Y.
渡部直己「就職が決まらないのは文学を勉強してないからだ。
就活とは言葉を介して赤の他人を魅了すること。赤の他人を魅了する言葉の最高度に洗練されたものが、
優れた文学であり思想ではないか。ベケットやニーチェを相手にできるなら、
一般企業のESや人事部長なんてはなからめじゃない」…さすがw
2011年1月24日

きみたり/君足巳足
文学がマイノリティやダイバーシティ的な表現の場である(だから教育的に想像力を滋養する)とするならば、
当然文学は「マジョリティ的なコミュニケーション」に対しては「障害」的に振舞い、
混乱を引き起こす(べき)ということになるのであって、コミュ力強化とはベクトルが逆なんだよな。

となると、国語教育はある種のコミュニケーション不和(つまり、端的に読めないということ)を
「体験させた上で乗り越えさせる」という目標にどこまで自覚的なのか、というあたりが気になる。
単に日常から離れた話を並べれば非日常への多様に開かれた想像力が育ったりするわけではない。

だから教育の中で小説が用いられる場合、
それが「常識」的に読めるものか読めないものかの区分は極めてシビアあるべきなはずなのだけど、
「現代のマジョリティ的ではない(≒教養や啓蒙としての)文学」を
「常識的に当然読めるべきであるかのように教える」無理な場面はありがちなのでは。
2019年1月14日