車で、そこで投了となるはずであった。二上もその覚悟で△4二同飛としたのであろう。ところが大山は、なんと▲5三桂成と指したのである。首を差し出したのに足をノコギリで切っているようなものだ。これでは二上も投げるに投げられない。もう一手△9二飛と指したが、▲6三成桂を見て遂に駒を投じた。
この負かされ方はキツイ、ありていに云って残酷ですらある。それが勝負と云ってしまえばそれまでだが、これまでにもこれほど極端ではないにせよ、大山は幾多の棋士にこういった勝ち方をして相手にコンプレックスを植えつけながら巨大な存在になっていったとは考えられないだろうか。 >>11
ひふみんも同じ様な事をたくさんやられて、少し変わった人からたくさん変わった人になったからな。 大山の名誉の為にも言っておくが
それは記録のミスという説もある
というのも、「大山流攻める三間飛車」では二上は71玉ではなく61玉と指したことになっているそうだ
本には「71玉には42金 同飛車 51飛車成 プロは負けるにしても一手一手を大事にするもの」と書かれているらしい 一二三を名人戦でいたぶったとされる棋譜も実際は一度必至手順を逃しているだけだったので相手にコンプレックスを植え付けるためだったのかは分からない たしかに「大山流攻める三間飛車」の通り、二上は61玉と指す方が自然ではあるし、61玉ならその後の42金 同飛車 53桂成も至って自然な手順だ 盤外疑惑の棋譜は棋譜DBで見れるので確認してみるといいかも、61玉の方が自然だと分かるし、61玉だもその後の手順にも納得がいくから >>6
穴熊はそれ自体が性格悪いだろ
卑劣漢のクズが使う囲いだよあれは >>10
真部は升田オタだから真部の大山論を真に受けない方がいいよ
今でいえば羽生オタが森内や渡辺を貶めるみたいなもんだから https://shogipenclublog.com/blog/2018/03/18/ooyama-26/
将棋マガジン1984年5月号、NHKディレクターの沢みのる 第33回NHK杯戦決勝戦〔大山康晴十五世名人−加藤一二三前名人〕観戦記「大山十五世名人、8回目の優勝」より。
「大山十五世名人が、NHK杯戦8回目の優勝です。通算の優勝記録は124になりました。おめでとうございます」と永井英明さん。
「加藤一二三さんよりひとつ多くなったわけですね」と、にっこり嬉しそうな大山名人。もちろんこれは加藤前名人の名前にひっかけたものだ。
(中略)
▲4九金打と再度の”大山流”が遂に加藤前名人の息の根を止めてしまった。以下は取れる飛車を最後まで取らず、心にくいばかりの寄せで大山名人の快勝となった。 その日の時点で大山は2-5の暫定9番手、二上にとっては自ら大山をA級から叩き落とす千載一遇のチャンスの大勝負
(結果的にもこの対局で勝っていれば大山は落ちていた)
二上もこんな大チャンスでも最後まで勝てなかった情けない話をネチネチされていい迷惑だろうよ >>13
それ俺も読んだ
実際には71玉と指した二上を皮肉ったのか
実際には71玉と指されてないのかよくわからない 本当に二上が71玉と指したのだとしたら、必敗の局面で粘ってるクセに
形作りにも悪手を誘う罠にもなんにもなってない、ただのひどい手を指したということなわけで
これは逆に大山が怒るのも仕方ないんじゃないの
で、その抗議の意味で61玉と指された前提で指し手を選んだとか 大山の自戦記に、ここではAが最善手だが、Bと指すと加藤さんは悩むだろうからBにした
みたいなことが平然と書かれてる >>24
これだけを読むと豊島みたいな妖術か藤井や渡辺が張る地雷の事かなと思う 米長も「直観的にこの手は最善でないという確信があった」
「しかし、今の自分ではこの限られた時間では咎める手が思いつかない」
「だから、相手からも咎められないだろう」
「後の研究では否定されて消える手だとしても本局に限って言えばこの手を指すのが最善だろう」
と読んで指したというのがあったね
『米長の名局』 か『米長勝局集』 だったと思う アマの話
とある揉め事で男女の児童が将棋の直接対決で白黒つけようと言う話になって
投了しようとしない女の子に業を煮やした男の子が全駒で決着をつけ
女の子のプライドを酷く傷つけ泣かせた
これを聞いた女の子の親が男の子側を卑劣と罵り、先生もこれに同調、謝罪させる事態となった
この件は新聞の投書欄にも載ったのだが――(略) >>10
その棋譜は大山らしさということで何度か解説されちゃってるんだけど
その前のごく早い段階で記録ミスが生じている可能性がかなり高いというね
手書き時代の棋譜だからどこかで間違うと間違って後世に伝わる
有り得ない手順だと間違いだと気づかれやすいけど間違った手順でも成立してしまう流れだと気づかれない
そういう記録誤りは実際いくつかあると思われる
多分、大山本のほうが正しい
出版が早いから 本当は61玉だとしたら、「大山が二上をいたぶった」ことありきで書かれた解説がピエロになっちまうから訂正もしづらいな… >>10
大山はテレビで放送する棋戦ではテレビの放送時間を考慮して早く勝つ手があっても番組が間延びしないように配慮してくれるのでテレビ業界で評判が良かった。
新聞の時代でもだいたい紙面に書くとしてこれくらいという長さを常に意識していた可能性があ高い。 >>17
言うほど硬くないぞ。
特にソフト解析が進んだ今では高段位のアマでもあまりさされなくなった印象がある。 >>11
> >>10
大山名人は谷川と正反対の勝ち方する
じっくりグツグツ煮る
羽生はある対局で必敗
大山はバッサリ逝かずダメージが残るようにグツグツ煮る
そしたら羽生は粘らず早めに投了した
流石に言いなりにならなかったわかってるね
大山は拍子抜けしたかな 加藤一二三前名人の無理やり上座事件だろぅ
加藤前名人 上座王将>>>>>>谷川当時名人 下座玉将
NHK杯 加藤前名人 上座王将>>>>>>>米長王位王将棋聖 三冠王 下座 玉将
解説者石田和雄
全盛期の加藤はお喋りが五月蝿いし図々しいし対局マナーも悪いし
重戦車と呼ばれてた
現在のヒフミンなんて想像出来なかった
今は臭そうだな >>26
米長は「最善手を指し続けて負けるのであれば悪手を指して相手から、より悪手を誘う」と言ってたな
これに引っかかり続けてたのが対豊島の藤井 待ちゴマ、縛りは性格悪いなって思う。
特に詰み筋があるのにつましにこないやつ。 あとさ、多くの場合がソフト指し警戒のためなんだと思うけど、
角成らず、飛車成らずされると腹立つ。
最初ソフト指し警戒のためと知らなかったときはマジで腹が立った。
実質は取るのだから同じなのだけど、舐めた態度が許せんと思ったね。
そういうやつとは指したくないと普通に思った。
今でもソフト警戒とわかっていても少しイラっと来る。 >>34
NHK杯はテレビだからな、上座下座の別は無いことになっている。
まあ現実には、、、だが、NHKの公式見解では上座下座の別はありませんだったはず。 >>40
> >>34
加藤前名人が王将だったから上座だ
当時の放送は振り駒場面から放送してたが、カットされてた
どちらが振り歩 先手だったのか覚えてる方居ますか? 大山がまだ居飛車党だった頃
二上との将棋は相居飛車になるわけだが二上の切れ味が鋭くて 大山がボコボコにされることも珍しくなかった
大山は多分「二上相手に相居飛車戦はキツいな」と悟ったんだろうか 突然振り飛車党に転向する
当時は居飛車穴熊もなく振り飛車には急戦で挑む二上だが これが全然駄目なんだよ
仕掛けのタイミングを逃して完全に手詰まりのまま身動き取れなくなったりしてるわけ
大山は「あれれ?二上って対抗形カスじゃね?」と思っただろうな
それからの大山は相居飛車戦でボコられてた頃の怨みを晴らすかのように 二上相手には意地悪な手を指すようになっていくのである ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています