【日本的スノビズムの】蓮實重彦5【法王】
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730 吾輩は名無しである[] 2021/01/31(日) 21:07:44.89 ID:drGtoE/r 日本的スノビズムの法王 733 吾輩は名無しである[] 2021/01/31(日) 22:29:05.18 ID:P159AI3e ≫日本的スノビズムの法王 これは、否定的評価でありながら、どうじに、なにかしら敬意も感じさせて、たいへんよい。 前スレ 【日本的スノビズムの】蓮實重彦4【法王】 https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1616747515/ 過去スレ 【ばふりばふり】蓮實重彦 X+3【120度】 https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1562762562/ 【翳りの歴史のために】蓮實重彦2【仮死の祭典】 https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1611357116/ 蓮實は皆が薄々感じてることしか指摘しないよ 80過ぎの老人が庵野に関して言えるようなことは、もうネットに溢れている。 蓮實派の映画監督は蓮實的映画史的記憶、庵野はアニメや特撮の記憶からの引用を元に映画を作るわけで方法論的には同じオタク しかし庵野もそれなりに映画を見てるはずなのに好きなのは岡本喜八や実相寺昭雄で蓮實的な映画には全く反応しないのは感性の違いに過ぎないんだろうけど蓮實派からしたら鈍感な奴ってことになるんだろうな 違いはストーリーやテーマやメッセージを映画だからとりあえずまとめて「脚本」と呼ぶとすると脚本に対する熱量の違いかな 庵野の脚本は賛否両論あるけどまあとことんこだわってるのは分かる 蓮實派は脚本なんて映画を撮るためのとりあえずの口実というか適当な脚本でも映画として優れてれば蓮實が誉めてくれるという甘えがあるんじゃないか? 庵野は脚本と形式相まって熱狂を生み出すが日本国内的には蓮實派の映画は脚本の波及力の無さゆえか地味な存在になってしまう そんな日本国内の熱狂なんて下らない、形式が優れてれば「世界」に届くんだと蓮實重彦は思ってるだろうけどそれ自体閉じたサークル感が否めないんだけどね >>90 それは庵野の脚本がエンタメベースってだけだろ いまは映画に限らず分かりやすい記号を畳み掛ける方がウケるってのはあるかもね マニュアル世代がマニュアルに反発せずにむしろ複数のマニュアルをとことん使いこなすようになっている そこがマニュアル嫌いの30代以上とそれ以下を決定的に分け隔てている 「独自」と称するありきたりを徹底的に蔑視する蓮實は正しかったと思う。 蓮實が廣松だったかを評してアカデミズム化して他の領域に波及しないとか言ってたけど蓮實が評価するゴダールや大江健三郎は映画や文学の閉域に留まらず他の領域に波及する力があるわけ でも蓮實の影響受けた作家たちは映画の内部に閉じ込められるような閉塞感が否めないんだよなあ 閉塞感?よく見たらそうでもなくない?そもそも誰のことを指してるのかさえも分からん また映画の閉域にあるというのが良いことか悪いことかも一概に言えないよね?50年代のアメリカ映画なんて閉域にあるっちゃあるようにも見えるし ちょっと浅いね >>96 推しについて否定的なことを言われたときのオタの典型的な反応で笑える >>97 否定にすらなっていないからよく分からんのよ、感覚的な言い方してるだけで薄い 映画『空に住む』予告編 10月23日(金)公開 たとえば、、こんなものは、予告編をみただけで、 少女漫画のできそこないみたいで、たくさんですわ… となるのが普通ではないか。 わたしなども、日本映画チャンネルで放映されれば、我慢して3分くらいは見ても、 それでもう、たくさんですわ… となって、すぐほかのチャンネルに切り替えて、 ニューズや、あるいは、たとえば これまで100回はみたかもしれない「ゴッドファーザー」や「眠狂四郎」など(たまたま放映していれば) をみること必定である。 そんなものが、「波及する」もなにもないだろう。 >>99 その映画、蓮實臭ゼロ つまんないのは確かだが、こじつけるにしても、せめて見てから言ったほうがいい 食べ物屋で、一口食べて、不味そうに吐き出した人に対し 文句があるならば一皿全部食べてから言え、というようなものだ。 映画は苦行するようなおもいをして鑑賞するものではない。 全然違うな 食べ物屋で、一口食べて、不味そうに吐き出した人が 実質ほぼ関係ない場所に来てその文句を言っていたので、 なんでここでやるの?明らかに場所を間違えているけど どうしてもやりたけりゃそのやり方が正当かまず確かめたら?と言ってるわけ そしたら「俺に全部食えと言うのか」と逆ギレし始めているのがお前な >>100 あれはどういう映画なの?見たけど思い出せない😂 ≫推しについて否定的なことを言われたときのオタの典型的な反応で笑える ↑の方が言った通りだ。 わたしとしては、コンビニ弁当一口食べて吐き出した後は、 ↓のような老舗中の老舗の冷凍懐石料理を解凍して口直しします。 Yukinojo's Transformation(1935) >>104 お前が否定したの青山じゃん 俺も一緒に否定してるけど? >>97 >>107 自分の意見について否定的なことを言われたときのバカの典型的な反応で笑える これじゃね? pさんは、「雪之丞変化」をみたことはあるんですか。 見たことがないならば、Yukinojo's Transformation(1935)で検索すれば、 出てきますから、見ることをすすめます。 戦後のリメイクは、長谷川一夫が年を取りすぎていて、 美しくないので、すすめません。 なお、原作も青空文庫で読めます。 ある映画監督を貶すのにオタクとかエンタメとか言うのは反蓮實的ではあるまいか?w フォードもホークスも小津もエンタメ映画ッスよw そうか?その基準で言えば、現代世界最高峰の映画はマーベル作品ということになる それはそれで結構ですが、くだらないと思う人もいて当然でしょう オタクだからエンタメだからダメってことはなく、 大多数に評価される理由としてはそこが際だってるから他に言うことがない 庵野のシン・ウルトラマンについてなら ウルトラQに始まる長年のウルトラマンオタクに語らせた方が絶対に面白い また、ウルトラマンやゴジラは当たってキューティハニーはこけた 新エヴァは旧劇より遥かに多くの観客を得た おそらく仮面ライダーはウルトラマンよりはやや集客を落とすことになるだろう これがなぜかなんてのは考えなくても誰にでも分かることであって、 そちらを持ち上げるからには蓮實的な映画史観は無効だ、とはならないのよね 蓮實のゼミ生の中田秀夫や、講義を受けていた塩田明彦、周防正行、 蓮實の影響を受けたことを公言してもいる濱口竜介にしろ ヒット作を出してはいるし 彼らを蓮實派などという曖昧な言い方で一括りできないのも明らか 青山真治は好意的に見れば、蓮實よりも許容量が大きく、手広かったし 黒沢清にはオタクであることを逸脱していく特有の不気味さがある 蓮實が近場では黒沢清について最も書きやすそうなのはそこもあるんじゃないか とっかかりが見つけやすいんだわ なんにしても彼らはさほど(自分たちでリップサービスで言うほどには) 蓮實の抑圧を受けていないだろう 当たり前すぎることだが、制作の現場と批評はどこまでいっても別物よ いくらか接近するとしたら編集作業において、くらいでしょうかね 蓮實の映画批評を読むことを案外純粋に楽しんでいる人がいたんですよ 映画そのものとは無関係に 中にはそれを絶対視する信者みたいな人もいなくはなかったでしょうが そういう人は実のところ、無理して読んでたんでしょう 蓮實氏は批評家としてもだが、古今東西の映画の紹介者として商業的成功とは異なる価値観を示してくれる人ではあったね。今ではその役割をネットが負っているはずで、多くの人は訳知り顔の専門家による紹介を必要としていないが、結局自発的に選べと言われたら、好きだと分かりきっているものに浸り続けるか、流行っているものに飛びつく。こういう人たちはなぜか自分の勘や感性を信用しきっている。 啓蒙というと鬱陶しいが、審美的で批評的な選別ができる紹介者がいたというのは、振り返ってみれば、それなりに有難かったんじゃないですか。偏愛が過ぎたし、数ある流派の一つでしかなかったとしてもね。今や商業的成功を映画への熱狂だと称えるのが関の山というのではさすがに寂しいものがありますね。 小津は松竹のお正月映画だったんでしょ? 寅さんやトラック野郎や釣りバカ日誌みたいなもん だから馬鹿にされてたんでしょ?w Yukinojo's Transformation(1935) https://youtu.be/lC9lWxbMxA8 これか!ありがとう。右側の音が出てないからダウンロードして編集しようかな出来る気がする >>112 俺は黒沢清の本を何冊か読んだけど死ぬほど蓮實重彦の影響受けてるよ少なくとも彼の主観的には マキノ雅弘の映画3つくらいYouTubeで見つけた今度観てみるか >>117 影響は受けてるんじゃない?そこは否定してないよ 蓮實との対談でも「どこそこのカットで○○の映画を思い出した」 「はいその通りです、さすが先生」みたいな会話をしょっちゅうしてるし しかしそれによって閉塞感がもたらされるほどの抑圧を受けているとは感じない まあ、映画見て わざわざ答え合わせしなきゃならないっていうのは 悲しいですな 蓮實ゼミの影響力などといっても 受験勉強を映画鑑賞の場にまで 広めたという程度のものなんでしょう ユーチューブでハナ子さんを見て、ドリフの大爆笑の歌が替え歌であった事を知った 確かに面白い。本人は完全にシャブ中で打ちまくりながら撮ってたんだって。 蓮實が最も好きな監督はラオール・ウォルシュとマキノ雅弘のような気がする マキノ雅弘の甥の津川雅彦は、 蓮實スクールの監督さんたちのようなぽっと出が嫌いなのではないか。 あるいは、嫌いというよりは、バカにしているのではないか。 言葉が方向を変えるとは、 文脈を踏みはずし、 無方向に拡散しながら、 物語的な根拠を喪失させることを意味するが、 補足的な付加が根拠の強調であるなら、 言葉の方向転換とは横断的な 「変換」 にほかなるまい。 必ずしも充分な成果をあげているとはいいがたいにせよ、大江健三郎の『懐かしい年への手紙』が目ざしているのは、断じて自作に対する補足的な付加の試みではなく、みずから「交通」 (柄谷行人)の装置となることで、 言葉に文脈の踏みはずしを惹起せしめようとする秀れて小説的ないとなみなのだ。 そして文脈とは共同体が容認する規則にほかならず、 決ってコミュニケーションを抑圧するものなのである。 反物語って要するにマスメディアに対するユーチューバーみたいなことだよね マスメディアは比較的フェイクニュースは少ないのでは?(池上彰を除く) ジャック=アラン・ミレール (『明るい部屋』のプンクトゥムpunctumは、ストゥディウムstudiumに染みを作るfait tache dans le studiumものである。私は断言する、これはラカンのセミネールXIにダイレクトに啓示を受けていると。ロラン・バルトの天才 le génie propre de Roland Barthes が、正当的なスタイルでそれを導き出した。…そしてこれは現実界の効果l'Effet de réelと呼ばれるものである。〉 プンクトゥムというのは、いわば読み取りのコードの陥没点で、 「陥没地帯」は、このバルトの考えの影響を受けてつけた題名だろう。 蓮實重彦は、ラカンを散々けなしているが、バルトはどうやら、 そのラカンからそのアイデアを頂戴したようだ。 「文脈の踏み外し」というのは、バルトの「明るい部屋」の「プンクトゥム」と ほとんど同じ意味なのはあきらかだ。 そこで蓮實の場合テマティスムだったり物語の形式の自然な進行を阻害する過剰な描写に注目するって話になるんだろうけどそれが共同体の文脈を踏み外したコミュニケーションとか言われると違和感あるんだよなあ 陥没地帯なんてのは文脈まみれの時間を担保として夢見られる一種のエアポケットでしょう 蓮實やバルトのようなエリートだから許されるもので、最初からそこを目指してしまうと、惚け顔の阿呆にしかならん 若いうちからこういうものに触れるとダメなやつになるんじゃないか こころ裏腹、本音と建前、 言ってることとやってることが 違うところに陥没乳首があって その構造の裂け目にこそ 可能性の中心があるって ことでしょう 無方向に拡散する反物語的な小説を称揚しつつベタベタに構造的な物語の映画も称揚する矛盾を蓮實はどう内部で処理してるんですかね 映画にとって脚本が何なのかよく分からないとアッサリと逃げ打ってましたが さすがにピント外れすぎているというか映画を観まくったことも蓮實をまともに読んだこともなさそうな感想文 バルトは、写真にひそむ「第三の意味」(言語化不可能なもの )が、 「反物語そのもの」なのだと言っていたようである。 われらが蓮實重彦にとっては、映画の映像における「第三の意味」が、 「反物語そのもの」ということなのだろう。 その場合、映画における音声は問題にされず、ことにセリフなどはもちろん度外視、 ということなのではないか。 闘争の本気度 9.11テロ実行犯たち 10点 山口二矢 9点 一人一殺という右翼美学にとらわれていたぶん、1点減点。 重信房子 8点 実行犯ではなく、共同正犯であるから、そのぶん減点。 アメリカによるベトナム戦争へ反対の意思表示として焼身自殺した僧侶 7点 売名等の打算が一切ない,無私の行動であること評価。 三島由紀夫 6点 芝居がかった大向こう受け狙い、 かつ、自分は死んでも自衛隊幹部を傷つけるような意思がなかったことにみられるように、 死後にタダのテロリスト犯罪者扱いをされることを避けた「ごっこ」だということで、 5点減点。 柄谷行人 3点 NAMのデタラメ理論にもとづく「ごっこ」ではあるが、 それでも何もやらないよりはましということでこの点数。 大江健三郎 1点 ひたすら口先だけではあるが、お上からのお扶持をもらっていないことは評価。 蓮實重彦 0点 口先だけのうえに、宮仕えを最高レベルまで全う。 ほんとうはマイナスにしたいところ。 高い点数をつけた連中は、犯罪者だからな。 世間的には、普通の人よりもカスなわけだ。 有名人だから闘争―、闘争ーと口先で唱えるだけで、 現実には真剣に取り組めないのではないの。 「金持ち喧嘩せず」で、ラディカリストまたは左派の建前だけれどシャチョー扱いをしてもらいたい、 というようなことだろう。 そして、「サバルタン」のようなものが、闘争の担い手になる、 というのが「現代思想」の本筋だ。 ≫カスが有名人の点数つけてもカスのままだよ 5ちゃんねるというのは、 かならずこういう人が「場を仕切」りたがって、出てくる。 しかし、左翼的な主張をしたい人やその利害関係者が、こういうことを書き込んだら、 おしまいなんですね。 ≫カスが有名人の点数つけてもカスのままだよ だいたいこんなのは、頭がたかい下郎、みたいなものだろう。 プーチン大統領の悪口をいった日本の作家に、 三文文士ふぜいが大国の大統領についてあれこれいうとは、 身の程知らす、みたいなものではないの。 なんか色々言ってるけどわけわからんカテゴリーで 恣意的に有名人列挙して点数つけて喜んでたカスだよね? 何の役にも立たないリスト作りたがる暇人っているよね〜 ガチガチのニートだろお前?無能丸出しだもん >>153 聞くまでもないかもしれませんが、 これって10点満点での評価で合ってますか? >>149 これ読み返してみ? なんこれ? カードバトルか何か? 知能指数いくつ? こんなお人形遊び許されるの正味4歳児まででしょ 浅田彰は、ぼくはバイデンにつける点数があまかったんだけど…、 と田中康夫との憂国呆談において言った。 わたしと三島由紀夫は、浅田彰とバイデン大統領ほど縁遠くないので、 たとえ点数をつけたとしても、浅田ほど身の程知らずではないことになる。 >>157 9点が1点減点なんだからそうじゃね? 点数自体はイミフすぎて逆にツッコミどころもないけど 149は、闘争の本気度の評価だから。 点数の高い人たちは、「闘争のエチカ」なんていう題名の本は出さないけれど、 口先だけでなく、本気で闘争をしていただろう、ということですよ。 >>160 カスのお前のは闘争というお題目でその薄っぺらい頭に浮かんだ有名人をごった煮で並べただけのお人形遊びな 浅田の知識人気取りの場つなぎトークと一緒にしたらあきませんわ、空疎でも浅田の方が需要があるだけ100倍マシ 浅田は、別に冗談でいったのではなく、 わたしのは冗談だから、 浅田のほうが、自分の身の丈がわかっていないといえるのではないか。 1972年以降気分だけでもラディカルでいたい層に蓮實と柄谷の批評は絶妙にフィットした 柄谷さんは冷戦崩壊以降さすがに保たないと思ったのかNAMに飛躍したけど蓮實は変わることなくスノッブな白痴的動物路線を全うしそうだけど >>149 これは冗談だが、 >>148 こちらは、いちおうまじめな書き込みです。 と言いつつ柄谷さんは探究T・Uは今も重要な仕事だと思ってますけど蓮實はシネフィルサークルに入る気もない人間にとっては・・・ 文芸評論については、蓮實重彦のほうが、柄谷行人よりも はるかに優れたものを書いてきたと、私は思います。 「マルクスその可能性の中心」以降の柄谷行人の評論は、 その影響で、哲学思想、社会科学、数学基礎論、科学論などの本をちゃんと読んでみよう、 と思った少数の読者にとっては、そのきっかけとしてよかったかもしれないが、 柄谷の書くこと言うことを鵜吞みにしてしまうような人にとっては、 有害無益なものだったと思います。 わたしは、20歳のころから、 柄谷行人の書いたことを真に受けたことはない。 アントニオ猪木の格闘技戦を、UFCのような格闘技の試合だと思って 見たことがないのと似ています。 しかし、わたしはずっと、柄谷行人とアントニオ猪木のファンではあったのです。 蓮實重彦の書くことには、柄谷行人とは違って、 つねに「真に受けるなよ」というメタメッセージがあるように 思っています。 柄谷はプロレスなら蓮實は空手の組手でしょうな 蓮實のがより型を重視 柄谷は可視化されないシナリオを読み取って ニヤニヤする わたしのかんじでは、 柄谷行人の批評が、アントニオ猪木格闘技路線プロレスで、 蓮實重彦のほうはジャイアント馬場王道プロレス。 なお、ジャイアント馬場も格闘技戦をやったことがある。 「表層批評宣言」の刊行が1979年11月なのだが この年に大ヒットしたさだまさしの「関白宣言」に便乗してやろうという意識がなかったとはいえないだろう 浅田彰の評価では68年の切断を柄谷と蓮實が敢行したけど80年代後半に柄谷は探究で更なる切断を敢行したけど蓮實は消費社会に身を添わせる選択をしたとか言ってたね 柄谷は更にNAMに飛躍しちゃってちょっと極端過ぎてついて行けなかったけどw 蓮實は一貫して基本的には変わらない 蓮實重彦は秘めたマルクス主義者、 浅田彰については、ネオ・マルクス主義者だと思うけれど、 柄谷行人は、実際は資本主義者だろう。 段ボール箱を開けたら現代思想の笙野頼子特集(2001・3)が出てきた。 ちらちらと読み返すに、 笙野先生の柄谷批判は、まったく正しかったと思う。 ネグリ=ハートの「帝国」について、 ジジェクは「現代の共産党宣言」と評したが、 それが揶揄含みだということは、意外と知られていないのではないか。 ジジェクは、ネグリについて、資本主義者に過ぎない、ともいっていたはずだ。 柄谷についても、本音では、ただの資本主義者だと思っていたのではないだろうか。 宇野→柄谷→その他の説の問題点は、 資本主義と市場経済の同一視(又は意図的な混同) これだと思う。 まあ蓮実は中学生くらいならつぶらな瞳でかぶれるのはしょうがないけど一度徹底的に相対化して手の内全部見透かした上でやはり映画を見る審美眼は優れてるとクールに付き合うか浅田彰のようにクールに馬鹿にするかのどっちかでしょ 学歴においても経歴においても著作数においても蓮實以下の実績しか残せていないできそこないの学術かぶれがクールに見ようとしても周りが白けるわな 自分のことを何も分かっていないバカの妬みにしか見えないんだし >>180 「徹底的に相対化」なんてする必要ある? ≫映画を見る審美眼は優れてる 料理の味がわかる、みたいなもんじゃないの。 食通みたいなものなんだから、たいしてありがたくないだろう。 ごちそうしてくれるならば、ありがたいけれども、 食い物の講釈本にお金を払って買ってやっったら、 むしろ逆にお礼の一つも言われたいんではないの。 売文をしている人が読者に批評されるのは当たり前だし、 ましてや蓮實重彦は公人だったのだから、 そのぶん少々悪口をいわれてもしょうがないんですよ。 その道理が通用しない人がいるのが問題だね。 有名税について語りたがる典型的な匿名の人ですね。典型的な匿名の人が悪口と言ったり批判と言い直したりするのも典型的すぎて香ばしいですよね。典型的な匿名の人の論理が滲み付いてしまっているんですね。典型的な匿名の人の発言は暇つぶしでイジられる対象以外にはならないんですよね。世の中に何の影響力もないことから、いわゆるレスバ厨以上でも以下でもないのですが、本人は何か議論でもしているつもりというのが典型的な匿名の人ならではですね。 典型的な匿名の人は何を言ってもコソコソとしてじめっとしたところがあるんですね。典型的な匿名の人は典型的な匿名を長くやりすぎて典型的な匿名であることが恥ずかしいことであるということを忘れてしまっているんですね。子供の頃からコソコソと生きてきたんでしょうね。そういう人の発言って傍目から一発で分かっちゃうんですよね。だから誰からも相手にされないのです。本人はなぜなのか分からないまま死んでいくんですね。恥もすっかり忘れ去った頃に、まるで自分がそのみじめな人生を望んでいたかのような錯覚を抱きながらね。もはや我が身を可愛がるのは自分しか残されていませんからね。 コソコソ生きるしかなかったんでしょうね。自己評価と周りからの評価が常にかけ離れ過ぎていて、自己評価に自己愛をふんだんに塗布している間に、気がつけば周りの足並みから脱落して、コソコソ生きるハメに陥っていたんでしょうね。あまりにも典型的すぎてわざわざ言語化する必要もないことですね。典型的な匿名の人は、昔からある言葉にピッタリ当てはまるのですが、ただの「身の程知らず」なんですね。周りからはそう見られています。まだ見てくれている人がいれば、の話ですが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる