【マチネの終わりに】平野啓一郎 part32【映画化】
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樹液が蒸発し果ててその音が聞こえなくなり、煙が紛紜と溢れ出した。
烟影は先程とは殊なる濁った黒い色をしている。細風の戦吹く度に、薪の山が幽かに紅潮する。
焔は知らぬ間に、内部で肥っていた。恰も一個の飯櫃な生き物であるかの如く。
火は時折素早く触手を伸ばしてみては、外に積まれた薪を?み、己が腹中に収めむとする。
しかし、その多くは成功しない。徒に幾条かの不吉な跡を残すのみである。
すると、突然癇癪を起こしたように、二三の小さな薪を好き飛ばしたりする。
焔は俄かに勢い附いていった。間歇的に鳴っていた薪の破裂する音は、次第に絶え間なく、降り
始めの驟雨が地を撲つように、続け様に響き出した。木片が、幾つも周囲に零れている。
−日蝕p174-175
石筍は、真直上方に伸び四半分程を剰して一度括れた後に、一層大きく膨み、
その儘緩やかに先端を結んでいる。対を成す鍾乳石も殆ど同じ形である。
丈は各が人の三倍もあろうか。二つの滴石は、将に触れ合い、溶け合わむと
する刹那の所で、纔かに指二本分程の隔たりを保っている。
間隙は存在の予感に閃き、爛熟し、存在以上の充実した緊張を孕んでいる。
−日蝕p128 対立は、その面貌にも見えている。閉ざされた瞼は、苦痛の故とも、眠りの故とも
判ずるを得ない。眉間に仄めく数条の皺は、愁いと快楽とを両つながらに予感させ、
その謎を、際立った鼻準の直線の裡にあずけ、永遠に隠してしまう。
瞼際は締まり、顎の曲線は熟し遣らぬ果実のように滞らない。
それらを覆い侵さむとする髪は、叢がる爬虫類の如、又、甕より零れる清水の
ようでもある。
-日蝕p132
<これは一体何なのだろう?子供染みた疑念が、意識の腋をくすぐっているような
奇妙な感覚だった。金属線を巻きつけられて目一杯引っ張られた羊の腸が、
指で弾かれたり、馬の尻から伸びた毛で摩擦されたりして、世にも美しく鳴り響いている。
そして、それに合わせて繰り返されるのは、「聖なるかな、聖なるかな、……」という言葉!
少年の若い声帯が、大人の男にはもう決して届かない高みの音を、
失われた無垢そのもののように響かせてみせる。------死を嘆き、悲しむというのは、
人間特有の崇高な感情なのだという。しかし、その感情は、こんな馬鹿な道化じみた遊びで
、慰められるように出来ているのだろうか?こんな、ちんどん屋に毛の生えたようなのに、
涙ながらに聞き入って、心静かに死んだ人間のことを思うのが、美しい人間というわけか!
清らかだ!……ああ、いかにも浄らか!……>(決壊 下巻 p. 377) 地獄という観念を創造した人間たちも、酷いことをしたと、後悔の念に苛まれるよ。・・・・・・
篠原も、鳥取の少年も、悪では決してない。ただ、健康でなかったというだけだよ。犯罪が凶悪
であればあるほど、実際に、病気だという説明は、人を納得させるんじゃない?
・・・・・・どうして、そんな人間の罪を責められる?『罪と罰』なんてうっかり口にしよう
ものなら、とんでもない反動主義者だと思われかねない。 『罪と治療』いや『病と治療』と
言い換えるべきだね。――人間は、寿命に対して、突然死を対置する。事故や病気をね。
それは、無念だけれど、仕方がないと始末がつけられる。終わらせることが出来るんだよ。
ガンや脳卒中がそうやって受け容れられるのは、それが自己の内部に起こって、
自己に対して攻撃してくるものだからだろう。しかしね、病の不可抗力という考えを徹底する
なら、それが他の個体に於いて発生して、他者に向けて攻撃をしてくることだって、
同じだと理解されるべきじゃないかい?――すると、どうなるか?個性だとか、他者性だとか
を飽くまで実体的に、断固として、どこまでも擁護するなら、際限なくだらしない現状肯定に
陥るしかない。しかし、そうはならないだろうね。人間はますます、他者の病が我慢できなく
なる。そんなもののために殺されたんじゃ堪らない。だとすれば、懲役なんて、幾ら
やったって無意味だよ。唯一可能なのは、医療行為だけだろう。悪という名の健康の欠如を、
ピンポイントで攻撃して、個体の内部に偉大なる民主主義を実現する!何に向けてか?
幸福だよ、それこそが。――そうして社会はまた、どうしよう近代主義に逆戻りだよ。・・・・・・」
ーー「決壊」下巻より あなたと同じ両親、あなたと同じ土地、あなたと同じ容貌、あなたと同じ性格。――知能、体力、
境遇、すべて同じならば、当然にその人間が殺人を犯さなければならない。いや、
違う!と反論する人間がいるね。しかし、その人間の遺伝的特徴と環境とを、あなたが
与えられていたならば、あなたが、違う!と叫び、交換に、あなたとして生まれてきた
その人間は、やはり否応なく殺人を犯すのだよ!――いいかね?人間とは、単なる
データの束だ。そして、その束のあり様が、たまたまあなたの場合、殺人者であるために
最適だった!世界は、直接には感じ取れないような、ありとあらゆる微細な作用を、
多年に亘って、偏執狂的に根気強くあなたに及ぼし続けて――そう、遺伝のための
気の遠くなるような時間と、固体の成育のための、あなたのせいぜい十数年!――、
ようやく植えつけられた一個の殺意を、今、活性化することに成功しつつある。
あなたの固有名詞をラベルとして貼ってね。」
「人間は、それを運命と呼び慣わしている。しかし、それもまた、欺瞞の一形式に過ぎない
がね。」
――ナザレにイエスは、死ぬ直前にそれに気がついて慌てふためいたのだよ。しまった!
とね。あの処刑は、つまり、運命というものの支配の完成だよ。イエスは、両手と両脚とを
三本の釘で打ちつけられた。三本!クロト、ラケシス、アトロポス!モイライは――
運命の三女神は、高が大工の倅が神の子になることを断じて許さなかった!
だからこそ、ナザレのイエスは、釘と、金槌とで、材木に打ちつけられて死んだのだ!
――いいか?どんな人間も、運命に釘打たれている。絶対に、それからは逃れられない。
しかも、その釘を打っているのは、この世界そのものなのだ!」 「創世記の第三章二十二節で、神はこういっています。
『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。』−我々の信じる神は、最初から一者では
ありませんでした。
ヤーヴェは、〈競争する神〉です。他の神を出し抜いて、自分そっくりの人類を産み出し、独占契約
しようとした神です。
なぜなら、彼には正しいという確信があったから。
そして、その後、人類の歴史は、このヤーヴェを神学と信仰とで支えてきたのです。
なぜなら、ヤーヴェはどう見ても、全知全能に見えないからです。
グレイソン・ネイラー、あなたは勝たなければならないのです。競争して! そして、それを国民は支えるはずです!」
「ドーン」文庫版p487 平野啓一郎「日蝕」p.62より
「即ち、聖トマス、大アルベルトゥスに依る、アリストテレスの「自然学」、「生成消滅論」、「分析論後書」の注釈の類、
ポエティウスの翻訳なるポルフュリオスの「アリストテレス範疇論入門」、アヴェロエスに依るアリストテレスの注釈
書、ヴァンサン・ド・ポオヴェの「自然の鏡」等。又一方で、カルキディウスの翻訳なるプラトンの「ティマイオス」。更
に、ロジャア・ベイコンの「大著作」、「錬金術の鏡」、ライムンドゥス・ルルスの「聖典」、フラメルの「象形寓意図の
書」、亜拉毘亜人のゲエベルの著した「錬金術大全」。その外、「神学大全」、「形而上学註解」を始めとした一連
の聖トマスの著作、それに、抑私をして旅へと立たしめた、フィチイノの「ヘルメス選集」等、……」 その繊細で硬質な肢体、その静謐、その妖氛。---それは、錬稠せられた、白昼の眩暈であった。
即ち、聖トマス、大アルベルトゥスに依る、アリストテレスの「自然学」、「生成消滅論」、「分析論後書」の注釈の類、
ポエティウスの翻訳なるポルフュリオスの「アリストテレス範疇論入門」、アヴェロエスに依るアリストテレスの注釈
書、ヴァンサン・ド・ポオヴェの「自然の鏡」等。又一方で、カルキディウスの翻訳なるプラトンの「ティマイオス」。更
に、ロジャア・ベイコンの「大著作」、「錬金術の鏡」、ライムンドゥス・ルルスの「聖典」、フラメルの「象形寓意図の
書」、亜拉毘亜人のゲエベルの著した「錬金術大全」。その外、「神学大全」、「形而上学註解」を始めとした一連
の聖トマスの著作、それに、抑私をして旅へと立たしめた、フィチイノの「ヘルメス選集」等、……
私の霊は肉と倶に昇天し、肉は霊と倶に地底に降りた。肉は霊と熔け合った。私は世界の輝てを一つ所に眺め、
それに触れた。世界は私と親しかった。私は世界を抱擁し、世界は私を包んだ。内界は外界と陸続きになった。
同じ海になった。世界が失われて私が有り、私が失われて世界が有り、両つながらに失われ、両つながらに存在
した。唯一つ存在した!……そして、私は将に到かむとしていた。……何に?……光に、…………目映く巨大なる、
この光に、…………………………遥か彼方より発して、尚至る所にその源を有するこの溢れる光に、…………
……………………………………光、…………………………………………即ち、………………………
…………………………………………………………………………………………………………………………
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平野啓一郎「日蝕」 p21, 62および168-169より 作中人物の異常とも言える饒舌さは平野の博識な思想的骨格が科学技術社会と衝突して溢れたリアルな言葉の奔流、まさに現代のドストエフスキー! 自転車や電車で物を運ぶこともあれば、依頼者が行けないような遠い場所、危険な場所に行くこともある。何かのリサーチを頼まれることもあったし、旅行の代理を頼まれることもある。時間がなくて、行ってきたことにしたい人、行きたいが、病身で
行けない人――若松さんのように――というのは、少なからずいるのだった。僕が旅先で撮影した写真を、自分が撮ってきたものとしてネットにアップするのは、依頼者の自由だ。それについては、こちらに守秘義務がある。
若松さんは、「人間ドローンですか?」と笑って言ったが、ふしぎと嫌味(いやみ)がなかった。
「ええ、飛べませんけど。基本的には、依頼者の指示通りに動きますし、遠隔で操作するだけでなく、僕の体と一体化して活動したい、現地を体験したいという方も多いです。外国からの依頼者もいます。」
禁止事項であり、僕は決して応じないが、風俗店に行ってほしいという依頼も、珍しくはなかった。
同僚の中には、裏で追加料金を受け取って、楽しみながらその代行を引き受けている男もいる。――しかし、若松さんには、そんな話まではしなかった。
仕事中は、依頼者の体になりきっているが、珍しい、面白い体験もあるし、行ったことのない場所に行って、現地で多少、自分の時間を持てることもある。僕は必ずしも、嫌いな仕事ではなかった。 続き
若松さんは、長年、小樽に住んでいたが、今は僕が訪れた小田原(おだわら)の施設に入っている。
死ぬ前に――と彼自身ははっきりと言った――どうしても、昔住んでいた小樽の家を見たい、そのあと、家族でよく足を運んだ、町の外れの断崖に建つホテルから海を眺めたい、というのだった。
承諾すると、彼は握手を求めた。木の棒がスッと持ち上がるような動作だったが、長く入院している人らしく、掌(てのひら)の皮には繊細なやわらかさがあった。埋もれていた彼のまだ少年だった頃が、肉が落ちて露(あら)わになったかのような感触だった。
死が近づくと、人の思念の中では、過去の川が、一筋の流れであることを止(や)めて、氾濫してしまうのかもしれない。堰(せき)を切ったように、誕生から現在までの存在の全体が、体の中に満ちて来る。肉体には、その隅々に至るまで、懐かしさの気配が立ち籠(こ)める。
「本心」 連載第15回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/545011/ いずれ、この世界から、諸共(もろとも)に失われてしまうなら、肉体が記憶と睦(むつ)み合おうとするのも当然だった。
旅程のすべてを、若松さんのアバターとして辿(たど)ることも可能だったが、長時間は、体力が保(も)たないというので、二箇所の目的地だけに絞ることにした。
新千歳(しんちとせ)空港から小樽までは、電車で一時間ほどだった。北海道とはいえ、特段、涼しいわけでもなく、日中は、三十度を超えるという予報だった。ポロシャツにチノパンという恰好(かっこう)だったが、僅(わず)かな駅の移動の間にも汗が兆した。
僕は、動き出した電車の窓辺で、アカエゾマツの林が視界を掠(かす)めていくのを、見るともなしに眺めた。そして、母が僕に、安楽死の意思を伝えた日のことを思い返した。
既に書いた通り、母は、僕のこの仕事を、長らく理解しなかった。
僕を愛していたから、受け容(い)れなければと努力していたが、同じ理由で、過労や危険を心配していたし、こうした運命に、ほぼ定まった観のある我が子の人生を、物悲しい目で憐(あわ)れんでもいた。
肉体を他人に操られるという想像が、母には耐え難いようだった。母は、アバターという関係)ねても曖昧だった。ただ、滝が見たくなって、昔、『伊豆の踊子(おどりこ)』を読んだのを思い出したと言った。母は、趣味のはっきりした読書家だった。
僕自身の前後の予定が詰まっていて、日帰りできる距離しか難しかったというのもある。いずれにせよ、どこに行くかということ自体は、重要ではなかったと思う。
「本心」 連載第16回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/545265/ 僕は、はりきっていた。初めての場所だったので、十分に下調べをして、プランを立てた。せっかくなら、母をアバターとしてではなく、手を引いて連れて行ってやりたい気持ちにもなったが、嬉(うれ)しいけど、それだと意味がないと笑われた。
アバターになっている間は、話し相手になってほしい人もいれば、完全に自分の肉体であるかのように、ただ指示だけを出し、返事をされることさえ嫌がる人もいる。
母も最初は、僕と同化して遠隔操作することを試みていたが、熱海(あたみ)で新幹線から特急に乗り換える時に、僕に注意を促した辺りから我慢できなくなったらしく、いつもの口調になった。しかし、いかにも言葉少なだった。
車窓から眺めた伊豆半島の景色は、今ではもう、何度も遊んで印刷が擦れ、順番がバラバラになってしまったカードのようになっている。
椰子(やし)の木が並び、海が見え、民家が視界を遮り、伊豆高原近くになると、深い緑の木々に覆われた。しかし、その通りに見たのではないだろう。
近くに人が座っていたので、声を出して母と会話することは憚(はばか)られた。母もそれを承知していたが、晩春の光を浴びた海が煌(きら)めく先に、大島(おおしま)が見えた時には、思わず嘆声を漏らして、「ほら、見える?」と語りかけた。
東京から、二時間近くかけて運ばれた母の沈黙が、今では僕の記憶に重たい荷物のような感触を残している。
距離に換算される沈黙という考え方は、きっと正しいのだと思う。なぜなら、その一五六・八キロの間に、母のそれは、ゆっくりと変質していたであろうから。そして
、母がその間、何を思っていたのかという僕の想像は、どれほど繰り返されようと、いかなる一瞬にも辿(たど)り着けないのだった。
河津駅に着くと、バスで水垂(みずだれ)という停留所まで行き、そこからゆっくり山を下りつつ七つの滝を見ていった。1キロ半ほどの道のりだったが、途中で座って眺めたりと、一時間ほどかけたと思う。
木製の階段や橋が設置されていて、案内も親切だった。
「本心」 連載第17回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/545439/ それでも、ところどころ、木の根が隆起し、苔(こけ)が生(む)した足場の悪いところもあり、母は、やっぱり、自分ではここに来れなかったと思うと僕に言った。
道は、鬱蒼(うっそう)とした木々に覆われていたが、川の真上にまでは岸から枝が伸びきれず、殊に、崖から流れ落ちてくる滝には、空からまっすぐに光が注がれ、それが広く開いた滝壺(たきつぼ)に、目を射るような煌(きら)めきを絶え間なく満たしていた。
間近で霧雨を浴びるような大きな滝もあれば、その激しさを足許(あしもと)に見下ろす滝もあった。
水は、底が見えるほどに透徹していたが、全体に分厚いガラスの断面のような深緑色をしていた。
少しあとになって、僕は三島由紀夫(みしまゆきお)の初期短篇(たんぺん)の中に、こんな一節を見つけた。
「これほど透明な硝子(ガラス)もその切口は青いからには、君の澄んだ双の瞳も、幾多の恋を蔵(ぞう)すことができよう」
僕がその時に思い出したのは、ガラスではなく、この滝の水の色だった。必然的に、「君」の役割は母に宛(あて)がわれることになったが。
実際、母は、歳(とし)を取って瞼(まぶた)が落ちてきてからも、目の綺麗(きれい)な人だった。
僕は母と、何を話しただろうか?
母は、「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢(あ)はむとぞ思ふ」という、崇徳院(すとくいん)の和歌を、独り言のように口にして、その通りね、と言った。
僕は、「誰か、再会したい人がいるの?」と、冗談のように訊(たず)ねたが、母は笑って何も答えなかった。
奇妙に孤立した会話の一往復だった。
岩間を抜けて流れる浅瀬の水は、川底の起伏をなめらかになぞって、周囲の岩のかたちと親和的だった。
水に近づけばひんやりと感じられ、離れれば如実に気温が上がった。
七つ目の「大滝(おおだる)」と名づけられた滝がハイライトで、僕は母の勧めで、その傍らにある温泉宿で休んでから帰ることになっていた。
滝は、見上げるような大きさで、僕たちは、轟音(ごうおん)の直中(ただなか)で、小さな静謐(せいひつ)を分かち合っていた。
「本心」 連載第18回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/545678/ 水は、見上げるような高さの緑に覆われた岩間から、宙に向けて勢い良く吹き出していた。ガラスの器に落ちてゆくかき氷のように白いその滝は、途中に迫り出した岩にぶつかり、更(さら)に大きく荒々しく開いた。
僕は陶然とした。不吉なことと言えば、ふと、落日後に、ただこの激しい音だけを残して、暗闇に没してしまった滝のことが想像されたくらいだった。……
「滝壺(たきつぼ)に虹が架かってるの、見える?」
僕はそう言おうとしたが、先に母が口を開いた。それで、その言葉は、一生外気に触れることがないまま、今も僕の中に留(とど)まっている。
母は、
「やっと、朔也(さくや)の仕事がわかった。あなたのお陰(かげ)で助かる人がたくさんいるでしょうね。」
と言った。
僕は、何と返事をしただろうか? 虹から視線をモニターの中の母に移した。
「疲れたね? ご苦労様(くろうさま)。ありがとう。」
「ううん、僕も楽しかったから。」
「お母さん、本当に満足。これで安心。……ありがとう。もう十分。」
僕は、滝の前を離れて、道路に出るまでの長い急な階段を上り始めた。
「朔也にいつ言おうかと思ってたんだけどね、……」
母は、そう切り出したあと、躊躇(ためら)うように間を置いた。
「お母さん、もう十分生きたから、そろそろって思ってるの。」
「−−何が?」
僕は、つと足を止めた。少し息が上がっていた。僕は咄嗟(とっさ)に、母が、施設に入る決心をしたのではないかと考えたのだった。−−そんな余裕はないはずだったが。−−そして、そのことに、当惑しつつ、少し腹を立てた。
しかし、次いで、母の口から洩(も)れたのは、まったく予期せぬ言葉だった。
「お母さん、富田(とみた)先生と相談して、安楽死の認可を貰(もら)って来たの。」
僕は、動けなくなってしまった。何か言おうにも口が開かず、呼吸さえ止まっていた。苦しさからようやく一息吐き出すと、心臓が、棒で殴られた犬のように喚(わめ)き出した。
「本心」 連載第19回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/546000/ 僕は明らかに、母の言葉を理解できていなかったが、体の方は既に恐慌に陥っていた。きっと、母と僕の体は、その時一つだったから。……
後ろに続いていた家族連れに声を掛けられ、僕は端に避(よ)けて先を譲った。
「――よく聴き取れなかったんだけど。」
「ごめんね、急に。でも、お母さんも、じっくり考えてのことだから。」
「だから、何を?」
「安楽……」
「どうして?」
僕は、モニターの全面に母の顔を映し出した。困惑したような、許しを請うような微笑で、こちらを見つめていた。僕は愕然(がくぜん)とした。それは、既に決断し、相手をどう説得するか、様々に想像しながら、時間を掛けて準備してきた人の面持ちだった。
「どうして? 何かあったの?」
「ずっと考えてたことなのよ。この歳(とし)になれば、……」
「この歳って、まだ七十前だよ? 何言ってるの?」
「もう十分なのよ。……もう十分。」
「とにかく、すぐに帰るから。それからゆっくり話し合おう。おかしいよ、急に。……早まったこと、しないでよ。とにかく、僕が帰るまで待ってて。……」
なぜなのか?――なぜ?……
しかし、その晩、遅くまで続いた母との話し合いを、僕は、若松さんとの仕事の前に思い出さなかった。脳裡(のうり)にちらつくその光景を堰(せ)き止めて、小樽
駅に到着しようとする車窓の風景に呑(の)まれるに任せた。アイスクリームを食べている観光客に目を留めた。ホームの柱がそれを断ち切り、別の一群に繋(つな)ぎ
直して、また断ち切った。自動販売機や広告など、つまらないものを一通り見せていった。しかし、そうした平凡さこそが、追想から逃れるためには、是非(ぜひ)とも必要だった。
若松さんの家は、駅の裏手の高台にあった。富岡聖堂(とみおかせいどう)という小さな教会の少し先で、地図で見ていたより、その坂道は急で、僕の自宅マンション前の道を更(さら)に何倍にもしたほどに長かった。
「本心」 連載第20回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/546293/ 僕は、駅から彼と一体化していたが、あの病床の老人も、若い頃はいつもここを上り下りしていたのだ、というようなことを、少し息を切らしながら考えた。
平日の白昼は、見慣れぬ余所者(よそもの)の闖入(ちんにゅう)に、ひっそりと息を凝らしていた。僕が実は、若松さんだと知れば、景色が一変するくらい驚かれるだろう。
あの老体を満たしていた幼少期の記憶が、今は僕の体に打ち寄せている。そして彼は、僕を通じて、懐かしい過去へと駆け出してゆくのだった。
教会はこぢんまりとして、ヨーロッパのゴチック建築のファサードを、一部分だけこっそり引き抜いて、持ち帰ってきたかのようで、シンボリックな八角小塔は、地元の人たちが、毛糸で編んだ帽子をちょんと被(かぶ)せてやったような風情だった。
街は既にして眼下に遠かった。若松さんの自宅は、そこから歩いて五分ほどだった。
二階建ての大きな洋風の家で、屋根はピアノの鍵盤のふたを、開きかけて、そのまま止めたようなかたちをしている。積雪対策だろう。
白い外壁の一角には、ダークブラウンの装飾が施されていて、建てられた時には、立派な、趣味の良い家だと評判せられたに違いない。僕自身は、ついぞ住んだことのないような家だった。
庭の大きな貝塚息吹(かいづかいぶき)はよく手入れされていて、玄関先には、子供用の自転車が二台、置かれている。
若松さんは、僕の耳元で頻(しき)りに、「ああ、……」と、懐かしそうな、言葉にならない声を漏らした。僕は、今の居住者に、中を見せてもらう交渉をするかどうか、提案のメッセージを送ったが、「いえ、いいです。」という返事だった。
周辺をしばらく散歩し、小樽公園にまで足を延ばしたあと、無人タクシーを拾って、岸壁のホテルに移動した。僕の視界の映像は、若松さんの息子夫婦にもシェアされているようで、「お父さん、よかったね、家が見れて。ねえ?……」と何度も声を掛けるのが聞こえた。
連載第21回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/546619/ 岸壁のホテルに行く前に、僕は磯辺に向かった。船着き場があり、ニシンの焼き魚定食やいくら丼を出すような店が軒を連ねている。
駐車場のアスファルトの先は、僕の足よりも少し大きいくらいの丸い石が積み重なっていて、時折、不意によろめいては、石同士が軋(きし)む響きを足裏に感じた。
大きな潮騒が、僕の全身に響いた。
波打ち際には、「人」という字を組み合わせたような四脚の消波ブロックが、ぎっしりと並べられている。
遊泳エリアではないが、子供用の青い浮き輪が一つ、足許(あしもと)に落ちていた。少し先にあるビーチから流れてきたのだろう。
風が強く、汗ばんでいた僕には心地良かった。
青空には、薄い雲が、今にもゆっくりと、音もなく引きちぎられてゆくように棚引いている。その裂けて飄(ひるがえ)った縁は、時間が止まったかのように、そのままのかたちを保っている。
水平線は、白く打ち烟(けぶ)って曖昧だった。
僕は、雲の隙(すき)から降り注ぐ無数の光が、海原一面に煌(きら)めいて、波と共に打ち寄せてくる様を眺めた。
若松さんに、その規模を伝えたくて、ゆっくりと頭を巡らせた。
彼は、黙っていたが、その息遣いだけは耳に届いていた。
病室にいる彼の許(もと)に届く波は、きっと、過去から折り重なるようにして、層を成しているのだった。買ったばかりの折り紙を開封して、その中から、好きな色
を一枚だけ抜き取ろうとしては、一緒に他の色まで引き出してしまうように、若松さんの記憶の中の波は、幾年も隔たった景色を、続けざまに今、見せているに違いない。
波は、磯の直前まで潜っていて、唐突に顔を上げると、飛びつくようにして消波ブロックにぶつかり、高く砕け散った。
噴水のように跳ねた飛沫(しぶき)が、次々と波の中へと落ちてゆく。そのうちの幾つかは、悪戯(いたずら)めかして、僕の顔にまで飛んできた。眩(まぶ)しさに、僕は下瞼(したまぶた)を無意識に、ずっと緊張させていた。
「本心」 連載第22回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/546845/ ホテルまでの一本道は、急勾配だった。若松さんは、
「きついでしょう? 冬はこの辺は真っ白ですよ。車も、4WDじゃないとね。」
と、僕に初めて語りかけた。そういう時は、会話に応じた方が良かった。
「ええ、大丈夫です。この辺の人は、そうなんですね。本州に住んでると、そんなことさえ思い至りませんけど。」
道の途中には、古い水族館があったが、その駐車場に停(と)まっている車も、確かに4WDが多かった。
何度か後ろを振り返ったが、先ほどまで見ていた海が、眼下に見る見る遠ざかっていき、定食屋の屋根も、僕が立っていた磯も、細密画の一部になっている。
体そのものが大きくなったような錯覚があった。
ホテルは、白い瀟洒(しょうしゃ)な建物で、若松さんが行きたがっていたのは、展望テラスがついた、芝生とタイルの広い庭だった。
平日の午後なので、人影はなく、僕は、若松さんに確認して、見晴らしの良さそうな場所の手すりの前に立った。
風は麓にいた時よりも更(さら)に強かった。磯とは方角が違い、遠くに小さく灯台が見えた。
手すりの向こうは草木に覆われていて、その先は、唐突に何もなかった。
実際に草を踏みしめてゆけば、ふっくらと膨らんでいる草叢(くさむら)の中ほどから、既に切り立った絶壁となっているはずだった。ヘッドセットのAR(添加現実)
をONにした。クマザサ、オウシュウヨモギ、ホオズキ、ブタナ、ホッカイヨロイグサ、……と、それぞれの名前が表示された。
身を乗り出して下を覗(のぞ)き込むと、遙(はる)か下方に、岩場に打ち寄せる波が見えた。「危ないよ。」と、若松さんに注意されたが、この一言が、奇妙に僕の心に残っている。
視界は、海と空とに力強く二分された。
頭上は群青色のように濃い青だったが、水平線に向けて、その色が薄らいでいく。
潮の流れが、広大な海面に、細かな模様を描き出しているが、それはむしろ、風の手が撫(な)でつけて出来た皺(しわ)のようでもあった。
至るところに、白浪(しらなみ)がちらめき、どんな僅(わず)かな水の起伏にも陰翳(いんえい)が伴っている。
「本心」 連載第23回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/547035/ 思想が文体を作るということをこれほど感じさせる作家は貴重だよ
現代思想作家として同時代に出会えたことを埃に思う 若松さんは、また、「ああ、……」と嘆息を漏らしたきり、無言になった。その静寂の向こうで、僕は彼が泣いているのを感じ、モニターの小窓を見ないようにした。
風が、潮でべたついた僕の額を涼しく撫(な)でた。恐らく僕の体は、若松さんの亡くなった妻の傍らに立っているのだった。
人生の最後に、思い出の場所の景色を見つめる目。――この空と海が、若松さんという一人の人間の瞳に像を結ぶことは、もう永遠にないのだった。
そして、僕の目は、別のもう一人の目を、否応(いやおう)なく、引き寄せてしまった。――母の目を。
あの日、帰宅した僕は生まれて初めて、母を酷(ひど)く責め、何かあったのなら話してほしいと詰め寄った。母は、「もう十分に生きたから。」と繰り返すばかりで、終(しま)いには、穏やかな、ほとんど冗談でも口にするような面持ちで、こう言った。
「何にも不満はないのよ。お母さん、今はすごく幸せなの。だからこそ、――だから、出来たらこのまま死にたいの。どんなに美味(おい)しいものでも、ずっとは食べ
続けられないでしょう? あなたはまだ若いから、わからないでしょうけど、もうそろそろねって、自然に感じる年齢があるのよ。」
「違うよ、それはお母さんの本心じゃない。お母さんは、子供や若い世代に迷惑をかけないうちに、自分の人生にケジメをつけるべきだっていう世間の風潮に、そう思わされてるんだよ。お母さんの世代は、若い時からずっとお荷物扱いされてきたから!
けど、長生きすることに、疚(やま)しさなんて感じなくていいんだよ! 僕にはまだ、お母さんが必要なんだよ。どうしてそんな悲しいこと言うの?」
「違うって。……違うのよ。これはお母さんが、自分の命について、自分で考えたことなのよ。お母さん自身の意思よ。」
「じゃあ、考え直して。僕のお願いだよ。そんなこと、……どうして?」
正直に言えば、母でない赤の他人であるなら、僕はその考えを、理解し得たかもしれない。しかし、母がそうした心境に至るには、何らかの飛躍が必要なはずだった。
「本心」 連載第24回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/547238/ >>39
埃は誇りの間違いな
まあ、思想というものが積もることで誇りは創られる、そう読み替えてくれたらいい
とにかく稀有な作家だよ 実際アジア圏でもっとも翻訳され読まれているのが平啓だからな
それだけのグローバルな思想的影響をもつ作家ということだよ 僕は当然に、それを精神的な不調のせいだと考えた。実際、かかりつけの医師が、母の意思の確かさを認めるまでに時間を要するのは、そのためだった。
しかし、母はその後も、まったく落ち着いていて、抑鬱的(よくうつてき)な気配は微塵(みじん)もなかった。よく熟考しており、医師との対話にも積極的に応じ、
その他、安楽死の許可を出す条件を完全に満たしていた。ひょっとすると、認知症の兆候などが見つかり、将来を悲観しているのではないかとも思ったが、医師はその見方を否定した。
実際のところ、取り乱していたのは、僕の方だった。母がこの世界からいなくなってしまうという想像に、僕は深甚(しんじん)な孤独を感じた。しかも、母が自らの
意思でこんなことを考えだしたのは、病気でないとするなら、僕のためを思ってなのではないのかという不安を拭えなかった。それに対しては、母は最後まで、自分の願いなのだと言い続けたが。
それでも、母は僕の手を乱暴に振り解(ほど)くつもりはなく、僕を納得させてから、看取(みと)ってほしいと願っていた。
そして、僕にこう言った。
「お母さんはね、朔也(さくや)と一緒にいる時が、一番幸せなの。他の誰といる時よりも。だから、死ぬ時は、朔也に看取ってほしいのよ。朔也と一緒の時の自分で死
にたいの。他の人と一緒の時の自分じゃなくて。−−それが、お母さんの唯一のお願い。あなたの仕事も、家を留守にしがちだから、お母さん、万が一、あなたがいない時に死ぬと思うと、恐(こわ)いのよ。わかるでしょう、それは?」
僕は虚を突かれた。それは、僕自身の死の瞬間を思って、慄然(りつぜん)とさせられるような考えだった。しかし、だからといって、今すぐ安楽死したいというのは、幾ら何でも、理解を絶していた。
「だけど、お母さん、まだ若いんだから。まだ十年も二十年も先の話だよ、それも。――本当は、どうしてなの? 何かあったんでしょう?」
「本心」 連載第25回 第二章 告白
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/547606/ 日本でもIT系や経営層のインテリから支持されてる印象はあるよね マジであなたが何を意図しているのかわからず困惑している。 キミは血塗れのアリス達を救わなくてはならない
虹と夢と音楽の名において・・・
加藤智大から青葉真司へ・・無敵の人を繋ぐ「媚」の構造を少女達が断罪する
無敵の人3.0 POST HUMAN SEXと
量子的シンギュラリティに関する最終報告
https://www.tugikuru.jp/novel/content?id=42950 かすりもしないからドキドキしなくていいよ、平野さん 国外の読者からも評価される立場にある作家だからね
向こう5年、10年で急激に国際的な評価も高まるかもしれないね 平野啓一郎を崇拝してる人とはどんなにその他が合っても仲良くできない >>54
君みたいなアンチの存在は逆に平野の優れたワークを証明するものでしかないよ 平野啓一郎とそのファンはさすが共鳴しあってるなあ
優れたワーク(キリッ)
かっこいいとは何か(キリッ) 謎にアンチコメ涌いてるけどさあ、中国や韓国の大学生の日本に対する関心って今やハルキムラカミとケイヒラノのことなんだぜぃ? そろそろ芥川賞の史上最年少選考委員になってほしいね
多分、逆に今のうちしかできない気がする 又吉に受賞させて、古市を繰り返し候補にしたあげくあの騒ぎがあって、
で、こんどはオナニーバカボンが選考委員では、
芥川賞もある種のギャグになってきたな。 日韓 相手の人生を見れば、共感できる 平野啓一郎さん
聞き手・中村真理子 2019年10月10日20時54分
https://digital.asahi.com/articles/ASMB265TDMB2UCVL01D.html?iref=comtop_list_int_n04&fbclid=IwAR1k0djKVAgQ_RZEZB12tFADyt9VFHakadT9szGCpSdq7cyzIk0VnuA-Ij4
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20191004003903_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20191004003900_comm.jpg
日韓関係が悪化する中でも、文学をめぐる状況はやや様相が違う。日本では韓国文学のベストセラーが生まれ、翻訳が続いて
いる。「個」を取り巻く状況や苦悩には通じるところが多いからだろう。国の違いを超えた共感の結びつきを、どう深めていけるか。小説家の平野啓一郎さんに聞いた。
――日韓関係が過去最悪と言われています。「嫌韓」をあおるワイドショーや週刊誌が目立ちます。
「僕は韓国人の友人が多いし、韓国には読者もいます。自分の親しい人たちのことを「韓国人」というだけで目の色を変えて糾弾するのは耐えられません。腹が立つと同時にすごく傷つきました」
「韓国の問題になると、メディアは無責任に反感をあおり、嫌悪感や敵意を垂れ流しにしています。元徴用工問題の韓国大法院判決文も読まないような出演者にコメン
トさせてはいけない。みんなまず、あの判決文を読むべきですよ。日本語訳で四十数ページ。技術を習得できると期待して応募したら、危険度の高い労働環境に置かれ、
賃金を支給されず、逃げ出したいと言ったら殴られた。悲惨ですよ」
有料会員限定記事 平野を見てると何か分からんがこそばゆくなって勝手に気まずくなる 何の才能もないただのオッサンが村上春樹や平野啓一郎には嫉妬する理由は何なんだろうなー
>>67恥ずかしいぞー 815 名前:吾輩は名無しである Mail: 投稿日:2019/09/02(月) 20:39:21.25 ID:fv7sBnbi
5流作家の文豪ごっこ。
平野のエージェントはネットマーケティング会社のコルク。
TwitterのエゴサRTとか、アレとか、アレとか、まさにコルクの手法じゃん。
まさにポスト・トゥルース、オルターナティブファクトを自分で体現しちゃってる。
816 名前:吾輩は名無しである Mail: 投稿日:2019/09/02(月) 20:53:49.65 ID:F5t9Wfm6
>>815
その平野を天才と錯覚して躍り上がったのが新潮の阿保馬鹿カスボケ死ねの矢野編集長なんだがw
817 名前:吾輩は名無しである Mail: 投稿日:2019/09/02(月) 21:12:59.82 ID:fv7sBnbi
当時は編集長前田でしょ?
818 名前:吾輩は名無しである Mail: 投稿日:2019/09/02(月) 21:25:54.72 ID:F5t9Wfm6
>>817
ありがとう。
前田は知らなかったな。
だが、平野発見で有頂天になってたのは矢野じゃなかったの?
819 名前:吾輩は名無しである Mail: 投稿日:2019/09/02(月) 21:51:11.30 ID:fv7sBnbi
平野から手紙もらって京都まで会いに行ったのが前田。
矢野は平野と東浩紀をくっつけて柄谷‐中上みたいなセットで売り出そうとしたけど
さすがに東が嫌がった。
で、平野はコルクへ。
コルクの佐渡島は文壇なんてちょろいとおもってんじゃないかな。
マーケティングで行けると。 マーケティング会社に依頼して、売ってもらっているのか >>47
インテリは今どき小説読みませんwww
読まれていない以上不要な作家
チョン擁護する奴って近代的思考を停止し、感情の話しかしなくなる、要は知性を放棄し始めるようになる
まるで新興宗教に洗脳されてる信者のようだ
平野君が目を覚ますことはもうないだろうな 僕の記憶の立ち上がりは、ほとんど、現実を最後まで拒否していたかのように遅かった。小学校に入学する以前のことを、僕は何も覚えていない。父は、母はともかく、僕にさえ、その後、一度も会いに来ることがなかった。
当然、少年時代には、僕は父を恋しがり、恨みもしたが、他方で自分をどこかのあっと驚くような人物の落胤(らくいん)ではないかと夢想することもあった。
母が、父のことを決して悪く言うことがなく、ほとんど美化さえしていたことも、その根拠となっていた。
母はその後、一人で僕を育てながら、職を何度か変えて、最後は、団体客相手の安い旅館で下働きをしていた。
今の世の中では、あの年齢で仕事にありつけただけでも満足すべきだが、不本意だったに違いない。
母自身は、決してそう口にしなかった。しかし、側(そば)にいる人間にとっては、難しくない想像だった。
一体、今のこの国で、仕事から生の喜びを得ているという人間が、どれほどいるだろうか? こんな問いは、冗談でもなければ、人を立腹させる類いのものだろう。
大半の人間が、自分の存在の根源的な感覚を、疲労と空腹に占拠されている社会で、僕は母の「もう十分生きた」という言葉を聞いたのだった。
それでも、僕がいた。母は、完全な孤独の底で、見捨てられたように蹲(うずくま)っているのではなかったはずだった。−−僕の将来のためか? お金を遺(のこ)
すために? それも母が口が裂けても言わなかったことだが、当然に僕は考えた。しかし、本当に僕のことを心配するなら、もっと長く生きてくれた方がいいに決まっているのだし、そのことは何度も言った。
母には、何かがあったはずだった。どうしても、僕に語ることの出来なかった具体的な出来事が。
老いはなるほど、漠然と人に「もう十分」と感じさせるのかもしれない。しかし、だったらなぜ、他の人たちは、母のように安楽死を決断しないのか?
「本心」 連載第31回 第三章 再会
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/549196/ 結局、真に「幸福」な一握りの人間にとっては、その他の大半の人間が、どうにか工夫し、本心を偽りながらでも、自分は幸福だ!と信じてくれた方が、ありがたいに違いない。その方が、社会は安定するのだ
から。幸福は、あなたの心の持ちよう次第です、という例のアレだ。貧乏人が、貧しさの中にも幸福を見出(みいだ)してくれれば、こんなに結構なことはない。浅はかな−−それとも悪意だろうか?−−エンジ
ニアが広めた自動修正機能で、過去のどの写真を見ても、不満一つなく、笑顔を見せている自分に、僕たちは、ほっと胸を撫で下ろして生きている。それほど、悪くもない人生だったのではないか、と。
僕がVF(ヴァーチャル・フィギュア)に求めていたのは、この孤独のささやかな慰安だった。しかし、僕はやはり、知りたいと思っているのだろう。僕を苦しめているのは、わからないということなのだから。
僕は、本当の母を取り戻したい。「幸福」という呪詛(じゅそ)に汚染されていない姿で。
母は、僕と一緒にいる時の自分でこそ、死にたいと言った。その願いを叶(かな)えてやれなかった罪悪感は、恐らく一生、消えることがないだろう。
ところで、僕は死ぬ時、一体、誰と一緒の時の自分で最期を迎えるのだろうか? どの自分であることを望むのだろう? 既に母を失ってしまった今。VFの母に看取(みと)られたいだろうか?……
*
母のVFのβ版は、予定通りに完成した。僕はその連絡を喜んだが、納期に間に合わないと謝罪されても、やはり喜んだ気がする。凡(およ)そ、僕の中には素直な気持ちというものが見つからなかった。
二度目にカンランシャを訪れた時、僕は午前中に一つこなした仕事のせいで疲労困憊(ひろうこんぱい)していた。
初めての珍しい依頼で、いつもは人の指示通りに動いている僕が、この日は逆に、自宅から指示を出す役目だった。
依頼者は、最近、緑内障で失明したという初老の男性だった。
「本心」 連載第32回 第三章 再会
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/549457/ 5流作家の文豪ごっこと言えば20年くらいの前の辻仁成を思い出すけど
辻仁成が現在、いい感じでショボクレてるのと対象的に平野啓一郎は鼻息がけっこう荒い。
ポジション的にも似てる。
嫁さん有名人で、本人は醜男なのにやたらナルシストなところとか。
ただ普通に辻の文章と平野の文章を比べてみれば辻のほうがはるかに
できが良い。てか、辻って今となってみればけっこういい文章書いてる。
平野のは書いちゃダメな文章の見本。幼稚な会話文とか、漢字やたら使ってて
バカっぽすぎて耐えられない。「テレヴィ」とかまじ普通の感性では耐えられん。
読者層とかもまさに日本のクズ、といった感じでアマゾンのレビューなんか
仕込みのステマなのか、馬鹿しかいないのかよく分からん感じになってる。 というわけで文学をけっこう愛している俺としては、平野みたいなクズ作家は
いち早く誰かが叩きのめすべきだと思う。
ふつうに例えば西村賢太とかと読み比べてみると、平野の小説なんてアホみたいじゃん? なんでそういうあったりまえのことを誰も言わんの?
西村賢太じゃなくてもいいよ。絲山とか田中とか山田とかでもいいよ。
アホみたいじゃん、……ね? D.Oの自伝すごく面白かった。YouTubeにあるって知って初めてJust Ballin' Now聴いてるけど、リリックが自伝の内容とめちゃくちゃリンクしてるね。
あとマーヤンの声がサンプリングされてない気がする。されててもおかしくないところで。これをちゃんとリリース出来なかったの本当に不幸だと思う。 原盤権を主張するならちゃんとYouTubeから削除しろよavex >>77
>>78
恥ずかしい人だねぇ、君
平野氏は人物の造形や物語の立ち上がりに納得できなければ何度でも文学的時空の空白(ゼロポイント)に回帰する
平野氏の空白には文学や思想という素粒子が常に立ち現れては消えしているのだが、現代というこの矛盾に満ちた第四次元世界とのコンフリクトによって意義深い物語が生成されることは現代思想作家の必然と言わざるをえないよ
君も空白に留まるを是とせよ 読んでないのにわざわざ平野啓一郎スレに来る意味がわからん >>1
これ、以前の災害の時も言ってたよなー。
答:予備費
学習しないよねー。
平野啓一郎
@hiranok
たった7億? あまりにも冷淡。無気力。何故、こんな政府を支持できるのか?
午後9:04 2019年10月16日
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自民・岸田氏「補正予算案 1兆円超す規模」 台風19号
https://mainichi.jp/articles/20191018/k00/00m/010/329000c.amp 平野の文学性が大衆(浅田等の学者も含め)に近付いてきたのは2010年代に入ってからかもしれないね。良い傾向だと思う
デビュウ当時の圧倒的な筆致が懐かしくなることもあるが… >>87
1作目って「日蝕」か。
あれはボロだしカスだな。 ああ、蓮見重彦や浅田彰が平野啓一郎を一蹴したという意味ですね誤読しましたすみません 平野啓一郎
『伯爵夫人』は、第二次大戦を背景に、体質的とも言える文体で、
「魔羅」と「睾丸」と「おまんこ」の逸話を綴ってゆくが、ページを捲る
ほどに、生臭い大きな陰嚢に包まれてゆくような息苦しさがあった。
「活劇」として配置された「金玉潰し」は、ペンチで爪を剥がすといった
類いと同様で、文学とは無関係に強烈な痛みの感覚を引き起こすが、
それに見合う高揚感や象徴性は欠けていた。知的な意味では、読後に
こそ始まる小説なのだろうが、主人公の祖父が射精なしで、「女を狂喜
させる」ことに徹していた理由が、「『近代』への絶望」と仄めかされる点など、
私は、つきあいきれないものを感じた。
本作を推した委員の一人は、自分はこの小説が好きではなく、新しいとも
思わず、内容的にも無意味だが、この趣味の世界の完成度には頭を垂れ
ざるを得ないとの意見だったが、私は全く賛同出来なかった。 「伯爵夫人」面白かったけどな。平野啓一郎の小説は読んだ事ないから比べられないけど。生臭い大きな陰嚢に包まれてゆくような息苦しさ、という表現よりマシなのでは? >>90
全然貧しくないと思うよ。
ていうか、「貧しい」という言葉が、わかっていないんだな。
平野「てんてんてんてん、光っ」
いやあ、実に豊穣で豊饒な言語表現で、参った参った。
ブリッと身が出たら、肥料にもなるしな。 そりゃ、蓮實よりは平野が数兆倍ましだ。
蓮實が死ぬまで平野を推す。 蓮實の提唱した表象文化論の分野は何の成果もあげていない。
これは非常に問題である。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています