ドストエフスキーPart53
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5大長編じゃないよな、4大長編だ。
それでも4つの大作をものにするのは大したもんだが。 ラスコリニコフとは友達になれるかもしれないけど、キリーロフは無理だ とは言え強盗殺人で被害者が複数だから今の日本なら死刑案件
死刑囚レペルの殺人既遂犯といつでも自殺できる男だろ
友だちになりたいか? >>118
スレの流れを読めばわかるだろ
たぶん
普通に字が読めれば そういう書き方は自分の品性を卑しめるから止めた方がいい >>120
オレの品性が高いと思ってんのか
それはどうでもいいが
わかった? 質問の答え 分らんから訊いているのだ。私は「罪と罰」を何回も読んでいるが、君が自信を持って断定
した、ラスコリニコフがいつでも自殺できる男、という意味がさっっぱり理解できない。
スレの流れを訊いてるじゃなく、ドストエフスキーが本当にそう考えていたのか。
もし私の読解力に不足があって、君の主張する通りなら、いったい「罪と罰」のどこら辺を
読めば、そんな解釈が可能なのか、訊いているのだよ。 >>122
じゃなくてさ
キリーロフのことだよ
前のレスへのレスだからさ 人を殺せる奴は自分も殺せるやつ
が多いと思う
ラスコーリニコフは自分で意識している極端な思想とは別に
自分を殺してるんだと思う
そうした絶望が流刑地で感覚的に庶民に嫌悪されたのだし
それを救ったのがソーニャだと思う そういう読み方もあるかな
オレはラスコーリニコフが象徴的に殺してしまったのは
母親だと感じている パクりや盗作と言えば聞こえが悪いが間テクスト性やオマージュ・リスペクトと聞くとまあそういうものかと思う
そもそもドストエフスキーのデビュー作はゴーゴリの外套、第二作の二重人格/分身は同じくゴーゴリの狂人日記等の著しい影響の下に書かれたと言われてるし
ドストエフスキーもハル王子(パル王子だっけ?)というワードを引用しているシェークスピアに至ってはしばしば既成の二つの戯曲をくっつけて一つの作品に仕立て上げてたらしい 結局、作家の日記は復刊もなにも
無かった。
なんで出ないのか不思議。 単純に出しても売れないからでしょ
作家の日記まで蔵書で揃えたいという人なら全集買っちゃうという選択肢も出てくる
日記や初期短編や書簡まで読みたければ図書館で借りられるし 雰囲気的なものは『白痴』が一番好きなんだが
表紙裏のありえないネタバレさえ書いてなかったらなぁ
超絶台無しにしてる
せっかくの美しい場面なのに ネタバレにうるさい最近の風潮にはウンザリしている
ロゴージンのナスターシャ殺しくらい書いたって、どうってことない
俺はamazonレビューでどんどんネタバレを書いているが、
結構人気があるみたいで、amazonからもっとレビューを書いてくれとメールがくる 小説であれ何であれ、一冊の本が本当に面白く感じられるのは、
10回目以降なんだよな。
逆に言えば、何度も繰り返して読もうという気になれない本は、
読む価値が薄い。
すでに細部を知り尽くしていても、なおかつ読み返したくなるような
本だけが、本当の価値を持つ。 ドストエフスキーの小説はミステリー要素もあるから
ネタばれは厳禁な気がするぞ
初読の醍醐味があの表紙裏のネタバレで台無し >>134
そういう紋切り型の思い込みが読書を浅いものにする
作者が言葉によっていかに作品世界を構築しているかを
読み込んでいけば、ネタバレなんて気にならないはずだ 気になるなら、表紙裏を読まないように最善の注意を払っていればいいだろ。
自分はそうしてる。続きを読むとき、表紙裏に掌を当てて、目に触れないように
している。 >>133
言ってることは概ね同意
ドストエフスキーの作品はネタバレしていても面白い本当の名作が多くある
ただSLAM DANKの映画もそうだが、ネタバレを超越した面白さがあるとはいえ、
全くストーリーを知らない状況で見た衝撃というのもあるから、ネタバレは良くない エンタメはネタ命だからネタバレすんなという気持ちはわからんでもない
しかし物語/小説を論じようとする時に一般に言われるネタバレが起きるのは避けられないんじゃないか
ネタバレダメ絶対と言うなら誰かも書いてるがじゃあその手の情報を読むなよとしか言いようがない
テキスト以外の情報(裏表紙の解説でも5chのスレでも)を自分で読んどいて「うわっネタバレだよふざけんな#」と言うのは大人げないというかもはやアホだろ 蓮實重彦がネタバレなしでまともな批評が書けるわけないとどこかで言っていたが、
その通りで、ネタバレしないよう配慮した最近の書評の浅さには辟易する
これではその本を買って読もうという気には到底ならんものな >>140
まったく同感。そもそも、ここまでネタバレを嫌う意見が台頭したのも
