美しい日本語
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自分の価値観ですが、美しいと思った日本語を一日ひとつは見つけようって習慣があったんですけど。
そういうのってむしろ2ちゃんねるでやるほうが向いてるのかも!
って思って立てました。
このスレッドもですが、中二っぽいとかあるかも知れませんが。
一緒に美しい日本語を探しましょう。 今日は【千紫万紅】です。
千思万考と云う同音の四字熟語もありますが、美しさを表現する言葉では、これは優れているように思います。
極彩色に彩られた花や木の葉が目に浮かびます。
また明日。 今日は【文殻】[ふみがら]です。
日本人にとっての美とは何も四季折々の彩りや、十二単のような織物にのみ表れているわけではありません。
もう必要のなくなった手紙をいつまでもとっておきたいという気持ちは、携帯のメールに形を変えても日本人に根強く残されているようです。
また明日。 今日は【生壙】[せいこう]です。
生前に自らの墓を立てて、その権威を誇示したのは、何も日本だけの文化ではありません。
独裁者による隷属的なイメージのある生壙ですが、巨大な墓を作ると云う労働の場を提供してものでもありました。
現代でも、神秘性の魅力や、合理性を無視した自由と美しさに取り付かれたロマン主義者たちの憧れが嵩じ、
死ぬ前に自分の思い描く墓を立てておくという人は、例外的なことではなくなっているようです。
また明日。 古い言葉が逆に物珍しく新しいですね
普段はなかなか触れない言葉ですが、昔の文学作品などから拾ってこられるのですか? >>9
すっこんでろ低能
>>1
毎日の書き込み楽しみにしてます 今日は【氷面鏡】[ひもかがみ]です
池に張った氷が、鏡のようにキラキラと輝いている様子を表した言葉です。
季節と自然の調和は、日本人が最も得意とする美の表現分野といえるでしょう。
異常気象や暖冬などと言われておりますが、もう何ヶ月もすれば今年もお目にかかることが出来るでしょう。
また明日。 >>8
日本語は、とても語彙の多い言語として知られておりますが、
実際は、ほとんどが日の目を見ることもなく埋もれてしまっています。
その中にも、美しい言葉や感慨深い言葉が少なからずあるでしょうから、
いつも忘れているのでは忍びない思いがいたします。
私はやはり古典なども好きですけど、読めない漢字や、見慣れない言葉にはどれも魅力を感じます。
>>9
漢字もひらがなと混じって、日本語として独立した発展を遂げたものだと思います。
ひらがなの美しさも、当然あるとは思いますが言葉としてはどうしても漢字が当てはめられている場合が多いです。
漢字は一つの中にも多くの意味を含んでいて、組み合わせによる多用性には底がみえません。
その多用性の中に生まれた美しさを蘇らせることが出来ればと思っております。
>>10
ありがとうございます!! >>12
前近代にはいかなる辞書にも載ってない漢字の訓なんて山ほどあって、
そういうのに往生したことのある人間からすると
君みたいな“美しいがナンたらどうたら”とかいう“感想”はさっぱりおこらないよ。
日本語と漢字は異物同士だという、今更ながらの感慨しかおこらない…。
>>14
高島俊男の「漢字と日本人」あたりを参考テキストに使っているのだろうが、つまらんなw あ、ちなみに判ってるだろうケドw>>13は俺だ(笑
出るよねやっぱ、精神の容とでもいったものが。否応も無しに。こんな程度のことにすら。 各文字ひらがなのもとの漢字を知らなくてはならないのと同様、
象形文字としての漢字にまで遡って文章を記さなければ、
ほんとうの詩人などとは言い難いよ。文字の意味の揺らぎに関わるのならね。
>>13>>17素晴らしい。まあ単なるばか。
あ、ちなみに、武陽隠士は「真性きちがい、一バカ」に過ぎん。
智慧がない。 先日の漢字のテストは完壁(かん…かべ?)な出来だったなんて謂う女又いますよね。ex.雪のんとか。
では!!!
漢字は全て象形文字だと思ってる>>17のような阿呆は話にならない
>>14は古訓についてのおよそ平凡な感想で高島の著書によるまでもないだろう
マグナ…とやらの無知が知れる… 今日は【埋火】[いけび/うずめび]です。
ナイフだけでなく、近年では火の扱いにも縁遠くなっておりますが
そこにも先人たちの知恵や技術が隠されております。
いかに火種を長く持たせ、効率よく力を伝えようとしたでしょうか。
炭火を灰の中へ入れて、時には調理をし、時には暖をとっておりました。
もう一つは【跼蹐】[きょくせき] 跼天蹐地−きょくてんせきち です。
日本人には謙虚と云う振舞い方がありますが、跼蹐はそのような非ではありません。
天は高いけど身をかがめ、地は厚くても抜き足で歩む。
菅原道真でも、無実ながらも【謫落】[たくらく]させられた時には (罪によって位を落とされる――さらに左遷であった)
これほどの恐怖と、世間の冷たい視線を思って、外へ出ることが出来なかったと言います。
今でいうひきこm
門を出ず―菅原道真
また明日。 >>21 思ってねーよ
しね 揚げ足取りもできないばか
日本語の美しさって単語にあるのではなくて文体にあるのだと思うが・・・
美しい日本語ねぇ〜使えないね。 たとえば、芥川龍之介の短篇を読むとき、
「思う」ではなく、「思ふ」でなくては、オレ的には、なにか、もの足りない。
「ちょうちょ」ではなく、「てふてふ」ね。
この「てふてふ」の感覚。「ちょうちょ」では×なんだな。
つまりは、今の時点では、むしろ「てふてふ」のほうが面白い。
「文字博物館」で「昔」を、今、見る面白さね。
美しさ、とは、ちょっと違うことだが。 異化効果ってやつだな
普段使わない表現を使うことで、一種独特のかんじを持たせることができる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています