なぜ日本文学は権力構造を描き得なかったか
石川達三の『金環食』は本が売れ、映画化の興行成績も優秀だった。 >>98
レスの前半を読んでほしい
再分配は全世界一斉に制度化しないと意味がないし、パナマみたいに資金逃がし目的でやらない国が出てくる
提言そのものじゃなくて、提言を被支配層が読んでどうせいちゅうんだって話ね そして結果被支配層も損をする。ただで金もらっちゃいけないわけ。 >>104
そこはわかってるよw
権力構造を物語にしても問題だらけって話の中の
解決策を書いても読むべき人が読まなきゃ意味がないって話をしてるんだってば
そして教授が指摘してるような解決策の間違いがあったらさらに意味がなくなるって話
権力者が読み物で反省するとは思えないし被支配者ばかりが問題提起ばかりに付き合わされるのは酷だよ >被支配者ばかりが問題提起ばかりに付き合わされるのは酷だよ
そうだね。 ビートたけし「あべぴょん、らめえええええええ!ひぎぃ!アナルが裂けちゃううううううっ!」 それは権力について正確に知らないからだろ。知らないものは書けないし書けても内容が薄い。
今日は権力についてだな。権力とはなにか?ひとつには戦闘力、戦闘能力だ。
キチガイのポン中で後部座席に銃やら爆弾やらナイフやらアホみたいに積み込んで車運転している奴がいたとして、
そういう奴らが何十人も街をうろついているとして、そういう奴らをたった一人で素手で制圧出来る奴がいたとしよう。
彼はガン飛ばしはもちろん素手の格闘についても各種武器の取り扱いにも長けているし、
通常の人たちにとっては未知の、ロストテクノロジー的な武器もスマート兵器も扱える。全体的な戦略を練るのも得意だ。
そんなのが十万いたら誰も逆らえないんだよ。 もうひとつはインディアンの長老のような話になってしまうが、土地の精霊との契約だ。
戦後の日本の繁華街で土地の所有者の行方が知れなくなったのをいいことに、ここからここまでは俺の土地、
と宣言した者の主張がまかりとおってしまったというような話があるだろう。そういう話はいまも形を変えてあるんだ。
そうだとすれば法的な契約書はいったいどれほどの意味を持つのか?
そうだとすればその土地をどのように扱えば誰かしらの土地として、本質的に認定されるのか? より正確にいえば土地の精霊、山の精霊、海の精霊と表現するしかない存在があって、それぞれに契約方法が違う。
当然金を払って契約書にサインするというものでもない。契約はたった一人と一回きりであり契約の解消や変更は永遠にない。
その契約を終えた者には世界の大部分の裁量権が与えられる。各種ルールも決定出来る。
ジャングルの王としてシステムの王として世界に君臨する。すべての土地にはその者の哲学や雰囲気が満ちていく。 ほとんどの契約は終えていたがちょっとだけ契約を終えていない特殊な土地があった。それもつい昨日、契約を終えた。
沖縄だ。キチガイにとって住みづらい雰囲気が漂い始めたのはそのためだろう。
キチガイじみていない質問なら受け付けるぞ。いつの答えになるかわからんが。 おっとangel貼り付けようと思って張り間違えた。なんだよこれ。angelのpvに変えといてくれ。 そうまあそれでいい。間違えたふりというかその子に間違わされたんだろう。
沖縄の子供は世田谷の子供でいい。
というか俺はやみつきではない。 話が面倒だがいま現在世田谷に住んでるやつらの子供という意味ではないよ。
ここらへんはっきり言っとかないとまたバカが勘違いしやがるから。 期せずして実演してまったが、偶然のなかの偶然、偶然にしても有り得ない確立の偶然、そういった偶然を必然のように引き寄せる、引き当てる、
というのが物事を良い方向に向かわせるスピリチュアルな鍵となる。これは精霊が設定した鍵や契約方法というわけではなく、
たまたまなんとなくそう設定されてしまったという類のものだ。とはいえ鍵は厳密であり絶対に再演は出来ない。
実際にはこれを何万回も繰り返さなければいけないのであり、昨日のように真性いい子ちゃんや精霊の認証が同時に必要となる。
再演が出来ればこんな場所で事情を説明したりはしない。こんな真似は俺にしか出来ない。 はっきり言うと前の王がいたことはいた。誰も王をやりたがらないから俺たちがやらなければという義務感に駆られたようだ。
その頃の契約はもっと簡単で全部で百がいいところだったんじゃないか。
一日に百の鍵を開けなければならないいまとは話が違う。
ランボーのイリュミナシオンに王威って章があるだろ。あいつらだ。
当然そこらのあほには荷が重過ぎて男のほうはキチガイになり女のほうは俺が最近救ってやった。
男のほうがまたキチガイなルールばかり作ってやがって男が差し向けた刺客を全員倒さなきゃいけないとか。
全員倒してやったけど。 ああそうだな、ランボーは権力の本質についてよく書いてるな。
もうちょっとはっきり言っておこう、
沖縄の子供は世田谷の赤いワンピースのサイバージャパンダンサーズと俺のあいだに産まれた精霊の生まれ変わりだ。
他のやつらがぎゃあぎゃあ騒ぐな。 あ、俺ヨメと子供一人二人じゃないからね。みんなそれでいいってさ。 >>111
その契約方法とやらをぜんぜん語ってないな。リアリティがいまいちだよな。 権力を賞握(足)とかもダサいじゃん。描くよりはいい?
それもな。 日本会議が籠池夫妻と森友学園を「保守じゃなくネトウヨ」とトカゲの尻尾切り!
でも日本会議も園児に教育勅語を
http://news.livedoor.com/article/detail/12758399/ 幻想譚のほうがふんいきいい。ギャングスター プレミアは。グルは
幻想文学かも知れないけど。 ギャングすたヒップホップ世代からすると。
老人に見てよいかもな。 :/\___/ヽ .
:/'''''' '''''':::::::\:
:.| (◯), 、(◯)、..::|:
:.| " ,,ノ(、_, )ヽ、,,""..:::|: ああんっ、森友学園理事長さまあああん、んんんん・・・イグぅーっ!!!
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/  ̄ ¨丶ヾ`ーs一'´__ ¨ ´ ̄`ヽ、
/ ` 〃 '´ ヽ
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| j |晋|! !
! / |三|!. 、/ |
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〃 ,〉ー‐ァ'´/ l | イ .'
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{__,{ヽ/ ,/ │ ! | |
. 弋j/ / l:│ | |
. / }│ ! |
/ / :| ヘ ! 創立140年を記念して、広報「けいしちょう」の読者や警察博物館の来訪者などを対象に、
印象に残った事件や出来事を募集するアンケートを行った。
https://irorio.jp/agatasei/20140713/148543/
@オウム真理教事件(1980年代末期から1990年代中期)
A東日本大震災(2011年)
Bあさま山荘事件(1972年)
C三億円事件(1968年)
D世田谷一家殺害事件(2000年)
E日航機御巣鷹山墜落事故(1985年)
F女子高生コンクリート詰め殺人事件(1988年11月から1989年1月)
Gグリコ・森永事件(1984年と1985年)
H秋葉原無差別殺人事件(2008年)
I吉展ちゃん誘拐殺人事件(1963年) \_______ __________________/
V
´ ヾ
゛ (⌒) ヽ
((、´゛))
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||||||| ドッカーン!!
____ では、ネトウヨ・怒りの国歌斉唱
. /_愛●国\
. / (;;..゜);lll(;;..゜)\ きぃ〜みぃ〜がぁ〜〜〜よぉ〜〜はぁ〜〜!
/ ⌒(__人__)⌒ \ ちぃ〜よぉ〜にぃ〜いぃやぁ〜ちぃ〜よぉ〜にぃ〜!
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ノ u `ー' \
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/: \ \ C)) ;) |
/::: \  ̄つ/u/たら〜り
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(:::: ;;\__// /.. ズリズリ〜
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\ ヽ---/ \
モソモソ彡 「銀の聖域」(清水一行著)や「ある銀行労働者の20年」(熊沢誠著)を読みました。
「ある銀行労働者の20年」の主人公は、周りの人々から「急進的な労働組合員」と見られていましたが、
彼は、「社員の人間性を取り戻す」という極めて真っ当な目的のために戦っていました。
実際のところ彼が要求していたのは、社員間の過度な出世競争や時間外労働を奨励するような企業文化を改めることでした。
他の組合員は保守的で、彼と共に会社と対立しようとはしませんでしたが、彼らは主人公の真の目的を理解していないように感じました。
私がなぜこの作品に特に惹かれたかといえば、同じようなことが他の国でも起こりうると思ったからです。
著しい経済成長を遂げている発展途上国の国々では、「人間疎外」が起きている職場がたくさんあるのではないか。
自分は機械の部品か歯車のように扱われていると感じ、人間性を喪失してしまった社員が多くいるのではないか。
「社員は家族」とは程遠い状況になっているのではないか。こういうことを世界は日本の事例から学べると思いました。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171010-00144193-diamond-bus_all&p=3 双極鑷子 ⚒新党火山島
「比例区で自民に投票するとの回答は、18〜29歳で61%に、30代では50%に上る」
少なくとも半世紀は差別・憎悪扇動が吹き荒れるんだろうなあ。/
自民支持根強い若年層 目立つ消極的選択 情勢調査概況:朝日新聞デジタル
2017年10月11日
中西B/N・B
↓30代となれば自業自得だが、20以下の人々に侮蔑と差別、公共の嘘と不誠実、
そういう現状とそれを支える力の追認を取るべき態度として刷り込んだ責任は上の世代にある
2017年10月12日 権力どころか社会すら描けてeない
日本の作家が興味あるのは自分のことと女のことだけw 今世紀に「砂男」に匹敵するメスメリズム小説を求めるならそれはトーマス・マンの『マリオと魔術師』であろう。
ヒットラーのメスメリズム戦略をマンは先取りし活写した..
精神分析がナチの集合心理、集合無意識をかくもよく分析し得た理由は
〈見る〉という男性的な権力構造を内包していたからである。
高山宏 『世紀末異貌』
『けものみち』は、松本清張の長編小説。
「けものみち」に迷い込み、戦後日本の権力構造を垣間見た者たちの運命の変転を描く、
著者の社会派サスペンスの代表的長編である。
『週刊新潮』(1962年1月8日号 - 1963年12月30日号、連載時の挿絵は生沢朗)に連載され、
1964年5月、新潮社から単行本として刊行された。
大橋崇行@『司書のお仕事』4月発売
純文学雑誌のコアな読者層が◯0代(ちょっといえない年代)ですからね…
結局「純文学」って、1920年代から70年代くらいまでにかけてちょっと長めに生き延び、
そのあとも文化の権力構造で読者が維持された
傾向小説にすぎなかったんじゃないかと思うことはときどきというかよくある(´・_・`)
2016年5月16日 0646 ブルー ◆1pVQTmlaVU 2018/06/30 16:47:16
こんにちは
またエッセイ書きました。今回は三種類カップ焼きそばの感想です。評価というか
感想をお願いします
https://blogs.yahoo....irisr8/65251287.html
知らない間にYouTuberにされているので、呼応するんで、今日も2本の動画撮りましたが
HDでAVIだとファイルサイズが無駄に大きくなるので、5分の動画でもアップロードに1時間半かかると言う。次回はファイルサイズ小さくして、対応ですかね。 >>19-20
そもそも東条のような軍事官僚がなぜ独裁できたのか 描くことじゃなくて権力を掌握してテクストをふるうといった、実践実務に目がいかないと。 権力の実感を日記でつづると面白そうそうだよね。他者の視点で細工すれば、
権力構築や発揮に面白い効果があると予想。 権力は一人なんだよね。孤独な。広さや地域とは別として、世界というのは
権力を待望し欲しているんだよ。 権力というとクーデタが目覚ましい現代のいろどりだったと思う。
良さもわるさも、権力を帯びることで大人になれるんだと思うよ。 権力のイメージをつかむのは難しいが、どうやら継承されるもののようで、
至高で無上の概念だといった趣もあるだろう。 権力をどうとらえ何につかうかを嗅ぎ取るよって、人間の本質的な、正体や構造がつかめる
というのはあると思う。 王権。それが、確かに有名すぎるし、集中を生むが、いや、王の能力だって
限界から限界なきまで、捨てたものじゃないかもしれない例をよく見てきたはずだ。 書けないんだよね
イメージが持てない
作家の社会的地位も影響してるかも
アウトサイダーぶって茶々いれるくらいしかない 権力とイメージの関係について考えることの方が文学の側においても先決のような。
愛知トリエンナーレの「表現の不自由展」で起きた問題では、今までの日本で
政治とイメージの問題について議論されることが余りにも少なかったことが
事態の混乱に拍車をかけている。
昭和天皇の写真イメージが、日本帝国主義のプロパガンダの先頭に立っていた歴史はある。
この種の問題はアジアの戦前に限ったことではなく、元首のイメージは現代のイギリスですら、外交の手段に使われる。イギリス王室の写真の例など。
特に日本では議論されてこなかった分、今回の公共自治体主催の美術展からの
問題提起はドラマチック過ぎたきらいはあるが、大筋としては擁護すべきものでは
ないか。 独裁とか影の支配なんかはむしろ書きやすいかも知れない
権力の構造なんだからほぼ地の文で解説してるようなもんだ
しかし、暗殺のない越後屋みたいなものを想像するにつけ、なぜか陳腐な印象を受けてしまう
バンクシーの風刺みたいで、だから何?が関の山
きっとこれは、作品の内容ではなく、受け手の問題だと思ってて
権力者同様、我々も十分に無責任なんだよね
だからこそ、権力とどう付き合うかという主題になると
途端に魅力が増して、興味が湧いてくる
何故なら、空気こそが権力だから
安部公房の「友達」的な空気と言えばいいのか
たとえば、セクハラは職権濫用だから職権を持つ者を当事者として訴えたらいいが
水着で広告の撮影するときに見学と称しておじさんがわらわらやってきて
見学した見学したといって立ち去ったりすると
誰にどれだけ怒ってよいか解らなくなるんだよな
権力者も無責任な民衆も
何も考えていないんだろうな マルクス主義では日本の権力構造は上手く説明できないのもあったのかな
階級闘争で説明仕切れない おれもう社長のコラム読んでないんよ
子供いないし
しかもあれ大金持ちの論理やの おい!
学歴詐称、ハゲ、エロ、チビ の深沢秋男!
死んでくれてありがとう。 >>97
権力を悪いもの、解決されるべきもの、という捉え方が間違っているということだね。
権力に対するイマジネーションが貧困という問題は、吉田健一や辻井喬のような人には関係ないわけで。
リアルを書くと地位が危なくなるくらい叩かれるから書かないだけ。 権力構造を利用する側のしたたかさみたいなのは
書かれてこなかったんだろうか >>1
わかりやすい権力である、
キリスト教がないから、、、
ドストエフスキーは戦っているが、
日本人にはわからない、、、 >>167
何で権力を描くこと=権力と戦うことになるんだよ 夏目漱石と森鴎外の系譜のうち、森鴎外の系譜が途絶えたんだよ。
漱石は漱石で国家を背負って日本文学の礎を築いたんだけど、
夏目漱石の系譜が、大正時代には太宰治にまで堕ちた。
シビアに区切ると、実は小林多喜二も大江も三島も、ほぼこの放蕩息子の系譜に入り
権力に対する想像力の貧困とも結びついている。
スレの流れ的に求められているであろう森鴎外の系譜は、統治者としての父なる文学にあたるんだけど、
大正ロマンを経て放蕩息子の文学になったので、
太平洋戦争前夜に、"アメリカ相手に戦争なんてしたら破産するぞ!"と主張する文学がなかった原因のひとつ。
権力構造に限らずなにかの構造と文学の関係は
シミュレーションなんだけど
アメリカSFやフランス哲学どころか論語の時代から
外国の真似でなんとなくシミュレーションになってしまうところが日本にはある
典型的なフランス文学読みなんか、フランスが戦勝国であるかのような誤解が傲りの根底にあるよな >>169
放蕩息子の文学に、ひとつだけ救いがあるならば
万延元年のフットボールや、蟹工船で
心理を描いたことになるのかな
ガルシアマルケスの族長の秋も反独裁の気味はあるけれど
それは孤独にフォーカスしている
しかし、今の日本の権力構造なんて
官僚の保身やアメリカからテーマを戴く思考停止ぶりが分かりやす過ぎて
どうしようもないね
話変わるけど、素朴な読者としての自分は権力構造の文学になにを求めているんだろうって問題があるよな
徴兵逃れの知恵のようなもんを転用したくなったり
フーコーの本で生権力について知っても
じゃあどうすんの?って、ハウツーに転化したくなるし
ローマの落日をアメリカの没落になぞらえて
無理矢理にでも未来予想したくなる >>171
だからと言って放蕩息子ではないことにはならなくね?
オノ・ヨーコだって安田財閥の娘だよ >>172
太宰で津島家の政治家が絶えたなら明快だが
娘が代議士を婿に取った事に恐ろしさを感じる。
一旦消えた炎が再燃したような。 アウトローになる形しかない
渦中に飛び込んでみればいいのに 7月8日
2022年 - 元内閣総理大臣の安倍晋三が奈良県奈良市の大和西大寺駅前で選挙演説中に、
男に手製の銃で銃撃され死亡(安倍晋三銃撃事件)。 松本清張にもう20年くらい時間をやれば、古代天皇制の構造を解き明かしたかもな。
映画なら山本薩夫の「金環食」が良い線を行ってる。 裏本田・柴志朗(鈴木達也)
テレビにせよネットにせよ、政治もスポーツも芸能も国際情
勢も一緒くたにして「関心が高い順」にニュースを扱うあり
方にはやはり重大な問題がある気がしますね。
Feb 29, 2024 韓国映画35本で学ぶ朝鮮半島現代史|ポリタスTV会員限定で2022年9月28日に放送した深澤真紀さんの伝説回を
再放送。韓国映画ファンはもちろん日韓関係を学びたい人も必見|ゲスト:深澤真紀(1967年3月10日 - )(2/24)
2024/02/24
『密偵』(2016)/『金子文子と朴烈』(2017)
『お嬢さん』(2016)/『マルモイ ことばあつめ』(2019)
『チスル』(2014)/ 『スウィング・キッズ』(2018)
『国際市場で逢いましょう』(2014)/『シルミド』(2003)
『KCIA 南山の部長たち』(2020)/『冬の小鳥』(2009)
『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017)/『光州5・18』(2007)
『弁護人』(2013)/『偽りの隣人 ある諜報員の告白』(2020)
『1987、ある闘いの真実』(2017)/『ミナリ』(2020)
『サニー 永遠の仲間たち』(2011)/『殺人の追憶』(2003)
『トゥルーノース』(2021)/『工作 黒金星と呼ばれた男』(2018)
『JSA』(2000)/『はちどり』(2019)
『サムジンカンパニー1995』(2020)/『国家が破産する日』(2018)
『権力に告ぐ』(2019)/『トガニ 幼き瞳の告発』(2011)
『提報者 〜ES細胞捏造事件〜』(2014)/『明日へ』(2015)
『共犯者たち』(2017)/『スパイネーション/自白』(2016)
『君の誕生日』(2019)/『アシュラ』(2016)
『パラサイト 半地下の家族』(2019)/『82年生まれ、キム・ジヨン』(2019)
『サイバー地獄: n番部屋 ネット犯罪を暴く』(2022) アトミックサンダー
今日、プチ鹿島さんが出演されていた「はみだししゃべくりラジオ キ
ックス」(YBS山梨放送)の火曜レギュラーの出演の最終日となりまし
た。一番長く続いたレギュラーで、10年近くコーナーが不変でした。
大川原化工機事件を巡る冤罪事件や、杉田水脈の差別発言、二階俊博の
逃げ会見などを取り上げて、「なぜ我々はニュース/政治と関わらないと
いけないのか?」と語っていました。つまりは、我々の人生がつながっ
ているし、理不尽に声をあげていこう、黙っていることで「特をする」
人がいる、といったメッセージ性は、確かに今のマスのメディアでは伝
えていないことを何度も話していました。
「忘れないこと」「それにより、理不尽により困っている人をそのまま
にしていいのか?」といった理不尽に怒っていこうよ、
という語りは穏やかだったのですが、それを「身の回りの、信頼できる
仲間と話していこうよ」「困っている人がいたら、それを知っておこ
う」「『知らない』を知ったほうが良い」と口調は真剣そのものでし
た。
これからも、理不尽には怒っていきたいと思います
2024年3月26日 しゃとん
「岩波、朝日、NHK」は、かつて良心的なメディアの代表格として認識
されていました。
しかし、そうした中央の大きいメディアから離れて発信する人たち(南
彰さん、ウネリウネラ、生活ニュースコモンズなど)が近年増えていま
す。
世界各地で起きる戦争や混乱に心を痛める相談者に
「そんなに心配なさっているのなら実際に戦場に出向いて最前線で戦っ
てくればいいのにな」
という冷笑で回答した、今回の件でもあらわになったように、
いまの大きなメディアには
「勝っている」側(権力のある側)の用意した流れにのらずに、社会で
起きている問題について読者とともに地道に考え、おかしなことが起き
ているときは声をあげる、
という本来は報道人にとって当たり前だった「良心」をもったひとの居
場所がほとんど存在しないようです。
岩波をやめた熊谷伸一郎さんが地平社をつくり、
南彰さん(現琉球新報、元朝日)、長井暁さん(元NHK)、東海林智さ
ん(現毎日)がそこから本を出したこと、
地平社が月刊誌を、いまの社会で起きている問題に正面から取り組む書
き手たちともに出すと決めたこと、
こうしたことは今のメディアの状況からいって、必然だったと思わざる
を得ません。
2024年5月19日