かなり最近に出て来た傾向だろう。とは言っても、もしかしたら20年くらい前からかもしれんが。
何でそういう傾向が最近になってから出だしたかというと、
ネット以前の時代には、本格的に文章を書く人の文章や口頭のコメントだけが大衆の所に届いていた。
ろくでもない連中のコメントなんて、ほとんど人の目に触れることはきわめて少なかった。
そして、ネタバレを嫌う人のほとんどは、本を読んだり映画を見たりするのは単なる娯楽のため、
気晴らしのためでしかない。
娯楽や気晴らしのための書物や映画などの芸術(芸能)作品というものは、
その筋書きだけ、表向きのプロットの面白さだけ、見かけだけを浅薄に追求したものに過ぎない。
従って、この20年ほどはネタバレを極度に嫌う意見が台頭し始めた。
軽薄な連中は、ドストエフスキーなどの古典作品でさえ、そこらへんのエンターテインメントと
同列に扱う。 >>141
軽佻浮薄な連中は売れる本や作家が偉大だと錯覚していて、いやそうじゃないだろと
その錯覚を正してやろうとしても、聞く耳を持たないから、さじを投げてしまう
ネット全盛の時代になって芸術の価値を理解できない世代が確実に台頭してきている 角川文庫「真珠郎」(横溝正史)は表紙の絵が犯人バレ直前の内容。 >>145
ネタバレいやいや厨にとって本文以外の情報という点で全く同じ
とは言っても誰にだって初読み体験はあるわけだし
なんも予備知識なしで本文を読んでプロットを楽しめるし楽しみたい奴は他の情報をシャットアウトして楽しめばいいってだけの話 そもそもは『白痴』の裏表紙に物語の核心と言える
ネタばれ?が書いてあるのはどうかということだっただろ >>148
それにしても同じこと
ネタバレが嫌なら裏表紙も読むなってことだよ さらに言えば物語の核心というかプロットの見せ場ってことでしょ
少なくとも小説の読み手としては手練れ中の手練れであろう新潮文庫の編集部はあのプロットの見せ場をあらすじとしてサラしても物語の核心/白痴の読書体験は損なわれないと判断したわけで
初体験を台無しにされたと憤る面々には残念でしたと言う他はない お前の意見はともかく
あれを書いた本人に、なぜ書いたかを聞きたいところだな そんなにムカついてんなら問い合わせたらいいんじゃないの?
「サーセンでした。でもその方が売れるんで」って答えてくれるかもよ >>149
なんの情報も仕入れず、どうやって君はその本を購入することを選ぶんだ?
もしかしてジャケ買いか?
ネタバレが嫌なら何も見るなという極論は、ネタバレしてる俺の自慰行為を
邪魔するなって言ってる子供じみた考えに感じるね ネタバレに寛容になれと言いたい
40年前、ある文学者が新聞である古典的なミステリを紹介していたんだが、
何とその文章で彼は真犯人も書いてしまっていた
当時はネタバレにはうるさくなかったが、
ミステリの犯人を書くのはさすがにルール違反だった
それでも自分はその作品に興味を持ち、本を買い、読んだ
ものすごい傑作で、犯人が分かっていても楽しめた
そういう体験を他の人にも是非してもらいたい 全くその通りであってそもそもネタバレしたらもう面白くないなんていうクズ小説は読むだけ時間の無駄であり
それこそあらすじだけ読んだ方が時間の短縮になってよろしい
それでも読みたければどうぞご自由に
逆に再読再々読に耐え繰り返し読めば読むほど面白さが深まっていくような小説だけが名作傑作として世に残っていくので
白痴の背表紙のあらすじにガックリきちゃった人たちもめげずにまた読むといいと思う それは作品によるし、個人の感性の違いにもよる。
例えばアンナ・カレーニナを初めて読むとき、アンナの結末を見返しや裏表紙などで
知ってしまうと、知らないで読みたかった、と自分なら読後に残念に思うだろう。
初めて読んだときの感銘は、再読するときとは違う。 ミステリー読んでるわけじゃないからな爺さんw
何故自死を選択せねばならなかったのかというところに
小説の核心がある
ロシヤ文学好きなら『アンナカレーニナ』の結末くらい知っているだろ 淫乱兄妹らしい結末だ
DNAは嘘を吐かない
翻弄される周りの人間があまりにも不幸で笑ってしまった >>157
それはお前の場合だろアホが
初めて外国の小説を読む人間だっているわけだ
お前の都合なんか誰も問題にしちゃいない、分ったか坊や 読了前に結末がわかっても作品の価値が低減するわけじゃない
あらすじを追うしか能のないマヌケの場合は知らんw あのな、坊や、坊やの年頃ではドストエフスキーなんて早すぎる
ママに「日本むかし話」でも読んで貰ってろ
お前の精神年齢はその程度だ 小説のネタバレをして欲しくないと言ってる人たちが一定数いるにも関わらず、
率先してネタバレを書こうとしてる人って、自分の糞を撒き散らしながら
「どうだこの糞がみんな好きなんだろう?」って言ってる病人ですか?
わざわざ他人にとって不快と思うことを率先してやる人間って、身勝手な正義感を
振りかざして他者に害悪を及ぼすから、実生活では誰にも相手にされてないし
いつか凶悪な事件を起こすだろうね あとそもそもこの議論でずーーーっと思ってたことだが、>>155みたいなこと書く人は、
だったら自分こそあらすじに頼らずにその小説の面白さを表現してみたらどうなんだ?
結末に触れないと面白さが伝えられませんってことは、結局自分は表面的な
ストーリーの流れからしか面白さを感じとれてませんってことだと思うね ロシヤ文学を云々するなら
ロシヤ語の初歩を勉強して
原文を曲がりなりにも理解できるようになってからだぞジジイw
翻訳をいくら読んでも理解できないところがあるからな 全くその通りであってと言いたいところだけど
ロシア語を勉強している奴が米川正夫や江川卓レベルに読めているのかってのも問題で
中途半端な外国語理解で読むより翻訳者の訳文を読む方がむしろより正確な読みになる可能性が高いという事も言えなくはない
ロシア語が堪能なのは凄いと思うし原文で読めるのはうらやましいけどね ロシア語が分るかどうか、じゃなくネタバレを許容できるどうか、が今話題に
なってるいんだろ 5chのスレで話題規制か?ww
ネタバレが絶対に許容できないなら小説のテキストだけ読んどけ
文庫の背表紙はネタバレだらけだしどこにお気に召さないネタバレが転がってるかわからないからな
アレコレ自分で読んどいてアーネタバレがーとかバカかよww とりわけ文庫で本文を読む前に解説から読み、ネタバレしやがってとののしるヤツ
バカすぎて、もう小説を読むの、やめろとどやしつけたい >>167
あったま悪いなお前
ネタばれが嫌なら最初から本なんか読まなきゃいいんだよ 二人の主人公ってのは
公爵とナスターシャじゃなくて
公爵とロゴージンだよな
ロゴージンって最初はキザな嫌味野郎と思ってたけど
この物語には欠かせない人物だったんだだなと後からじわじわとくる フョードル「お前はドミートリィのことをミーチャなんて呼んで愛しているが、そんなことはわしは怖くないぞ。
わしは夜中に油虫が出るとスリッパで踏みつぶしてやるんだが、ぐしゃっと音がするぜ。お前の愛するミーチャもぐしゃりさ」
アリョーシャ「お父さん飲みすぎですよ」アリョーシャは微笑した。 現実にはありそうもないおとぎ話だが
読んでいないと恥をかく
影響を受けた作品が結構ある 公爵はインポだろ
勃起しないんだ
射精の気持ちよさを経験していない
「オトコ」じゃないんだ >>175
中田ってレーニンは良かったけどスターリンが悪かったみたいなこと言ってたが
基本あまりよくわかってないというかズレてるというか 黒澤明の「白痴」は必見だな
ナスターシャを自分から希望して演じた原節子がすごい ドストエフスキーの小説は滅多に付箋入らないけど
カミュの小説は、何か大事なこと言ってる一文が多くてバシバシ付箋入るわ 付箋入るという言葉は付箋入れ以外で聞いたことは無いがまあそれはいいとして 小説読んでて「お! この文は何か大事なこと言ってるぞ」と思ったところに付箋はって
そんでどうするの?
貼りっぱなしってことは無いだろうけど なんだかんだ言っても
人殺しが必ず登場する露助土人ドストエフスキーの小説
淫売、妾、癲癇野郎、強盗、ドロボーも必ず登場 5大長編で唯一殺人事件が起らず、狂人が登場しないのが『未成年』
かつて米川正夫が「渾然とした滋味と落着きのあるインチメートな浸透性に充ちている点、
ドストエフスキーの長編中ほとんど比べるものがないユニークな名品」と評した
これに自分はまったく同感だ
ドストエフスキーの小説の解説でいつも共感させられるのは米川正夫だけだ
もちろん翻訳もリズムのある文体で読みやすい 「未成年」は
米川正夫訳
亀山郁夫訳
工藤精一郎訳
の3つがあって、どれも電子書籍化されているんだが、
どの翻訳がベストなのか? ちなみに自分は
工藤精一郎訳(新潮文庫)
しか読んでいない。 工藤訳はなんか単調なんだよね
木村訳は解り難いところもあるが好き
望月訳はこなれていない日本語で嫌い
米川訳は解りやすく読み違いのないように配慮された文章で大好き
米川訳>木村訳>工藤訳>原卓也訳>望月訳
ただし『アンナカレーニナ』の木村訳は望月訳にも劣る 江川卓訳を忘れていた
江川訳はとてもわかりやすく他の翻訳の倍速で読了できる
江川訳>米川訳>木村訳>工藤訳>原卓也訳>望月訳 >>189
スレ違いだけど、新潮文庫のトルストイ、木村浩訳はよくない
『アンナ・カレーニナ』だけでも、筑摩大系の木村彰一訳に変更した方がいい
ろくでもない訳で読むと、せっかくの名作が台無しになってしまう あたし、パイナップルの砂糖漬が大好きなの。
あなたも好き? >>196
ディケンズって読んだことないけど、一番のお勧めの本はなんです? 薄汚い古本でしか読めないものを紹介するなよ爺さんw 岩波は米川訳『カラマーゾフ』を江川訳に変更すべきだな 水声社『カラマーゾフ』
買うべきか買わざるべきか
それが問題だw 翻訳者が名前を加工していても
露語学習者なら原文での表記を推定できるんだがな
それも愉しみのひとつ
ボルコンスキー女史の英訳本があれば
原書も水声社版も望月訳も不要なんだがな 英訳本があれば原書が不要か
最早何が自慢したいのか意味不明だがな おまえ、ボルコンスキーの英訳読んだことないだろw
人名の訳出のことを言っているんだ
ロシア語の初歩もわからんお前が原書を読めるのかよ爺さんw そんな読解力で文学作品理解できるのかよw
古本蒐集が趣味なのかよ爺さんw 上品インテリなイワンの口から「うんこ」なんて単語出てきたのは衝撃的だった。大審問官の前の、居酒屋でアリョーシャと会話してるシーンにて イワンは神という絶対的正義が存在しない以上人間は根本的に自由であり
根本的な自由を実践するという意味で人類の論理的必然というかむしろ責務は共食いをすることだと
いかにもドストエフスキー作品の登場人物らしいことを作中論文に書いてるからただの上品なインテリというわけではないよね ドストエフスキーには哲学者きどりの書き方は似合わない気がする 世界的に(つまりキリスト教文化圏的に)大審問官がドストエフスキー作品中の最重要部分とされるのは
4福音書に続く第5福音書(もはや福音ではなく悪い知らせだが)と読めるからかと
だから聖書をまともに読んだことがない普通の日本人にはあの章はあまりピンとこないのではないか 大審問官はさっぱりわからんでその前か後のゾシマ長老の若い頃の話が面白かったな イエスという青年が救世主(キリスト)であると心底信じている欧米キリスト教徒のメンタルがそもそも普通の日本人には理解不能
だからキリスト教の守護者として残虐な宗教裁判を繰り広げた大審問官がホンモノのイエスを処刑するという前夜
イエスが入れられた牢獄で大審問官が自らの正当性を信条告白しそれを聞いたイエスは大審問官を残して去っていくというイワンの詩に対して
日本人「??? ナニコレ?」となるのはまあしょうがない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています