ワナビの王
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ワナビとは生き方であり哲学です。
ワナビは職業として成立せず、したがって肩書にもなりえません。
誰かにワナビと認められれば、それでワナビになれるわけではありません。
生まれつきの才能だけでワナビの高みに到達できるわけでもありません。
特別な才能が無かったとしても、必要な訓練を積めば一定のワナビにはなれます。
ワナビに貴賤は無く、上下関係もありません。ワナビは等しくワナビです。
ワナビに義務はありません。したがって権利もありません。ワナビとは自由です。
ワナビに正解はありません。したがって間違いもありません。
ワナビに優劣はありません。したがって勝ち負けもありません。
あなたがワナビとして生きることを決意したなら、あなたはもうワナビです。
あなたの心に理想の王国を築きましょう。 より良きワナビを目指すために、心がけるべきこととはなんでしょうか。
まず、創作分野で大きな成功を収めてはいけません。
ワナビの在り方に正解はありませんが、ワナビでない何かになってしまえば、
あなたは自分をワナビとして認めることが難しくなってしまうでしょう。
商業水準で成功しつづけてなお、ワナビの心を持ち続けることはできません。
いまだかつて、その境地に達したものはありません。
しかし、一度でも成功してしまえばワナビへの道が立たれるというわけでもないのです。
出戻りワナビ、という生き方を選ぶこともできます。
そのように考えると、ある意味とても気が楽になるのではないでしょうか。
一度ワナビを辞めてしまったらもう二度と戻れない、ということもありません。
ワナビではない生き方を試したのちに、また戻ってくることも自由です。
ワナビがあなたの裏切りを責めることはありません。ワナビはとても寛容です。
あなたがワナビを許すことができるなら、ワナビはいつでもあなたを許します。 ワナビを続けていくにあたって気を付けたいことは、技術修練に有効な訓練をしないことです。
的外れな訓練をすることはとても良いです。訓練効果を下げるためには工夫が必要です。
まず、自分の天才を深く信じなくてはいけません。根拠は無くても良いのです。
小さな実績の有無にも、ワナビは左右されません。あってもなくても良いのです。
あなたが自分を天才と信じれば、あなたは今日から天才ワナビです。
自分のワナビ性に疑問を抱いてもいいのです。迷いつつ進むのもまたワナビへの道です。
創作とは選ばれた天才にだけ許されているのだと信じましょう。
凡庸な人間が取り組むような地道な訓練は避けましょう。ワナビの精神に反します。
己の天才を根拠なく信じ、一過性に張り切ったり長く怠けたりするのが理想です。
できない自分を責めてはいけません。やらない自分を肯定しましょう。
もしも不安になったなら、自分より才能に劣る人を探しましょう。
あなたの理想の作品と、その人の現実の作品を比較しましょう。
多くの娯楽に耽溺し、知的な贅肉を増やしましょう。大いに批判精神を養いましょう。
自分自身については才能と努力を評価し、他人は実績で評価しましょう。
評価の基準は気分によって変えましょう。公正な基準で人と自分とを比べてはいけません。 より良き消費者として作品を消費し続ければ、道は開けると信じましょう。
グルメに至る道とシェフに至る道は同じではありませんが、事実を気にしてはいけません。
他人の作品からインスパイアされたなら、それを自分の才能だと信じましょう。
作品がすごいのであって自分がすごいわけではない、という認識はワナビの精神をむしばみます。
風の心を持ちましょう。なんでも飽きたらやめましょう。訓練の習慣化などもってのほかです。
生活リズムは極力不安定にすることがおすすめです。睡眠時間は短い方が良いでしょう。
ワナビの心の栄養は一過性の高揚感です。それはいわば下衆の悟りです。野狐禅(やこぜん)ともいいます。
もしもアイディアが浮かんだならば、それを形にしてはいけません。きらめきを失ってしまいます。
ワナビの道に終わりはありません。死してなお、あなたはワナビたりえます。ワナビの魂は不滅です。
人生が永遠に続くような前提で、あらゆることを延期しましょう。来世で頑張ればいいのです。 論理性や合理性を求めてはいけません。物事は気分で決めましょう。
数値化できる形で進捗状況を測ってはいけません。主観の移ろいを大切にしましょう。
意志を強く持とうとすることは良いことです。意欲の継続をはかってはいけません。
己の霊感を信じましょう。降りてこない時は何もせずに待ちましょう。
あまりに高度な知識を得てはいけません。物事の本質を考えてもいけません。
広く浅くでいいのです。受け売りの知識を集めましょう。こけおどしでいいのです。
作品のアイディアは既存の作品から求めましょう。独創性を発揮してはなりません。
模倣を訓練としてはいけません。ばれないパクリを目指しましょう。
訓練や練習は避けましょう。いつも気分は本番です。地力をつけてはいけません。
つねに考えずに悩みましょう。自己撞着はワナビの心を強くします。
成功してはいけないし、あきらめてもいけません。バランス感覚を持ちましょう。 高揚と自己嫌悪を繰り返すことはワナビの精神を鍛えます。
ただし、短期間で躁と鬱を繰り返すことは、自殺衝動を高めます。
しばしば自殺願望が芽生えるほどの才能があるなら、薬でコントロールすることも大事です。
もしそれでワナビの心が失われたとしても、嘆くことはありません。
ワナビを卒業してしまったとしても、元ワナビとして胸を張りましょう。 かようにワナビの理想に至る道はとても厳しいものになります。
全てができなくてもいいのです。一つもできなくてもいいのです。
極論を言えば、ワナビじゃなくてもいいのです。
ワナビではなくなってもワナビの心を維持する方法は一つあります。
己のワナビ性と深く向き合い、物語の登場人物として設計することがそれにあたります。
ワナビを題材に作品を完成させてしまえば、現実のあなたはワナビではなくなってしまいます。
それはとても辛くて寂しいことだと思います。
しかし、劇中のキャラクターとして再構成することができれば、あなたのワナビ精神は、
そのきらめきを保ったまま永遠に生き続けることができるのです。
その時あなたは、ワナビを超えた超ワナビとして、新たな道のりを歩むことになるでしょう。
世に生きる多くのワナビから、深い同類嫌悪と共感をもって迎えられることができるかもしれません。
もしもその試みが成功しなければ、あなたは再び出戻りワナビになることもできます。
かようにワナビは自由です。ワナビに責任感は不要です。権利のみを求め、義務からは極力トンズラしましょう。
もしも食い逃げが見つかってしまったときは、
「ごっめーん! 先払いのお店と間違っちゃった」
と言えばいいのです。
現実の犯罪はダメなことですが、自分を偽ることは特に罪ではありません。 自分の多様性を認めましょう。他人には一貫性を求めましょう。
加点主義で自分を褒めましょう。もちろん他人を評価するときは減点主義です。
もしも心が傷ついたときは、他人の心を傷つけましょう。
自尊心が傷ついたときは、他人の自尊心を傷つけることで補填をはかりましょう。
議論をすることはとても良いことです。自分より弱そうな人だけを狙いましょう。
自分のことは肯定から入り、他人のことは否定から入るのが基本です。
いつも心にダブスタを。自分に一貫性を求めてはいけません。
もしも理解が難しい人と出会ったなら、想像を膨らませてはいけません。
断定的に決めつけましょう。可能性を広く考えることはワナビの精神に反します。
高い見識、深い思慮、本質の理解などは、これを求めてはいけません。
それはもう持っているものだと考えてください。受け売りを話せばいいのです。
頭が悪すぎるとワナビにはなれず、頭が良すぎるとワナビを辞めたくなります。
より良いワナビであり続けることは、ただワナビの訓練によってのみ実現します。
他人のワナビを笑ってはいけません。自分のワナビに泣いてもいけません。
ワナビの意義を疑ってはいけません。ワナビに意味などありません。 自分の実力を試してはいけません。神を試すことは許されません。
見えないものを信じましょう。目に見える形で何かを示してはいけません。
自分のことについては根拠なく肯定しましょう。
他人のことについては代案なく否定しましょう。
物事を具体的に考えてはいけません。なるべくあいまいにしておきましょう。
時間を浪費する消費型の趣味を持ちましょう。何かを積み重ねてはいけません。 人はワナビに生まれるのではありません。ワナビになるのです。 >>11
おはよー。俺が10月に建てようと思ってるのは別のスレ ワナビになるには? っていう風に考えて、もしワナビが嫌なら逆をやればいいのでは?
っていうので考えたんだけど、
怪しげなカルト宗教の教義みたいなものとして考えると、こんな理念を掲げる宗教はありそう
無理やり良い方向に、良い方向に考えれば、ワナビの在り方を肯定的に考えることもできるわけだし
「なろう」で展開するほうが自分にとって役立つかとは思ったけど、5chのほうが書きやすかったんだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています