文学の中の「寝取られ」
志賀直哉の「雨蛙」とか
大江健三郎の「万延元年のフットボール」とか
谷崎の「鍵」、芥川の「藪の中」
太宰の人間失格もそうか
実は枚挙に暇が無い。
語りましょう。 人間失格の、対義語遊びしてて
”「とんだ空豆だ!」
そこには二匹の獣がいました”
は別に興奮しないけどな。おそらくレイプだろうから。
これが和姦だったら萌え〜 大江「万延元年」で
「星」が鷹四と菜採子の姦通を蜜に報告するくだりは
かなり萌える。
菜採子がヤリながら星に「蜜に言ってもいいのよ」とか、凄い。
あれは、もう鷹四と再会した時から、この二人は姦通するなというのが
最初から予感されていて、やるかやるかと思ってたらやっぱりヤッってしまった
という感じがリアル。
「愛と幻想のファシズム」なんかも、フルーツとトウジがやったときに
フルーツが「すべては決められてしまっているのね」というところが
凄いリアル。 あと海外では「ロベルトは今夜」というのがある。
クロソウスキーだっけ?
谷崎の「鍵」と書かれた時期も設定も近いね >>3の、寝取られると予感してたらホントに寝取られてしまったというのは
文学ではなくドラマだけど
三谷幸喜の「今夜、この宇宙の片隅で」なんかでも
うまく表現されている。 「藪の中」なら、寝取られた後に
「俺は妻のあんなに美しい顔を見たことがない」という表現がいいね。
志賀の「雨蛙」は、姦通を斡旋してるような役回りの女音楽教師の存在がリアル。
「女だからって固いと思われるばかりじゃ堪らないわ」みたいなセリフを言うのが良い。
寝取られの様子を聞いた後に夫が「なんという自分だろう」というところが
NTRへの「目覚め」をうまく表現している トマス・ピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」も
ヒロインの浮気のところも萌えたし
家で焼身自殺しようとしたら
隣にに妻と上司が入ってきて浮気を初めて・・・
みたいなくだりが萌える トマス・ピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」も
ヒロインの浮気のところも萌えたし
挿話中のある男が家で焼身自殺しようとしたら
隣に妻と上司が入ってきて浮気を初めて・・・
みたいなくだりが萌える あと、詩人の金子光晴と妻の森某の話とか
朔太郎の話とか https://kinema.hateblo.jp/entry/20100317
金子光晴のコキュ生活
あとは、純文学で、一発屋だったけど
末弘なんとかの「塔」という何かの受賞作品にも
そういうくだりがあるとか お前らのような、阿保のブサとブスの寝取られニヤニヤのデカダンスじゃカッコつかねーぞw 漱石だって三角関係を好んで描いたから
一種の寝取られ好き?
行人なんて寝取らせじゃないか
弟に妻を当てがって、妻も夜化粧したりして
そのくだりは、ちょっとエロい 石原慎太郎の太陽の季節だって兄貴に女売ったよな
兄弟なんだから兄弟になるのも必然 慎太郎原作の映画「狂った果実」は
弟が兄貴に寝取られるんじゃなかったか?
穴兄弟になったかどうか憶えてないけど 「共食い」が芥川賞とった文脈ってヘテロ少年のセクシャリティとしてのNTRが実父にまで及んで、かつ日本の歴史笑を母性に担保させる、っていう、まるっきり男根中心主義なものだったよねw
ツイフェミは大嫌いだけど、ツイフェミが感知している、一方においての古典的なエディプス複合を持つ男性って、確率的にずっと存在し続けると思う。お前らの問題って古典的なんだよ、てのが本人達に伝わらないのが問題なんだけど 男根の逆は女陰?むしろ女核だろうけど
女核中心主義的作家って誰がいる?
純文学じゃないけど、小池真理子じゃないかと思う。
山田詠美は実はそうじゃない気がする。 >>18
そもそも「共食い」は性交中に女を殴るとか
その設定だけで読む気を無くした 田中康夫の「なんクリ」も
彼氏が出張中に体の浮気する話だから
寝取られか。
娯楽小説系だけど村山由佳「花酔い」はMの男が出てくる。
Sの女が「あの鏡の向こうでうちの旦那とあんたの奥さんがやってると
想像してみ。あんた、そういうの見とうてたまらんのやろ?」と言われて
M男がものすごく興奮するシーンがあったな。
しかし、この二人の間では寝取られプレイは無かったのが残念。
どっかのバーのボーイにちょっと色目使って嫉妬させるようなくだりがあったけど
あっさりしてたし。たしかM男が誠司でS女が千桜じゃなかったか、名前。
誠司の「まこと」の部分のイニシャルがMで千桜の「さくら」がSってことかな