純文学5誌総合スレ第66巻目
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前スレ
純文学5誌総合スレ第65巻目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1530666140/
主に「新潮」「群像」「文藝」「文學界」「すばる」に掲載された作品について語るスレです。
「早稲田文学」「三田文学」「江古田文学」「太宰賞ムック」
「たべるのがおそい」掲載作品の話題も可です。
新人賞受賞作 芥川賞受賞作を各論で批評することもOKです。
文芸誌の感想は、書いても書かなくてもOKですが、あるとなお可です。
受賞作決定前の候補作の批評は普通に本人・出版社工作員のステマと見做されますから気をつけてください。
文芸誌の話題にとどまらず、新人賞選考委員の評価・クレームなどもOKです。
さらには文学のありかた、これからの文学は、そもそも文学とは? といった総論や大きなテーマも歓迎です。 文芸誌発行部数
http://www.j-magazine.or.jp/index.html
15年4月〜6月 10月〜12月 16年1〜3月 7月〜9月 10〜12月 17年1〜3月 18年1〜3月
新 潮 9100部 8740部 9420部 8400部 11100部 22400部 8567部
文學界 10534部 10000部 10000部 10000部 10000部 12000部 9933部
すばる 7000部 7000部 7000部 6000部 6000部 6000部 5000部
群 像 7334部 7000部 6000部 7333部 6333部 6333部 6000部 文芸誌内容紹介(尼より)
鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・クエスト」
群像 2018年 09 月号
創作150枚『羅針盤は壊れても』西村賢太 特別対談「世界を俯瞰する目としての言語」
文學界2018年9月号
▼創作
古市憲寿「平成くん、さようなら」(230枚)
▼特集 日本映画、ふたたび世界へ
東出昌大 巻頭カラーグラビア&ロングインタビュー
濱口竜介×柴崎友香 小説から映画へ――創造の秘密を語る
柄本佑インタビュー
佐々木敦「鈴木卓爾『ゾンからのメッセージ』論」
栗原康「菊とギロチン」論
▼新芥川賞作家
高橋弘希 受賞直後特別エッセイ
陣野俊史 高橋弘希論―暴力と共同体
▼対談
金井美恵子×野崎歓 「『スタア誕生』」余話―映画は彼女たちのものである
▼インタビュー
堀江敏幸 小説家という手仕事 鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・クエスト」
→新潮掲載 石原「美しい顔がパクリだらけでも、僕の気持ちは変わらない!」
結局また、スケベ批評。
2018.7.29 09:49 【産経新聞 文芸時評】
8月号 早稲田大学教授・石原千秋 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
https://www.sankei.com/life/news/180729/lif1807290016-n1.html
>北条裕子「美しい顔」が、「参考文献」を付けるのを怠ったとか、いや「盗作」だ「剽窃(ひょうせつ)」
だと話題になっている。「群像」に掲載した講談社が北条裕子を守るのは当然だし、
たとえば北条裕子が参照した石井光太『遺体』の新潮社が攻めるのも当然だ。そうでなければ、
誰もこれらの出版社から本を出そうとは思わないだろう。比べてみれば、たしかにいくつかの表現は似すぎていて、
「これはまずいな」と思う。しかし、だからといって僕の「美しい顔」の評価は少しも変わらない。
>極端な例を考えてみる。他人の原稿を自分の名前で発表した「作者」がいたとしよう。
それにいたく感動したとしよう。その後に、その事実を知ったとしよう。
「作者」のモラルは地に落ちるかもしれないが、僕の感動は減じないし、それは真の作者へ向けられるだけだ。
「美しい顔」の場合、類似しているのを知らなかったことを恥じても、
それがすぐに感動や評価に直結するわけではないというのが僕の感性だ。
北条裕子が参照した本への敬意が新たに生じることがあったとしても。 >>11
>それがすぐに感動や評価に直結するわけではないというのが僕の感性だ。
盗品等関与罪では盗品を売った側はもちろん
それと知りつつも購入した側も犯罪なのです
売買の対象となった品物の価値と
盗品売買という不法行為は別次元の話であり
世間で問題になっているのは後者の犯罪行為なのです
また本件ではたんなる盗品ではなく精密なコピー商品の疑いもあり
それゆえこのコピー商品の宣伝にも一役買った
出版社や批評家たちにも責任の一端が生じる余地がある
何せ一般読者にバッタものまがいの商品を掴ませようとしたわけですから
盗品(もしくはコピー商品)と知らなかったから
あるいはコピーの境界が一般商品ほど明らかではないから
罪が問われていないだけの話なのに「感性」と言い出す時点で
道義的責任回避と受け取られかねないし
そう言うことに対する「感性」は決定的に欠けているわけです 美しい顔 がいくら権利関係頑張っても、
公証人の確定日付ある原稿には勝てん。 数十億円がかかっているから、
講談社も必死だ。
が、すべて無駄なことだ。 要するに、美しい顔 はプロットを押さえて、
権利料を支払わなければ、そのプロットを使えないようにしたい、
そのために講談社が必死で仕組んだ仕掛けだ。
けれど、
そのプロットは 美しい顔 よりはるか以前の公証人の確定日付を持っている。
だから、権利料の仕掛けは通用しない。 >>19
妬むほどの創作力ないじゃん彼女w
「思わず妬んでしまうほどの才能」という言い方があるけど、
最大の賛辞だ。他人の文章やテーマの借用まみれのつぎはぎでしかできないのだから、
賛辞を贈れるに値する作家ではない
才能のでかさゆえに、妬み憎悪し殺したくなるほどの作家あらわれてほしいくらいだ >>19
妬みというか、悪いことした上に講談社が火に油を注ぐようなことをしたからそれ相応にぶっ叩かれていただけじゃない? 石原千秋の時評ほど紙の無駄としか呼びようのないものもめずらしい
産経新聞クオリティ それにしても、少なからぬ(今やその母数も小さいのだが)読書人
もしくは文芸・文学愛好家が「群像」に対して重大な疑問を抱いて
しまった。
もはや「群像」の権威性は亡失したのと同じだな。 てか、A級戦犯・佐々木敦の文芸時評まだかよ
www.tokyo-np.co.jp/article/culture/jihyou/index.html
どんな言い訳するのか見もの 大手でない新聞の連載小説が文藝春秋から書籍化とは
文學界新人賞受賞作や、その出身新人作家の作品は本にならないのに…
やはり売れる見込みがないと出版しないんだな
埼玉新聞の連載小説「赤い風」、文藝春秋から書籍化 注目の梶よう子さん、三富新田が舞台のドラマ描く
7/31(火) 10:31配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180731-00010003-saitama-l11
>埼玉新聞で昨年連載した梶よう子さんの歴史小説「赤い風」が文藝春秋から書籍化された。
江戸時代の元禄期、現在の埼玉県三芳町、所沢市に広がる三富新田を舞台に、
開拓に当たった武士や農民たちの葛藤や友情を描いた物語だ。 >>24
>どんな言い訳するのか見もの
一連の騒動のせいか受賞には至らなかったが
新人賞から芥川賞を受賞することの「不幸」を考えれば
賞を逸したことは何ら問題ではない
北條裕子に限らず新人賞−芥川賞という「不幸」は以前から指摘していた
しかし、この様な騒ぎになった以上、次作が作家としての正念場になるだろう
健闘を期待する
という内容だったかな
簡単に言うと
残念だったな
まあ最初はそんなもんだよ
むしろ良かったじゃないか
でも次を逃すとやばいぜ
くらいの内容で
本当に冷たく突き放した
あれだけベタ褒めしておきながら
この対応は酷すぎる 分かってねぇーw
才能のデカさゆえに殺したいとかないないないないすねいちゃw
少なくとも、自分より上だから嫉妬するw >>27
ありがとう
一言で言うと、佐々木敦はもうどうーしようもない
呆れ返るし、心からの軽蔑を抱くね
自分の下した最大限の賞賛が、盗作を経ても正しかったのか、間違っていたのか
そもそも彼女のしたことは盗作だったのか、それとも問題ではなかったのか
そのことに対する自己批判やジャッジがまるでない
ただの論点ずらしでしかない
そして相変わらず「デビュー→芥川賞が不幸」とかそういうパターン化された枠の話ばかりしている
それは文学作品への批評と何の関係もない 佐々木敦の有用性はあるんだよ。
ハイカルチャーを下世話に解釈して、普及を助けるという。
デメリットも大きいが。 >>31
おっしゃることは分かる
しかし、そもそも佐々木の言説って珍論か「文芸誌の何月号に載った」みたいな形式論、そして情緒的な感想批評ばかりだから、
何も読者が得るものはないし、むしろ害しかないというのが俺の意見だな
本当に興味のある読者なら、軽くアンテナを張るだけですぐに佐々木が紹介してる程度の情報は手に入るし 佐々木はどの文芸誌にも書いてるな
すばる9月号内容紹介(尼より)
【小説】
青来有一「フェイクコメディ」
島田雅彦「君が異端だった頃」
椎名誠「いくつかの事件」
【堀田善衞/全集未収録原稿再録】
「上海・南京」(1945年)/「国際文化振興会での思い出」(1964年)
解説…秦剛
エッセイ…四方田犬彦
【すばるクリティーク賞受賞第一作】
近本洋一「括弧に入れられた『心』」
【評論】
佐々木敦「彼女は(彼は)何を見ているのか――ひとつの濱口竜介論」
【対談】
長島有里枝+武田砂鉄「フェミニズムと『第三者の当事者性』」
【新連載】
武田砂鉄「マチズモを削り取れ」
【すばるeye】
桑田光平「喪失と再生――パスカル・キニャールの文学」
【すばる海外作家シリーズ】
デイヴィド・フォスター・ウォレス「ロブスターの身」
訳+解説…吉田恭子 文芸誌読むの飽きてきたな
それともクオリティーが年々落ちてきてるのか
好きな作家でも読んでるうちに飽きてくる
かわりに好きな新人作家が現れるわけでもなくなってきた
今まで文芸誌を読んでいた時間を文豪の作品を読み漁るのに使いたくなってきた そりゃそうよ
現代作家の作品で文豪の作品を読むのと同じくらい価値のあるものなんて僅かしかない
10%程度しか読む価値はない あなた(たち)が 差し控えても構わないと思っている容赦とは 何ですか >>32
あなたの言う通りだ。
じゃあ、誰が推してるのかとなると、チーム早稲田が佐々木を推してるのかも。 >>31
佐々木のメリット
批評家見習いが「自分の考える批評家」イメージをなぞっている感じだと思う
政治や学問には決して触れないのは学力がないのと、批判されると反論能力がないため
文芸、映画、音楽、芝居と手を広げているものの、最後は個人の感想でごまかせる領域にとどまっている 佐々木は英語も読めないし
もちろんフランス語も読めない
結局誰かが翻訳されたものに飛びついて意匠として利用しているだけ
しかも未だにニューアカ追っかけから一歩も出ていない >>35
僅かな佳品と出合うために、文芸誌を読んでるようなものだしな 【東京新聞 文芸時評】高橋弘希「送り火」 北条裕子「美しい顔」 佐々木敦
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/jihyou/CK2018080102000271.html
送り火については、多くの2ちゃんねらが佐々木が言う前にすでに書き込んでる程度の内容だな
真新しいものはない
美しい顔については佐々木に反省の色はない。イミフな北条への愛情の強さ…
>たとえば私は「送り火」で芥川賞を受賞したのなら、高橋弘希は「指の骨」でいきなり受賞していても、
次の「朝顔の日」でとっていても、
あるいは候補にさえならなかったが「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」で受賞していてもおかしくはなかったと思う。
>ここで今回の候補作の一本でもあった北条裕子「美しい顔」(『群像』6月号)が引き起こしている問題について触れておきたい。
私はこの作品に大変感銘を受けた。それは前に本欄にも書いたとおりである。だが私は、
この小説が芥川賞候補に挙げられることが望ましいとは思っていなかった。前にも書いたことがあるが、
私は新人賞受賞作すなわちデビュー作がそのまま芥川賞を受賞してしまうことは、
その作家自身にとってよいことではないと考えている。
だが、それとは別に、候補になる可能性は高いと思っていたし、候補になれば受賞することもあり得ると思っていた。
>私の答えははっきりしている。「美しい顔」はそれでも力強いデビュー作である。新人賞にも芥川賞候補にも十分に値する。
だが、今回の一件で負うことになったマイナスをはねのけるためには、
北条裕子は「美しい顔」を超える強度を持った第二作を書かなくてはならない。とにかく書き続けて欲しいと思う。 最後の一行が佐々木の
才能を見抜く力がない
ことを明確に示して
いるな。 良いとか悪いとか強度とか
そういう漠然とした評価では批評とは言えない
単なる好き嫌い嫌いでしかないし
そのくらいなら幼稚園児でも言えます >>42
リンクありがとう
なるほど、そこそこ自分の意見は表明してるわけね
その意味では>>30の一部はやや早合点で書いたので撤回するが、
「講談社は盗作じゃないとゆってるよ!島田雅彦もゆってるよ!」ってのがなんとも。お前はどう考えるのかと。
こういう時、佐々木が文学を勉強してないツケが出てくる。つまり、自分の思考による結論というものが出せていない
講談社や島田雅彦が言ってるからではなくて、お前がなぜこれを盗作と考えないのか、理屈立てて言えますか?
それを書かない限り、ジャーナリズムであって文芸批評ではない
そしてやはり芥川賞の候補回数とかそういう形式にばかりこだわる佐々木の悪癖が出ている
それ、小説の価値に本当になんの関係もないよ
ここでも、このコラムがただの文壇ジャーナリズムに過ぎないことが露呈してるね
もう、「批評家」と名乗るのはやめた方がいいだろう
「文芸ライター」なら認めるよ。ライターを差別してるわけじゃない。文章のジャンルの違い。 >>39
>>44
全くその通りです。
佐々木敦がこれ読んでないはずないんだけどね ↓
「あのう、この印象批評は現代までえんえんと続いていて、まだこれやってる人たくさんいるんだけど、
そういう人の考えかたの中にはすべてこの、小説なんていい加減なもんだって考えかたが多かれ少なかれあるの。
だって、そう思わなきゃ、自分の常識だけ土台にしてさあ、印象批評なんてものやれっこないでしょ。
そりゃまあ、神様並みの常識持ってりゃ別ですよ。」
「こういう印象批評、あるいは印象批評以下の『面白い』『面白くない』だけの無責任な読書感想文だけはやめようよね。」
筒井康隆『文学部唯野教授』 第1講「印象批評」より 筒井康隆は純文学をかけないから、それをカノンにしちゃダメ。 参考文献の明記は文芸創作の慣習上遵守事項とはいえず
この点について作者の責任とは言えないが
引用部分については主人公の主観として物語に埋め込んだり
そこから被災者心理に立ち入ることはかなり難しい(きわどい?)
というのが島田雅彦の見解であり
島田は作者の創作姿勢に対してかなり厳しいことを言っているのだけど
この言葉尻を捕らえて免罪符のように利用して
論理性を欠いた擁護をする職業批評家がいる
というかどこがどうすごいと感じたのか全然わからない
作品を読んだのかすら疑わしい
たとえば文学界で月毎の文芸作品評を書いていた千葉雅也なら
短い言葉でサクッと行くんだけどね >>47
確かにね。
そうなんだけど、一応テリー・イーグルトンの本が元ネタにあること、
実験小説の実作者として数々の無理解な印象批評にさらされてきたことへの実感がこもってるという意味では
参照するくらいはいいかなあとは思った >>49 イーグルトンはパロディーしませんよね。ぺレックもそうだと思ったが、小説というジャンルを冒とくしているような。それからドゥルージアンは素材選びを間違っていると思います。 >>47
筒井が純文書けないこととこの内容って関係なくない? それにしても、芥川賞を何回めで取るかとかそういう与太話で文芸時評1回埋めるとか、まさに佐々木の真骨頂やなあ
ほんっっっと、それ作品となんの関係もない
もう佐々木に怒りすら湧かないわ
脱力感しかない
賞に値する作品なら1回めで取ったってなんの問題もないし、それで潰れるならそこまでの実力
今回の時評は、佐々木敦的言説の無意味さの集大成かも
こんな代物を読んでも原稿を依頼するなら文芸誌に未来はないし、
これで佐々木を切る決心をするなら文壇はもう少しまともになる
骨のある編集長が出てきてほしいわ >>52
それもそうだよね
47みたいなのにレスしなけりゃよかった 実力主義の観点で佐々木敦批判するとか、青い青いw
そんなこと言ったら、田中和生や石原千秋らが新聞時評書くこと、読痴・島田雅彦が
代表で芥川賞講評を述べることだって変だよw 芥川賞に価値があるとかいう認識は時代遅れと言わざるおえん
佐々木は時代においてかれてる
もはや一般人ですらくだらねえもんと気づいてる 半年に二回だからね
二年に一回とかにしたほうが良いものが出てきそう 販促としては優秀だし歴史もある
まだ権威は辛うじて残っているが、再構築が必要な段階だろうね >>60
どうでもいいがそのコテ気持ち悪いものを連想させるから
やめてくれ。
君は悪いやつじゃないんだが。 販促は他がだめだからなー
でも権威って意味だと、
芥川賞作家=羽田圭介レベルだからね
口ではすごいねーっていっても
頭の中では笑ってるよ
又吉について言う人多いけど、
俺は羽田圭介が致命傷だったとおもう >>63
羽田圭介はマシだろ
それよりどう考えても又吉だよ まあ、もともと、一番簡単で受賞頻度が多い上に文芸誌にのった作品限定つう、くだんねえ賞だからあるべきポジションと言えばそうだけどね 過去スレでも議論されていたと思うが
各社協力して文学賞の位置づけをもっとわかりやすくしてほしい
あと、もっとメディア露出を増やしてブランディングした方がいい
漫画賞とかもそうだけど、テレビが報じるレベルになるべき うーん
俺が小説とかぜんぜん読まない人と話してると、あの子馬鹿だよねつう認識が広がってるような気が
逆に又吉は芸能人枠つうことで別枠認識だからダメージひくめ 外部メディアの責任もあるわな
前例主義、横並び主義で本質を伝えられてない
本格的に芥川賞みたいな新人賞とっても食えない時代が到来しつつあるみたいだから、こっからかもね 火花
コンビニ人間
おらおらでひとりいぐも
最近はこの3種類ばかり部数が伸びている
一般人に芥川賞の認知はあるのだが、
ごくたまに気になるのだけ拾い買いしてるように見える
基本的に、買わない・読まないスタンス
芥川賞受賞作は、つまらないので読む価値はないという認識だ 純文学の定義とかこの手の話って村上龍デビューあたりからずーっと言われてるんだから
生産的だとも思えない
権威込みで純文学だから神経質になるべきということなのか >>69
純文としては十分だろ
芥川と春樹しか売れないんだから
そして春樹も日本では売れなくなってきたし そういう意味では芥川賞は販促なんだよね
文学的な価値があるつうことにもはやならない
新人は三島か野間新とってからのがいいよね
佐々木はあながち間違ってないかも >>73
いやいや待ってくれよ
販促であることと文学的な価値があることは両立するわけで、どうしてそう二律背反で捉えるのか正直なところ意味がわからない 三島や野間新だって「有名ではない芥川賞」程度の位置づけしかなくいわば劣化芥川賞だよ
なのになぜ三島や野間新をとってからっていう謎の結論に達するんだ? 羽田みたいに、本たくさん出してから芥川賞受賞するというタイミングだと特だね
ほとんどの単行本が文庫化されてウハウハだったろう
その点、一作目で受賞してしまうと、まとめて売るものがない
滝口なんか、たくさん単行本出してるのに、デビュー作しか文庫化してない 芥川賞単独より、三島か野間新の後ろだてなある方がまだましだつうこと 新人でもとれんのこの2つぐらいだろ
織田作は残念三島賞化してるし >>76
滝口はもうホント昔ながらの純文学やってるからな
はっきり言ってそういうのはごくごく一部の好事家にしか受けない >>76
細かいとこだが文庫化されてるのはデビュー作じゃない >>74
まったくそうだよね
佐々木の今回の時評はゴミみたいなヨタ話に過ぎない
こんなのが「ニッポンの文学」なんて本をだしてるんだからもうね…… 文学的価値は芥川賞についてはなくなりつつあるんじゃないか。お前という呼称が時代につれて、蔑みの意味を帯びていったように、実態がばれて、たいしたもんではないと思われているような気も。
蓮見が取ったのと、又吉がとれなかったのとで、三島のがすごいと思っている層はわりといそう。 価値がなくなるって意味ならだいぶ前から既に話題性かよってなってて、その後のきことわやabさんごで一般人に総スカンくらいつつあったから
コンビニ人間やおらおら〜が売れて、芥川賞もたまには面白い作品あるんだな程度の認識に少し回復したって印象だわ 又吉羽田回まではまだ結果について議論があったきがするけど、それ以降はガチの文学層は離れた印象 送り火、尼の売れ筋本ランキングで現在648位だ
何年か前までは、芥川賞作品は、受賞後何週間かは100位以内だったのに >87
俺はこの認識だわ
作家目指してた頃もあったから気にしてた時期もあったけど
今は誰がとっても気にならない
作家目指すの辞めてからも、発表の度にぞわぞわしてたんだけど
たぶん嫉妬してたんだろう
もう嫉妬の対象でもなくなっちゃった >>61
気にしてはいけない。
芥川賞の選考委員で、ちゃんと読む自信のない人は選考委員を自ら辞めるべき。
そして、選考委員は真面目に選評を述べるべき。
歴代の芥川賞の選考後発表された選評で典型的に酷いのが第77回の中村光夫の
「エーゲ海に捧ぐ」評の同作品を褒めた部分だろう。
曰く「八編のうちで、池田満寿夫氏のエーゲ海に捧ぐが抜群の出来です。」。
これだけw
いい加減にしろよとw 選考委員って建前としてはしっかり小説を読めるから選考委員なんだろ
明らかに読めないやついるよな お前らなんで文学賞のような権威にすがろうとするんだ
文学はそういうものをぶっ壊すためにあるんだよ 賞とかだせーって風潮が昔はあったような気もする
ネット時代になってなんでもネタ化して、まつりあげられ、そんで消費されたのがあわれな芥川賞 日本語で世界文学を、という試みは日本語ロックとか日本語ヒップホップみたいな、うら悲しさがあるから、芥川賞的なる文章という半ば伝統芸能化した・様式化したもので埋まってしまうのは仕方のないことかもしれぬでござる。 だから芥川賞は日本文学の最前線で一番すごいもんだと誤認されてるのが問題……って
いいたいとこだけどその誤認がなくなってきつつあるのがかないしとこ
やっぱ佐々木はずれとんねー >>95
文学は理想を追求する為にあるんだよ
現実に追従してたら佐々木みたいになる >>98
>その誤認がなくなってきつつあるのがかないしとこ
「日蝕」ならそれなりにハッタリがきいて
「おお、まさに文学!」という誤解が生じますが
「蹴りたい背中」や「苦役列車」だとあっという間にメッキが剥がれてしまう
高橋源一郎が指摘するように純文学は大衆に読まれてしまうと
有難味が無くなってしまうのです
それでも円城のように読みやすいけどさっぱり分からない、
という作品なら価値が生じる余地があるのですが
「バカ」という捨て台詞を残して辞めていった
高名な選考委員もいるので
あの手の作品でもやっぱり価値創出は難しい
最近の世間様は難しいからと言って無暗に有難がるような
可憐さを持ち合わせてはいないのです
そもそも島田雅彦の様な偶像破壊者を選考委員に据えた時点で
従来の純文学的文章経営によるハッタリも難しいわけです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています