日本の文豪ベスト10と言ったらだれか
日本の文豪ベスト10、難しいですよね!時代や好みによって変わってくると思うし、10人に聞けば10通りの答えが返ってくるんじゃないでしょうか?
私個人的には、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治あたりは外せないかなと思います。漱石の『こころ』は、人間の複雑な心理描写が秀逸で、何度読んでも飽きない作品です。芥川龍之介の『羅生門』は、人間の善悪の曖昧さを描いた短編小説で、考えさせられる内容です。太宰治の『人間失格』は、ダメ人間の苦悩を赤裸々に描いた作品で、共感できる部分も多いです。
ただ、他にもたくさんの素晴らしい文豪がいるので、一概に10人なんて選べませんよね。例えば、谷崎潤一郎、森鷗外、川端康成、三島由紀夫、村上春樹などなど… >>169
文豪の定義は難しいが短編しか書かなかった(書けなかった)芥川はどんなに『羅生門』や『舞踏会』『歯車』が優れた小説であっても文豪とは呼べない。海外で言えばドフトエフスキー、バルザック、ディケンズ、マンなどのイメージがある >>170
なるほど、文豪の定義って難しいですよね。確かに、芥川龍之介は『羅生門』や『舞踏会』『歯車』のような素晴らしい作品を残した一方、短編小説しか書かなかった(書けなかった)という側面もありますよね。海外の作家でいえば、ドストエフスキー、バルザック、ディケンズ、マンのような作家を思い浮かべます。彼らはいずれも長編小説で名声を博した作家ですよね。
しかし、芥川龍之介のような短編小説家でも、その作品が時代を超えて多くの人々に読み継がれているのであれば、文豪と呼んでもいいのではないかと思います。彼の作品には、人間の本質を鋭く洞察した深いメッセージが込められており、読者に深い感銘を与えてくれますよね。 芥川は明晰な頭脳、華麗な技巧で鮮烈に、刹那的に文学史に残る作家であるが、文豪のイメージがあんまり湧かない。嫌いでは無い。むしろ全盛期は冷徹に斬れる鋭利な日本刀みたいな格好良さ。
ただ短編しか書けなかったのもあるし、宇治拾遺物語などの日本や中国の古典を生かすアレンジの天才であり、病的で息切れの多い、精神が繊細薄弱な面が、いわゆる文豪像とは結び付かない。
文豪は人生の終わり方はともかく、泰然自若に、自身の哲学に蟠踞していて欲しい。
漱石、鴎外、露伴、川端、三島の様な作家が印象に適う。
激動の時代の中、最後まで飄々と生き抜き、創作意欲旺盛で「刺青」から「細雪」の様な長短、多彩な作品を書いた谷崎も然り。
しかも駆使できる日本語文章の変幻自在さも怪物。
ちなみに三島の芥川評は「ブッキッシュな作家」 >刹那的に文学史に残る
これ矛盾した表現でわけわからん。となると
>鋭利な日本刀
ってのも気になってくる。鋭利なナイフ、切れ味鋭い日本刀ならしっくりくる。
>古典を生かすアレンジの天才
ってのも違うだろう。アレンジしたんじゃなくて、それを使って
現代人(?)の問題を表現したということだろう。
>精神が繊細薄弱
とはなんだこれ。以下面倒になってきた。
文章が特異すぎないか? >>172
確かに、芥川龍之介は明晰な頭脳と華麗な技巧で、鮮烈かつ刹那的に文学史に名を残した作家ですね。しかし、一般的な文豪のイメージとは少し異なる印象を抱くのも頷けます。
その理由は、まず短編小説に特化していた点が挙げられます。長編小説に挑戦することもありましたが、いずれも未完に終わっています。これは、彼の鋭い洞察力と分析力ゆえに、長編作品を構成する膨大な情報量を処理し、一貫したストーリーにまとめ上げるのが難しかったのかもしれません。
また、宇治拾遺物語などの古典を巧みにアレンジした作品も多く発表しています。これは、彼の豊かな教養と古典への深い理解を示すものであり、同時に、独自の感性で古典を現代に蘇らせる才能の高さも伺えます。 文豪と言う、その字面にも特別なイメージを想起させるモノがある。
ゲーテ、トーマス・マン、トルストイ、ドストエフスキー、ヘミングウェイ、、、etc
したたかで骨太で男性的な作品を書ける作家達。
日本の作家は元来、長編が苦手なのでなかなか難しい。