蓮實派の映画監督は蓮實的映画史的記憶、庵野はアニメや特撮の記憶からの引用を元に映画を作るわけで方法論的には同じオタク
しかし庵野もそれなりに映画を見てるはずなのに好きなのは岡本喜八や実相寺昭雄で蓮實的な映画には全く反応しないのは感性の違いに過ぎないんだろうけど蓮實派からしたら鈍感な奴ってことになるんだろうな
違いはストーリーやテーマやメッセージを映画だからとりあえずまとめて「脚本」と呼ぶとすると脚本に対する熱量の違いかな
庵野の脚本は賛否両論あるけどまあとことんこだわってるのは分かる
蓮實派は脚本なんて映画を撮るためのとりあえずの口実というか適当な脚本でも映画として優れてれば蓮實が誉めてくれるという甘えがあるんじゃないか?
庵野は脚本と形式相まって熱狂を生み出すが日本国内的には蓮實派の映画は脚本の波及力の無さゆえか地味な存在になってしまう
そんな日本国内の熱狂なんて下らない、形式が優れてれば「世界」に届くんだと蓮實重彦は思ってるだろうけどそれ自体閉じたサークル感が否めないんだけどね